第十八話「喪失感」
アメリア隊がオークに攫われたと言う私の一報は騎士団に混乱と動揺を生じさせた。
損耗が激しかったとは言え、エストフルト第一兵舎のエリート部隊が安全と目されていた調査ルート上で壊滅したのだ。これは異常事態と言わざるを得ない。
作戦は変更を余儀なくされ、敵キャンプ地への襲撃は中止。代わりに大森林の綿密な再調査が行われた。
私はと言えば、アメリア隊の生き残りとして、指揮官騎士に詳しい取り調べを受ける事に。
取り調べついでに、騎士団に確認したことがある。それは、他部隊の被害についてだ。アメリア隊以外にもオークの罠に掛かった、あるいは掛かりそうになった部隊がいるのか、私は確かめた。
返ってきた答えは“アメリア隊以外の部隊にそのような報告はない”だった。
即ち、裏切り者のマーサ・ベクスヒルはアメリアやその部隊のみを狙い、オークの罠に嵌めたのだ。敢えて、己の親友を売ったのだ。
再調査の後、“オーク合同討伐作戦”は続行。オークのキャンプ地を騎士達は襲撃し、危なげなく彼らを退けた。実に呆気ない勝利だった。
騎士達が森で奮戦している間、“オークの秘薬”にやられたアイリスとラピスは首都エストフルトの軍病院に搬送されることになった。命に別状はないが、二人ともまだ意識が朦朧としており、治療が必要との事。ちなみに、呪毒にやられて寝込んでいたミミも同じく病院送りになっていた。彼女の場合、既に症状は治まっているようだったが、念のため検査を受けるらしい。
私は一人バリスタガイに取り残され、日がな一日無意味な待機を言い渡されていた。アメリア隊の生き残りである私の扱いを、騎士団は決めかねているようだった。
さて____
マーサの事があるにも関わらず、私は上の空の日々を過ごす。蟠る空虚な心が、街を散策する足すらも鈍らせていた。
作戦が無事終了し、エストフルトへ帰還する当日。私は騎士団が貸し切っている街の食堂で、バリスタガイ最後の朝食を頬杖をつきながら頂いていた。
「間の抜けた顔ですわね」
ぼんやりとパンを齧っていると、ふと聞き知った声が。
視線を向けると、そこにマリアがいた。
「……マリア」
気怠く返答する私。ふうと息を吐き____
「そっちこそ、死人みたいな顔してるよ」
「……」
青白く、血の気の少ないその顔を指摘する。マリアの表情からは活力や生気と言ったものが抜け落ちていて、まるで幽霊にでも出会った気分になった。
黙って見つめ合う私達。私の前で尊大に腕を組むマリアだが、彼女が何かちょっかいを掛けてくるような気配はない。いや、気力がないと言った方が良いか。
「アメリア隊の皆さん……いなくなってしまわれましたわね」
弱々しくマリアが呟く。すると、私は片手を開き、指を折り始めた。
「私……アイリス……ラピス副隊長……ミミ……四人は残ったよ」
「四人しか、でしょう?」
マリアはそれから私に身を乗り出した。
「皆さん、いなくなってしまわれましたのよ?」
「……いなくなっちゃったね」
オウム返しの私に、マリアは苛々を募らせる。
「……それだけですの?」
目を吊り上げるマリアに私は肩をすくめて、憂鬱な溜息を吐いた。
「いなくなったんだよ……アメリアも……部隊の皆も……いなくなってしまったんだ」
言葉にして、途轍もない虚無感が私の胸に押し寄せて来た。
……虚しい。
アメリア達はオークに連れ去られた。連れ去られてしまった。生還は絶望的だろう。今頃はオークの集落で死ぬほど辛い目にあっているに違いない。
私はその事実を受け止めきれないでいた。
復讐の誓い____私を虐げてきた者達に、私が味わってきた以上の苦痛を与える。その対象者にはアメリアやアメリア隊の皆が含まれていた。
しかし、彼女達はもういない。これから死ぬまで、オーク達の嬲りものにされ、人間としての尊厳を踏みにじられ、苦痛と絶望の毎日を送ることになるだろう。
そう、彼女達は勝手に不幸になってしまった。私が手を下すまでもなく。全く唐突に、偶然に。
心にぽっかりと穴が空いた気分だ。
少なくとも、彼女達への復讐は、不完全燃焼なまま終わりを迎えてしまったのだ。
「貴方なら」
マリアが今にも掴み掛かりそうな勢いで、私に顔を近づけた。
「皆さんを助けられたんじゃ……ありませんの?」
泣き崩れそうな顔。切ない思いが、彼女の声に滲み出ていた。
目を逸らす私は____
「無茶言わないでよ。寝込んでたんだよ、私」
「……貴方が!」
マリアが声を荒げる。
「貴方さえ、しっかりしていれば! どうして、どうして……どうして、飲んでしまわれましたの!」
「……マリア?」
思わず面食らう私。
……飲んでしまわれましたの? 何の話をしているのか?
首を傾げる私の前で、マリアが膝を抱えてうずくまる。彼女は何事か呟いていたが、声が小さくて良く聞き取れなかった。
やがて、立ち上がるマリア。私を無視して、フラフラと何処かへ消えていってしまった。
「……貴方なら……か」
マリアを黙って見送り、私はカネサダに目を向ける。
「ねえ、カネサダ……私、アメリア達を……助けられなかったのかな……それとも、助けなかったのかな」
『……さあな。お前はどう思ってるんだ?』
「私は……」
言葉に一瞬つまり、口にした事は____
「もしもだよ……連れ去られた者達の中に、アイリスか、ラピス副隊長が混じっていたら……私は何が何でも、二人の事は助けたと思う」
それは完璧な返答ではなかったが、私の抱える真実の一つであった。
自身の胸に手を当て、渦巻く感情を整理する。
あの時、確かに私は騎士として、同じ部隊の仲間を助けようとした。そして、それが叶わなかった事に罪悪感と己の無力さを覚えた筈だ。
しかし、それと同時に、アメリア隊の皆を、私を虐げてきた者達を救う事に躊躇いの気持ちを抱いた____いや、むしろこのままオーク達に連れ去られてしまえと思った事も事実だ。そして、実際その通りになり、「ざまあみろ」と心の中で嗤ったのも事実だ。
正直に告白しよう。私は、本気を出してはいなかった。アメリア隊の皆が連れ去られてしまったのは、あのギドラとか言うオークが予想外に強かったと言う理由だけではない。私は意識してか、それとも無意識にか、力を抑えていた。
そして、その迷いと葛藤が今に至る。
果たして、これは自分の望んだ結末か。
もし仮に、アメリア隊の皆をオーク達から救っていたとして……その時に抱く後悔は今のそれとどちらが重いのだろうか。
悶々とした思いを胸に、ついにエストフルトへ帰還するための馬車に乗る時が訪れる。
その折____
私はマリアの姿を再び見かける。彼女は人影の少ない路地裏で誰かと話し合っていた。
「……どういうことですの!」
小さな怒鳴り声を発するマリア。何やら険悪な雰囲気だ。しかして、その相手とは____
「どうと言われましても、私にも分かりませんよ」
「ッ……秀蓮さんっ!」
「ああ、もう……そんなに睨まないで下さいよ、マリアさん」
マリアが悔し気な声を漏らす相手。それは眼帯の少女、秀蓮だった。
アメリア隊の皆がオークに攫われてしまう前日、私はこれと同じような光景を見た気がする。
「ララさんのことは残念でした。でも、ミミさんはどうにかなったでしょ?」
「……残念でした? よくも軽々しく!」
「落ち着いて下さいよ。……私は兎に角、やれることはしっかりとやりましたから」
「……」
「それにしてもおかしいですね。どうして、ララさんには効かなかったのでしょう? ちゃんと飲んでくれなかったのでしょうかね?」
考え込む秀蓮。
距離があって二人の会話は正確には聞き取れなかった。
何の話をしているのか分からないが、気付かれない内に退散するとしよう。
馬車に揺られ、バリスタガイは後方へ遠ざかる。少しだけ居眠りをして、気が付けば首都の石畳が視界に映った。
ややあって、エストフルト第一兵舎に到着。
アメリア隊の一件で、騎士達の顔には疲弊と喪失とが色濃く浮かんでいた。作戦が成功裏に終わったと言うのに、まるで敗軍の兵のようだ。
暗い空気の漂う食堂で、その日の夕食を済まし、私はベランダで眠りにつく。
翌日から、他の部隊が通常通りに任務をこなす中、私は騎士団から兵舎での待機を言い渡されていた。
アメリア隊が壊滅。余り駒となった私はいずれ何処かの部隊に再配属されることになるだろう。その間、私は騎士の務めから外されることに。
私は一日中、兵舎の中庭に赴いては、ベンチに腰かけ、ぼうっと太陽と雲を目で追っていた。
アメリア達が消えたことによる無気力は、私に怠惰な時間を与える。
遠征の帰還から三日間。私は誰とも顔を合わせずに、ただ川底の石のようにじっと佇んでいた。食堂にも顔を出さず、食事は水と非常食の乾パンで済ませる。
そして、四日目。私はアイリスとラピスの様子が気になり、彼女達が搬送された軍病院へと赴いた。
そして、とんだ間抜けをやらかす。
病院の受付員に尋ねて判明したのだが、二人とも既に退院済みで、今はもう兵舎で療養中らしい。彼女達は既にこちらへ帰って来ていたのだ。
恥ずかしい思いをしつつ、兵舎へ引き返す私。
さて、二人にこのまま会いに行くべきか?
夕食時、久方ぶりに食堂に顔を出せば、今わざわざ出向かずとも、彼女達と顔を合わせることが出来る。しかし、今の私には、無性にアイリスとラピスに会いたい衝動があった。
何の前触れもなく勝手に彼女達の私室を訪ねてしまっては迷惑だろうか。
「……うーん」
会いに行くべきか、行かざるべきか。
兵舎の廊下を迷子の子供のように行ったり来たりして、そんな風に悩んでいると、私の目に少女の姿が映った。
上品な金髪に身なりの良い服装。誰かと思えば、それは非番のマリアだった。
「……はあ」
暗い表情で溜息を吐くマリア。彼女がこちらに気付いた様子はない。誰かの私室の前に立ち、その瞳は目前の扉に真っ直ぐ向けられていた。
マリアは何をやっているのだろう? 部屋の前でただじっと突っ立っているなんて。
「……!? 貴方!」
しばらく黙ってマリアを観察していた私だが、じっと見つめ過ぎていた所為か、さすがに気付かれてしまう。
何とはなしに、彼女に歩み寄る私。
「……何ですの?」
「いや……何やってるのかなって……こんな所に突っ立って……」
マリアが向かい合っていた扉に視線を遣る。表札の名前を確認し、そこが誰の部屋なのか知った。
「ミミとララの部屋……」
そこはゴールドスタイン姉妹の部屋だった。いや、今はもう、ミミだけの部屋だ。
ミミ____そう言えば、彼女も既に兵舎へと戻ってきている筈だ。
「……ずっと、塞ぎ込んでいますの。ミミさん、部屋から一歩も出ないで……」
扉を悲し気に見つめ、マリアがポツリとこぼす。ミミの事を案じているだろう。私は腕を組んで頷いた。
「まあ、ララがいなくなったからね」
私の言葉に、マリアが両目を吊り上げる。
「……他人事みたいに、軽々しくいってくれますわね」
「……」
「妹が、家族が連れ去られましたのよ? きっともう会う事は叶わない。貴方にその気持ちがお分かり?」
「分かんないね」
頭を掻く私。
「家族がいなくなる。それってそんなに辛い事なの?」
「……貴方ッ」
「元から家族のいない私には分かんないよ」
「……」
マリアは何か言いたげに私を睨んでいたが、結局何も言わずに押し黙ってしまった。
「……マリアはさ、ミミの事、慰めに来たの?」
「……」
沈黙するマリアの顔に、悔し気な表情が浮かぶ。
「……マリア?」
様子がおかしい。カタカタと震える少女の肩。まるで何かに怯えているかのようだった。
マリアはぎゅっと目を瞑り、一言____
「……私に、資格など」
それは、懺悔の言葉のように聞こえた。抱える罪の大きさに身が滅びそうで、必死にそれを押し留めている者の小さな悲鳴。
私達の間に暗い沈黙が流れる。
ドアノブに手を掛けかけ、首を弱々しく振り、立ち去ろうとするマリア。その手を____私は思わず掴んでいた。
「……何ですの?」
「……」
驚きと共に振り返るマリア。
ふと、私の脳裏に一つの場面が浮かんだ。それは、アメリア隊壊滅の前日、路地裏でのマリアと秀蓮の遣り取りだった。
あの時、マリアは秀蓮に何事か必死に頼み込んでいた。その願いが何なのか、あの時は分からなかったが、それが人命に関わる事である事は言葉の節々から推測できた。
そう、マリアは人の命を救おうとしていた。それも大勢の。
しかし、マリアの要求は秀蓮にはねのけられる。
尚も食い下がるマリアはこう頼み込んだ____せめて、ミミさんとララさんだけは。
つまり、大勢の命を救う事は諦めるが、ミミとララの命だけは救って欲しいと。
大勢の命____それは、アメリア隊の事だ。
私の中で、繋がるものがあった。
これは、あくまで推測に過ぎない。しかし、もしこれが真実ならば、彼女達の遣り取りの全てに説明が付いた。
「ねえ、マリア」
私は呼吸が荒くなるのを抑え、マリアに口を開く。
「今夜、九時」
「……え?」
「今夜九時、食堂の前に集合ね」
顔をしかめるマリア。私はその手を強引に揺さぶり____
「絶対来てね。じゃないと、私の方からマリアの部屋に行くから」
「……ちょっと、勝手に」
「約束だよ」
「……な、何なんですの……」
「お願いだよ、私達の仲でしょ」
「……! ……はあ……全く……」
マリアは深い溜息を吐いた。
果たして、それは渋々の承諾だったのか、それとも拒絶だったのか。
「……本当に、何なんですの」
彼女は私を一瞥し、その場を立ち去った。
「マリア……約束だよ、マリア!」
遠ざかるマリアにもう一度、大声で告げる。
僅かに震える少女の肩。
彼女が消えた時、私は一人、邪な笑みを浮かべた。