第十六話「悪夢の光景」
バリスタガイ東方の大森林。
私、アイリス、ラピスの三人は複十字型人工魔導核の輝きを胸に抱き、アメリア隊の調査ルートをなぞる様に森の中を疾駆する。
「……それにしても、誰がミシェルちゃんとミミちゃんに呪毒なんて」
緑の不整地を踏みしめながら、隣のアイリスが口を開く。
「呪毒である以上、明確な害意を持った何者かの計画的な犯行とみて良いだろう。ミシェル、犯人に心当たりはあるか?」
アイリスとは反対側を並走するラピスの問い掛けに、私は首を横に振った。
「……いえ、全く。私だけならともかく、私とミミを同時に狙う犯人の目的が分かりません」
「……確かに……お前とミミの繋がりと言えば、同じ部隊に所属しているという事ぐらいだ。何故、よりにもよって……」
私はラピスの顔をじっと見つめ、少しだけ躊躇いがちに尋ねる。
「……ラピス副隊長、呪毒って……その、誰にでも扱えるものなのですか?」
「……知識と経験があればな。そこは人工魔導核と同じだ」
「つまり、犯人は少なくともの呪毒の知識と経験を持つ者」
「ああ」
頷くラピスに、私は嫌な推測をしてしまう。
「呪毒って……“東世界人”の技術なんですよね」
「元々はな。我々より、彼らの方が呪毒に親しんでいるのは事実だ。しかし、“西世界人”の中にもその使い手はいる」
「じゃあ、必ずしも“東世界人”が犯人だという訳ではない……そうですね?」
食い気味に尋ねる。アイリスは私が何を考えているか察したらしく____
「秀蓮ちゃんは、そんなことする娘じゃないと思うよ」
「……分かってる。うん、分かってる……分かってるよ」
肯定の言葉を重ねたのは、自信の無さの表れだ。私は秀蓮から疑いの目を逸らすことが出来ないでいた。
彼女は“東世界人”である上に、昨日、私とミミの両者に接触していた。犯人に心当たりがあるかと尋ねられれば、まず真っ先に彼女の顔が浮かぶ。
「犯人探しはまた後だ。今は目の前の任務に集中しろ」
「……はい」
ラピスに諭され、私は気持ちを切り替える。
そう、今は消息不明のアメリア隊の捜索をしなければならない。雑念は捨てろ。
森の奥地に進む。先行きを占うかのように辺りは暗くなり____私はふと違和感を覚えて足を止めた。
「……ミシェルちゃん?」「どうした、ミシェル」
私に後れ、アイリスとラピスも足を止める。私は彼女達に____
「……臭いがします」
「……臭い?」
首を傾げるラピスに頷いて、私は辺りを見渡す。
「何か……変な臭いがしませんか?」
二人に尋ねる私。
鼻腔を広げて森林の空気を嗅ぐ。草木や土の匂いに混じって、薬物の異臭が宙を漂っていた。
「……くんくん……あ、確かに……何か変な臭いが」
鼻先を伸ばして、アイリスも異臭を嗅ぎ取る。
「……む……僅かだが……薬物のような……これは、何の臭いだ?」
ようやく異臭を感じ取ったラピスが考え込む中、私は地面にしゃがみ込んで、茂みなどの暗部に目を凝らす。
そして、一つ____ボロボロに破れた麻袋を見つけた。
土くれで汚れたそれを拾い上げ、私は中身を覗き込む。
中には何も入っていない。が、強烈な異臭が袋の中から嗅覚を襲い、私は盛大に咳き込んでしまった。
森に漂う薬物の臭いの発生源はこれだ。
「……ごほっ……ごほっ……!」
「ミシェルちゃん!?」
「だ、大丈夫」
咳き込む私を心配してアイリスが詰め寄る。私は片手を軽く振り、心配は要らないことを伝えた。
「臭いの元はこれ見たい」
麻袋を二人に手渡す。二人は受け取り____
「……ごほっ……く、くさ……中には何も入っていないみたいだけど」
袋の中の臭いを嗅ぎ、私同様咳き込むアイリス。ラピスは鼻を摘まんで、じっくりと物の観察を行っていた。
「……中には何が入っていたのだろうか?」
「さあ……あ、あそこにも……いや、あっちにも……」
話している間に、視界に更にもう一つの____いや、二つ、三つ……多くの麻袋が姿を現した。
一帯には多数の麻袋。私は慎重に歩みを進め、森の地面を舐めるように見回した。そして、奇妙なものを発見する。
「……これは……千切れた糸……それに、地面に打ち付けられた杭……」
見れば、地面のあちらこちらに小さな杭が打ち付けられており、それらには細い千切れた糸が巻きついていた。
はっとなって木々を見上げる。枝と枝の隙間。そこにも千切れた糸が残っていた。
“罠係”としての勘が働く。
「……どうした、ミシェル?」
私の様子を怪しむラピス。私は地面を指差して叫んだ。
「二人とも、地面に気を付けて! もしかしたらだけど、まだ作動していないものがあるかもしれない!」
私の言葉にアイリスとラピスは直立不動の体勢を取る。私は細心の注意を払いながら、地面を這って前に進んだ。
すると____
「……! 見つけた!」
やはり、あった。まだ、作動していないものが。まだ、誰も引っ掛かっていないものが。
私は二人を手招きして呼び寄せ、自身の足元を指差した。
「見て下さい」
「……これは……罠か……?」
ラピスは呟く。その視線の先、二本の杭の間に細い糸が張られており、地面と水平を保つその糸には鉛直方向へと伸びるもう一本の糸が引っ掛けられていた。
宙へと伸びる糸を辿ると、木の枝にかけられた____件の麻袋へと続く。
もし仮に、誰かが杭の間の糸を踏んでしまったとしよう。糸は千切れ、それに引っ掛けられていた麻袋へと伸びる糸は自由になる。すると、自由落下を押しとどめていた糸の張力は失せ、麻袋は地面に落ちることになるだろう。
そう、私が今見ているもの。それは、まだ作動していない何者かが仕掛けた罠だった。
私は再度辺りを見回し____
「一つじゃありません。既に誰かが作動させてしまったものがあちこちにあります」
杭。千切れた糸。空の麻袋。全て、作動した罠の痕跡だ。
「……誰かが……罠に引っ掛かったのは____」
「アメリア隊の皆、ですね」
私の言葉に、二人は首肯した。
「……罠……ミシェルちゃん……一体、どうして……誰が……これを仕掛けたの?」
「……」
アイリスが尋ねるが、私は首を横に振った。
分からない。誰が何のために、このような罠を。
「……作動させてみましょう」
「ミシェル?」
「遠くから、実際に罠を作動させてみましょう」
何かの手掛かりになるかもしれない。そう思っての提案だった。
私は罠から離れ、アイリスとラピスに手招いた。二人が私の元に詰め掛ける。準備完了だ。
「行きますよ」
胸元の複十字型人工魔導核に意識を集中。魔法____念動力を発動させ、近くの小石を杭の間の糸にぶつける。
糸は千切れ、罠が発動した。
麻袋が地面に落ち____小さな爆発。次いで、中身がぶちまけられ、辺りはたちまち粉塵に包まれる。袋の中には細かい粉が入っていたのだろう。その正体は分からないが、私達は粉末を吸わないように口と鼻を塞いだ。
森林を拡散する白い粉は、まるで霧の様だった。距離は充分に取ったものの、その浸食がすぐ足元まで迫って来ていた。私達は粉塵から更に距離を取る。
「……一体何の粉だ?」
顎に手を添え考え込むラピス。
一同、粉の正体に心当たりはなかった。
やがて粉塵が収まり、私達は地面に残った麻袋の回収に向かう。残留物から何か分かるかもしれない。
晴れた森。緊張の緩み。それは、一瞬の油断が招いたことだった。
「……あ」
と、私は思わず声を漏らしてしまう。つま先に何か違和感を覚えたからだ。
恐る恐る足元に目を遣る。迂闊だった。私の片足はそれを踏みしめてしまっていた。
茂みに隠れていた罠を____
「しまった!」
声を上げた時にはもう既に遅かった。口と鼻を塞ぐより先に麻袋が地面に落ち、小さな爆発音と共に粉塵が私達を覆う。
「……ごほっ……く……!」
強烈な薬物の臭い。むせ返り、涙目になりながらすぐさま跳躍して罠から離れる。
粉塵からの緊急避難に成功した私だが、僅かに吸い込んだ謎の粉の影響か、猛烈な眩暈に襲われ、がくっと地面に膝を着いた。
身体がその危機を脳に伝える。まだ集中力を保てている内に、私は胸の奥底、己の魔導核に呼びかけ、“固有魔法”を発動させた。
“超再生”____この私の“固有魔法”は外傷のみならず、人体に害を及ぼす薬物へもその効果を発揮する。
おかげで、私は謎の粉の浸食から立ち直り、事なきを得た。
そう、私は____だ。
「……! アイリス! ラピス副隊長!」
突然の出来事に、二人の存在を失念していた。アイリスは……ラピスはどうなった。彼女達も粉塵に巻き込まれた筈。
「なっ……二人とも!?」
覚束ない足取りのアイリスとラピスを発見する。二人とも降りかかる粉塵から脱していたようだが、幾らか謎の粉を吸引してしまったのだろう。私同様、酷い立ち眩みに襲われていたようだった。
私の……よりにもよって“罠係”である私の失態の所為で。
矢も楯もたまらず私は彼女達の元へ駆けつける。
「……ミシェル、ちゃん」「……ミ、ミシェル」
「……!?」
駆け寄った私の身体に倒れ込む二人。彼女達をしっかりと両腕で抱きとめた私は、ゆっくりと姿勢を低くし、しゃがみ込んで両者の顔色を窺う。
頬には朱が差し、呼吸は異様に荒い。額には玉のような汗。謎の粉は彼女達の体調を目に見えるほど蝕んでいた。
「……私の不注意の所為で」
ぎりりと奥歯を噛みしめる。
しかし、後悔しても仕方がない。今は二人をどうにかしなくては。
「……」
……どうにかする? 一体、どうすれば良いのだ? 謎の粉の正体が掴めていない今、その対応も能わないのが現状だ。
「……ど、どうすれば」
我々魔導騎士は毒物には滅法弱い。魔導の力では、外傷を癒すことは出来ても、体内の異常を克服することは出来ない。
心臓の鼓動が早まる。
謎の粉が与える害がどの程度のものなのか分からないが、このままでは最悪二人が……!
私が焦り、自分の無力に打ちひしがれていると____
「う……ん……ミシェルちゃん」
「え……うひゃあ!?」
突然、アイリスが私の身体に抱き着き____その首筋をぺろりと舌で舐めた。
ぞくぞくっと震えが全身を走り、私は堪らず間抜けな声を発してしまう。
「……は……え……ええ……?」
首筋を這ったアイリスの舌の感触に思考が麻痺し、私は石像のように固まってしまった。
そんな私にアイリスは____
「ミシェルちゃん……はあぁ……良い匂い……」
「……」
恍惚として耳元で囁く。
彼女の吐息を頬と耳で受け止める私は、ただ目を白黒とさせて、金縛りにあったかのように動けないでいた。
……何だ、何が起きている? アイリスはどうなってしまっているのだ?
「……うわぁっ!?」
状況を整理する間もなく、更なる異常が降りかかる。
背後からの温かい感触。何者かが私の背中に抱き着き、両腕を首の後ろから前へと回すのを感じ取る。
誰がそんなことを? 首を動かし、背後の人物を確認する。
「……え……ラ、ラピス副隊長?」
驚きで目玉が飛び出しそうだった。私の背中に抱き着き、艶めかしい仕草で腕を這わせたのは、あのラピスだったのだ。
彼女が抱き着いた事で、私の身動きは完全に封じられる。前方はアイリス。後方はラピス。それぞれがそれぞれの身体を私に密着させていた。
……何だ、この状況。何故、私はサンドウィッチの具材よろしく二人の少女に挟まれているのだ。どうしてこうなった。
「……な、何やってるんですか、ラピス副隊長?」
「……」
私が上擦った声で尋ねると、ラピスはきょとんと小首を傾げて、それから私の後ろ髪に顔を埋めた。
うなじに彼女の吐息が掛かり、私は身をすくませる。
「うひゃあぁ!? ちょっ……本当に何が……!? 二人とも一旦離れて!」
私の要請に二人が耳を傾けることは無かった。密着する前方のアイリスからは女の子特有の甘い匂いが漂って来て、私の頬を嫌でも火照らせる。一方、後方のラピスは相変わらず犬の様に私の後ろ髪の匂いを嗅ぎ続けていた。
「は、離れ……!」
必死に訴える。が、糠に釘。二人に退く気配はない。それどころか、彼女達は徐々に私の急所へと迫って来ていた。
……駄目だ、もう我慢の限界だ。
「……離れろッ!」
複十字型人工魔導核からありったけの力を引き出し、私は二人を引きはがしにかかる。
少々力加減を誤ってしまったようで、派手に吹き飛ばされた二人は、それぞれが木々にぶつかり意識を失った。
「……あ……ふ、二人とも!」
慌てて二人の元に駆けつける。幸いなことに、両者とも気絶しているだけで心臓も肺もしっかりと動いていた。
ほっと胸を撫で下ろした私に____
『このドジっ娘が……“罠係”が真っ先に罠に掛かってどうする』
カネサダのお叱りに、返す言葉もなかった。
私は溜息を吐いて、気絶したアイリスとラピスを観察する。今は静かに眠る二人。しかし、先程の変貌は何だったのか。
……恐らく、謎の粉の影響だ。あの粉の所為で、二人がおかしくなってしまったのだ。
しかして、謎の粉の正体は?
「……ねえ、カネサダ……あの粉の正体って……」
腰元に目を落とし尋ねる。彼の返答は____
『媚薬だ』
「……媚薬?」
『ああ、それもとびっきり強力な奴だな。吸引すると頭がパーになる』
何となく予想はしていたが、やはりそうだったか。
私に迫るアイリスとラピスからは、色欲に塗れた淫らな空気が溢れ出ていた。
私はそっと自分の身体に触る。アイリスもラピスも私を求めていた。つまり、彼女達にとって、私はそのような対象なのだろうか。こんななりでも、私はやはり男性なのだ。
「二人は……大丈夫かな?」
心配して尋ねてみる。件の粉には催淫作用以外にも身体に害をなす何かしらの効果があるのかも知れない。
『強力な媚薬だ。命に別状はねえが……しばらくは愉快なことになるだろうな』
カネサダはそれから____
『ところで、ミカ、あの罠だが……仕掛けたのはオークだ』
「オーク!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
『麻袋に入っていた粉末状の媚薬。名前は“オークの秘薬”。オーク共のみがその製法を知る代物だ。つまり、あの罠はオークにしか作れない』
「オークが……罠を……こんな所に……?」
あり得ない話ではないが、いまいち納得の出来ない事実だった。防衛用の罠なのだろうが、それにしては彼らのキャンプ地から、ここは離れすぎている。
何故、オーク達はこのような場所に罠を?
いや、それよりも____
「……!? カネサダ! オークが……という事は……!」
『ああ』
嫌な予感がする。判然としないことは多いが、それでも厳然たる事実が一つある。
オーク達の仕掛けた罠にアメリア隊の騎士達が掛かったと言う事実だ。
『作動済みのオークの罠。消息不明のアメリア隊。これは……』
「____行くよ、カネサダ!」
『ああ、鯉口は切っておけ』
アイリスとラピスの二人を置いて、私は森を再び駆けだした。アメリア隊の調査ルートをひた進む。
オークの罠に嵌ったアメリア隊が行方をくらました。
これが意味するのは、部隊に降りかかった災難____敗北と連行だ。
私は必死に森を走ったが……もう既に手遅れかも知れない。いや、その可能性の方が高いだろう。彼女達の予定帰還時刻は大幅に過ぎ去ってしまっている。
森を走っていると、私の身に次々と媚薬の罠が降りかかった。魔導核の力で事なきを得られるので、大した障害にはならないが、それにしても奇妙だった。
罠はアメリア隊の調査ルート上に沿って仕掛けられている。試しにルートから少しだけ逸れてみたが、途端に罠が見当たらなくなった。
まるで、アメリア隊を待ち構えていたかの如く張り巡らされた罠の数々に、不気味さを感じる。
走って走って____魔導の力で鋭敏になった私の嗅覚が、不意に饐えた臭いを捉え始めた。媚薬の薬物臭とはまた異なる、不快な臭い。
肌がひりつく。本能が何か、邪悪なものを感じ取っているかのように。
……そして。
鼻を摘まみ、尚も止まらず進み続ける私の目に____悪夢の光景が映し出される。
「……なんだ……これ……」
木々の隙間から聞こえる、悲鳴。まるで、幽霊の呪詛の様だった。
森の空気を穢すかのように、辺りには不快な臭いが充満し、その只中、奴らがいた。
人に仇なす不浄の存在____オークだ。
馬鹿でかい図体に豚面。肌は暗緑色で、表面がてかてかと脂ぎっている。
オーク達は半裸の状態で、腰巻を身に着けていたのだが、その僅かな衣服も今はだらしなくずり落ちている。
彼らは森の樹木に抱き着いていた。まるで甲虫よろしく樹液でも啜っているかのように。
私は初め、オーク達が何をしているのか理解が出来なかった。
いや、脳が理解を拒否したのだ。
次第に思考が正常な動作を取り戻し、私は目の前の光景を立ち眩みを覚えながら、正しく認識する。
オーク達は樹木に抱き着いているのではない。
オークと樹木の間、その僅かな空間に____アメリア隊の騎士が挟まれていた。
酷い有様だった。騎士達の口から金切り声が漏れ、それが次第に弱々しい啜り泣きになっていく。オークと樹木に挟まれているため、暗くてよく見えないが、彼女達の衣服は引き裂かれてボロボロになっていた。
「……お、おえぇ……!」
吐き気が込み上げてくる。凄まじい現実を目の前に、私はえずかずにはいられなかった。
地面にへたり込む私。口元と腹部を押さえる。
「……はあ……はあ……何だよ……これ……!」
ぎゅっと目を瞑り、また開き、これが夢ではないことを確認する。
オーク____彼らは雌の個体を持たない。では、どのように繁殖を繰り返すのか。この不浄の魔物は人間の女性を攫い、彼女達に自身の子を孕ませることで、子孫を残してきたのだ。
そして、私はたった今、その行為を____彼らの生殖活動を目の当たりにしていた。
オーク達は、敗北し、戦闘不能に陥ったアメリア隊の騎士達を、その身体を樹木に押し付け、犯していたのだ。
全身を悪寒が走る。騎士の悲鳴がまた一つ上がる度に、私は身震いした。
信じられない。
騎士達が。皆が。オークに。あり得ない。こんな事。
頭を抱え、目前の光景の衝撃に立ち上がれないでいると____
「おうおう、お前ら! いつまでも盛ってんじゃねえぞこら! 早えところ集落までずらからねえと、救援が来るかもしれねえだろうが!」
野太い声が響く。私ははっとなって声のした方に目を向けた。
「……ったくよお、てめえらまで媚薬にやられやがって! いいから、続きは帰ってから……って、おい……お前ら、新手だ! 言わんこっちゃねえぞ、おい!」
粗野だが、流暢な人間の言葉。口にしているのはオークだった。
オークが喋っていた。……あの、オークがだ。
「他に仲間はいない……コイツ一人だな……おい、だからいつまでも盛ってんじゃねえぞ、テメエら! 俺たちゃ、選ばれしギ族のオークだろうが!」
そう怒鳴り声を上げるオークは、他の個体よりも一際大きな体格を有しており、見た所、この集団のリーダーのようだった。
私はごくりと唾を飲み込み、こちらに近付いてくるリーダーらしきオークを睨んで立ち上がった。
吐き気を押し殺し____
「……オークが、喋った」
「はん! オークが喋って悪いかよ! 俺様はギ族の大将だぞ!」
「……ギ族?」
「俺達の、選ばれしオークの種族だ、小娘」
そう言って、オークはずんずんとこちらに近付いてくる。
「テメエ、意識がはっきりしてやがるな。罠には掛からなかったのか?」
「……」
尋ねるが、私は答えない。代わりに腰元のカネサダに手を掛け____
「____はあッ!」
刃を抜き放ち、目前のオークに一太刀を浴びせた。
「のわっ!?」
「……!?」
私の居合斬りはオークの身体を僅かに捉えはしたが……斬り込みが甘かった。と言うのも、何か障壁が____恐らくは魔導装甲が斬撃の軌道を逸らしたからだ。
「……魔導装甲!?」
「……いてて……ったくよお、いきなり斬りかかるたあ、人間も随分と野蛮だなオイ! まだ話の途中だろうが!」
腹部につけられた一文字の傷を擦り、オークは呆れたように怒鳴った。
「……分かるぜ……テメエ、中々の強者だな……名前は何て言うんだ」
「……」
「名前を聞いてるんだよ、小娘ッ!」
黙り込む私に、激昂したオークが近くの棍棒を拾い上げ、一撃を放つ。
大振りだが、キレがあり、さながら矢のような横払い。しかし、その鋭い打撃を私は紙一重で躱す。
「……!? ……躱しただと!?」
「……ミシェル」
空振りをし、驚愕するオークに告げる。
「私の名前だ」
オークはその巨体に合わない素早い跳躍をして後ろに下がり、にやりと笑みを浮かべた。
「ほう、ミシェルか。テメエ、やはり強者だな。あの一撃を躱す奴がいるとは」
オークは棍棒を担ぎ、その豚鼻を鳴らした。
「ギドラ」
「……?」
「ギドラ____俺様の名前だ。俺様はギ族の大将、ギドラだ!」
ギドラと名乗るオークは空いている腕をぐるぐると回し、私を見つめた。
「胸は小せえが、良い女だなテメエ……何より、強い。……決めたぜ」
ギドラは棍棒を構え、じりじりと私に詰め寄った。
「テメエを俺様の嫁にする。優れた俺様の優れた子供を孕んで貰うぜ」
私も姿勢を低くしてカネサダを構え直す。
直感が告げる。このオーク、相当強い。選ばれしオークの種族だとか豪語していたが、それはただの思い上がりではなさそうだった。
騎士達の悲鳴が響く森の中、私とオークは再度斬り結ぶ____