第十五話「呪毒」
朝が訪れる。
“オーク合同討伐作戦”____本日よりその任務が本格的に始動するのだ。
だと言うのに……。
「……う……身体が……」
目が覚め、私は自身の身体に異変を感じ取っていた。
「先輩、早く起きないと遅刻しちゃいますよ」
「……分かってるよ」
既に騎士団の制服に着替え終わった秀蓮が私の身体を揺さぶる。男性である私が同じテント内に居るのに、よくも平気で服の脱着が行えるものだ。
私は全力を振り絞り、毛布からその身を投げ出す。
立ち上がった、その途端____
「……う……頭が……」
猛烈な立ち眩みに襲われ、私は地面に倒れ込む。胸元を押さえ、苦し気な呼吸を繰り返した。
「……先輩! ちょっと、大丈夫ですか!?」
地面に倒れた私に駆け寄る秀蓮。彼女は私の額に手を当て____
「先輩、凄い熱ですよ!」
「……熱?」
私も自身の額に手を当ててみた。手の平が熱い。
「これは、病気ですね」
そう告げる秀蓮に、私はぼうっとした瞳を向けた。
「……病気? この私が?」
困惑する私。
病気に罹るなど、子供の頃以来だ。身体改造の副作用____魔導核の覚醒により、私は常人離れした免疫能力を得ていたので、病床とは無縁の人生を歩んで来たのだ。
だから、秀蓮の宣告を私はいまいち呑み込めないでいた。
「昨夜はお楽しみでしたからね」
「……」
冗談っぽく言う秀蓮は毛布を私に掛け直し、楽な姿勢になるように促した。
「そんな状態じゃあ、任務に参加するのは無理そうですね。今日は安静にしていた方が良いですよ」
「……いや、多分大丈夫」
私は胸元に手を当て、その奥の魔導核に意識を集中____しようとして、凄まじい吐き気に襲われる。
「……う、おえぇ」
「……先輩!? 大丈夫ですか!?」
「……やっぱ、大丈夫じゃない」
魔導核の力でこの状態を回復させようと試みたが、上手くいかなかった。意識を集中すれば強烈な吐き気が込み上げてくるので、十全に力を行使することが出来ない。
「私の方からアメリア隊には連絡を入れておきますんで、どうかゆっくり休んで下さい」
「……うん」
秀蓮の言葉に私は弱々しく頷く。
私が目を瞑ると、秀蓮は早々にテントを立ち去っていった。
傍らの刀____相棒のカネサダに息を切らしながら話しかける。
「……カネサダ」
『おう、昨夜はお楽しみだったな』
「……しんどい」
『まあ、病気だしな』
素っ気なくカネサダは言う。出来れば、もっとこう……慰めの言葉とかかけて欲しかったのだが。
「……看病してよ」
『無茶言うんじゃねえよ、こちとら剣だぜ』
頭が上手く回らない。そのため、非合理的な弱音がつい口を突いて出てしまう。
『病気を治す最善の方法。それは、温かくして寝る、だ。良いから、黙って寝てろよ』
私は熱い吐息を吐き出し、カネサダの忠告を忠実に守る事に決めた。
暗闇と熱。私はまるで地獄の窯の底でぐつぐつと煮込まれているような錯覚を覚える。
本当に久しぶりの病気に____私は幼き日々の苦痛を思い出していた。義母による身体改造。それにより、私は絶え間ない身体の痛みと吐き気に苦しめられていた。嫌な記憶。そして、今は闘う意味、即ち生きる意味となっている記憶。
私の心身を苛む苦痛は、私から時間の感覚を奪い、一体今が朝なのか、それとももう既に昼になっているか、分からなくしてしまう。
そんな折____
「ミシェル、起きているか?」
近くで足音がして、次いで少女の声が聞こえてきた。
「駄目ですよ、副隊長。ミシェルちゃん起きちゃいますよ。病気の時は、じっと眠っているのが一番なんです」
「う、うむ……そうだな、アイリス」
声は一つではない。二人の少女の声。それらが何事か囁き合っていた。
目を開ける。やはりだ。視界には二人の少女の姿が映り____私は彼女達の名を呼んだ。
「……ラピス副隊長……アイリス……」
私の声に彼女達は気が付く。
「ほら、起きちゃったじゃないですか、副隊長」
「……すまない」
私の元にアイリスが屈みこむ。
「ごめんね、起こしちゃった?」
「……アイリス……それにラピス副隊長も……どうして……」
「様子を見にやって来たのだ」
私は頑張って上体を起こそうとするが、二人に無理をしないように窘められる。
「……作戦は?」
正確な時刻は分からないが、日の具合からして、今は作戦の真っ最中であると推測できる。二人は何故、ここに居るのだろうか。
私が尋ねると、ラピスは肩をすくめた。
「昨日、調査ルートのことで揉めていただろう。結局、折り合いがつかなくてな。それでも尚、抗議の声を上げていたら……待機を言い渡された」
「ラピス副隊長に加勢していた私も、とばっちりを受けたの」
上手く説得出来なかったという訳か。
「それより、どうだ、身体の具合は?」
「……最悪ですよ……病気なんて子供の時以来で」
私は助けを求めるようにラピスに瞳を向けた。彼女はじっと観察するように私の事を見つめていたが、ふとその手が毛布へと伸びて____
「ミシェル、良ければ、身体の方を見せてはくれないか?」
「……?」
「確かめたいことがあるんだ」
ラピスの言葉に私は頷く。
「失礼するぞ」
そう断って、ラピスは毛布をはがし、さらに私の上着の裾をまくり上げた。
露わになる私の腹部。汗で若干湿っている白肌には、青いぶつぶつの斑点が出来ていた。
「……! ……お前もか」
驚きの声を発するラピス。私も腹部に出来た痣のような斑点に目を丸くしていた。
「……な、なんだ……これ……」
声を上擦らせ、不気味な斑点に触れてみる。痛みはないが、それにしても気味が悪い。
「……ミミちゃんと同じだ」
アイリスが口を押さえて、心配そうに呟く。彼女の口から出てきた名前に、私は反応を示した。
「……ミミ?」
「お前と同じだ。ミミも今日は病気で安息を取っている。そして、これと同じものが彼女の腹部に」
私の腹部を指差して、ラピスは告げる。それから、彼女は考え込むように顎に手を添えた。
「同じ部隊の二人に同じ症状……偶然ではない……感染症、か……」
「感染症!?」
私は思わず声を上げ、それ故に酷い頭痛に襲われてしまった。
「……う、頭が……ラ、ラピス副隊長……感染症なら……早く私から……」
「感染症なら、私は……いやアメリア隊の皆は既に手遅れだな。じきに潜伏期間が終わり、私達は病床に伏すことになるだろう」
冷静に述べるラピス。
「感染症か……もしくは……いや、こちらの方が可能性は高いが……」
ラピスは身を屈め、確かめるように私の腹部の斑点に触れる。
「……毒だな」
「……毒?」
「恐らく、自然毒ではない……呪毒と呼ばれる類のものだ。この斑点……私には見覚えがある。“東世界”産のものだろう。使用には呪術の知識が必要だが、その分、保管が安全に行える代物だ。私の親戚の内の何人かが……いや、兎に角」
ラピスは立ち上がる。
「毒ならば解毒しなければならない。幸い、この街には島人、即ちアウレアソル皇国の人間がいる。彼らの内に解毒の技術を持つ者がいるやも知れん」
そう言うと、ラピスはテントを飛び出していった。
後には私とアイリスが取り残される。
「……毒、か」
アイリスは深刻そうな面持ちで呟く。
「もし、毒なら……それも呪毒なら、明確な害意を持った何者かがミシェルちゃん……そして、ミミちゃんに……」
「誰かが……私を狙って……」
いまいち判然としない。何者かが私に毒を盛った。そのことに違和感のようなものは覚えなかったが、私とミミの二人に毒を盛るなど……その意図が、基準が分からない。
何故、私と……よりにもよって、ミミに? その繋がりは? 目的は?
考えている内に頭が痛くなり、私は額を押さえた。
「大丈夫、ミシェルちゃん?」
「……アイリス」
心配そうに尋ねるアイリスの手を私は取る。
「昨日は……その……ごめん……」
「……昨日? ……ああ」
一瞬だけ、ぽかんと口を開けたアイリス。
「良いよ。ミシェルちゃんの気持ち……私にも分かるし」
「……アイリス」
「ミシェルちゃんはさ……結構嫉妬深いよね」
「う……ごめん……」
何も言い返せない。
「まあ、私も他人の事言える立場じゃないけどね。ねえ……ミシェルちゃんさあ……」
「ん?」
「昨夜、このテントで秀蓮ちゃんと二人きりだったよね」
「……」
私は黙って頷いた。何か、アイリスの口調が険しいような。
「……何もなかった?」
「……な、何もなかったって……何が?」
「変なことしてない?」
思わず肩を震わせてしまう。私はすっとぼけた口調で____
「変なこと? ……さあ、ないんじゃないの?」
「……ふーん」
怪しむようにアイリスは目を細める。
「秀蓮ちゃんがね、言ってたんだけど……昨夜、ミシェルちゃんに調教されたって」
「ぶっ! ……ちょ、ちょう……え、調教?」
「どうなの?」
調教って……言い方がいかがわしいんだよ!
……弁明しなくては。
「……あれだよ? 後輩としての態度がなってなかったから……その、叱りつけてただけだよ?」
あの変態、何を口走っているんだ。おかげで、アイリスに私まで変態だと思われてしまう。
「ふーん……ミシェルちゃん、足で女の子を踏みつけて悦ぶ趣味があるって……秀蓮ちゃんが……」
「なあッ!?」
「……本当なの?」
「そ、そ、そんな訳ないでしょ……あー、何か頭痛いなー……ごめん、少し眠らせて……」
私は慌てて毛布を被り、アイリスから顔を背けた。
秀蓮の奴、本当に何を言っているんだ。私とアイリスの友情に亀裂を。今度、改めて折檻しなくては。
一波乱あり、やがてラピスがテントに戻って来た。見知らぬ男性を引き連れて。
「……その娘が?」
「ええ、そうです」
男性は私に視線を送り、ラピスに確認する。眼鏡をかけた“東世界人”の青年。恐らく、島人であるアウレアソル人だと思われる。
「ミシェル、呪毒に詳しい医者を連れてきたぞ」
「ああ、僕は別に呪毒に造詣が深い訳でも、ましてや医者でもないんだけどね。でも、まあ、診察ぐらいなら問題なくこなせるさ。場合によっては、何とか解毒してみせよう。親が医者だったもので」
男はそう断り、私の近くに腰を下ろす。
近くで見ると、あまり島人らしく、傭兵らしくない男だった。痩せ気味で、どちらかと言えば、不健康そうな見た目をしていた。
「僕の名前は平賀。アウレアソル人だけど、島人ではないよ。この街を拠点に活動している科学者さ」
自己紹介をしつつ、平賀と名乗った男は私の身体を調べていき、腹部の斑点に気が付く。
「……これは……貴方の言う通り、呪毒だね」
「やはりそうですか」
平賀とラピスが頷き合う。
「で、治せそうですか、先生?」
「先生はよしてくれよ……ふむ……ああ、これは……」
平賀は顎に手を添え、少しの間考え込んでから____
「治す必要がないと思うよ」
平賀の言葉にラピスは首を傾げる。
「どういう意味です?」
「この特徴的な斑点模様……名前は忘れたけど、盛ってからおよそ半日で効果が現れ……およそ半日で効果が切れる呪毒さ。あまり使い道のない……珍しいから、逆に有名な代物さ」
「半日で?」
「およそね。効果には勿論、個人差はあるよ。でも今日一日寝ていれば、勝手に治る」
平賀の話が正しければ、このまま安静にしていれば、何もせずとも症状は治まるという事か。
ラピスとアイリスは安堵の吐息を漏らし、平賀にお礼を言った。彼は頬を掻き____
「ところで、ミミの奴も彼女と同じような具合かい?」
「はい、同じような斑点が」
「そうか、必要ないと思うけど……一応、診察してみた方がいいかな」
「お願いします」
立ち上がる平賀をアイリスはじっと見つめていた。
視線に気が付いた平賀が首を傾げる。
「……何か?」
「ああ、いえ……“ミミの奴”ってさっき……その、知り合いなのかと」
「ああ」
平賀は頭を掻いて、眼鏡を弄った。
「彼女、僕の相棒の姪なんだ」
「姪、ですか? ああ、そう言えば、ミミちゃんとララちゃんって、確か父親がアルビオン人だって」
「そのアルビオン人の弟が僕の相棒なのさ」
平賀はそれだけ言い残してから、テントを去って行った。ラピスもそれに付いて行く。
私はもう一眠りすることにした。隣にはアイリスがいる。
平賀の予言通り、私の体調は徐々に快方へと向かっていき、途中魔導核の力も借りて、私は正午を待たずして全快を果たした。
腹部から件の不気味な斑点も消え失せる。
「もう大丈夫なの、ミシェルちゃん?」
「うん、すっかり良くなったよ」
立ち上がり、私は伸びをした。テントを飛び出し、外の空気を吸う。
「……お腹空いた」
呟く私。朝から何も食べていない。もうすぐ昼食時なので、何かを腹の中に入れるのには丁度いい頃合いだろう。
「……あ、ラピス副隊長だ」
太陽が彼方の人影を照らし出す。アイリスが指差した先、折りよくラピスがこちらに向かって来るのが見えた。
「ミシェル、もう体調は良いのか?」
「はい」
目の前に立つラピスに出来るだけ明るい返事を返す。もう平気だと、彼女を安心させるために。
「……そうか、良かった」
ラピスは安堵の吐息を吐いた後、ふと表情を曇らせて____
「……部隊が帰還していない」
深刻そうに告げる。
「アメリア隊の皆が調査からまだ戻ってきていないんですか?」
「ああ、予定よりも二時間程遅れているのだが」
他の部隊とは異なり、アメリア隊の調査任務は午前の早い段階で終了するものだった。
「何かあれば、こちらに連絡を入れるようにと、隊長には申し上げたのだが。しかし、それすらも」
「……何か、怪しいですね」
「ああ」
アメリア隊の任された調査ルートは、オーク達の拠点から離れた方角に伸びていたので、会敵による調査時間の延長は考え辛かった。
……いや、本当にそう言い切れるのか? 会敵の可能性は否定できるのか?
二時間の帰還の遅れ。その連絡もなし。これは____
「____緊急事態」
「そう判断するべきだろうな」
私の言葉にラピスは頷く。それから、彼女は私の肩を掴んだ。
「他の部隊の帰還予定時刻は早くとも一時間後。彼女達を待つよりも……もし、お前が動けるのならば」
「私なら大丈夫ですよ。身体も十分に動きます」
「____ならば、出るぞ」
副隊長として、毅然とラピスは言い放つ。
「ミシェル、アイリス、我々は消息不明の我が隊の捜索を開始する。各々準備を」
私は頷いて、両腕を回した。
呪毒の効果はすっかり消えている。身体はいつも通りに動きそうだ。
私はテントの中に急いで戻り、素早く着替え、カネサダを手に取った。