第十四話「属国姫曰く」
夕食を済ませ、本日はもう明日の作戦のために休息を取ることになった。
バリスタガイには今、国中の騎士達が集っている。そのため、街には来訪した全騎士団員をおさめるための宿が足りず、平民や下級貴族の騎士達は予め用意された大型のテントを張り、その中で就寝することになっていた。
さて、私は男性だ。それは寝床を共にする騎士達の認知するところになっていたらしく、彼女達はテントに居座る私に冷たい視線を向けていた。
名前も知らない騎士達から向けられる痛い眼差しに堪えきれず、私はテントを飛び出し街中を彷徨う。
何処か適当な場所を見つけて、そこを寝床としよう。
……ああ、そう言えば、毛布ぐらい持って来れば良かった。
普段はベランダで寝起きをしている私にとって、路上での睡眠ぐらいどうということはない。
「ミシェル先輩」
寝床を探し求め、フラフラとしていた時だ。ふと、私を呼び止める声が背後から聞こえてきた。
「あれ、秀蓮?」
振り向くと、秀蓮が手を振りながら、こちらに駆けて来る最中だった。
「こんばんは、先輩」
「うん、こんばんは」
「こんな所で何をしているんですか?」
「ああ、実は……」
「いえ、皆まで言わずとも分かります」
私の言葉を遮り、秀蓮は自信満々に告げる。
「寝る場所に困っているんですよね?」
「……うん」
どうやら、こちらの事情を察してくれているようだ。
「いやあ、大変ですねえ、ミシェル先輩……若い男女には色々ありますから……間違いがあるのは良くないですよ」
「……」
からかう様に私を小突く秀蓮。本当なら怒ってやりたいところだが、彼女だから……彼女なら許せてしまう自分がいる。
「私のテントに来ませんか?」
「え?」
「ミシェル先輩も路上で寝るのは嫌でしょう?」
「……いや、それは」
「ああ、私は構いませんよ。別に男性が一緒でも、普通に寝られますんで」
私は頭を振った。
「秀蓮が良いにしても、同じテントの他の皆が……」
「いませんよ」
「……え?」
「私のテントには私しかいません。貸し切りです」
……貸し切り? どうして?
「私、寝ている人に悪戯するのが好きで……つい、やっちゃうんですよねえ。同じテントの人達はそれを嫌がって、皆余所に行ってしまいました」
「……は、はあ」
私は呆れた視線を彼女に寄越した。子供かよ。
「と、いう訳で……私のテントに来ませんか? 先輩なら大歓迎ですよ」
「……悪戯、しない?」
「多分しますね」
「おい」
堂々と宣告を受ける。秀蓮は眼帯を押さえて、にやにやと笑った。
「私、それなりに容姿に自信があるつもりなんですけど」
「それが?」
「美少女に悪戯されるんですよ? 嬉しくないんですか?」
「……何言ってんの?」
「そして、悪戯されたお返しに、悪戯し返す……みたいな事も」
「……何言ってんの?」
同じことを二度言わせる秀蓮。彼女の頭の中はどうなっているのだろうか。
「で、どうします、ミシェル先輩? 来るのか、それとも来ないのか?」
「うーん」
考えた末____
「うん、じゃあ……お邪魔になろうかな」
やっぱり、テントの中で眠りたい。
「決まりですね!」
そう言って、秀蓮は私の手を取った。
「でも、悪戯は勘弁してよ。もし変な事しようとしたら……私も、容赦しないから」
「いやん、先輩のエッチ」
「何言ってんの?」
真顔で私は言い放つ。
という訳で、私は秀蓮のテントに向かい、彼女と寝床を共にすることになった。
他に人がいない所為か、テントの内部はとても広々としている。
私が腰を下ろすと、秀蓮は木製のコップをこちらに差し出した。
「どうぞ、召し上がれ」
「……これは?」
「青龍茶です」
コップを受け取り、私は中身を覗く。茶色い液体が並々と注がれていた。そう言えば、ミミとララも同じものを手渡されていたっけ。
「親交の証です。どうぞ、ぐいっと飲んじゃって下さい」
「うん、ありがとう」
私はそう言って、秀蓮の青龍茶を飲み干す。紅茶とはまた違った味わいだ。独特の苦みがある。
私はコップを置き、秀蓮を見つめる。
「美味しかったですか?」
「うん、まあ……美味しかったよ」
「ふふ、毒入りとも知らずに」
「えっ!?」
ぎょっとしてコップを見つめる。秀蓮は可笑しそうに笑って____
「冗談ですよ」
「だ、だよねえ」
「でも媚薬は入ってます。ほら、何か身体が熱くなって……」
「な、なにぃ!?」
「冗談です」
こ、こいつ……先輩を舐めよってからに……!
「先輩って」
私が溜息を吐く中、秀蓮が目の前に座り込む。
「何処まで女性で、何処まで男性なんですか?」
「……」
「身体改造の話、私、知ってますよ。その所為で、顔も身体も女の子らしくなっているんですよね。先輩、お胸はぺったんこでしたけど……少しぐらいは膨らんでいるんですか? ああ、それと……ついてます?」
「……貴方は」
私は憮然と秀蓮を見つめた。
「無神経すぎる」
冷たい声音で言い放つ私。秀蓮は頬を掻いて、困ったような笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、よく言われます」
「……はあ」
私は木製のコップを秀蓮に突き返して、その身体をじっと観察するように見つめた。責めるように口を開く。
「貴方にだって……あるでしょう」
「え、何がですか?」
「触れられたくないもの、とか……特に貴方には……青龍人の貴方には。……それで、よく……」
私の言葉に、秀蓮は腕を組んで首を傾げた。
「どうして、そう思ったんです?」
私は言うのを一瞬だけ躊躇ったが____
「秀蓮はたった一人の青龍人の騎士なんでしょ? その……浮いてるんじゃないの?」
「ええ、ばっちし浮いてますね」
特に気にした様子もなく肯定する秀蓮。
「貴方の抱える孤独を茶化す者がいたら……貴方は許せるの?」
「まあ、馬鹿にされるのは嫌ですけどね。でも、言っておきますけど____」
右目の眼帯を弄り、秀蓮は告げる。
「私、周りから浮いてることも、孤独である事も、全く気にしていませんよ」
カネサダの能力に頼らずとも分かる。彼女の言葉に嘘はない。
「先輩も周りから浮いてますよね」
「うん……こんなだから、ね」
「先輩は嫌なんですか? 周りから浮いちゃってること?」
「……それは……そうでしょ」
当然だ。そして、それが普通なのだ。誰しも、孤独は辛い。
秀蓮は顎に手を添え、神妙な面持ちを作った。
「うーん……まあ、私にも……先輩のような時期がありましたからね……気持ちは分かりますよ」
「秀蓮?」
居住まいを正す秀蓮。彼女は自身の胸に手を当て、私に真剣な眼差しを向けた。
「私、先輩の事色々と調べました。ただの興味本位です。でも、それで先輩の事を傷付けてしまったのなら、今ここで謝りたいと思います」
「……うん……悪気はなかったんだよね」
「はい……だからこそ、先輩にも私の事を話したいと思います。じゃないとフェアじゃありませんから」
秀蓮はそれから____
「前にも話しましたよね、私が元お姫様だったって」
「……え?」
王室茶会の時、確かに秀蓮はそのような事を口にしていたが……私はそれを冗談だと思っていた。
「いや、秀蓮は商人の……」
「それは今の父親です。私を買い取った」
「買い取った?」
何だか、予想以上に重い話になりそうだ。
「先輩は西清という国をご存知ですが?」
「……西清? ……うーん」
聞いたことがあるような、ないような……。
「青龍帝国圏の西端、即ち“西世界”との境界に位置する青龍帝国の属国です。私はその国の王女でした」
語り始める秀蓮。
「西清は“西世界”の支援を取り付け、青龍帝国から独立を果たそうとしていたのですが……それを帝国に勘付かれ、私達は……王族は粛清されました。父、母、兄、姉____皆、帝国に処刑されましたが、まだ幼子だった私はそれを免れ、代わりに奴隷として売られたのです」
「……」
衝撃の事実に声が出なかった。秀蓮にそんな暗い過去があったとは。
「私を買い取ったのが、今の父親です。パパは宗主国の人間でしたが……私を奴隷としてではなく、自分の娘として迎え入れました。貿易商だったパパは、仲間と一緒に大陸中を旅していて、私もそれにくっ付いていました」
淡々と語る秀蓮に、自分の出で立ちを恥じる様子は一切なかった。元王女で元奴隷。それは、普通であるならば、あまり他人に語りたくはない過去だ。
「その頃の私は、強い孤独感に苛まれていました。先輩と同じです。周りが宗主国の人間の中、私だけが属国の人間で……元奴隷で……何もかもが怖かった。周りと違う事が、とてつもなく嫌だった。きっと、皆、はみ出し者の私の事を笑いものにしているんだって」
「……秀蓮」
「でも、それは全部私の一人相撲だったんです。旅をする商人の仲間達の中で、私の事を差別する人はいませんでしたし、取り分け関心を払う人もいませんでした。大勢の仲間の内の一人。私は何も特別な存在じゃなかった」
過去の自分を笑うように秀蓮は述べる。
「先輩、人間は元来孤独を嫌う生き物です。他の皆と違う事を病的に厭う____それは、とても愚かなことですよ。だって、人間はどう足搔いたって孤独からは逃げられないんですから」
ある種の確信をもって、秀蓮は断言していた。
「ちゃんとした家族がいたって、友達が何人いたって、人間の孤独は変わりません。孤独じゃない人間なんていません。それなのに、他人との繋がりを求めて、それで孤独を癒そうだなんて馬鹿みたいです。こんなものは阿片と同じで、求めても求めても満たされず、ただ不安が募るばかりで、最後には身を滅ぼします」
秀蓮の語る言葉が私の心に突き刺さる。その内容に思い当たる節があったからだ。
「ミシェル先輩」
諭す様に、秀蓮は言葉を紡ぐ。
「孤独を愛せない人間は、地獄を見ますよ」
「孤独を……愛する?」
「周りから浮いちゃってても良いじゃないですか。異質でも良いじゃないですか。そんな自分を好きでいて下さいよ」
自分の身体に思わず手が伸びる。
男性なのか、女性なのかよく分からない身体。継ぎ接ぎの人形のように、不完全な存在。そんな自分が嫌だった。
そんな自分を愛せと?
「私、ミシェル先輩の事好きですよ……ああ、容姿の話です。肌は白くてすべすべだし、髪はサラサラで綺麗だし、お顔は人形のように整っているし、それに……男性なのに女性みたいなのって、なんかミステリアスで、凄くそそられるんですよ」
「そ、そそられるの?」
「はい」
大真面目に答える秀蓮。
「だから、先輩も自分の事、身体の事、好きでいて下さいよ。じゃなきゃ、悲しいですよ、私は」
「……秀蓮」
そんな風に言われて、私は嬉しかったし……救われた気がした。
でも____
「……自分を、身体を愛する、か」
愛せと言われても……それは、急には無理な事だった。義母の呪いが掛けられた身体。この身体の所為で、私は悲劇の人生を歩んで来た。
「きっといつか、好きになれますよ。私はそう願っています……さて!」
秀蓮は立ち上がり、伸びをした。
「寝ましょうか、先輩。明日は早いですし」
「……うん」
私は頬を掻き____
「……秀蓮」
「何です?」
「ありがとね……色々話してくれて」
「お安い御用ですよ」
にっこりと秀蓮は笑い、傍らから毛布を引っ張てくる。彼女は私の分の毛布も取り出し、こちらに寄越してくれた。
「おやすみなさい、ミシェル先輩」
「おやすみ、秀蓮」
私達は寝ることにした。
明かりを消し、暗闇が訪れ、英気を養うため休息を取る。
さて、何事なく翌朝を____迎えることは無く、夜中、秀蓮は律義に約束を守ったのであった。
つまり、悪戯をされた。
私が夢の世界に片足を突っ込みかけた頃だ。隣で物音を感じ取り首を回すと、そこに秀蓮がいた。
彼女は私の毛布に侵入していたのだ。
「何やってんの?」
「添い寝ですよ、先輩」
「……いや、いらないから」
彼女は何かをその手に掴んでいる様子だった。暗闇に目を凝らすと、僅かな光を受け、銀色に光る____それは、私の髪だった。
「……私の髪の毛」
「ああ、これですか……いやあ……良い匂いですねえ、これ」
恍惚とした声を発する変態。
私は顔を真っ赤にして、秀蓮の頬をつねった。
「で・て・い・け!」
「い、いたい……痛いですよ、先輩」
秀蓮はそれから抗議の声を上げる。
「もう、少しくらい良いじゃないですか! 減るもんじゃないですし」
「馬鹿なことやってないで、早く寝なよ」
「口ではそう言いつつも、身体は正直なんじゃないですか? ほら、確かめて差し上げますよ」
そう言って、秀蓮は私の下腹部に手を____
「ぐえっ! せ、せんぱい……首は……首を絞めるのはやめ……!」
私は割と全力で秀蓮の首を絞めにかかった。毛布を払いのけ、彼女の背後に素早く回り込み、両腕でその首元を拘束する。
秀蓮の口から苦し気な声が漏れだし、私はその耳元に____
「はあ……さて、お馬鹿な後輩にはお仕置きが必要だね」
「せ、先輩?」
近くに手拭いがあった。私はそれを引っ掴み、目にも留まらぬ速さで秀蓮を後ろ手に縛りあげる。
それから、彼女を俯せの状態で地面に横たえた。露わになった背中に片足を乗せて、私は思い切り体重をかける。
「……あ、が……い、息が……」
「ほら、ちゃんと反省しなよ、秀蓮」
少女の肺が背面から圧迫を受ける。
足裏で苦し気に秀蓮は暴れるが、私の拷問から逃れることは出来なかった。
「言ったよね? 変な事したら、容赦しないって。馬鹿なの? 馬鹿なの、秀蓮?」
「……せ、先輩」
「何?」
秀蓮は、はあはあと息を漏らしてくねりながら____
「も、もっと……」
「え?」
「もっと、強く……お願いします」
「……」
「……お願いします、先輩」
「……えい」
片足に更に体重をかける。秀蓮から嬉しそうな悲鳴が上がった。
「あぁっ! せ、せんぱい! 凄いです!」
「……えぇ」
私はその様子にドン引き。何なんだ、コイツ。
「……あ、あ……あ……せ、せんぱい……あん……」
この娘、もしかして……。
「秀蓮……もしかして、足で踏まれて喜ぶ変態さん?」
そう尋ねると、秀蓮の身体がぶるっと震えた。
「も、もっと罵ってくれても良いんですよ?」
「……」
私は冷めた瞳で秀蓮を見つめていた。
「はあ……足で踏まれて喜ぶとか、生きてて恥ずかしくないの? ほら、何とか言ってみなよ」
踵で背中をぐりぐりとする。少女の口からいかがわしい喘ぎ声が漏れた。
「そんな情けない格好で……まな板の上の魚みたいだよ」
「せ、先輩……」
「何、この変態」
「……せ、先輩、才能ありますね」
謎の称賛を受ける。何だよ、才能って。
「これは先輩として教育が必要だね。覚悟しなよ、秀蓮」
「は、はい!」
歓喜の声を発する秀蓮。
……あれ、私も何か……楽しくなってきたぞ。あ、いや、やっぱ別に楽しくはない。楽しくなんかないぞ。
という訳で、その晩は無茶苦茶お仕置きして上げた。これも、先輩としての義務だと……私は思う。そう言う事にして欲しい。