第十三話「バリスタガイ」
バリスタガイは、リントブルミア王国首都エストフルトの東方に位置する街だ。街の更に東側には大森林が広がっており、その奥地はオークの生存領域となっている。
リントブルミア人にとって、バリスタガイと言う街はオークに対する防衛拠点であり侵攻の防波堤なのだ。
街は要塞然と城壁に囲まれており、オークを撃退するための大砲が幾門もその上部に配置されている。
バリスタガイに到着して、私達は早々に自由時間を与えられた。各部隊の隊長と副隊長、そして中央指揮所所属の指揮官騎士が会合し、“オーク合同討伐作戦”の具体的な計画を練るため、下っ端の騎士達はその間暇になるのだ。
私はアイリスと連れ立って街を散策する。
「……何か、あれだね……妙に男くさい街だね……」
周囲を見回して、アイリスが呟く。
私も釣られて周囲を見回した。彼女の言葉通り、街の中には騎士を除いて男性の姿しか見当たらない。その男達も、どちらかと言えば粗暴な輩が多く、先程から半裸状態で平然と街を闊歩する荒くれ者を何人も見かけた。
「そう言えば、バリスタガイには女性の住人がいないんだって」
「ああ、それ、私も聞いたことあるよ、ミシェルちゃん!」
バリスタガイはオークの生存領域に最も近い街だ。彼らの侵攻が一番に予測されるこの地に、その標的となる女性を居住させないのは当然の選択だろう。
街の中には本当に一人も女性の住人がいない。
「ねえ、あの人達……島人の人達かな?」
アイリスが声を潜めて、首だけで視線を促す。視線を這わせた先、銃や剣などの武器を堂々と担ぐ男性の姿が見えた。
「……そうだね、武器持ってるし……島人だと思う」
島人____彼らは、サン=ドラコ大陸圏外の国である大アルビオン帝国もしくはアウレアソル皇国出身の男性の傭兵達だ。
西の果ての島国____大アルビオン帝国。
東の果ての島国____アウレアソル皇国。
“ロスバーン条約”の非締結国であるため、この両国には未だに男性軍人が存在する。彼らの中には故郷を飛び出して、大陸で傭兵稼業を営む者がいるのだが、私達はそんな島国の来訪者達を島人と呼んでいる。
バリスタガイの至る所に島人らしき人物を見かける。それもその筈で、この街の防衛と治安維持は彼らに一任されているのだ。
常在の騎士と兵士は、女性であるため、オークの標的となり得る。そのため、彼女達の配備が躊躇われ、代わりに男性である島人にその役目が与えられたという訳だ。
島人の大陸における活動を認める事は“ロスバーン条約”に照らし合わせて、極めてグレーな事案であったが、バリスタガイの防衛に始まり武器を持つ男性が必要となる場面が多々ある事を鑑みて、彼らの存在は必要悪として受け入れられている。無論、批判する者も多い。
街の城壁に設置された大砲を見上げる。白い煙を噴き上げるそれは、アルビオン人が街の防衛のために作り上げたものだ。
大アルビオン帝国____別名“蒸気と霧の国”は蒸気機関なるものが発達した自然科学の大国だと聞く。件の大砲にも蒸気機関が組み込まれており、我々リントブルミア人が保有する如何なる火器も、威力と精度において、その足元にも及ばないとか。
大砲だけではない。街の至る所に蒸気を噴き上げる何かしらのからくりを発見する。恐らく、それらにもアルビオン製の蒸気機関が組み込まれているのだろう。元は炭鉱の排水用に用いられていただけの道具が、かように街の生活に根付いている様は見ていて不思議だった。少しだけ、外国にいる気分になる。
そんな、異国情緒あふれる景観を眺めていると____
「おっす、ミシェル先輩!」
「うわっ!?」
突然何者かに背後から飛び付かれた。
慌てて振り向くと、目の前には見知った少女の顔が____
「秀蓮!?」
大きな黒い眼帯。黒髪を二つ結びにした青龍娘の騎士が私の身体からさっと離れ、にっこりと笑う。
「ハオハオ、元気にしてましたか、ミシェル先輩」
「う、うん……久しぶりだね」
王室茶会で彼女と出会ってから、どれ程日数が経過したのだろう。私は先程「久しぶり」と挨拶を返したが、彼女と会ったのがつい昨日の事のように思い出される。相変わらず強い存在感を少女は放っていた。
「秀蓮もこの作戦に参加するんだ」
「ええ、勿論ですよ。何と言ったって、私は優秀な“罠係”ですからね」
誇らしげに胸を張る秀蓮。隣のアイリスがそんな少女を横目に私の袖をくいくいと引っ張った。
「ねえ、ミシェルちゃん、この娘は?」
ああ、私が紹介するべきか。
「あ、えーと……蔡秀蓮。王室茶会で知り合ったんだ」
「初めまして、秀蓮と呼んでください。……えーと……」
「アイリスです。アイリス・シュミット」
「はい、アイリスさん!」
秀蓮は握手を求めてアイリスに手を差し出した。人懐っこい笑みを湛えて。
「うん、よろしくね、秀蓮ちゃん」
明るく応じるアイリス。それから私に目を向けて____
「ミシェルちゃん、私の知らない間に他にも友達作ってたんだ」
少しだけじっとりとした視線を受け、私は冷や汗を垂らす。
「ちょっと……ア、アイリス……言い方が……」
もしかして、妬いてる?
後退りする私に、秀蓮はにやりと笑う。
「おっと、先輩、もしかして修羅場ですか? ははん……さてはお二方、そう言う関係なんですね?」
「そう言う関係って?」
「男女の仲ってやつですよ」
すると、秀蓮は再度私の身体に飛び付き____その胸を揉み出した。
……は? え?
「ちょっと、なにやってんの、秀蓮!?」
私は思わず彼女を突き飛ばし、揉みしだかれた自身の胸を両腕で隠した。
突き飛ばされた秀蓮は派手に尻もちをつく。
いきなりの痴漢行為。意味が分からない。
対する秀蓮は____
「うーん……ぺったんこですね……絶壁です」
私の胸を揉んだ自身の手を、その感触を思い出す様に開閉させ、ぽつりと失礼な事を呟く。
そもそも男だし……別にぺったんこだとか気にしていないんだけど。しかし、気にしていなくても、失礼なものは失礼だ。
「付かぬ事をお伺い致しますが____ミシェル先輩、性別の方を教えては頂けませんか?」
慇懃に尋ねる秀蓮の顔は意地の悪い笑みを浮かべていた。
これは質問ではなく____確認だ。いや、ただ単にからかっているだけなのだろうか。兎に角、彼女が私の秘密を掴んでいることは一目瞭然だった。
私が顔を赤くして黙り込んでいると、秀蓮は立ち上がって、スカートに付いた土埃をはたいた。
「いやあ、驚きましたよ。まさか、騎士団に男性の騎士がいるなんて。しかも、それがよりにもよってミシェル先輩だとは。私、初めて先輩に出会った時、全く気が付きませんでしたよ」
へらへらと笑う秀蓮。私は額に青筋を立てる。
……何だ、コイツ……喧嘩売ってるのか?
「アイリスさんはご存知なんですよね、ミシェル先輩のこと。その上で、イチャイチャしてるってことは……やっぱ、そう言う関係なんですかね? ちなみに、何処まで行きましたか?」
隣で顔を真っ赤にさせるアイリス。私は頭を苛立たし気に掻くと、つかつかと秀蓮に歩み寄り、彼女を強く睨んだ。
「……」
「……あれ、やだなあ……怒ってるんですか、ミシェル先輩」
無言で秀蓮を見つめる。口元を固く結び、私は一言も言葉を発さない姿勢を貫いた。
「あのー、ミシェル先輩?」
「……」
「ちょっと、目が怖いですって」
「……」
剽軽な秀蓮の笑顔が次第に失せていき、彼女は冷や汗を垂らして引きつった苦笑いを浮かべるようになった。
「えーと……ですね」
一歩後ろに下がる秀蓮。それから、彼女は姿勢を正して頭を下げた。
「ごめんなさい、ミシェル先輩」
謝罪の一言を秀蓮は短く述べる。その声音に、先程のようなお道化た調子は見られなかった。再び目にした彼女の顔からは、その誠実さを表す様に一切のふざけた笑みが消えている。
私は溜息を吐き、決まりが悪そうに明後日の方角を見つめた。
「……良いよ、悪気はなかったんだよね」
目の前の騎士、秀蓮からは私を貶めようとする悪意や害意は感じられない。少々無神経なだけで、根が悪い人間ではなさそうだ。
「あ、悪気はありましたよ。私、美人さんを見ると無性にイジメたくなる性分なんで」
「おい」
「それと、ミシェル先輩ともっと仲良くなりたいなーって思って、それでついはしゃいでしまいました」
「……むむ」
「私、先輩の事大好きですし」
てへっと笑う秀蓮。
……ああ、もう、言い方があざといんだよ。
「あ、そうだ、不快にさせたお詫びに、街を案内しますよ! 私、騎士学校時代は近くの街に居たんで、バリスタガイの地理もばっちしなんですよね!」
そう言って、秀蓮は私とアイリスの手を引いて駆け出した。
「わ、ちょっと……!」
「さあ、行きましょう行きましょう!」
秀蓮に連れられて、私達は街を回ることになった。昼は彼女のオススメの店で食事を取り、その後すぐに騎士団の招集が掛けられた。
部隊毎のミーティングが開かれる。“オーク合同討伐作戦”____その詳細が語られた。
まずは明日の早朝、各部隊はバリスタガイ周辺の森を調査し、偵察と都市防衛用の罠を設置する。本格的なオークキャンプへの襲撃は明後日決行との事。
各部隊の調査ルートの内、アメリア隊の割り当てを告げられる。我が隊はオークキャンプが密集していると目されている地点からかなり外れたルートの担当となった。
アサルトウルフの襲撃で隊員の数を減らし、隊長のアメリアも部隊に復帰したばかり。そのため、司令部はアメリア隊に接敵の可能性が低いルートを任せたのだろう。いっそのこと、出撃を控えさせれば良いと私は思うのだが、そこは面子の問題も絡んでくるのだろうか。
「……ミシェル、この調査ルート、どう思う?」
ミーティングが終了し、ラピスは私を掴まえて、調査ルートの記されたバリスタガイ周辺の地図を見せる。
「……どう、とは?」
「外れ過ぎている……と、私は思うのだが」
確かに彼女の言う通り、我がアメリア隊の調査ルートは、敵の拠点から異様に離れた場所へと伸びていた。
「病み上がりの隊長に配慮しての事でしょう。私達はゆっくり散歩でもして来いってことなんじゃないですか?」
ラピスは私の言葉に腕を組んで頷いたが____
「それにしても、外れ過ぎている。見ろ、その所為で我が隊は余所の部隊とかなり離れてしまっているだろう。これでは、非常時に他部隊との連絡が取れず、返って危険だ。調査ルートは変更するべきだ」
力説するラピスに私は____
「まあ、確かにそうですけど……そう言う事は、私に愚痴るのではなくて、しっかりアメリア隊長に進言した方が良いですよ」
「既にそうした。だが、聞き入れて貰えなかった」
苛立たし気にラピスは言い放つ。
「マーサの奴が……」
「マーサ?」
ラピスの口からその名前が出てきて、私は首を傾げる。
マーサとは、マーサ隊隊長のマーサ・ベクスヒルの事を指しているのだろう。彼女はベクスヒル本家の長女で、マリアの姉だ。また、アメリアの同期で、親友でもある。
「マーサの奴が強く隊長に勧めるのだ。この調査ルートは安全だから、病み上がりの貴方には丁度良いと。そして、隊長は私の進言より、親友の甘言を取られた」
「でも返って危険なんですよね? その事をマーサ隊長に……」
「マーサにも進言したが____第二席本家長女の自分に第三席分家の人間が口出しをするなと物凄い剣幕で怒鳴られた」
その場面を思い出してか、ラピスは呆れ返った様子で溜息を吐いた。
……苦労してるなあ。憐みの視線を私は送る。
「兎に角、問題があるのなら、もう一度話し合いをした方が良いですよ。夜も司令部で会合があるんですよね? 上に掛け合ってみたらどうですか?」
「ああ、そのつもりだ」
不機嫌そうにラピスは告げる。
私はラピスと別れ、再び訪れた空き時間をアイリスと過ごすために彼女を探した。
しかし、アイリスの姿が見当たらない。そのまま街中をぶらぶらしていると、やや珍妙な組み合わせの二人を見掛けた。
「……だから、それは無理なんですって」
「そこを何とかお願いしますわ!」
人気のない路地裏。そこで話し合う二人の影。その正体は____
「駄目ですよ、マリアさん。そんな事したら、私、吊るされちゃいますよ」
「お願いですわ、秀蓮さん!」
マリアと秀蓮。やや険悪なムードで話し合う二人。
驚いた、二人は知り合いだったのか。
「貴方、人の命を何だと思っていますの?」
「その言葉はそっくりそのまま、ベクスヒル家の皆様にお返ししますよ」
「……そ、それは」
何の話をしているのだろうか? 気付かれないようにこっそり近付き、耳をそばだてる。
「あの……じゃ、じゃあ……」
「何ですか、マリアさん?」
「せめて、ミミさんとララさんは……」
秀蓮にマリアは縋る。眼帯の少女は大きな溜息を吐いて、自身の黒髪を弄った。
「分かりました。ミミさんとララさんは助けます。しかし、彼女達だけです」
「……」
「友達想いな人間は大好きですよ。だから、特別サービスです」
「……助かりますわ」
しばらく黙って見つめ合っていた二人だが、ふとどちらからともなく立ち去ろうとする気配がしたので、私は慌ててその場を退いた。
時間を置いて、再度路地裏に向かう。すると、既にマリアと秀蓮の姿は消えていた。
地面の染みを踏みつけ、私は辺りを見回す。暗くてじめじめとした、何とも空気の悪い場所だ。
何故、彼女達はこのような場所で? 結局、二人の会話の内容を把握することは出来なかった。
しかし、何だろう……妙に物騒な事を言い合っていた気がする。あくまで断片的にしか遣り取りを耳にしていなかったのだが。
まあ、気にしても仕方ないか。私には関係のない事だ。
私はバリスタガイの表通りに出て、アイリス探しに戻ることにした。
街を歩くのにも飽き始めた頃、私はようやく彼女の姿を発見する。彼女は道端に設置されたベンチに腰かけ、誰かと会話をしている最中だった。
誰と話しているのだろう? 首を伸ばして、アイリスの会話の相手を確認する。
相手は二人組の騎士。同じ背丈に同じ顔。私もよく知る……彼女達は双子だった。
____アイリスはミミとララ、ゴールドスタイン姉妹の二人と話をしていた。
「……!? あの二人……ッ!」
私は目を見開いて、アイリスの元に駆けつけようとする。
性懲りもなく、あの姉妹はアイリスにちょっかいを掛けようとしているのか。私はそう思い、鬼のような形相を浮かべて、地面を蹴ったのだか____
「……え?」
姉妹に向けられたアイリスの笑顔が瞳に飛び込んで来て、私は思わず近くの物陰に隠れた。
呼吸を整え、乱雑に置かれた材木の隙間から顔を出す。
アイリスはゴールドスタイン姉妹と談笑していた。険悪な雰囲気はない。ただ、普通に、楽し気に、和やかに、会話をしているだけだった。
「……」
じっと、彼女達の動向を観察する。
距離があるので、会話の内容までは窺えなかったが、アイリスが姉妹にイジメを受けていると言った様子は微塵も感じられなかった。
「……どういう事?」
カネサダに尋ねたのではない。私は目の前の光景に困惑して、思わず独り言を漏らしてしまったのだ。
何故、アイリスがあの姉妹と楽し気な会話を交わしているのだ?
「……何で」
どうしたのだろう。何だか、ハラハラしてきた。
動悸が激しくなり、喉が絞まる。軽い眩暈に私は頭を押さえた。
アイリス達から目を背け、大きな溜息を吐く。
私は近くの壁に背中を預け、ゆっくりと地面に腰を下ろした。
しばらく、膝を抱えてじっとしていると、視界を件の姉妹が過り、私は再度ベンチの____アイリスの方へ目を向ける。
ようやく一人になったアイリスは、今まさにベンチから立ち上がり、歩き始めようする最中だった。
「……アイリス!」
名を叫び、私は顔を青くして、彼女の元まで駆けて行った。
「あ、ミシェルちゃん」
アイリスは私に手を振り____
「何処にいたの? 探したんだよ、ミシェルちゃん」
「……アイリス」
「ん、どうしたの?」
尋常ではない私の様子を察してか、アイリスが首を傾げる。私は苛々とした口調で尋ねた。
「さっき……誰と、話してたの?」
「……誰と? ああ、ミミちゃんとララちゃんだよ」
普段と変わらない口調でアイリスは答えた。そう、全く変わらない口調で。
私はぎょっとして、彼女の肩を掴む。
「……ミミとララ……と?」
「うん」
あまりにも平然と言ってのけたので、まるでおかしいのは私なのではないかと錯覚してしまう程だった。
震える指先を必死で抑える。
「……どうして、あの二人と?」
「ミシェルちゃん?」
「どうして、二人と会話なんかッ!」
悲痛な叫び声を上げる。私はアイリスを押し倒す勢いで、彼女へ詰め寄った。脳内に先程の一場面____笑い合うアイリスとゴールドスタイン姉妹の姿が浮かんだ。
それは、思い出すだけで腹立たしい、靴底で踏みつけたくなる程に忌々しい光景だった。
アイリスは目を丸くし、宥めるように優しく私の両肩を叩く。そして、穏やかな様子で口を開いた。
「あのね、ミシェルちゃん……私、仲直りしたんだ」
「……」
「色々あったけど……あの二人も、私の友達だから」
そっと告げるアイリスに、私は首を激しく振った。
駄目だ。そんな事は許さない。
「アイリスは……アイリスは、二人の事が嫌いだったんじゃないの?」
願うように尋ねる私。アイリスの答えは____
「苦手なのは確かだよ。でもね……だからって、全部が嫌いな訳じゃないし……それでも、やっぱり友達なんだって、私は思う」
私は目くじらを立てて怒鳴る。
「意味が分からない!」
「……困ったなあ、もう」
頭を掻いて、苦笑いをするアイリス。
私は彼女をきっと睨んで、その目を覚まさせるため____
「アイリス……アイリスは知らないと思うけど、訓練中の人工魔導核の故障……あれは、ミミとララが……」
「知ってるよ。二人が細工したんだよね? さっき、直接教えて貰った」
「……え?」
視界がぐわんと歪み、私は地面に膝を着きそうになる。
傾ぐ私の身体を支えるアイリス。
「私ね、二人の事は赦そうと思うんだ」
「……ど、どうして」
「二人は私と同じだから。周りの皆が怖くて、ミシェルちゃんのイジメに加わっていた私と同じ」
アイリスが私の手を握る。慈愛に満ちた彼女のその心が、今はとても疎ましい。
「ミシェルちゃんが私を赦してくれたように……私も、二人の事を赦して上げたい」
はっきりと告げるアイリスに、私は彼女から身を退ける。
両手に拳を作り、身体の内側で燃える激情を必死に抑えようとするが____我慢が出来なかった。
「赦すなッ!」
近くにあった木箱を蹴飛ばす。
派手な音を立てて木箱が砕け散った。
アイリスが驚いて飛び跳ねるが、私は威嚇するように彼女を強く睨んだ。
「赦すな、絶対に赦すなッ! 死んでも赦すな、あんな奴ら!」
喚き散らかす私に、アイリスは手を上げて宥めにかかる。
「お、落ち着いて……落ち着いてよ、ミシェルちゃん……」
「赦さない……絶対に赦さないぞ! アイリスもだ! 二人を赦せば、私は貴方を赦さない! 赦さない赦さない赦さない赦さない……ッ!」
とめどなく溢れる呪詛に、アイリスは身を引き、冷や汗を垂らした。
自分でも不思議なくらいだ。どうして、今、私はこんなにもアイリスの事が憎らしいのだろう。
髪を掻きむしり、子供のように地団駄を踏む。
私はアイリスから、顔を背け____
「もういい! 好きにしなよ!」
「ミシェルちゃん、まっ____」
「さようなら!」
そう告げ、私はアイリスから逃げるように駆け出した。私を呼び止める声が背後から聞こえてきたが、無視して、街中をひた走る。
走って、走って、走り疲れて……私は立ち止まり、深い後悔の溜息を吐いた。
ああ……まただ……また、やってしまった。
短気に自制が利かず、また彼女を傷付けてしまった。
何をやってるんだ、私は……。
汗を拭い、建物の壁に背を預けて項垂れる。
街のあちこちから噴き出す蒸気に目を遣り、そこにアイリスの悲し気な顔を見たが、それは私の作り出した惨めな幻影だった。
また、とぼとぼと歩き出す。もう一度アイリスに会って……兎に角、謝ろう。そう心に決める。
そして、しばらくすると、私の目にはアイリスではなく____ミミとララ____憎々しい二人組の姿が映った。
「……アイツら!」
私の中で双子に対する怒りが爆発し、彼女達の元へと堪らず疾駆しそうになるが____
ミミとララは会話の最中だった。しかも____
「……! ……秀蓮?」
ゴールドスタイン姉妹と対面していた人物が、秀蓮だと分かるや、私は咄嗟に物陰に隠れた。
……先程と同じ状況だ。私はこそこそと彼女達の遣り取りを窺う事に。
「……何の話を?」
必死に耳をそばだてる。しかし、如何せん距離があり、何を話し合っているのか聞き取れなかった。
目を凝らす。秀蓮はミミとララに笑顔で木製のコップを手渡していた。顔を見合わせ、差し出されたそれを受け取る姉妹。それから、秀蓮は手を軽く揺らすと、にこにこしながら立ち去って行った。
秀蓮の奴、本当に顔が広いと言うか……神出鬼没だなあ。
そんなことを思っていると、秀蓮と別れた姉妹が移動を開始する。彼女達はこちら向かってきており、物陰から姿を現した私と対面することになった。
「「……げっ」」
「……」
私の姿を確認した姉妹が、露骨に嫌な表情を浮かべ、手に持った木製のコップを揺らした。コップの中には何かの飲料が入っている。
私が無言で姉妹達の方へ歩いて行く中、彼女達も歩みを続ける。
両者の距離は徐々に縮まり、そのすれ違い様____
「……うわっ!?」「……ちょっと!」
私は足をもつれさせたフリをして、前傾した身体を姉妹の方へ倒れさせる。
姉のミミは上手く回避したが、妹のララは私とぶつかり、手元の飲料を盛大にぶちまけた。
「……いったあ……ちょっと、何なのよ、アンタ!」
「あーもう、秀蓮から貰った青龍茶が」
非難の目を私に向ける姉妹。私はララが手に持っていた飲料を被り、濡れた衣服を彼女達に見せびらかす。
「……濡れたんだけど」
「はあ? アンタがぶつかって____」
「濡れたんだけど」
ララに詰め寄り、彼女を睨む。
「だから、アンタがぶつ____」
「人にぶつかったら、まずはごめんなさいだろッ!」
言い掛けるララを制して、私は怒鳴り声を発した。目の前の少女は目を白黒させる。
私はララの肩を強めに押して、彼女を転倒させた。
「いたっ」
尻もちをついたララを私は上から見下ろす。そして、その顔を靴底で踏みつけた。
「謝罪も碌に出来ないのか、この阿呆がッ!」
「ぶふっ!」
ララが空気の抜けたような声を出し、姉のミミが間に入ろうとする。
「ちょっと、止めなさいよ、“罠係”!」
「……何だよ」
「そっちからぶつかって来たんでしょ! ララは悪くない!」
「……」
怯えを押し隠した顔で、ミミは必死に訴える。それから____
「……悪かったわよ。こっちも不注意だった。謝るから……ララに代わって」
「……ふん」
私は足元のララを見遣り、つまらなそうに頭を掻いた。
溜息一つ。私は姉妹の間を通り抜け、彼女達と別れる。
背後からララの泣き声が聞こえて来た。ミミがそれを慰める様子が伝わってくる。
腰元のカネサダが、若干引いたような声で私に告げた。
『お、お前……チンピラみたいなことしやがって』
「……」
苛々として、近くの壁を蹴った。
「……何か、ムカつく」
『気持ちは分かるぜ。気に入らねえよなあ、アイリスがあの姉妹と仲良くするのは』
「……うん」
どうしても認められなかった。ミミとララは、情状酌量の余地もない、断罪すべき私の敵であった。そんな彼女達に、よりにもよって、親友のアイリスが赦しを与えるなど。
「……アドバイス」
『あん?』
「こういう時、私はどうすれば良いの?」
『さあな……ホークウッドだったら、気に入らねえ奴は片っ端から始末していったけど、お前はそうはいかねえんだろ?』
頷き、私は憂鬱な面持ちで空を見上げた。
姉妹に赦しを与えるアイリス。その高潔さは褒められるべき美徳であった。
しかし、私はそれにどう向き合えば良い?
面倒な思案がまた増えてしまった。