第十二話「鯉口の音」
王女との出会いを除き、王室茶会は何事もなく終了した。
それから数日が経過する。アイリスの具合はだいぶ良くなり、ついに彼女は部隊に復帰する運びとなった。
と言う訳で、夕食時、私は両隣を二人の友人、アイリスとラピスに挟まれて食事を取ることになる。
「それにしても驚きです」
私を隔てて、アイリスがラピスに口を開く。
「ラピス副隊長が、ミシェルちゃんと仲良くなっているだなんて」
アイリスの言葉にラピスは前髪を弄り、私に視線を寄越した。
「私がいないとコイツは何をしでかすか……むぐっ!?」
余計な事を言い掛けたので、私は咄嗟にラピスの口を両手で塞いだ。
何をする____口元を封じられた副隊長が視線だけで訴えかけてくる。私は声を潜め、アイリスには聞こえないように彼女に耳打ちした。
「アイリスには……その……あんまりそう言う事は話さないで下さい」
私がラピスの口元から手を離すと、彼女はじっとりとした目でこちら見つめ、溜息を吐き、肩をすくめた。それは果たして肯定の意思表示だったのか。恐らく、そう捉えて問題はなさそうだ。
アイリスの前では、私の粗暴な振る舞いについて、あまり言及してほしくはないのだ。ラピスにもそれを分かって貰いたい。
「……本当に仲が良いんだね、ミシェルちゃんに副隊長」
私達が揉み合っている様を横で見ていたアイリスが、不貞腐れた調子で口を開く。
「そんなにイチャイチャして……ミシェルちゃんに友達が増えるのは嬉しいけど……何か、妬けちゃうなー、私……」
頬を膨らませるアイリスに私は慌てて振り向き____
「そ、そんな……え、えと……い、一番はアイリスだから! アイリスが一番の親友だから!」
すると、ラピスが余計な一言を挟んでくる。
「何だ、私は二番目か? 悲しいな……私は凄く傷付いたぞ、ミシェル」
今度は慌ててラピスの方に振り向く。
「ち、違いますよ! 副隊長が二番だとか、決してそう言う訳では……!」
「じゃあ、私は一番じゃないって事?」
「い、いや、アイリスが一番で……」
「やはり、私は二番目か? 悲しいなあ、ミシェル」
「ああ、もう……だから、そう言う事を言っている訳じゃなくてですね……!」
立ち上がり、右往左往していると、両隣の二人が可笑しそうな笑みを浮かべて私を意地の悪い目で見つめていた。アイリスは分かるが、ラピスも珍しく口の端を吊り上げている。
……あれ、私、からかわれている?
憮然として私は腰を下ろし、大きな溜息を吐いた。
『両手に花とはこの事だぜ、ミカ。女二人に取り合われるなんざ、男冥利に尽きるってもんよ』
腰元のカネサダが楽しそうに笑う。
……まあ、確かに、贅沢な状況ではある。今の私には、アイリスに加え、ラピスと言う友達もいるのだ。少し前まで、孤独の中にいた自分からは信じられない進歩だろう。
その日から、私はアイリスとラピスに挟まれ、朝晩の食事を彼女達と共にすることになった。以前にも増して、平和で楽しい日々となる。
そして____
アイリスが部隊に復帰した更に一週間後、重い沈黙を破り、彼女が姿を現した。
アメリア・タルボット。我がアメリア隊の隊長が、軍病院から帰還したのだ。
「長い休暇を頂いたな。今日から、隊長の任に戻ることになった。今度とも宜しく頼む」
朝のミーティング、その始めに、アメリアは短く復帰の挨拶を述べる。身体の調子はもうすっかり良くなっているようだった。これと言った後遺症も見当たらない。
「さて、まずは二週間後に控えた遠征任務についてだが……」
それから、アメリアは淡々とミーティングを続ける。
本日のミーティングは少しだけ長話となった。と言うのも、二週間後に控える遠征任務の段取りの説明に時間を多く用いたからだ。
二週間後、我がアメリア隊を含むエストフルト第一兵舎のエリート部隊は首都東方の街バリスタガイへと遠征に向かう。
遠征の目的は“オーク合同討伐作戦”への参加。
オーク____その魔物は有史以来人類を悩ませてきた不浄の存在。魔物ながら独自の文明を有する彼らは、人の国の内側に集落を作り、人間に少なくない危害を加えてきた。
彼らは雌の個体を持たない。では、どのように繁殖を繰り返すのか。この不浄の魔物は人間の女性を攫い、彼女達に自身の子を孕ませることで、子孫を残してきたのだ。
そんなオーク達は、数年に一度、人の生存領域の近くにキャンプを形成し、大規模な人攫いを決行する。彼らの動向を逐一観察し、分析する我々人類は、その計画を迅速に捉え、これを阻止するために国中の戦力を集めて“オーク合同討伐作戦”を実行するのだ。
オークは手強い。個体毎の戦闘能力もさることながら、彼らは知恵を持つ。
以前、サン=ドラコ大陸からオークの集落を消し去るために、“オーク合同殲滅作戦”なるものが決行されたのだが、結果は惨敗。多くの死者と捕虜を出し、作戦は終了した。彼らは人間を迎え撃つための罠を張り巡らせており、その知能を見くびった騎士達が次々と集落に突撃しては玉砕していったとか。
“オーク合同討伐作戦”ではオークのキャンプを襲撃し、彼らを集落に追い返すことを最終目標とする。決して、深追いはしない。彼らの本拠地に乗り込めば、無数の罠と地の利が彼らに味方をし、騎士達など一溜まりもない。
武勲を欲した腕自慢の騎士が、作戦方針に反して追撃に乗り出し、そのままオーク達に捕らえられてしまうと言った事も昔は多々あったらしい。
ミーティングが終了し、騎士達はそれぞれの業務に就く。
そんな中、私は一人アメリアの元へと向かった。
腰元のカネサダをぎゅっと握りしめる。
「アメリア隊長」
私の呼び掛けに、アメリアはびくりと肩を揺らした。
「……ミシェルか」
アメリアの声は緊張で震えている。その視線はあらぬ方向を彷徨い、私を真正面から捉えることは無かった。
「お身体の方はもうよろしいのでしょうか?」
「……」
私が白々しく尋ねると、アメリアは無言で頷いた。その眉が何かを堪えるようにぴくぴくと動いている。
彼女から苛々とした感情が伝わってきたが、それは憎悪と呼ぶ程には激しいものではなかった。
アメリアは私を恐れている。決闘で受けた仕打ちがトラウマになっているのかもしれない。
____その時、私の中で何かに火が付いた。過ぎ去りし日々の光景を薪とくべ、業の炎は我が身を焦がす。
「今度ともよろしくお願い致しますね、隊長」
私はふっと笑い____カネサダの鯉口を切った。
「……ッ!?」
キンッ____という乾いた音が響き、その瞬間、アメリアは目を見開いて後退りをした。
開き切った瞳孔。唇は病魔に冒されたように震え、力を失った膝は地面に落ちる。アメリアは尻もちをつき、自身の肩を抱いて、幼子の様に震えた。
そんな彼女の頭上に私はずいっと身を乗り出す。カネサダを鞘に納め____再度、鯉口を切った。
乾いた音がまた響き、それを耳にしたアメリアは頭を抱えて、自身の膝に顔を埋める。
「……ああ……ああッ」
呻き声を上げるアメリア。周りの騎士達がその異変に気が付き、こちらに注意を向けた。私は再びカネサダを鞘に納め____三度目の鯉口を切る。
途端____
「あ、ああ、ああああああああああああああッ! やめてくれええええええええええええええッ!」
アメリアの絶叫が響く。彼女は髪を掻きむしり、呼吸を荒くして、額を地面に擦り付けた。
「どうされました、隊長?」
「や、やめろ……!」
アメリアは顔を上げ、私の腰元に視線を注ぐ。腰元のカネサダに。
「それを……それを、カチャカチャするなッ!」
カネサダを指差し、アメリアはヒステリックな声を上げる。私は肩をすくめた。
「ああ……申し訳ありません……でも、気持ちの良い音でしょう? つい癖で弄ってしまうのですよ」
そして____四度目の鯉口を切る。
アメリアが絶叫を抑えるように自身の口元に指を突っ込んだ。彼女の両目から涙が溢れ出す。
「綺麗な音でしょう? もっと、お聞きになって下さいよ、アメリア隊長」
「い、いや……ゆ、許し……」
ぜえぜえと息を切らし、慈悲を求める隊長は怯えた瞳をこちらに向ける。
じりじりとアメリアに詰め寄る私。
しかし、その肩を掴む者がいた____
「ミシェルちゃん」
背後を振り向くと、そこにアイリスがいた。
脳内で火花が散る。
私ははっとなって、彼女の瞳を見つめた。
「……行こうか、ミシェルちゃん」
笑顔を浮かべるアイリス。私は地面に崩れるアメリアを一瞬だけ見遣り、それから顔を真っ赤にして、口をパクパクと開閉させた。
「……ア、アイリス……あ、あのね……」
迂闊だった。まだ、この場にアイリスが残っていたのをすっかり失念していた。今の場面、アイリスはどう見ていた?
「駄目だよ、ミシェルちゃん」
「……」
アイリスはただ一言そう述べる。それから、アメリアから遠ざけるように私の手を引いた。
何か弁解の言葉を述べようと、私は必死に頭を回したが、結局、上手く立ち回るための台詞は見つからず、ただ俯いて、その場を後にする。
アイリスとはその後、何事もなかったかのように別れた。
夕食時、彼女と再会した時も、普段と変わりなく平和で楽しい一時を過ごす。それ故に、悶々とした気分を味わうことになってしまった。
「……カネサダ」
就寝時、ベランダに横になった私は、相棒の名を口にし、彼に何事か尋ねようとしたが____
『どうした、ミカ?』
「……ごめん、何でもない」
相談したいことはあったが、勇気が出せず、結局何も聞き出さなかった。
アイリスは、私をどう思っているのだろう? 今朝の私の行いをどう評価した? 彼女は既に色々と勘付いているのではないのだろうか? それらの疑問が頭の中をぐるぐると回り、私を悩ませる。
「……はあ……もういいや……寝よう」
毛布の暗闇に顔を埋め、私はとにかく眠ることにした。
平穏な日々の中に、小さな悩みの種を潜ませつつ、私の時間は過ぎていく。アイリスとラピスとはいつの間にか仲の良い三人組として周囲に知られるようになり、アメリアは相変わらず私に怯えていた。
二週間____
遠征任務の当日まであっという間だった。遂に“オーク合同討伐作戦”が開始される。
馬車に揺られ、私達は東の街バリスタガイに到着した。
この作戦が____私、いや、私達の運命を大きく変えることになる。
……運命を大きく変える?
いや、違う。
ようやく、私のあるべき運命の歯車が回り出したと言って良い。