第十一話「騎士嫌いの姫」
「少し、お話しませんか」
王女に袖口を掴まれ、私は足を止める。
「よろしいでしょうか?」
「……」
呆気に取られた私は、王女の言葉にただ頷くことしか出来なかった。
……エリザベス王女が私と?
思い出したように頭を深く下げ、私は慌てて告げる。
「……よ、よろこんで……恐悦至極にございます!」
声が上擦る。口調も変に堅苦しくなってしまった。
胸に手を添え、頭を垂れる私に、王女が柔らかい手を差し伸べる。
「ふふ……そんなにお堅くならないで下さい。さ、お顔を上げて」
王女の許しを得て、努めて落ち着いた様子で私は顔を上げる。すると、彼女は私の手を握り、腕を強く引っ張った。
「殿下?」
「ささ、立ち話も何ですし、向かいましょうか」
「ど、どちらへ?」
私が尋ねると、仮面の王女は口元を綻ばせる。
「私のお部屋です」
王女の言葉に、私は目を丸くする。
「わ、私のお部屋って……」
白く細い手に導かれ、私は王女の為すがままに王宮内を引きずり回された。
ええ……ちょっと、本気のなのか、この姫君は。
「エリザベス様、さすがに不味いですよ!」
「大丈夫です。貴方様の上官殿には私から後で事情を説明しておきますので。少しぐらい任務を離れてしまっていても構わないでしょう。警備の騎士は大勢いる訳ですし」
「あ、いえ……そういう問題では……」
私は今、休憩時間の真っ最中だったので王女の懸念については全く問題がなかったのだが……。
構わないのだろうか? 出会ったばかりの騎士を私室に招くなど。
いや、そう言えば、彼女____
「エリザベス様、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
廊下に規則的な靴音が響く中、私は目の前の王女に尋ねる。
「先程、私の名前を口にされましたが……何故、殿下が私の名前をご存知なのでしょうか?」
その瞬間、王女の足がピタリと止まった。彼女に引っ張られて歩いていた私も釣られて立ち止まる。
王女が背後を振り向く。仮面の中の彼女の目が私を捉える気配がした。
「……えーと……ですね……」
言い淀む王女。愛想笑いを浮かべ、困ったように頬を掻いていた。
そんな王女の様子に私は思わず目を細め、首を傾げてしまう。
何をそんなに困っているか?
数秒間の硬直の後、彼女は「あっ」と何かを思い付いたような声を漏らし____
「アメリア様です」
「……アメリア隊長?」
王女の口からその名前が急に出てきたので、私はつい身構えてしまった。
「ミシェル様はアメリア隊の隊員でいらっしゃいますよね?」
「はい」
「私、アメリア様とはとても懇意にしていまして」
知っている。ラピスが言っていたが、アメリアとエリザベス王女は幼馴染みで、今でも交流があるのだとか。
「……それで……まあ、色々あって、知っているのですよ、ミシェル様の事を」
何故か自信なさげに答える王女。やましいことがあるのか、彼女の仮面は明後日の方向を向いていた。
私は警戒するように王女を観察し、恐る恐る口を開く。
「……私を恨んでいますか?」
「……え?」
何の事だと首を傾げる王女。その口元がぽかんと開いていた。
私は唾を飲み込んで、尋ねてみる。緊張で声が低くなった。
「私とアメリア隊長との決闘の話はご存知ですか?」
「……ミシェル様とアメリア様の? ええ____勿論です」
「私を恨んではいないのですか?」
「……どういう事です?」
再度首を傾げる王女。分からない……とぼけているのか、それとも本当に気にしていないのか……。
「私の所為で、アメリア隊長……殿下のご友人が……」
そこまで告げると、王女は何かを察したように「ああ」と呟いて両手を合わせた。
「恨むなど、とんでもありません! 騎士の決闘に部外者が文句を付けるなど! いや、むしろ……」
王女が私の手を取って揺さぶる。
「貴方の事はとても尊敬しています。友のために上官に剣を向けることが出来る貴方は誠の騎士です」
「……ご存知のようですね、決闘の経緯を」
私は王女の口元を見つめ、その僅かな動きから必死に彼女の心の中を読み取ろうとした。
感情の機微に敏い訳ではないので断定はできないが、彼女が私に対して敵意を抱いている様子はない。
王女がアメリアの名前を出した時、私は彼女の意趣返しを警戒したのだが、それは杞憂に終わりそうだった。取り敢えずは一安心。
「アメリア様には困ったものですね」
王女は溜息を吐いた。
……? 何だか、聞き覚えのある台詞だ。まあ、いいや。
それから、彼女はまた私を引っ張って歩き出す。
結局、私は王女の私室に招かれることになった。
「そちらの椅子を使ってください」
王女に促され、私は部屋の中央に据えられていた椅子の一つに腰を下ろした。瞳だけを動かし、周囲に視線を這わせる。
お姫様の私室という事で煌びやかな内装をイメージしていたのだが、彼女の部屋はとても簡素なものであった。飾り気のない机に椅子に寝台____唯一目を引いたのはおびただしい蔵書を誇る巨大な本棚。
エリザベス王女は十歳で国一番の大学を卒業した天才だと聞いている。そんな彼女だからこそ、読破した書物の量も相当なものなのだろう。
私はすっと息を吸い、部屋に蔓延する紙とインクの匂いを満喫した。
「……あれは」
小難しそうな題名の本の行列に紛れて、本棚の中に大きな絵本を見つける。専門書が立ち並ぶ中で、児童向けのそれは一際異彩を放っており、思わず目を留めてしまった。
「あの絵本が気になりますか?」
「あ、申し訳ありません……じろじろと眺めて」
「いいえ、良いのですよ」
王女はにっこりと笑い、本棚の中から件の絵本を手に取って、適当なページを開いて見せた。内容はよくある騎士道物語だ。私も子供の頃、何度か読んだことがある。
絵本の題名は『騎士フランの冒険』____女性騎士のフランが竜神の力を借りて、悪いドラゴンを退治するといった物語だ。
懐かしい。
しかし、王女の開いた絵本の中身を覗き込むと、その内容に違和感が。
「それ、『騎士フランの冒険』ですよね……あれ、その絵本……主人公が……」
「ええ、男性になっていますね」
見せびらかす様に王女は絵本を私に手渡す。
恭しく絵本を受け取った私は、そのページを丁重にめくり、中身を確かめた。
……やはりだ。私の知る『騎士フランの冒険』の主人公は女性であったが、この本の“フラン”は男性になっている。
「『騎士フランの冒険』は元々、男性が主人公だったのです。それが“ロスバーン条約”により男性軍人の存在が禁忌とされると、主人公は男性から女性へと変えられたのです。これは、大昔の『騎士フランの冒険』なのです」
説明するエリザベス王女。時代が下り、物語の一部の内容が変更されるのは、『騎士フランの冒険』に限らずよくある話だ。
「ちなみにこちらが現代の人々の良く知る『騎士フランの冒険』です」
いつの間にか、王女の手にはもう一冊の『騎士フランの冒険』が____
それは私もよく知る“女性騎士のフラン”が主人公の物語だった。
「古い『騎士フランの冒険』と新しい『騎士フランの冒険』。主人公に違いはありますし、物語の流れも一部異なりますが、それでも両者とも素晴らしい作品です」
楽し気に語る王女。私は絵本を閉じて、彼女をじっと見つめた。
「……意外です」
「ミシェル様?」
「その……エリザベス様は……」
言うのを一瞬だけ躊躇ってから再度口を開く。
「……エリザベス様は“騎士嫌いの姫”だと伺っていたので、この手の騎士道物語は好まないものだと……そう思っておりました」
私の言葉に、「まあ」と王女は口に手を添える。
「酷い誤解ですね。私は決して、“騎士嫌いの姫”などではありません。むしろ、騎士は大好きです。子供の頃から強く憧れていました」
手元の絵本をぎゅっと抱いて、王女は唇を尖らせた。
それから、彼女は椅子を引っ張ってきて、私の隣に腰を落ち着かせる。至近距離に彼女の身体を感じ、私は背筋をピンと伸ばした。
「魔導乙女騎士団の皆様は、やはり私の事を疎ましく思っていらっしゃいますか?」
哀しい口調で王女は尋ねた。仮面越しに彼女の瞳が私に向けられるのを感じる。
……困った。
私には王女の言葉を否定するだけの不誠実さもなければ、逆に肯定するだけの度胸もない。
どうしたものかと視線を彷徨わせていると、王女は「ふふっ」と笑い____
「すみません、困らせるような事を……わざわざ確かめるほどの事でもありませんでしたね。私が騎士の皆様に嫌われていることは重々承知です」
エリザベス王女はもじもじと身をくねらせ、私の膝に手を置いた。いきなりそのような事をされたので、思わず飛び上がりそうになる。
「ミシェル様は?」
「……?」
「ミシェル様も私の事がお嫌いなのですか?」
何かを乞うように尋ねる王女に、私は慌てて首を横に振り、大げさに否定の意を示した。
上擦る声を張り上げて____
「天地神明に誓い、そのようなことは一切ございません!」
「……本当ですか?」
今度は首をぶんぶんと縦に振る。
「……私は、その……はぐれものですので……あまり騎士団に対する愛着がないのですよ。ですから、エリザベス様に対しても、そのような感情はございません」
「はぐれもの、ですか?」
「……私は」
重い一拍を置き、私は答える。
「みなしごなのです____本当なら、殿下の御前に控えることさえおこがましい、卑しい存在で……」
「ミシェル様」
言い終える前に、私の口を塞ぐものがあった。白く柔らかい手の平。エリザベス王女の手の平が私の口を塞いでいた。
何が起きている? 突然のことで頭が真っ白になった。
怒ったように、あるいは悲しんでいるように口元をきゅっと結ぶ王女。
「ミシェル様がどのような境遇にいらっしゃるのか、私は知っています」
責めるように王女は述べる。私の膝を掴む彼女の手に力が込められた。
「自分をあまり卑下なさらないで下さい」
「……」
「貴方は立派な騎士です。身分など、つまらない事を気にする必要などありません」
切実な王女の言葉に、私は黙って頷いた。その首肯に満足してか、彼女は優し気な笑みを浮かべる。
生まれて初めて貴人のあるべき姿を見た気がした。高潔さと慈悲深さを兼ね備えた、誠の君主だ。頭脳明晰なだけではない。彼女はその賢さに見合った優れた人格の持ち主でもあるのだ。今、それを切に感じた。
数拍の後____
王女は話題を変えるように私から身体を離し、静かに息を吐いた。
「騎士の皆様のことは、とても尊敬しています。彼女達が身を挺してこそ、我々の平和と安全は守られているのです」
自身の膝の上に乗せた絵本を王女は愛おし気に撫でる。
____それから、やや声を低くして告げた。
「しかし、彼女達も……騎士達も人間。程度の差こそあれ、その身に悪しきものを宿しています。邪な心を持っています」
それは私もよく理解している事だった。例え、世界中を探し回ったところで、真に純粋な善人など見つかりはしないだろう。人は誰しも善悪二元を兼ね備えている。
「サン=ドラコ大陸は一世紀以上の平和を享受してきました。これもひとえに“ロスバーン条約”とその申し子である乙女騎士団の存在のおかげですが、組織や秩序というものは例外なく腐敗するものです。不動の巌に座してきた騎士団の内部には、既に多くの膿が出てきています」
「……その通りですね」
騎士である私自身もその腐敗の渦中にいた。権力を笠に着て市民に横暴を働く騎士。上層部は権力争いに明け暮れ、様々な不正が横行する。それが今の騎士団だ。
「特に騎士団の場合、彼らに圧力を掛けることが出来る組織が存在しないため、腐敗は加速度的に進行します。外圧がなければ、自浄作用というものは碌に働かなくなるものです」
年下の少女とは思えないしっかりとした口調で語る王女。さすがは国で一番の大学を卒業した天才だ。
「私は、彼らに……騎士団にあるべき姿を取り戻して頂きたいと願っています」
胸に手を添え、固い意志で王女は言葉を紡ぐ。
「だからこそ、私は騎士団と闘います。私が騎士団を律する存在となるのです。例え、彼ら……いえ、世界に嫌われようとも」
その王女の言葉で全てに合点がいった。
“騎士嫌いの姫”エリザベス。政治の舞台において、彼女は常に乙女騎士団を目の敵にしてきた。しかし、それは騎士が憎い故の事ではない。
逆なのだ____
「エリザベス様は……本当に騎士がお好きなのですね」
騎士を尊敬し、強く憧れ、多大な愛を注ぐ王女だからこそ、騎士団と闘うのだ。彼らに正しくあって欲しいが故に。
惜しむらくは、それが騎士団やその信奉者に理解されないと言う事だろう。騎士団と言う組織にとって、王女は秩序や平和を脅かす邪悪な存在なのだ。
「そうですね。我ながら幼稚なものですよ。騎士道物語に憧れる少女が、現実の騎士に幻滅し、己の理想を押し付けようとしている……そう言った側面もありますから」
少しだけ子供らしくはにかむ王女に、私は最大限の敬意を以て告げる。
「殿下のような高潔な魂の持ち主を私は知っています」
脳裏にアイリスの姿が浮かんだ。強くて優しい騎士を目指す少女の姿が。
「私の心から尊敬する親友です。同じ部隊に所属する____」
「アイリス様ですね?」
にっこりと笑い、口を挟む王女。
……驚いた。まさか、アイリスの事までご存知だったとは。
私は頷き、言葉を続ける。
「騎士に憧れ、目前の現実に絶望しても尚、己の目指す誠の騎士であろうとする誇り高き者です。その親友の高潔な姿が、殿下のそれに重なりました」
現実に絶望しても挫けず、全てを受け止めて尚、己の理想を体現しようとする。アイリスとエリザベス王女はよく似ていた。
王女は頬に手を当て、嬉しそうに微笑む。
「……良いものですね」
「殿下?」
「初めてそのような言葉を頂きました。自分の事を評価して頂ける存在がいると言う事が、こんなにも喜ばしい事だったとは」
健気に弾む王女の声に私は哀愁を感じていた。
天才王女と言えど、まだ十四歳の少女。そんな彼女が、世界を敵に回して独りで闘っている。誰からの称賛も得られず、ただ悪し様に罵られながら。悲しい程の勇気だ。
「この仮面は」
王女が自身の仮面に触れる。
「身を守るためのものなのです。公の場で私に危害を加えようとする者は滅多にいません。ですが、それ以外の場所では話が別です。私は常に暗殺の対象なのです。私の命を狙う者は少なくありません。なので、皆の前では素顔を隠さなければならないのです」
暗殺を警戒して、仮面を身につけていると言うことなのか。
「……怖くはないのですか? そこまでして、騎士団と____」
「怖いですよ。ですが、己の理想を追い求めるためです。私は命を賭してでも、騎士団と闘います」
そう述べるエリザベス王女は、騎士以上に騎士らしく思えた。
私は勇ましいその姿に、やはり憐みの視線を送ってしまう。
お力になって差し上げたい。そう思えてくる。
「この身を案じて下さるのですか?」
身を屈めて悪戯っぽく尋ねる王女に、私は頷く。
「であるならば、ずっと私のそばにいて下さい」
「え?」
「片時も離れず、私の事を守って頂けますか? 朝も昼も夜も、常に私と共に」
「そ、それは……え、えと……」
慌てる私に王女が吹き出す。
「ふふ、冗談ですよ」
からかわれた?
口に手を当てて笑う王女に、私は大きな吐息を漏らした。こういう所は、まだ十四歳の少女なのだ。
「……さて、そろそろ会場に戻りますか」
王女は立ち上がり、私も倣って腰を上げた。仮面に隠れて子細な表情は窺えないが、彼女は今、とても晴れやかな顔をしているように感じる。
それほど長くはない会話だったが、その遣り取りの間に、謎に包まれていた王女の本意を知り、私は彼女と通じることが出来たと思う。
王室茶会の会場に戻る道すがら____
「ミシェル様」
少しだけ固い口調で王女は私に向き直る。
「騎士団には、彼らを監視する組織が必要です」
探りを入れるような視線を受ける私。
「騎士団と同等の権限を持ち、尚且つ“ロスバーン条約”が作り上げた現体制を妄信しない者達の組織が」
かつて、文民統制を提唱した王女。今のは、それに通じる発言だった。
「社交を蔑ろにしてきた私だからこそ、仲間と言う存在の大切さはよく理解しています。私には、信頼できる仲間が必要なのです」
私の言葉を待たずして、再び歩き出す王女。私達の間を沈黙が支配する。
やがて、私と王女に別れが訪れる。彼女は会場に戻り、私は休憩所に向かうことになる。
手元に温かい感触____
王女が私の手を握り、引き留めるかのように、強く彼女の方へと引っ張っていた。
「また、お会いしましょう、ミシェル様」
強く願うように王女は言う。私は恭しく頭を下げ、答える。
「はい、必ず」
「……必ずです!」
ムキになって言い放つ王女に面食らってしまう。彼女は名残惜しそうに私から離れ、最後に告げる。
「ミシェル様____私には仲間が必要なのです」
綺麗な金色の髪を揺らし、王女は立ち去る。
颯爽と我が道を往くその姿に、私は敬意を抱くと同時に____何か既視感のようなものを覚えた。