第十話「王室茶会」
リントブルミア王国首都エストフルト。その中央区に位置する王宮にて王室茶会は開催される。
来賓である国中の貴族たちが会場に招かれるより先に、我々警備の騎士達は各々の持ち場に落ち着いた。
私の持ち場は裏庭。王室茶会の会場とは真反対の場所だった。
周囲を見渡すが、人が全然いない。この場に割り当てられた数少ない警備人員も、その顔ぶれは魔導乙女騎士団のものではなく、乙女兵士団のものがほとんどだ。
私は空を見上げて、ぼうっと突っ立っていた。
「……」
……暇だ……暇すぎて、身体に苔が生えそうだ。
警備任務と言うのは、一見楽そうに思えるが地味にきつい仕事なのだ。
何もせずにただ周囲を警戒する。これが長時間続けば、退屈が積もり積もって重い心労となる。
私は視線を下げて腰元のカネサダを見つめた。
退屈しのぎに彼と会話することが出来れば良かったのだが、周囲に疎らとは言え人がいる以上、それは叶わぬことだった。
遠くを見遣る。私の目には時計の針が映った。休憩時間までまだ一時間以上もある。これは溜息を吐かざるを得ない。
「……はあ」
純白の騎士服を弄り、溜息を吐く。
服装だけは立派なのが、何ともやるせない気持ちにさせる。こんなにも上等な制服に身を包んでいるのにと。
その時だ____
「何処の所属ですか?」
背後から声を掛けられ、はっとなって振り返る私。完全な不意打ちだったので、びくりと肩を震わせてしまう。
「あ、すいません、急に」
私の目には一人の騎士の姿が映っていた。彼女が私に声を掛けたのだろう。
「あ、いえ……お気になさらずに」
驚かせてしまったことを詫びた彼女は、黒い髪を二つに結んだ、背の低い少女だった。
返事を返すと、彼女はにっこりと人懐っこく笑う。そして、再度問いかけた。
「部隊、何処の所属ですか?」
「……あ、えと……アメリア隊です」
「アメリア隊ですか? エストフルト第一兵舎の?」
「ええ、まあ……」
「へえ、凄いじゃないですか! エリートなんですね!」
はしゃぐ騎士をまじまじと見つめる。目を引く少女だった。と言うのも、彼女は右目に大きな黒い眼帯をしていたからだ。片目が見えないのだろうか?
それに____
「……あの……貴方、両親のどちらかがアウレアソル人……ですか?」
思わず尋ねてしまう。
目の前の騎士の顔立ちは“東世界人”のそれだった。カエデ・フィッツロイと同じ、片方の親がアウレアソル皇国の人間である可能性が高い。
私の問い掛けに騎士は隻眼を半円に細め、得意げな笑みを浮かべた。
「違います」
「え?」
そして、きっぱりと否定される。しかも、やはり得意げに。
「青龍人です。名前を蔡秀蓮と言います」
「……青龍人?」
自身の胸に手を当て、悪戯な笑みを浮かべる騎士。私が驚く様を彼女は楽しんでいた。
蔡秀蓮。名前から察するに、ハーフではなく生粋の青龍人だと考えられる。
「どうです、驚きましたか?」
「え、ええ……珍しいですね、青龍人の騎士なんて」
「珍しいどころじゃありませんよ! 恐らく、世界広しと言えども、リントブルミアで騎士をやってる青龍人なんて私ぐらいなものですよ!」
鼻を高くして、少女は自慢げに語る。その言葉通り、リントブルミア____いや“西世界”で騎士団に所属している青龍人など彼女ぐらいなものだろう。
“ロスバーン条約”以降、植民地を解放し、完全独立を果たした青龍帝国は“西世界”の再侵略を恐れ、その支配圏を徐々に封鎖していった。まあ、実際には“西世界”と帝国の従属国との交易を断ち、その独立を阻止すると言った思惑があるのだと言われているのだが。
兎に角、この青龍大封鎖により、かの帝国圏と“西世界”との人と物の流れは途絶えてしまう。
丁度十年程前に宣言されるに至った完全封鎖。その折り、幾人かの貿易商____いや、密売人と言うべきか____が“西世界”側に取り残され、帰郷がままならない状況に陥ってしまう。
今現在、リントブルミア王国を含め“西世界”に在住する青龍人のほとんどが、そう言った事情を抱える者達なのだ。
そして、目の前の騎士____蔡秀蓮もそんな青龍密売人の息女の一人なのだろうと思われる。
それにしても、密売人の娘が騎士とは……。よく騎士団が彼女の入団を許したものだ。
いや、決めつけは良くない。失礼ながら、一応確認することにしよう。出来るだけさり気なく。
「その……貴方、とても品の良い顔立ちをしていますね」
「そうですか?」
ナンパでもしているのかな私?
「蔡さんの両親は何をなさって____」
「気軽に秀蓮って呼んでくださいよ。あ、父は商人をやってます。正真正銘の元密売人です」
どうしてそんなにも得意気に言うのか。彼女はドヤっと顔を輝かせていた。
あまりにも堂々と告げられる事実に、若干面食らう私。その私の反応すらも彼女は楽し気に眺めていた。
「そう言えば、お名前の方は何て言うんですか?」
「あ、名前……えーと、ミシェルです」
名前を告げる私をじっと観察する秀蓮。そして____
「家名は?」
ああ、尋ねてきたか。
私は頭を掻き、視線を逸らして小さな声で伝える。
「みなしごなんですよ……私……だから、家名が……」
「えっ?」
目を丸くする秀蓮。彼女は口に手を当てて固まり、それから、ぐいっとこちらに身を乗り出した。
「凄いじゃないですか!」
「……え?」
今度はこちらが目を丸くした。今、彼女は何と言ったのか?
……凄い?
私がぽかんと口を開けていると____
「みなしごなのにエストフルト第一兵舎に在籍しているんですよね? それって、凄い事ですよ!」
「……は、はあ」
「凄く珍しい事ですよ!」
うーん……まあ、そういう考え方もあるよね。
「でも、私の方が凄いです」
「ん?」
「ミシェルさんはエリートで、その上美人さんなのかも知れませんが、私は青龍人の騎士。まさに唯一無二の存在。私の方が貴方より珍しいです」
「……」
困ったように頬を掻く。
そうですか、としか言いようがない。
どうやら、秀蓮なる騎士は、“珍しい”と言う事に並み並みならぬ執着があるようだ。
変わった娘だ。
「その上、私、元お姫様なんですよ」
「へ、へえ……」
いや、父親は元密売人だってさっき言ったよね?
虚言癖も完備とは。本当に変わった娘だ。
だが、退屈しのぎには丁度良い。警備の交代時間まで、私はこの変わった青龍娘とお喋りすることにした。
任務中に無駄話など、あまり感心しない事だが……まあ、大目に見て頂きたい。
「ミシェルさん、歳幾つですか?」
「十五歳です」
「へえ、私のいっこ上だ……そうだ、先輩って呼んでもいいですか?」
「先輩? ええ、まあ……お好きにどうぞ」
「ちょっと、ミシェル先輩、固いですよ。もっと砕けた口調で話して下さい」
「……うん、分かった」
……気さくな少女だなあ。
その後____
短い時間の内に、まるで旧来の友のように仲良くなる私達。そのため、警備の交代時間に彼女と別れるのが惜しくなった。
「じゃあ、私は休憩に」
「はい、どうぞごゆっくり、先輩」
王宮内に設けられた騎士達の休憩所へと私は向かう。裏庭を去る際、秀蓮に手を振られたので、私も手を振り返した。
「変な女の子だったね、カネサダ」
『ああ……何つーか、愉快な奴だったな』
王宮の廊下を歩く私。周りには誰もいないので、ようやくカネサダと会話が出来る。
そんな訳で、休憩所への道中、腰元の相棒と軽い会話を交わしていたのだが、ふと目の前から人の気配を感じて、そっと口を閉じた。
「……」
前方から背の高い男性が歩いて来るのが見える。若い青年だった。身なりから推測するに相当格の高い家柄の貴族であると思われる。
私は彼の通行の邪魔にならないように廊下の端に寄ったのだが____
「やあ、久しぶりだね」
男性とのすれ違い様、彼に立ち止まって声を掛けられる私。
……久しぶり?
爽やかな笑顔を浮かべ、私に手を振る男性。私も立ち止まり、彼の顔をまじまじと見つめた。
貴族らしい上品な金髪に、整った目鼻立ち。一度目にすれば、恐らく彼の容姿を忘れるようなことはないだろう。
「……えーと」
男性は私に“久しぶり”と声を掛けた。しかし、私は彼の顔に見覚えなどなかった。
「やあ、僕だよ僕。もしかして、覚えていないのかい?」
「……」
私は困惑し、引きつった愛想笑いを浮かべた。
……困った。全く、覚えていない。
向こうは貴族だ。素直に存じ上げない旨を伝えるのは憚られるというもの。
しかし、その時だ。偶然目に飛び込んで来たものが、男性の正体を私に伝えた。
男性の胸元。そこには竜の姿が象られた紋章が躍っていた。
竜____このサン=ドラコ大陸にて神と崇められる神話上の存在。その紋章を公の場で身につける事が許されるのは、竜神教会が認める正統な王族に限られる。
即ち、目の前のこの男性は貴族などではなく____王族なのだ。
____途端、私は背に鞭を打たれたかのように素早く姿勢を正した。
恭しく男性を見遣る。
歳は二十歳前後。で、あるならば、彼の正体は、リントブルミア王国第一王子アルフレッド・リントブルムに相違ない。金髪長身の美男であると言う特徴も、伝え聞く王子の容姿に合致している。
男性の正体は判明した。しかし、それ故に大きな疑問が私に首をもたげる。
一体、いつ、私は彼に出会ったのだ?
十五年間の人生の中で、王族と顔を合わせる機会など私にはなかった筈だ。そもそも、王族に限らず、お家の事情に翻弄されてきた私は、外界との交流と呼べる交流などほとんど持たなかった。
「アルフレッド様、殿下の事はよく存じ上げております」
私は胸に手を添え、頭を深く下げた。
「しかしながら、殿下はこの私めなどの事はご存知なさらない筈です。人違いではございませんか」
人違い。恐らく、その可能性が最も高い。
私は指摘するが、王子は首を横に振った。
「いや、決して人違いではないよ。一目で君だと分かった」
自信満々に告げる王子に、畏れ多くも尋ねてみる。
「無礼を覚悟でお尋ね申し上げますが、一体いつ、私の事を御見かけになられたのでございましょうか?」
私の言葉に、王子はすっとこちらに身を寄せる。そして、力強く私の両手を握った。
「____前世さ」
「え?」
今、彼は何と言ったのか?
前世? 聞き間違えだろうか?
「君が僕を覚えていないのも無理は無い。何故なら、君は自身の前世を忘れているからさ」
「……」
何言ってんの、この人? と言うか、顔が近いのだが。
「僕たちは前世で恋人同士だった。そして、今世でもそのようになる運命なんだよ」
うっとりとした顔で告げるアルフレッド王子。対する私は顔を青ざめさせる。彼はじりじりと私を壁際へと追い込んでいった。
ああ……そうか……そう言う事か……。全て察してしまった。
リントブルミア王国第一王子アルフレッド。彼は女好きの王子として世間に知られていた。宮廷内でも若い女中を口説き回っていたとか。
つまり、これはナンパなのだ。私は目の前の王子にナンパされているのだ。そう言えば、前にも似たような手法で声を掛けてきたナンパ男がいたのを思い出した。
「ぜ、前世などと……お戯れはよして下さい」
私は王子から離れて、また深く頭を下げた。
「戯れだって? 僕は本気さ。ここで君と出会ったのはまさに運命! ところで、君の名前を……今世での君の名前を教えては貰えないだろうか?」
再び詰め寄る王子に、私は後退りする。腰元のカネサダが必死に笑いを堪えていた。コイツ、楽しんでいるな。
「ミシェルと言います。いけません、殿下……それ以上お近づきになっては!」
「どうしてだい?」
「私はみなしごです。卑しい身分の私めが貴方様のお手を穢すなど、あってはなりません」
私の境遇が王子を遠ざける格好の口実になるとは……皮肉なものだ。これで彼が大人しく引き下がってくれれば有難いのだが。
「卑しい身分? 君は何を言っているんだい!」
しかし、そうはいかないのが現実。
「寒い夜、古びたあばら屋で一つのぼろ布を被りあい、身体を温め合ったことを覚えてはいないのかい?」
「……?」
全く存じ上げません。
「着るものも、食べるものも……何もかも足りなかったけど、僕たちには愛があった。それが全てだった」
……そう言う設定なの?
「身分の差など……僕たちの愛の前では取るに足らない、吐いて捨ててしまう下らないものさ」
だれかこの王子の妄想を止めて下さい。
王子に肩を掴まれる。悲鳴を上げそうになるのを必死に堪えた。
困った。本当に困った。よりにもよって王子にナンパされるとは。邪険に扱えない分、裏通りのナンパ男達より質が悪い。
何か……何かないのか!? この場を逃れる何か方法は!?
「そこで何をやっているのですか!」
その時だ。絶望の淵に立つ私を救う声が廊下に響き渡った。
凛とした鈴の音のような少女の声。
私と王子は声の主に目を向ける。そこにいたのは____白い仮面をかぶった金髪の少女だった。
「騎士様からお離れになって下さい」
仮面の少女は怒りを露わにして、つかつかとこちらに歩み寄る。
「げっ」
と、アルフレッド王子は呻き声を上げ、私から身を引いた。王子の前に仮面の少女が腕を組んで佇む。
「お兄様、また騎士様を口説いて」
「……ち、違うんだよ、エリザベス……こ、これは」
エリザベス____確かに王子はその名前を口にした。
という事は、目の前のこの仮面の少女こそ、リントブルミア王国第一王女エリザベス・リントブルムなのだろう。
“騎士嫌いの姫”エリザベス。
……何故、仮面など身につけているのか?
「……か、彼女とは旧知の仲で……それで……」
「また、いつもの妄想ですか?」
「う、うぐ」
「はあ……全く、貴方はこれがあるから……」
言葉に詰まる王子。エリザベス王女は呆れた溜息を吐いた。
会話から察するに、王子の女癖の悪さは肉親の悩みの種になっているようだ。
「ほら、お兄様、会場にお戻りになって下さい」
「いや、でも……彼女と……」
「この期に及んでまだ、戯言を弄しますか?」
王女はにっこりと笑い王子に詰め寄る。その口元は笑っているが、恐らく仮面の奥に隠れている目は笑ってはいないのだろう。彼女は謎の凄みを放ち、その場の空気を圧倒していた。
「は、はは……じゃ、じゃあ僕はこれで……」
彼女の圧力に屈してか、アルフレッド王子は逃げるようにこの場を立ち去った。
廊下には私と私に助け舟を出したエリザベス王女が取り残される。
「全く……お兄様には困ったものもです……」
「……」
深い溜息を吐き、エリザベス王女は私に向き直る。そして、その口が____
「……え……ミシェル様……?」
驚いたように私の名前を口にした。彼女は数秒間硬直した後、我に返ったように肩をびくりと揺らす。
「……あ、いえ……その……!」
エリザベス王女は咄嗟に口を押さえ、私から少しだけ距離を取った。その慌てた様子に思わず首を傾げそうになる。
……と言うか、何故、私の名前を彼女が知っているのか?
兎に角、私は頭を深く下げ、王女に礼を述べることにした。
「お助けいただき有難うございます、エリザベス様」
「いえ、こちらこそ身内が迷惑を」
私は顔を上げ、エリザベス王女を見つめる。
美しい金髪が目に飛び込んで来た。仮面を被り、ややミステリアスな雰囲気を醸し出す彼女は、まるで精巧な人形の様であった。
しかし、何故だろう……初めてお目にかかる筈の王女の姿に、私は何か既視感を覚えていた。
無言のまま見つめ合う私と王女。
しばらくすると、王女は口元を綻ばせ、優しく私に笑い掛けた。
「……!?」
その穏やかな微笑みに思わずドキリとしてしまう。
“騎士嫌いの姫”あるいは“騎士団を壊す者”____そんなエリザベス王女の異名から、私は彼女の事を鉄のような女性だと勝手に想像していたのだが、目の前の実物は物腰の柔らかい、優しい少女であった。
私はもう一度恭しく頭を下げ、彼女の前から立ち去ろうとする。
「お待ちになって下さい」
そんな私に____
「少し、お話しませんか」
エリザベス王女は袖口をそっと掴み、私は引き留めた。