第九話「未来について」
意識は回復したものの、アイリスの部隊への復帰にはまだ数日を要するらしい。
寂しい気持ちはあるが、病み上がりの身体で無理はしてほしくないので、彼女の帰りを大人しく待つことにする。
その代わりに、私は仕事終わり、彼女の病室に顔を出しては軽いお喋りをすることにしていた。
そんな具合に数日を過ごす。
アイリスとの会話の中で、私は未だに彼女から聞き出せないでいたことがあった。
それは____
「ねえ、カネサダ……アイリスは、その……知っているのかな」
カネサダに尋ねる。彼は少しだけ間を空けて口を開いた。
『決闘での事をか?』
尋ね返す相棒に私は小さく頷く。
決闘の最中に私がアメリアにしでかした非道と復讐の誓い。アイリスが何処まで知っているのか、私は気になっていた。
カネサダならば____人の感情を読み取ることの出来る彼ならば、アイリスが何を知っていて、私をどう思っているのか把握している筈だ。
その筈なのだが____
『さあな』
素っ気ない返事がカネサダから返ってきて、私は目くじらを立てた。
「さあなって……こっちは真剣に……!」
『アイリスがあの決闘について何処まで知っているのか、俺にも分からん』
「いや、そんなことないでしょ……だって、カネサダ、人の感情が読み取れるって____あ、そうか……」
その時、はたと思い出す。
「鞘が直っているから、外部からの感情の流入が遮断されてるんだっけ」
『そう言う事だ。もし俺の人の感情を読み取る能力に頼りたいのなら、鞘から剣を抜いておくことだな』
「……そうだよね」
相棒の能力の特性を失念していた私。
カネサダの言葉通り、鞘から彼を抜いておけば、その能力でアイリスの感情を読み取ることが出来る。
しかし、次にアイリスに会った時、そしてまたその次に彼女に会った時も、私は彼の能力に頼ることは無かった。頼るのを忘れていたのではない。敢えて、頼らなかったのだ。
……何故か?
臆病な事に、私は真実を知るのを恐れていたのだ。アイリスが私の復讐心に気が付いているのか確かめるのが怖かった。
何気ない彼女との会話。その温かい空間を壊し得る何かを私は徹底的に排除したかった。平穏を壊し得る異物を持ち込みたくなかった。例えそれが、まやかしに溺れる事と同義だとしてもだ。
宙ぶらりんな日々を送る今日この頃。
夕食時の食堂で、私はラピスからとあるものを手渡された。
「ミシェル、そう言えば渡し忘れていたものがある」
「はあ……ん……何ですかこれ?」
私が彼女から受け取ったのは、純白の騎士の制服だった。上下一式、きめ細かく丁寧に作られており、かなり上等なものだと分かる。
何故この様なものを私に? と首を傾げると____
「明後日、王室茶会があるだろう」
「ええ」
「王宮に出向くのだ。身なりを整える必要がある」
成るほど。そのための制服か。肌触りの良い生地を優しく撫でる私。
王室茶会。リントブルミア王国中の貴族が集まるこの行事に、血や泥を被った普段の制服を着ていくわけにはいかないという事なのだろう。
「ああ、それと、その王室茶会なのだが……我がアメリア隊は宮殿内の会場の警備を担当することになった」
「へえ」
王室茶会は宮殿内の大広間と宮殿外部の大庭園が開放されて開催される。アメリア隊は室内の警備を任されたという事か。
「ただし、ミシェル、お前だけは裏庭の警備に回されることになる」
「え、裏庭? 私だけ?」
私は怪訝そうな視線をラピスに向けた。
王室茶会の会場とは真反対の場所に位置する裏庭。そのような日陰どころに私だけが警備に回されるとは。
「……私だけ、ですか」
不服そうに告げる。
断っておくが、裏庭の警備という仕事そのものが嫌だという訳ではない。私が眉をひそめたのは、その役回りの背後に潜む、私を貶めようとする何者かの思惑を感じずにはいられなかったからだ。
私の心情を察してか、ラピスが____
「お前を裏庭の警備に回したのは、この私だ」
「えっ?」
素っ頓狂な声を上げてしまう。
何故? どうして、ラピスが私を部隊の仲間外れにするような真似を?
首を傾げるより前に、ラピスが説明する。
「王室茶会にはリントブルミア王国中の貴族が集まる。……そこには無論……ドンカスター家当主の……」
「……!」
歯切れの悪くなるラピス。私は嫌な汗が全身から噴き出すのを感じた。
ドンカスター家当主。その言葉を聞いた途端、何者かに喉を締め上げられたかのような不気味な感覚に襲われる。
「……お義母様が」
私は荒くなる呼吸を整え、ラピスを凝視した。
「裏庭にいれば、彼女に会う事もないだろう」
「……ラピス副隊長」
私は水を飲み、ふうと息を吐いた。
汗を拭い、小さく一言。
「……ありがとうございます」
「……構わない、私も同じ気持ちだからな」
そう言って、ラピスは憂鬱そうに頬杖をついた。
「出来る事なら、私も裏庭の警備に回りたいものだ」
「……」
ラピスにもラピスの抱えるお家の問題があるのだろう。王室茶会でチャーストン家の人間と顔を合わせるのは出来る事なら避けたいようだ。
「……ふう」
それにしても、背後から氷水を浴びせられたような気分だ。ラピスの融通がなければ、あわや義母____いや、元義母のエリザ・ドンカスターと顔を合わせてしまう所だった。そのような事態は何が何でも回避したい。
「……」
そんな事を考えていると、今の自分が急に情けなく感じられた。
私は未だに義母を恐れ、彼女から目を背けて逃げ回っているのだ。以前までの私と変わらずに。
無意識の内に手が鞘へと伸びた。ふと、とある考えが浮かび上がる。
いっそのこと……やってしまおうか、彼女を。
____そうだ、やってしまえば良いのだ。
私はその時、一新紀元を画する大発明でも成し遂げたかの様な気分になり、明るく、それでいて邪な笑みを浮かべた。
今の私に義母を恐れる理由などないのだ。何故なら、彼女こそ、私の復讐すべき対象____獲物であるのだから。
王室茶会でドンカスター家当主が衆目の中、惨殺される。しかも、自身の元義娘に。我ながら劇的な場面だと思う。主を失ったドンカスター家は失墜し、騎士団内部でも大きな混乱が生じる筈だ。
「あの……ラピス副隊長、居るんですよね……お義母様が、会場に」
「……ミシェル?」
尋常ではない様子を感じ取ってか、ラピスは目を丸くして私の肩を掴んだ。
「何を考えている、ミシェル」
声を潜めて、責めるようにラピスは言い放つ。
私は肩をすくめて____
「さあ……何でしょうかね」
「……」
ラピスは腕を組んで、それから諭す様に切り出した。
「以前、お前に言った事を覚えているか?」
「以前?」
「お前が本気ならば……私はそれに、力を貸す」
「……」
私はすっと真顔になってラピスを見つめた。しかし、ただ見つめるだけで、言葉は一言も発していない。
「お前は一人じゃない。お前にはアイリスがいる。そして、私がいる。……全てを駄目にするような真似は控える事だ」
「……」
忠告するラピス。私は不貞腐れて彼女から目を逸らした。
その後、居心地の悪い沈黙が二人の間を支配する。私は逃げるように夕食を腹の中に掻き込み、食堂を後にした。
さて、自室へと帰ると、サラと嫌でも顔を合わせる。
入室の許可以外、彼女は私を徹底的に無視し、存在しない人物として扱っていた。
今日も今日とて、盗人のような仕草で私はベランダへと滑り込み、その途端、待っていましたとばかりに窓の鍵が掛けられ、カーテンがぴしゃりと閉められる。
毛布とカネサダを抱きながら、固い地面に横になる私。
「カネサダ、私……どうすれば良いんだろう?」
『どうした、ミカ?』
夜空を見上げ、重い口調で口を開く。
「復讐の誓いをしたあの日から……私なりに考えていた……自分の復讐の事……でも」
溜息一つ____
「何だろう……何もかも、あんまり上手く纏まっていない。復讐を成すべき相手、手段……ただ燃えるような復讐心だけが私の中にあって……でも、それすらも宙ぶらりんで……」
ぽつぽつと告げる私の言葉をカネサダは黙って聞いていた。
「ホークウッドなら……ホークウッドが私ならどうしてるの、カネサダ?」
英雄の名前に、カネサダが反応する。
『その答えに意味はない』
「え?」
突き放すような回答に私は困惑する。
『お前と奴はよく似ている。だが、お前たちは目指すものが違う』
「目指すもの?」
『辿り着く場所さ。お前は復讐の果てに何を望む?』
唐突な問答。私は言葉に窮した。
『奴の復讐の行き着く場所は、略奪だった。金、地位、権力、そして命すらも根こそぎ奪い取ること。それが奴の目指した復讐』
再度、問いかけるカネサダ。
『お前は復讐の果てに何を望む?』
「……何って」
『俺は今まで、多くの復讐者達の手に渡って来た。ある者は復讐の果てに栄光を望んだ。しかも、一切の血に塗れていない栄光だ。奴は復讐の最中、一つとして他者の命を奪わなかった。またある者は復讐の果てに破滅を望んだ。奴は殺して殺して、兎に角、殺戮の限りを尽くして、自らも命を落とした。その絶命は無念の死ではなく、満足の最期だった』
熱く語るカネサダ。復讐者との出会い、そしてその結末。全てが彼の大切な宝物なのだろう。例え、それがどのようなものであろうと。
『王室茶会、お前の糞ったれババアが来るらしいな』
「く、糞ったれ……?」
『殺すか?』
刺すようなカネサダの言葉に、どきりとする私。
『お前のババアを殺し、ついでに他の糞ッたれ共も殺し……命果てるまで暴れ回る……俺は、それでも良いかもな……お前がそれを望むのならな』
「私が……望むのなら……」
思わず黙り込んでしまった。
カネサダの言葉で思い知らされる。私は、未だに私が本当に望んでいることを分かっていないのだ。
復讐の果てに____私は何を描く?
復讐を誓ったあの時、私はその成就に自身の破滅すらも覚悟した。しかし、それは本意であったのか? 本当に、そうなっても良いと思っているのか?
『俺はお前の剣だ。だから、お前の望む結末、描く未来のためにこの刃を貸す。ただそれだけだ』
____望む結末と描く未来。
私は固く目を瞑る。
血みどろの復讐を思い描き、暗い未来を当然のものとして覚悟していた。だからこそ、アイリスを私の運命から遠ざけようと考えていた。
でも、もし、その必要がないのだとしたら?
復讐の果てに、友達と明るく笑い合える未来があるのだとしたら?
そんな陽だまりを、私は望んで良いのだろうか? 望むことが出来るのだろうか?
私にそこまでの力があるのか?
所謂、大団円____文句なしのハッピーエンド____運命をその光明へと導く力が、私にはあるのか?
悩んで、悩んで、悩み抜いた上に答えは出なくて____時計の針はどんどんと進み、太陽と月が宙を駆けて、いつの間にか、私は王室茶会の警備任務のため、馬車で宮殿に向かっている最中だった。
「ミシェル」
「何ですか、副隊長?」
同乗のラピスが私を小突く。彼女は何かを躊躇う様に視線を彷徨わせた後____
「制服、よく似合っているぞ」
「は、はあ……ありがとうございます」
「お前は顔立ちに品があるからな」
私は今、新調された純白の騎士服に身を包んでいる。王宮に出向くためにわざわざ用意された逸品だ。
……しかし、何だ、突然?
改まって告げるラピスに首を傾げる。
いや、褒められるのは素直に嬉しいのだけれど。
「今日は髪を結んでいるのだな。いつもより凛々しく見えて、私は好きだぞ」
「ど、どうも」
ちなみに、後ろ髪は一つに結んである。長い髪をバサバサ揺らすのはみっともないと私が思ったからだ。
「その鞘、漆を塗り直したのか?」
「ええ、だいぶ前に」
「そうか」
「……」
「今日は晴れて良かったな」
「……はい」
終いには天気の話を持ち出す副隊長。
ああ、もう……何だ、この人……。
何か言いたいことがあるのだろう。先程から、ラピスはしきりに私に視線を送り、何か言いたそうに口を開いては、取り留めもないことを言葉にしていた。
しかし、ようやく____
「ミシェル」
彼女は咳払いをして、居直って私と真正面から向き合う。
「……変な気は起こすなよ」
馬車の中には他の騎士達もいる。ラピスは彼女達には聞こえない小さな声でそっと私に耳打ちした。
一瞬、ポカンと口を開け、何の事だと首を傾げたが、先日の彼女との遣り取りを思い出し、私は「ああ」と呟く。
ラピスは心配しているのだ。王室茶会で、私がしでかさないか。
さすがは番犬。抜かりなく目を光らせている。
私は声を潜めて____
「私が本気なら……力……貸して下さるんですよね?」
「……ミシェル?」
不安の影がラピスの顔に差す。私はさり気なく彼女の手を握った。
「信じてますから」
「……なっ……言っておくが……!」
「____だから、今は何もしません」
「え?」
意表を突かれたのか、ラピスは目を丸くする。
「貴方が力を貸して下さるのなら……その時まで、私は待っても良いのかなって……」
安心させるように、私は努めて穏やかな笑みを浮かべた。恐らく、悪戯っぽくもある笑みだったと思う。
空白の時間が生まれ____
「……お前という奴は」
ラピスは溜息を吐いて、安堵したように肩の力を抜いて項垂れた。
「心臓に悪い」
「すみません」
ラピスに見上げるように睨まれ、私は苦笑を浮かべた。
「……今は、まだ……」
馬車の行く先を見遣る____
私は考えなければならない。
私の思い描く____本当に望む未来____復讐を。
だから、今は何もしない。
考え抜いた果てに____
血みどろの運命を望むのかもしれない。
破滅の結末を望むのかもしれない。
無残な殺戮を望むのかもしれない。
罪の道を望むのかもしれない。
結論はどうあれ、今は考えよう。
今の私には多くの“選択”が与えられている。
いや、多くの“選択”に気が付いている。
やがて、馬車は宮殿に到着し、私は白いマントをはためかせて、地面に降り立った。