第七話「固有魔法」
気分の悪い朝だった。
しかし、それも無理からぬこと。
毛布もなしに地面に横になっていた事が原因ではない。昨日のサラとの遣り取り____彼女を傷付けてしまったことへの罪悪感が、一晩明けた今でも私の胸をきつく締め付けていた。
荒々しく窓が叩かれる音を聞く。
入室の許可を合図する毎朝のノックであったが、今朝のそれは彼女の心境を投影するかのように荒んだものであった。
昨日に引き続き、本日も私は非番。なので、絶対にサラと食堂で顔を合わせないように、極力ギリギリまで私はベランダで時間をやり過ごした。
「今日はやけに遅いな、ミシェル」
「ええ、色々ありまして」
食堂では既に朝食を済ませたラピスがお茶を啜りながら私の事を待ってくれていた。
アメリア隊長が不在の今、部隊を率いているのは副隊長であるラピスだった。朝のミーティングの準備があるだろうに、彼女はそれでも私の朝食に付き合ってくれている。
ありがた迷惑と言う奴だ。そうまでして、私の事を監視したいのだろうか。
私が朝食のパンを齧っていると、所在なさげなラピスが世間話を始める。
「そう言えば、一週間後、王室茶会があるだろう」
「はい」
食べ物を咀嚼している最中なので、短い返事しか返せない私。
王室茶会。それは年に一度開催される国の行事で、リントブルミア王国中のお偉様方が王宮に集い、親睦を深め合うというパーティーだ。
我らがアメリア隊は、今年度の王室茶会の警備任務を仰せつかっており、私も部隊の一員として王族や貴族を守護する使命を帯びることになっていた。
「王室茶会なのだが、実は今年、エリザベス王女殿下がその集いにお姿を現されるそうなのだ」
「エリザベス様が?」
リントブルミア王国第一王女、エリザベス・リントブルム。恐らくだが、彼女は国で一番の有名人であった。
御年十四歳。飛び級を繰り返し、十歳という若さで以て国で一番の大学を卒業。その後は政界入りし、国の運営に携わることに。
ここまでなら、天才王女と言う名誉ある肩書の、尊敬されるべき稀代の王族という扱いで終わっていたのだが、その後の彼女の活動が“エリザベス”の名を不名誉で悪名高きものにしてしまう。
____騎士団を壊す者。
リントブルミア王国の民は彼女をそう呼称した。
エリザベスは“騎士嫌いの姫”でその名が通っており、騎士団の関係者や信奉者のほぼ全てが君主の娘であるはずの彼女を忌み嫌っていた。
いや、それどころか国内世論、そして他国の者たちでさえ、彼女に否定的な感情を抱いている。
それも当然の事。騎士や騎士団の存在を拒絶する行為は、“ロスバーン条約”が成り立たせる現在のサン=ドラコ大陸の秩序に疑問を投げかける行為と同一視され、人類の築き上げた平和と知性を蔑ろにするものとされていたからだ。
王国会議において、エリザベスは常に騎士団を槍玉にあげ、彼らに不利な法案を次々と提出、可決していった。
取り分け、世間を騒がせたのが文民統制の提唱だった。これは国内どころか、他国にまでその発言の内容が広まり、あわや外交問題にまで事態が発展したほどだ。騎士でない者に騎士団の最高指揮権を持たせる王女の構想は、直接的、そうでなくとも間接的に男性に軍事力を持たせ得る邪悪なものであったからだ。
飛び級で国内一の大学を卒業した天才王女は今や、平和、秩序、知性、道徳、倫理、ありとあらゆる善なる概念に反する不徳の姫君として皆に知られていた。
そんな世間騒がせなお姫様が、今年度の王室茶会に出席する。長らく学業や政治活動を優先し、社交を蔑ろにしてきた彼女が、公の場に姿を現す。
私が新聞記者であったならば、これを紙面で取り上げ、一大スクープとしている筈だ。
というか、後で知った話なのだが、実際にどの新聞社も王女の王室茶会出席の話題を盛大に取り扱っているらしかった。新聞はあまり読まない方なので、気が付かなかったが。
「エリザベス様が王室茶会に出席するとなると……それを護衛する騎士達は複雑な心境でしょうね」
「確かにな。姫君が騎士達をお嫌いになるのと同じくらい、騎士達も殿下のことを嫌っている」
冷静に述べるラピス。
騎士でありながら騎士団を憎むラピスにとって、エリザベス王女は嫌悪の対象ではなく、それどころか同じ想いを抱く仲間になるのだろうか。
そんなことを考えていると____
「そう言えば、殿下は一時期、タルボット家……アメリア隊長の家にお世話になっていたらしいな」
「え、そうなんですか?」
「ああ、アメリア隊長と殿下は幼馴染みなのだ。今でもたまに交流があるとか」
「……へえ……仲が良いんですね」
騎士団を体現したような存在のアメリアと“騎士嫌いの姫”であるエリザベス王女。水と油のような関係の二人が、古い馴染みだったとは。運命の悪戯か。
「話は変わりますけど、アメリア隊長の容態は今どのような具合ですか?」
アメリアの事が話題に上がったので、ふとその現状を窺ってみる。副隊長のラピスならば彼女の状態を詳しく把握している筈だ。
「アメリア隊長か。隊長は既に意識を回復された」
「え? じゃあ、明日か明後日には部隊に復帰ですか?」
人工魔導核を扱うことが出来る魔導騎士は、意識さえ回復していれば、魔導の力を借りてその身体を迅速に修復することが出来る。決闘の最中、私は徹底的にアメリアの身体を破壊してやったが、あのレベルの大怪我も一日か二日あれば完全に回復させることが可能だ。
「いや、復帰にはもうしばらく時間が掛かる」
私の言葉をラピスは否定する。
首を傾げると____
「隊長は精神的にやられてしまっている。そのため人工魔導核が思う様に扱えず、身体修復がままならない状態なのだ」
「へえ」
人工魔導核が扱えないのであれば、あの大怪我を治すには相当な時間が掛かることだろう。いや、そもそも魔導の力を借りなければ、あの状態から十全に身体の機能を取り戻すのは不可能に思えた。
「……」
「……ミシェル?」
「いい気味ですよ」
頬杖をつき、私は畜生なことを言ってみる。
「……ミシェル」
ラピスがじっと私を見つめていた。何か言いたげに口が開いたり閉じたりを繰り返していたが、結局私の名前を呟く以外、彼女は何も言葉にしなかった。
「ラピス副隊長、もう出掛けた方がよろしいのでは? 朝のミーティングに遅れますよ」
やや気不味い空気の中、私はラピスを追い払おうと口を開く。
彼女は頷き、立ち上がると食堂から姿を消した。
しばらくして朝食を食べ終えた私も、食堂、そして兵舎の外へと繰り出していく。
今日と言う休日も街で適当に時間を潰すつもりだ。
首都エストフルトの街を散策していると、私はふと思い出したように____
「そう言えばさ、カネサダ」
『ん、何だ?』
「私、カネサダに聞きそびれていたことが色々あったよね」
適当な広場のベンチに腰かけ、私は腰元からカネサダを取り外して太腿に据えた。
「ほら、身体を乗っ取る能力の発動条件とか……あと、人間の身体に宿る人工ではない魔導核の話とか」
人目を気にしつつ私はカネサダに尋ねる。
彼は思いだしたように____
『ああ、そう言えば色々と話してなかったな。じゃあまず、身体を乗っ取る能力の発動条件だが____』
さっそく説明を始めるカネサダ。
『能力の発動条件は単純。この刃で傷付けられた者の身体を乗っ取ることが出来るんだ』
「刃で傷付けられた者の? ……いや、だって……私……」
兵舎の廊下でゴールドスタイン姉妹に絡まれた折、私はカネサダに身体を乗っ取られた。
当時の状況を振り返ってみるが、カネサダの刃に傷付けられた覚えなど私にはない。
『いや、お前、頬を刃が掠っただろ?』
「……? あ、ああ!」
思い出した。私は確かにあの時、カネサダの刃に傷付けられていた。
私からカネサダを奪い取ったミミ。柄からの電流を喰らい、彼女は手元のカネサダを私へと放り投げた。その時に私の頬をカネサダの刃が掠ったのだが……。
「え、あの程度の傷で身体を乗っ取れるの?」
『あの程度の傷だったから、あの程度しか身体を乗っ取れなかったんだ』
成るほど。兎に角、能力の発動条件については把握した。これで不本意に身体を乗っ取られる事態は避けられる。一安心だ。
咳払いをするカネサダ。
しばし、間があり____
『んで、話は変わるが……お前のその魔導核……まだまだのびしろがある訳なんだが』
「のびしろ? もっと強くなれるってこと?」
『ああ、筋肉と同じで鍛えることが出来る。今でも十分強いが……ホークウッドに比べれば、まだまだお前は弱い訳で』
「む」
弱いと言われ、少しだけムッとする私。いや、ホークウッドに比べればと言うことは承知しているのだが。
「ホークウッドってどのくらい強かったの?」
ふと、気になって尋ねてみる。
『ホークウッドの強さか? 奴はたった一人で数百の兵士を相手取れる強さを持っていたぜ』
「……数百」
一個人の力が軍隊の武力に匹敵していたという事か。
『まあ、何たって時間を操る“固有魔法”を持っていたからな』
「“固有魔法”? という事は、ホークウッドも覚醒した魔導核をその身体に宿していたの?」
『ああ、言ってなかったっけ?』
“固有魔法”は覚醒した魔導核の持ち主だけが有する超常の力。私の場合、身体の異常な再生能力がそれに該当し、カネサダはこの力を“超再生”と呼んだ。
『兎に角、お前はまだまだ強くなれる。だから、時間があるときに鍛えておいた方がいいぜ』
カネサダの忠告に肩をすくめる私。
「鍛えるって……魔導核なんて、どうやって鍛えるの?」
『それも筋肉と同じだ。使えば使う分だけ強くなる』
「使えば使う分だけ……」
私は胸に手を当て、そっと目を瞑る。
意識を集中すると、ほんのわずかだが、何か不可思議な力の源泉が身体の一部として規則的な運動を繰り返しているのを感じだ。
その時初めて実感する。これが私の魔導核なのだと。
『魔導核の鍛錬には“固有魔法”の行使が最適だ。お前の“固有魔法”は“超再生”。……よし、いっちょ使ってみるか!』
「いや、使えって言われても……」
身体の修復を行う私の“固有魔法”。怪我でもしていなければ、使用する機会などない。
『あれだ、適当に骨の一つでも折って……』
「えぇ……痛いのは嫌だよ」
軽々しく言うカネサダに私は非難の目を向ける。
魔導核を鍛えるために怪我をしなければいけないとは、私の“固有魔法”は随分と難儀な能力のようだ。
『強くなるためだ。多少の痛みぐらい我慢しろよ』
「うーん」
困ったように唸る私。しばらく腕を組んで、逡巡していたが____はたと気が付く。
「そうだ!」
『どうした、ミカ?』
カネサダを無視して私は懐に忍ばせていたナイフを取り出す。
「カネサダ、どうして私が髪を切らないのか知ってる?」
自身の銀髪を弄り、私はカネサダに尋ねる。彼が答えるのを待たずして、私はナイフをうなじへと忍ばせると、後ろ髪を一息で切った。
『なッ』
と、カネサダが大胆な断髪に声を漏らすと、私はその反応が楽しく悪戯な笑みを浮かべた。私の手元には長い銀の髪束が握られている。
『お、お前……髪を……』
「まあ、見ててよ」
狼狽えるカネサダに得意げな笑みを向けたまま、私は胸元、その奥にある自分自身の魔導核に意識を集中させる。
力を引き出す。
____“固有魔法・超再生”。
念じた次の瞬間、後ろ髪がなくなり風通しが良くなっていた首筋に僅かな違和感を覚える。
私が頭を軽く振ると、無くなった筈の銀の後ろ髪が日の光を反射して静かに揺れた。私の髪は元通りに戻っていたのだ。
「私が髪を切らない理由……それは、例え断髪しても一晩で髪の長さが元に戻るから。切っても無駄だから、私はずっと髪を伸ばしたままだったの」
私の手元には相変わらず切り離された銀の長い髪があった。
言葉にした通りだ。幼少期に得た身体の異常な修復作用は、私の頭髪にまで及んでいた。これも魔導核の力の賜物であるのならば、断髪し、髪の長さを元通りに再生することで魔導核の鍛錬とすることが出来る筈だ。
『びっくりさせんなよ』
「ごめんごめん」
カネサダは若干声を荒げて拗ねたように言い放った。
『髪の再生か。まあ……これで気軽に魔導核の鍛錬が行えるって訳か』
「うん、これで骨を折らずに済むって話」
『よし、今の感覚を忘れない内に、もう一度“固有魔法”を使ってみろ。繰り返し力を行使することで、能力がその身に強く染み付くはずだ』
私は頷き、再度後ろ髪をナイフで切った。
そして、胸に手を当て、魔導核から“固有魔法”の力を引き出す。
すぐさま後ろ髪が元通りになり、私は満足げに自身の銀髪を指で弄った。
『お、イケるじゃねえか! その調子だ!』
その後、何度も“固有魔法”の使用を試してみる。
魔導核から能力を引き出す度に、私はその魔導の力が徐々に自身の身体に定着していく感覚を覚える。
何度も何度も____私は髪を切っては、その再生を行った。
私の休日は鍛錬の内に終わりを迎える。
その日の夕食時、飽きもせず私の隣に腰かけるラピスが奇妙な事を言い出した。
「ミシェル、お前は幽霊を信じるか?」
「え? 幽霊?」
真剣な口調で切り出したラピスに私は眉根を寄せる。
「……まあ、半信半疑……と言った具合ですかね」
「ふむ」
ラピスは腕を組み____
「実はな……エストフルトの市街地で、昼間幽霊が現れたそうなのだ」
「え、昼間に幽霊?」
幽霊と言えば、夜中に出るものと思っていたが。と言うか、幽霊が出たって。
私は半笑いで、馬鹿馬鹿しく鼻を鳴らした。
「それ本当ですか?」
「ああ、どうにもそうらしい。住民の多くがその幽霊を目撃したとか」
「……え……まさか、本当に?」
表情から察するに、どうやらラピスもその幽霊の存在を認めているらしかった。
私は声を潜めて、副隊長に詰め寄る。
「……幽霊って……どんな幽霊なんですか?」
ラピスは口元に手を添え、こっそり打ち明けるような調子で私に耳打ちした。
「少女の幽霊らしい」
「少女の、ですか」
まあ、ありがちと言えばありがちな話だ。
「しかも、絶世の美少女だとか」
「へえ」
「長い銀色の髪を持ち、小さな広場のベンチに一人腰かけていたそうだ」
「ん?」
「手元には恐ろしいナイフ。それで自身の後ろ髪を切っては投げ捨て……すぐさま生え変わる後ろ髪を切っては投げ捨て……それをただ繰り返す。人間に危害は加えないが、とにかく、不気味な幽霊だったらしい」
「……へ、へえ」
生え変わる後ろ髪をナイフで切り続ける少女の幽霊か。ちなみに、銀色の髪を持つ美少女らしい。
「取り敢えず、巡回任務のついでに調査だけでもしておこうと思う」
害がないのであれば、放っておいても大丈夫なのでは?
____ぜひ静かにしておいて貰いたい。