第六話「涙とビンタ」
フィッツロイ家の別宅を出た私とエリーはしばらく街中をぶらぶらと散策した後、名残惜しく別れることになった。
去り際、エリーは寂しそうな口調で告げる。
「ミシェル様、大変残念な事なのですが……実は、しばらくミシェル様とはお会いできないのです」
「え……そうなんだ」
「ええ、これから色々と忙しくなるもので」
彼女にも彼女の都合があるのだろう。寂しくなるだろうが、仕方のない事だ。
「ねえ、エリーって何処に住んでいるの?」
「え?」
「手紙書きたいなって思うんだけど……直接会うのは無理にしても」
私が尋ねると、エリーは困ったような表情を浮かべ、目を泳がせた。
彼女は何か考えるような仕草をした後____
「……えーと……私、住所不定なものでして……」
「……住所不定?」
「はい、ですから……お手紙の遣り取りも……」
「……」
うーむ……やっぱり、何か怪しいな、この娘……。
「またお会いできるようになったら」
エリーは慌てた様子で、私の手を掴む。
「その……こちらからミシェル様の元に伺ってもよろしいでしょうか?」
「私の元に?」
「はい……確か、ミシェル様はエストフルト第一兵舎の方にいらっしゃるのですよね」
頷くと、やや強引にエリーが身を寄せる。
「必ず、伺いますので! よろしいですね?」
「……うん」
こちらが了承するより先に、まるでそれが決定事項であるかのように訪問の確約をするエリー。
それから、彼女に押し切られる形で私達は離別することになった。
貴族の知り合いと言い、住所不定と言い、彼女に対し不審に思う点はいくつかあったが、会話のペースを握られ、私はその素性に対し一片の問い掛けも許されなかった。
「カネサダ、エリーって一体何者なんだろうね? ……カネサダは何か分かる?」
人の感情を読み取ることが出来るカネサダならば、エリーの正体についても何かしら掴んでいる筈だ。
そう思い尋ねたのだが____
「……カネサダ?」
返事がない。一体どうしたと言うのだろう。
「ねえ、カネサダ!」
『……んあ!? あ、すまん……寝てたわ』
驚いて素っ頓狂な声を上げるカネサダ。
……寝てたって。
あ、と言うか、やっぱり刀でも睡眠は取るんだね。
『鞘が直ったおかげで、外部からの感情の流入が遮断されてな。ここんところ、ずっとお前の近くにいてその感情の波にさらされていたから、久しぶりの静けさについうとうとしちまった』
欠伸をかましそうな口調でカネサダは告げた。
『……んで、何だっけか』
「エリーの事、カネサダなら何か分かってるのかなって……そう尋ねたんだけど」
再度尋ねる私に、カネサダは逆に問い返す。
『それは、どうしても知りたい事か?』
「え?」
『お前にとって、あのエリーとかいう娘は、ただ気軽に話し合うだけの……それだからこそ尊い親友なんだろ? 無駄に詮索する必要なんてないんじゃねえのか?』
カネサダの話し振りからして、彼はエリーに関する何か核心的な情報を掴んでいると見て良い。そうでなければ、こうも真剣な問答を投げかけることは無い。
「まあ、私としても……深く詮索したい訳じゃないけど……でも、やっぱり気になるよ」
『確かにな。お前の気持ちも分かるぜ』
それからカネサダは____
『一つ、確信して言えることがある』
「……?」
『アイツは、お前に害をなす存在じゃないってことだ。そこだけは安心して良い』
それを聞けて安堵した。カネサダが絶対の自信をもって断言するのだから、間違いない筈だ。
『気楽に話し合えるからこその親友だろ。下手に色々と知らない方が良いって場合もあるんだぜ』
「……うーん」
カネサダの言葉から推察するに、エリーに関して、私はその深くを知らない方が幸せなのだろう。ならば、やはりこれ以上の詮索は控えた方が良いのかもしれない。
「でも、そう言われると……逆に気になるんだけど」
『ま、それが人の心ってやつだわな』
カラカラと笑うカネサダ。
兎に角、最も重要な事は、エリーが私の親友で、彼女との何でもない時間がとても幸福だという事実だ。それ以外の種々の懸案は、懸案とも呼べない些事に過ぎない。
エリーとの幸せな時間を少しでも延長出来ると言うのならば、少しぐらいのモヤモヤには目を瞑るべきだ。
それから私は夜のとばりが降りるまで街中を歩いていた。
少しだけ兵舎への帰りが遅くなり、時間ギリギリで夕食を済ませ、大浴場で身体を清める。
部屋に戻るとサラがいつものムスッとした表情を浮かべていた。
「おかえり、ミシェル君」
「……ただいま」
挨拶してくれるのは嬉しいのだが、何もそんなに怒ったような顔をしなくても良いのに。もしかして、それが地顔なのだろうか。
「……何?」
私がサラの顔をじっと見つめていた所為だろうか、彼女は相も変わらず不機嫌そうに目を細めて尋ねてきた。
「ねえ、サラ……今日もここで寝て良いかな?」
「……は?」
「昨日ので分かったでしょ? 一緒に寝ても、別に問題はないって」
ふと、そんなことを口にしてみる。
ここ数日で私とサラの関係は徐々に改善されつつあるように思えた。もしかしたら、室内での就寝を彼女はもう一度許可してくれるかもしれない。そんな期待を抱く。
「え、駄目に決まってるでしょ……昨日のは特別よ」
やっぱ、駄目みたい。
だ、だよねえ……でも、この際だからとことん粘ってやろう。
私はすたすたと室内を歩き回ると、いつも使用している毛布を引っ掴み、それを頭から被る。
そして、部屋の真ん中にどかっと座り込んだ私は____
「ここから動かないから」
毛布で防御を固めた私に、サラは呆気にとられた様子だった。
「……え、馬鹿なの?」
罵倒するよりもむしろ心配するように言い放つサラ。
彼女の言う通り、我ながら滑稽な姿だと思う。
「今日はここで寝る。ここから動かない」
「……えぇ……アンタ……」
断固たる決意を毛布と言う殻に滲ませ、毅然と告げる私。
「……」
……何をやっているのだろうか、私は。
次第に冷静になり、自分が恥ずかしくなっていく。サラもドン引きしていた。
「……はあ」
サラは額を手で押さえ、大きな溜息を吐いた。
そして____
「いいから、外に出なさいよッ!」
怒号を放ち、毛布を纏って床に丸まる私の肩を掴んだサラは、まるで大きな蕪でも引っこ抜くように、私の身体をベランダへと放り投げようとした。
「ちょっと、サラ! ……ぐぬぬぬ」
私は意地になってサラに対抗した。
力が拮抗し合う私達。
両者一歩も退かぬ様相を呈していた。
「も、もおぉおおおおおお! 何なのよぉおおお、アンタはぁああああ!」
若干涙目になりながら、サラは叫び、私の頭をはたいた。
「……はあ……はあ……」
呼吸を整えつつ額の汗を拭い、サラは呆れた様子で私を見つめる。
そして、自棄になったようにぶっきら棒に言い放った。
「……もう好きにすれば!」
その言葉に、私はぱあっと表情を輝かせた。
「良いの?」
「“良い”なんて言ってないでしょ! 好きにすればって言ったの!」
つまり、“良い”ってことだよね?
泥臭いやり方だったが、どうにか室内での就寝の許可を貰えたようだ。
サラはそれから、乱暴に傍らの蝋燭消しを引っ掴み、部屋の明かりとなっている三本の蝋燭の内の二本の灯火を消した。
「ふんッ」
一本の蝋燭の明かりだけを残し、サラは不貞腐れたようにベッドに飛び込んで毛布を被る。
私も彼女に倣い、身体を改めて床に横たえ、睡眠の姿勢を取る。
昨夜と同じ____サラはベッドで、私は床で、同じ天井の下で寝ることになった。
静寂が訪れる。
しばらく毛布に頭を埋めていた私だが、寝返りを打った際に、きらりと眩しい光____蝋燭の光が瞼を透過してその奥の瞳を刺激した。反射的に眉がぴくりと動く。
……眩しくて、寝辛い。
どうして、サラは蝋燭の明かりを全て消さないのだろうか? 暗すぎると逆に眠れない人がいると聞いたことがあるが、彼女がそれなのだろうか。
と、そこでカネサダの話を思い出す。
彼曰く、救貧院時代、サラは煙突掃除の労働を課され、その最中に煙突内の暗闇で窒息しかけたことがあるらしい。以来、彼女は暗所恐怖症と閉所恐怖症を患うようになったとか。
つまり、サラが蝋燭の灯火を残して寝るのは、日の光のない室内の暗闇を恐れてのことなのだろう。
部屋に残る灯火の明かりに隠されたサラの事情に気が付き、私は一層彼女への憐みを強めた。
そんなことを考えていたためか、急にサラの様子が気になりだした私は、あまり音を立てないように静かに首を動かし、彼女の寝姿を確認することに。
「「……!」」
____首を回した先で、サラと目が合った。私達は互いに目を丸くし、それぞれの毛布の中で静かに肩を揺らした。
「「……」」
それから、私達は蝋燭の灯火が照らす室内で意味のないにらめっこを続ける。まるで金縛りにあったかのように、私は彼女の瞳から自身のそれを逸らせないでいた。
……気不味い。
お互い、完全に目を逸らすタイミングを逃した。
「……な、何よ」
ややあって、ようやくサラが口を開く。声が若干震えていた。
私は毛布で口元を隠しつつ____
「そ、そっちこそ何? 私は貴方の視線を感じて……それで……」
私がサラの様子を確かめようとした時、彼女は既にこちらを見つめていた。それで、視線を感じたなどと嘘を吐いた訳だが……。
「……別に……ただ見張ってただけよ……変な事しないかって」
「……う、うん」
____小さく頷く。
「「……」」
そこで話を切り上げれば良かったのだが、またしても目を逸らすタイミングを逃した私達は、意味のないにらめっこを続行することに。
うーん……何か、間が悪いなあ。
「サラはさ……私の事、どう思ってるの?」
にらめっこに疲れ果てた末、私はそんな質問をぶつけてみる。
気不味いこの状況を打ち破るために咄嗟に口に出した言葉だったが、サラが私の事をどう思っているか、それはずっと前から確かめたい事柄だった。
「どう思ってるのかって?」
「うん、好きなのか、嫌いなのか……とか」
好きか、嫌いか。まあ、その二択であれば、サラが肯定的な答えを口にすることは、まずないように思えるが。
サラは睨むように目を細めた後____
「アンタの事、ずっと嫌いだった」
う、うん、予想通りの答えだ。
「……酷いなあ、サラ」
「だって、アンタ……なよなよしてて気持ち悪かったんだもん。いつもマリアや双子の姉妹に情けなくイジメられててさ……見ていて不快だったわ」
サラは吐き捨てるように言い放った。その言葉の節々に私への嫌悪が現れている。
これは手厳しい。
私は思わず毛布の中で唸り声を上げていた。
「……でも……最近は……最近の、アンタは……」
「……サラ?」
急に語気を弱めるサラ。その声が徐々にしぼんでいく。彼女も私と同じように、毛布の中に口元を埋めた。
……一体、どうしたのか?
私は怪訝な視線をサラに向ける。
「……あ、いや……何でもない!」
かと思いきや、再び口調をきつくして____
「____というかアンタ、まず見た目からして気持ち悪いのよ!」
「え?」
ムキになって言い放つサラに私は目を丸くした。
「男のくせに女の子みたいな姿してさ……自分でも気持ち悪いとか思わないの?」
____その瞬間、私は毛布をはねのけ、猛然と立ち上がった。
「……」
「……何よ?」
私は無言でサラを睨みつけていた。奥歯をがちがちと打ち鳴らし、今にも彼女に掴み掛かりそうな様子で、姿勢を低くして構える。
蝋燭の儚い灯火が、身を屈める私の不吉な影を室内の壁へと投じていた。
「……サラ、さっきの言葉……撤回して……」
努めて冷静に私は言い放つ。が、抑えきれない怒りが、それでも声を震わせた。
対するサラは「ふん」と鼻を鳴らす。
「何? 怒ったの? アンタが聞いて来たんでしょ、私がアンタをどう____」
「私だって、好き好んでこんな風になった訳じゃない!」
歯を剥き出し吠える私に、サラが息をのんだ。
露わになった私の激しい怒りに、さしものサラも怯んだ様子を見せたが、やはり彼女にも彼女の意地があるのか、上体をベッドから起こすと、強気な口調で告げる。
「好き好んでとか、そんなの知らないわよ。気持ち悪いものは気持ち悪いんだから。それだけよ」
「……ッ」
遠慮のない物言い。サラの言葉が刃の様に私の心を切り刻み、暗い激情に火を付ける。
脳内で火花が散った気がした。
無意識の内に手を伸ばす____
私の右手が掴んだのは、蝋燭立て。室内をたった一つの灯火で照らす蝋燭の台座だった。
「……ねえ、サラ」
私に怪訝な視線を向ける少女に、手元の蝋燭を見せびらかした。
「蝋燭の火、消して良い? 明るくて眠れないんだけど」
打って変わって穏やかな口調で尋ねる私。しかし、私の言葉にサラは顔を青くさせた。
「は、はあ? だ、駄目に決まってるでしょ」
私が蝋燭を揺らすと、その度にサラの目は泳ぐ。声の震えが、彼女の怯えをこちらに伝えていた。
「どうして? サラも明るいとよく眠れないでしょ」
「私はいつもそれで寝ているのッ」
サラは早口で告げた。
私はからかう様に蝋燭の火を消す仕草をして見せる。
「暗いのが怖いの? サラ、子供みたいだね」
挑発すると、サラは毛布をはねのけ、私に掴み掛かろうとベッドから飛び起きた。
迫るサラの身体をひらりと躱す。
「くっ……べ、別に怖くなんかないわよ!」
怒鳴るサラと真正面から対峙する形となる。私達は睡眠を中断し、喧嘩をおっぱじめることになってしまった。
「えー、ウソだ。本当は暗いのが怖いんでしょ?」
「……ア、アンタ」
蝋燭を奪おうと目を光らせるサラに警戒しつつ、私は彼女の精神を逆撫でする様に蝋燭立てを弄んだ。
サラは苛々とした様子で地団太を踏む。
「良いから、それ……返しなさいよ!」
手元の蝋燭にサラが飛びつく____が、軽いフットワークでその突撃を何度も回避し、彼女をおちょくる私。
俄かに騒々しくなる室内。埃が舞い上がり、床板がぎいぎいと音も立てる。
「いい加減にしなさいよ!」
「……やっぱりさ」
憤激するサラに、私は____
「暗いと、思い出しちゃう? 煙突掃除のこと」
そんな一言を言い放ってしまう。
その瞬間、サラの顔から表情が消えた。
「……」
「……サラ?」
まるで時間が止まってしまったかのように、サラはぴくりとも動かなくなってしまった。
静寂が室内を支配し、虚無の如き時間がしばらく続く。
「……何で」
ようやく口を開いたサラの口から弱々しい声が漏れ出る。
「何で、アンタが……それを知ってるの?」
「……」
サラの目は据わっていた。瞳の奥には光がなく、室内の薄暗さも相まってまるで幽霊に対峙しているような気分に私はなる。
「……ねえ、誰からその話を聞いたの?」
「……あ、え……えっと……」
サラの放つ氷の様に冷たい声音に、私は思わず後退りしてしまった。
見てくれを貶された怒りにより欠落していた冷静さを取り戻す。
彼女の死人の様に青ざめた表情を目にして、ようやく自分が何をしでかしていたのか実感した。
私は、彼女の抱える恐怖症とそれにまつわる辛い過去を馬鹿にして弄り回していたのだ。
それは愚かで、卑しく、如何なる理由があっても許されない行いであった。
「サ、サラ……あの……」
言い淀み、逃げるようにサラから視線を逸らしたその刹那____
「……ぐぅッ」
「……!? サ、サラ!?」
急に自身の喉元を押さえ、床にしゃがみ込むサラ。
私が蝋燭立てを机に置き、慌ててその身に駆け寄ると、彼女は苦しそうに短い呼吸を繰り返して、目をぎょっと見開いていた。
過呼吸だ。
滝のような汗がサラの額から溢れ出し、身体は火照っているのに、目元にはくまが浮かび上がり、顔色は信じられないくらい青白かった。
「あ……はあッ……はあッ……!」
サラは目をぎゅっと瞑り、発作を抑えるように背中を丸めて額を地面に擦り付けた。
私はというと、急変するルームメイトの様子に情けなく右往左往しているだけだった。
このまま呼吸困難で命を落としてしまうのではないかと思われたサラだが、その容態は徐々に落ち着いていき、やがて____
「……はあー」
長い溜息がサラの口から漏れる。それは過呼吸が治まったことを告げる安息の吐息であった。
額の汗を拭うサラの顔を覗き込む。
「……大丈夫、サラ?」
心配そうに声を掛けた次の瞬間____
「……ッ!」
乾いた音。
次いで、右頬に鋭い痛み。
「……」
私は呆然とサラを見つめていた。たった今、私にビンタを喰らわせた少女を。
「……最低」
呟くサラの目元には涙が浮かんでいた。
「……サ、サラ」
少女の名前を呼ぶ。その頬を伝う雫の中に映る蝋燭の明かりが、まるで懺悔を求めるように揺らいでいたため、私は赦しを乞うように震える手を彼女へと伸ばした。
赤く腫れた目元。熱病に冒された様に震える肩。しかし、乱れた前髪の隙間から覗く彼女の瞳には、そんな弱々しい外見とは対照的な強い意志の光が宿っていた。
「……最低ッ!」
サラの瞳の中で、強烈な憎悪の感情が燃え上がっていた。それは、嫌悪などと形容するのも生緩い、復讐者だけが持ち得る暗い意志の光であった。
未だかつて受けたことのない彼女からの強い敵意に、私はぶたれた右頬を押さえつつ、じりじりと背後に後退する。
サラは立ち上がり、涙を拭きもせずに私に詰め寄った。
「……ねえ、誰から聞いたの、煙突掃除の事。……誰も、知らない筈なのに」
再度の問い掛けに、私はごくりと唾を飲み込む。
「だ、誰からも聞いてないよ。……ただの、何てことのない、下らない推理……いや、憶測だから、これは」
私は咄嗟にそんな嘘を吐いた。
本当はカネサダから彼女の情報を得ていたのだが、色々と話が面倒な事になりそうなので黙っておく。
「ごめん、まさか本当に……」
「人の過去に土足で踏み入って……アンタ、最低よ」
限りない憎しみを込めて言い放つサラ。
私はあたふたと慌てふためき、その末に____
「……心的外傷後ストレス障害ってやつだよね……さっきの」
「____!?」
失言だった。サラは目を見開き、再度私にビンタを放った。
「……」
「……」
無言で見つめ合う私達。
……何だこれ、胸が苦しくて、痛い。
何者かに胃や喉を締め上げられる錯覚を覚え、吐き気で頭がくらくらとした。
びくびくと震えながらも、私は何か彼女にかける言葉を必死に探す。
「ごめん……で、でも……そっちだって……いや、そっちが先に」
謝罪の言葉を重ねるつもりだったのだが、情けないことに、私は自分を擁護するような事を言い出してしまう。
「……出ていけ」
「……サラ?」
「いいから、出ていけ! 今すぐ、出ていけ! アンタの顔なんて、もう見たくもない!」
その剣幕に押され、私はカネサダを引っ掴むと、逃げるようにベランダへとその身を投げ出した。
背後で窓が力強く閉められ、カーテンが憎々しげに引かれる音を耳にする。
……屋外へと放り出されてしまった。
しばらく、目の前の現実を受け入れられずに呆然と立ち尽くしていたが、我に返ったように私は深い溜息を吐いた。
『人のトラウマを抉るなんざ、お前も中々えげつないことするじゃねえか』
慌てて持ち出した手元のカネサダの言葉に、私は顔を引きつらせた。
「私は……サラに何てことを」
頭を抱えて地面に座り込む。
サラにも非はある。しかし、怒りに駆られていたとはいえ、人の過去をからかうような真似をしてしまった。
ここ最近、サラとの関係は少しずつではあるが良好になりつつあるように思えた。しかし、今ので全て台無しだ。もう、口も利いてくれないかも知れない。
「サラと仲良くなりたかった」
私は弱々しく呟く。
「酷い扱いを受けて来たけど、サラとは分かりあえるような気がしてた」
窓____室内の方へと目を向ける。
カーテンの向こう側から堪えるような啜り泣きが聞こえてきて、それが私の心を凍り付かせた。
イジメの加害者に対し常に毅然と立ち向かって来たサラ。彼女は自分の弱さを必死に他人から隠して生きてきた。
そんな勇敢な少女にとって自身の弱みを握られ、おちょくられる行為が、どれほど屈辱的な事か。
私は自分の想像力の無さを呪い悔やんだ。
「……寝よう」
現実逃避するように、力なく私は地面に身体を横たえた。
……そう言えば、毛布を持ってくるのを忘れた。
さすがに取りに戻る事は出来ないだろう。
肩を抱き、私は身体を丸める。
もう夏季は近いのに、今夜はやけに寒々しかった。
願わくば____
この夜の冷たさが、少しでも私の贖罪になりますように。