第四話「野望」
夕食時、隣の席で食事を取るラピス副隊長が、今朝のミーティングに不在だったアメリア隊長の容態を教えてくれた。
昨日の決闘で私にコテンパンに打ちのめされたアメリア。大怪我を負い王立軍病院へと運ばれた彼女は、今も尚意識を取り戻しておらず、目覚めには少なく見積もっても三日間はかかるそうだ。その間の部隊の指揮はラピスに任されることになる。
さて、決闘は私の勝利で終わったわけだが、その結果、アメリアがアイリスに加えた危害が騎士団内で正式に認められ、不祥事として問題視されることになった。
これで、アメリア隊長は失脚____
と言う事にはならないそうだ。
アメリア隊長の加害は揺るがない事実として認知されたものの、その解釈には欺瞞が挟み込まれることになった。
ラピス副隊長曰く、上層部は今回の不祥事を以下のように解釈しているらしい。
アメリア・タルボットの有り余る熱意が引き起こした教育的指導の行き過ぎ、だと。
アイリスへの卑劣な行いは、あくまで指導の範囲内の行動として片付けられたそうなのだ。近頃、部隊の規律を乱しがちな不良騎士への制裁として。
腸が煮えくり返る思いだった。
まるで、アイリスが真の悪者で、アメリアはそれを正そうとしただけの様な印象を受ける話になっている。
「ラピス副隊長……私、やっぱり……隊長の息の根を止めに行ってきます」
「……何を馬鹿な」
「……だって! 騎士団が然るべき処罰を下さないのであれば……私が……!」
興奮してまくし立てる私の鼻先をラピスはその指でぎゅっと摘まむ。
「……ラ、ラピス副隊長?」
「落ち着け」
「離して下さい」
その言葉に、ラピスは私の鼻先から大人しく指を離した。
摘ままれた鼻を撫でる私に彼女は諭す様に言い放つ。
「お前にとって最も大切なことは何だ? アメリア隊長への仕返しか? それは違う筈だ。何より、アイリスを守ること……これに尽きる」
「……」
ラピスの言葉にはっきりと頷けないでいる私がいた。復讐の誓いを立てた私にとって、仕返しこそが生きる意義であり……それは、友達の身の安全を守ることと同じくらい重要な使命だった。
「アイリスを……友達を守るため、最大限の保身を考えろ。昨日からお前の中で何か火が付いているようだが、今後は立場を弁え、自分自身を大切にするんだ」
ラピスの忠告に私は不服そうな表情を浮かべた。
「……大人しくしていろと? これまでと同じように?」
「ミシェル」
ラピスが真剣な瞳をこちらに向ける。
「復讐がしたいか?」
「……」
ラピスからその言葉が飛び出てきて、私は目を丸くする。なぜ彼女がそのようなことを?
私が頷いたのを確認すると、ラピスは言葉を続けた。
「狩りの基本は息を潜め、気配を消す事。これは万事に通じる」
つまり、何が言いたいのだ?
「どうしても仕返しがしたいのならば、私は止めはしない。だから、これはその上での忠告だ。敵にとどめを刺す最高の機会を窺え」
ラピスは声を潜めて伝えた。彼女の言葉はまだ続く。
「ミシェル、お前の敵は誰だ?」
「敵?」
「例えば、今回アイリスをあのような目に遭わせたのは誰だ?」
本当にラピスは何を言いたいのだろうか? 首を傾げる私。
「アメリア____それ以外の答えがあるのですか?」
「アメリア隊長だけか? 隊長だけがアイリスを傷付けたのか?」
「……アメリア隊のグルになった他の騎士達もってことですか?」
私の答えにラピスは首を横に振って否定の意を示した。
何なんだ? 何が言いたいんだ、この人は?
「……アメリア隊……彼女達だけか?」
「他に協力者がいると?」
「そういった話ではない」
きっぱりと言い放つラピス。じゃあ、どういった話なんだ。
私が彼女の真意を掴めずに困惑していると____
「騎士団だ」
その口が一言、告げる。冷たく、それでいて燃え滾るような口調で彼女はその言葉を口にした。
「アイリスを傷付けた真の黒幕は、アメリア隊長でも他の部隊の皆でもない。騎士団そのものだ。この組織に蔓延する腐敗がお前の友達を傷付け……今も尚、その名誉を貶めている」
かつて、兵舎の倉庫の中、二人きりで話し合った時に目にしたラピスの剥き出しの感情が、今の彼女の顔に浮かんでいた。
「ミシェル、お前が本気でそれを成したいのであれば……」
ラピスが私の手を握る。
「私は……力を貸してやっても良い」
……力を貸す?
首を傾げるが、その言葉を最後に、ラピスは黙り込んで何も喋らなくなった。
「……ラピス副隊長」
彼女に尋ねたいことは山ほどあった。
私の抱く復讐心をどこまで理解しているのか。一体、ラピスはどれほど騎士団を憎く思っているのか。そして、力を貸すとは、具体的に何を示しているのか。
尋ねたい気持ちはあったが、私は結局その場では何一つ彼女に確かめなかった。
それよりは、先程ラピスの述べた“私の敵”について考えていた。
“私の敵”____復讐すべき対象は一体誰か……いや、何なのか?
ラピスの言葉を耳にするまで、私はその対象を“個人”に絞って考えていたが……それは違うのかもしれない。
彼女は言った。騎士団そのものが、今回のアイリスの事件を引き起こした黒幕なのだと。その事実は、私の復讐に新たな指針を差し込むものだった。
つまりは、騎士団に挑むことこそが私の復讐となりえるのだ。いや、騎士団どころの話ではない……騎士団に挑むという事は、それを中心軸として回る今の世界、その秩序に対する反逆を意味する。
身震いがした。
カネサダの言葉を思い出す。小さな革命どころではない。私の復讐は、行き着けば天地をひっくり返す大事業になり得るのだ。やや大げさな話かもしれないが、私が勝利し続けた先には、世界の変革が待ち受けている。
それは正にカネサダの予言に沿うシナリオだった。
『……ミカ?』
私からの注視を受け、カネサダが窺うような声を漏らす。知らず、私は鞘を強く握りしめていた。
私は私を虐げる者を許さない。例えそれが世界が相手だとしても、だ。
敵うだろうか……世界を敵に回して、この私が?
首を振る。
いや、何を弱気になっている。カネサダが太鼓判をおしてくれたじゃないか。私には力があると。世界を変え得る暗くも輝かしい力が。
英雄ホークウッドはその力と復讐心で世界を変えた。私もそれに倣うまでだ。
そんな野望を秘かに抱きつつ、私は夕食を終え、自室へと引き返していくのだった。
自室のドアをノックすると、ルームメイトのサラが姿を現す。
私は扉を開けてくれた彼女を素通りして、寝床であるベランダに向かおうとするのだが____
「ちょっと、待ちなさいよ」
サラに呼び止められる。
何の用だろう? 首を傾げる私に、彼女は言い淀むように閉じた唇をもにょもにょと動かしていたが、じれったそうにその口を再び開いた。
「話、聞かせてくれるんでしょ?」
「話? ああ……」
その言葉で私はサラとの約束を思い出す。昨夜、就寝間際の事だ。彼女は私とアメリアとの決闘の様子を詳しく知りたいと尋ねてきたのだ。彼女の頼みを承諾したものの、その場は眠たかったので、また明日という運びになっていた。
「決闘の話を聞きたいんだよね」
「そうそう」
サラが私の服の裾をぐいぐいと引っ張って来た。今日は逃がさないと、そう言う意思表示だ。
私は「分かった」と言い掛けて、ふとその言葉を喉の奥底に引っ込める。代わりに____
「交換条件」
「……交換条件?」
首を傾げて怪訝な表情を作るサラに、私は人差し指を突き付ける。
「決闘の話……してあげてもいいけど……その代わり、今日は室内で寝させてよ」
「……」
突き出された私の指先を見つめて黙り込むサラ。その顔はいつもの不機嫌そうな表情を浮かべている。
「……サラ?」
返事がない。やはり、不服な要求だったのだろうか。まあ、私としてもほんの悪戯心で言ってみただけなので、サラがこちらの要求に応じなくとも彼女の頼みはしっかりと聞いてあげるつもりなのだが。
「いいよ」
「え?」
今、彼女は何と言った?
間抜けな表情を晒す私に再度サラが言い放つ。
「いいよ、室内で寝ても」
「……本当に?」
「……うん」
サラが静かに頷く。そして、その口が警告するように____
「ただし、変な事したら……ただじゃ置かないからね。絶対に変な事しないでよ」
「……変なことって何?」
「変な事は変な事よ」
少しだけ早口でサラが告げた。
変な事とはなにか。それが分からない私ではなかったが、意地悪ですっとぼけて見せる。
そんな遣り取りを経て、私はサラにアメリアとの決闘のお話をしてあげる代わりに、室内での安らかな眠りを手に入れることになった。
その後____
記憶できている限り、事細かく決闘でのアメリアの様子を私はサラに伝える。
彼女は黙って私の話を聞いていたが、時々その口の端が吊り上がるのを私は確認した。どういう時に彼女の口の端が吊り上がるのかと言うと、アメリアの無様を子細に私が描写している時などだ。
アメリアが酷い目に遭って、サラはそれを愉快に思っているのだ。
「……ねえ、サラ」
「何、ミシェル君?」
「サラって……アメリア隊長の事嫌いなの?」
尋ねると、サラは当然とばかりに頷く。
「いつか殺してやりたいと思ってた」
なんと物騒な。人の事を言えないが、私は苦笑いを浮かべるのだった。
「前にみなしごだって罵られたことがある。立場もあって仕返しが出来なくて……ずっと悔しい思いしてた」
ベッドに腰を掛けるサラはシーツの端をぎゅっと握りしめた。
「私なんて毎日暴言を吐かれてたけどね」
「知ってる。どうして何もやり返さないんだろうって、苛々しながらアンタのこと見てた。もし私がアンタなら、例え牢獄行きになったとしても、アイツのこと殺してやってたのに」
言い放つサラは、まるでその言葉通り、本当にそうしていたかのような殺気を身体から放っていた。
話は終わり、やがて就寝の時間が訪れる。
サラはベッドで、私は床で毛布に包まって寝る事にする。私達は同じ天井の下にいた。
「サラ、本当に一緒に寝ても良いの?」
「ちょっと、気持ちの悪い言い方しないでよ」
不機嫌に答えるサラ。
ええ……気持ちの悪いって……。今の言葉の何処に気持ちの悪い要素があったのか。
「いい、ミシェル君……絶対にベッドに近付かないでよ。絶対にこっちに来ないでよ」
「分かってるって」
サラは布団を被り、それからしばらく口を開かなかったが____
「ねえ、アンタって……男なのよね?」
「え?」
「アンタ、自分の事をどう思ってんの? 男だと思ってる? ……それとも」
はあ……またこの手のジェンダー的な話か。げんなりとする。
「……何でそんな事聞くのさ」
私は少しだけムッとした口調で問い返す。
すると、今度はサラの方が怒ったように____
「質問はこっちがしてるのよ!」
謎の剣幕で声を荒げる。少しだけ面食らってしまった。そんなに怒鳴らなくても良いのに。
「……分かんないよ」
ベッドに背を向け、私はぽつりとこぼす。
「生物学的には……私は男性だよ。でも……何て言うか……色々とめちゃくちゃになっているんだ。物心つく前から女性として育てられたし、身体も色々と弄られて……ほんと言うと、男なのか女なのか、よく分からないことになってる」
暗い調子で語ると、サラが息をのむ様子が伝わって来た。
少しだけ気不味い空気が流れる。
そのまま逃げるように眠りについても良かったが、どうにかしてこの場の雰囲気を和らげたいと思い、私は言葉を続ける。
「よく分かんないけどさ……一つだけはっきり言えることがあるよ」
「……?」
「私がサラの寝込みを襲ったりなんかしないってこと」
「……ちょッ」
ベッドの方でガサゴソと何やら音が聞こえてきた。
「何か色々と心配してるみたいだけどさ……サラにそう言う事しないから」
「……当然でしょうが」
「むしろ、私の方が心配なくらいだよ」
「……ん?」
「サラ、私の寝込みを襲わないでよね」
「……はあッ!?」
サラががばっと起き上がる気配がした。私は毛布で頭を隠す。
「言っておくけど、襲ったら襲い返すからね。やられたらやり返す、そう誓ったから」
「ば、馬鹿じゃないの!」
サラの怒号が室内を反響する。私からは見えないが、今その顔は怒りと羞恥で真っ赤に染まっている筈だ。少しだけその表情を覗き見したいと言う衝動に駆られる。
結局、その後は何もないまま私達は眠りについた。
近くで少女の寝息を耳にする。
存外可愛らしい寝息だった。
しばらくして毛布から顔を出すと、光が目に映った。蝋燭の光だ。
サラは完全に眠り込んでいる。
眩しかったので、私は近くの蝋燭消しを引っ掴み、蝋燭の灯火をそっと消した。
完全な暗闇が訪れる。
____夜空ではない天井を眺めつつ、私はその日を終えた。