第三話「ウォッチドッグ」
復讐を誓った。
私は私を虐げてきた者達を許す気はない。私が味わってき以上の苦痛を彼らに与え、自らの行いを後悔させる。
それは、大きな野望であると同時に、今一つ判然としない計画であった。
具体的に誰に、どのような復讐をするのか。まだ私はしっかりと定めてはいなかった。
例えば、ルームメイトのサラ・ベルベット。私を室内からベランダに追いやる彼女に私は仕返しをするべきなのか。
カネサダは彼女への復讐を勧めるが、私はいまいち気乗りしない。それは、救貧院の出身という彼女の同情すべき境遇故のものだった。
また別の例を上げよう。アイリス・シュミット。今は親友となったかけがえのない存在。彼女は元々イジメの加害者の一人であったのだが、その褒められない行為は周囲に同調し、目を付けられないようにするための防衛行動に過ぎなかった。彼女は加害者であるが、それは不可抗力のようなものだと私は考える訳で……赦されるべき人間だと、そう判断している。
何が言いたいのかと言うと、復讐対象の境界が未だ私の中で曖昧なのだ。
私を虐げていた者達の中には、サラやアイリスのように赦しを与えても構わないような者達がいるかもしれない。
また、それとは逆に、新たに復讐すべき存在が見つかるかもしれない。今まで目には見えなかっただけで、隠れた敵がいるのかもしれない。
その事案を一晩考えた。しかし、未だ私の中で答えは定まらない。
まあ、でも。
……焦る必要はない。
これからじっくり考えていこう。
____誰に仕返しをするべきか……取り敢えず、今は……。
「これは、何のつもりですか?」
早朝の食堂。朝食を取っていた私は、頭から思い切り水を被っていた。
いや、正確には被せられたと言った方が良いだろう。
私は平穏な食事の最中であった。パンを齧り、それを静かに咀嚼していた。
そこへ、気が触れたのか一人の騎士が傍らのコップを引っ掴み、中の水を私の頭部へと盛大にぶっかけたのだった。
水を掛けた騎士を見遣る。
彼女は意地の悪い笑みを浮かべて私を見つめていた。あまり見覚えのない者だったが、確か別の部隊の二つか三つ年上の騎士だった筈。
私は周囲に視線を這わせて、他の騎士達の様子を窺う。反応は二分していた。一方は顔を青くする者達。他方は水掛け騎士と同じ下劣な笑みを浮かべる者達。
再び視線を目の前の騎士に戻し、溜息を吐いた。
「これは、何のつもりですか?」
水に濡れた前髪を弄り、私は再度問う。
騎士は腰に手を当て、顔を私に近付けて答えた。
「アンタ、まぐれでアメリア様に勝ったみたいだけど、それで調子に乗ってるんじゃないの? 澄まし顔で食事なんて取っちゃってさあ……これで頭冷やしなさいよ!」
ゲラゲラと笑う騎士。彼女に同調する愚か者もいたが、アメリア隊の騎士達を中心に怯えた様子で私を窺う者も多数いた。
静かに立ち上がる私。
『おっ、やるのか、ミカ』
「……」
腰元からカネサダの声が聞こえる。その声は何かを期待するように弾んでいた。
誰にどのような復讐をするのか、その問答に対する完璧な答えはまだ出ていないが……。
取り敢えずは、目の前の騎士がその対象者なのは疑いようがない。
「……! グェッ!?」
私に喉元を片手で締め上げられた目の前の騎士が、轢き潰れた呻き声を発した。
ぐいぐいと彼女の肌に食い込んでいく私の五指が更にその気管を圧迫する。
「あ、ぐ……な、なにを……」
騎士はその顔を赤くさせ、次いで葡萄の実のように青くさせた。周囲からざわめきが沸きあがる。
「聞け!」
私はもがき苦しむ騎士から目を離さず声を張り上げた。
「今後、私に手を出そうものなら……相応の報いを覚悟しろ!」
目の前の騎士にだけではない。この場にいる全ての者達に言い聞かせるように私は告げる。丁度、昨日の訓練場で宣言したように。
「あ……あ……あ……や、やめ……」
騎士の身体が持ち上がり、その足が地面から離れる。私は複十字型人工魔導核からありったけの力を引き出し、彼女を首から宙吊りにしてやった。
騎士の両足が空中でバタバタと暴れ、両手が私の拘束を振り解こうと抵抗を示す。しかし、魔導で強化された私の腕力には抗えず、彼女はされるがままの苦しみを味わうことになる。
やがて、騎士が白目を剥き出した頃、周りの者達が事態を深刻に受け止め始め、その内の何人かが私に駆け寄ってきたが、空いた手でカネサダを引き抜き、私がその白刃で彼らを威嚇すると、誰も私に近付けずにたたらを踏むことになった。
「謝れば許す」
騎士の喉を更に強く締め上げながら、私は言い放つ。
私の提言に彼女はこくこくと頷くが、その口が謝罪の言葉を述べることは無かった。
「謝らないんですか?」
「……ん、んンゥッ!」
私が脅迫するように尋ねると、騎士は両手を上げ、首を横に振った。彼女は謝らないのではない、謝れないのだ。私が気管を圧迫しているため、言葉を述べることが出来ないでいるようだ。
しかし、その事情を察していながら、私は彼女の喉から手を離すことを止めなかった。
これは、見せしめだ。私に牙を剥けばどうなるか皆に教え諭すための茶番であった。
「死んでも謝らないつもりなんですね?」
「んんッ!? うんンッ!?」
騎士は身振り手振りで必死に謝罪の意思を伝えようとするが、私はそれを無視する。この残酷な三文芝居を尚も続ける。
やがて、彼女の身体から徐々に力が抜けていき____
「ミシェル、やめろ!」
凛とした少女の声が食堂に響き、私は騎士の喉元から手を離し、彼女を地面に降ろしてやった。
騎士はぐったりと地面に倒れ込み、咳き込みながら喉を押さえ、がたがたと震えてその身体を丸める。
声のした背後を振り向く。
そこには先の声の主、ラピス・チャーストン副隊長が険しい表情で立っていた。
「何をやっている、ミシェル」
私につかつかと歩み寄り、ラピスは責めるように言い放つ。
私は足元でうずくまる騎士を蹴り飛ばし、肩をすくめた。
「彼女が喧嘩を売って来たので」
私は濡れた銀髪をラピスにアピールし、その被害を主張する。ラピスは溜息を吐いた。
私はすっとぼけた口調で続ける。
「何か問題でも?」
「……大丈夫か、お前は?」
ラピスは狂人を見る目で私を見つめ、微妙な距離を取りつつ尋ねる。完全に腫物を扱うような態度だ。
「大丈夫ですよ、私は。これはただの有言実行です」
「……」
「昨日、宣言しましたよね。私は私を虐げる者に容赦はしないと」
その言葉に、ラピスは額に手を当て、再度の深いため息を吐いた。
「取り敢えず、その剣はしまえ」
ラピスの言葉に従い、私はカネサダを鞘にしまい込む。それを見届けると、ラピスは手を引いて私を食堂の外へと連れ出した。
去り際、食堂にいる騎士達の様子を一瞥する。騎士達の何人かが私にちょっかいを掛けた騎士を介抱し、それ以外の者達はまるで導火線に火が付いた爆弾でも見るような目でこちらに怯えた視線を送っていた。
「次は本当に容赦しませんからね」
食堂の出入り口で私は脅迫の言葉を残した。騎士達は顔を青くし、私から目を逸らす。
ラピスに連れられ、私は人気のない廊下の一画に立たされた。
彼女は腕を組み、目鼻を思い切り私のそれに近付ける。
「ミシェル、お前……」
「さっきは助かりました」
ラピスの言葉を遮り、私はお礼の言葉を述べる。
「タイミングよく副隊長が来てくれて、上手い落としどころが見つかりました。あのまま行くと、本当に彼女を殺めてしまいそうだったので」
私は心からの安堵の吐息を漏らし、頭を下げた。その瞳から狂人の気配を消し、理性の光を湛える。
ラピスは目を丸くし、次いでムッとした表情を浮かべる。
「……演技か」
「半分は演技で半分は本気です。兎にも角にも、副隊長のおかげで私の望んだシチュエーションになりました。彼女を大事に至らせることなく、最大限の恐怖を皆に植え付けられたと思います」
先の一幕で騎士達は察したはずだ。もし、私に手を出そうものなら、最悪自らが死に至る可能性があると。もし、ラピスが間に入っていなければ、私に水を掛けた騎士はそのまま窒息死していたかもしれないのだ。
「茶番に付き合わされたようで、良い気はしないな」
「……すみません」
ラピスはしばらく苛々とした様子でこちらを睨んでいたが、ふとその指が私の額を弾いた。
「いたっ……副隊長?」
「決めたぞ、ミシェル」
ラピスは私の肩を掴んで頷く。
「今後、私から離れるな」
「……何を言っているのですか?」
「朝も昼も夜も、ずっと私のそばにいろ」
愛の告白か何かですか?
勇ましいラピスの言葉に私は顔をしかめた。
「どうした、そんな嫌そうな顔して」
「……そりゃ嫌ですよ。私は貴方の犬か何かですか」
「お前が最早狂犬なのは疑いようのない事実だ。私がそのリードを握ってやる」
「うへえ」
と、私は露骨に嫌な態度を示す。もう誰かの支配下に入るのは御免だ。
「私のそばにいれば、恐らく誰もお前に手出しはしないだろう。そして、お前が何かをしでかそうとする時、私がその抑止となる。だから、私のそばにいろ」
私は顔を背けてわざとらしい溜息を漏らした。全身でラピスの提案に嫌悪を表す。
すると____
「分かった、ならばこうしよう」
少しだけ距離を取ったラピスが、私に人差し指を突き付ける。
今度は何だ?
「私がお前のそばにいる」
「……?」
それは先程の提案とどう異なるのだろうか?
「お前が私のそばにいるのではない。私がお前のそばにいるのだ。お前は自由にすると良い。ただし、私も自由にお前のそばにいさせてもらう」
「……えー」
監視されているようで、とても不快な気分になるだろう。
私は頭を掻き____
「貴方は私の犬か何かですか」
「そう思ってくれれば良い」
「……はあ」
「何なら首輪をつけてやってもいいぞ。リード付きの奴だ」
真顔で述べるラピス。
今のは彼女なりの冗談なのだろうか? 基本鉄仮面なので、ふざけているのかどうかの判別がし辛い。
「じゃあ、犬の真似してくださいよ。ほら、私の犬になるんでしょう?」
私は少しだけ意地の悪い笑みを浮かべ、腕を組んでみた。
対するラピスは____
「犬の真似? 具体的に何をすれば良い?」
「……そこに四つん這いになって、わんわん鳴いて下さいよ」
「良いだろう」
「……あの……真顔で冗談言うの止めて貰えます? ラピス副隊長、基本表情に乏しいので、本気なのか冗談なのか判別しづらいんですよ」
私は困った表情を浮かべて、責めるようにラピスに言い放つ。
ラピスも私同様困った表情を浮かべていた。
「兎に角、私は私の自由にさせて貰う。問題が起きないよう、お前のそばにいるからな」
「……勘弁してくださいよ」
私は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべて、断固たる拒絶をラピスに突き付ける。
……で。
結局、その日の昼食と夕食時、ラピスは宣告通り私の隣で食事を取っていた。
おかげで、私は居心地の悪い気分を味わう羽目に。
ラピス副隊長の事は嫌いではないし、どちらかと言えば好いている方なのだが、監視目的で隣に居座られると、どうにも囚人になったような気持ちになり、私はどんよりとした表情を浮かべていた。
「どうした、ミシェル……元気がないな」
食事中に気を利かせたラピスが尋ねる。
元気がない?
いや、貴方の所為ですよ。自覚ないのですか?
『良いじゃねえか、ミカ……犬に懐かれたと思えば』
カネサダが腰元で笑う。
犬ねえ……。
どうせなら、こんな番犬みたいなのじゃなくて、もっと愛嬌のある犬に懐かれたいものだ。




