第二話「不機嫌なルームメイト」
王立軍病院を後にした私はエストフルト第一兵舎に戻り、その中庭で休憩を取っていた。
『何だサボりか、ミカ?』
「……うん」
ベンチに腰かけ、空を見上げる。
隊長のアメリアがあの状態なので……まあ、今日ぐらいサボってしまっても問題は……あるかもしれないが……構わないだろう。
激闘の反動だろうか。強い脱力感が私を襲っていた。
うん、思いっきりサボろう。いいよね?
それから私は夕方になるまでぼうっと日の光を浴び続けていた。
そして、月が空に昇ってからも、ずっとその光に目を向けて、ベンチから一歩も動こうとはしなかった。
やがて、睡魔に襲われ、私は大浴場で身体を清めた後、自室へと引き返していく。
……あ、夕飯食べ損ねた。
その事実に気が付いたが、心身が異様にだるかったので、空腹を気にもせずに私は自室に入り、ベランダへと飛び込むように寝転がった。
その時____
「……ちょっと」
「んぅ?」
室内から声を掛けられ、私はベランダの地面に伏せた顔を上げる。
「……毛布、忘れてるわよ」
ルームメイトのサラ・ベルベットが不機嫌な表情で私に毛布を差し出していた。
わざわざ親切に……。
「……ありがとう」
お礼を述べ、私は緩慢な動作で彼女から毛布を受け取り、それに包まる。
「ねえ」
毛布を手渡した後も、サラはしばらく私の事をじっくりと観察するように見つめていた。
痺れを切らしたようにその口が開く。
「……決闘、勝ったんだって?」
尋ねるサラ。
アメリアとの決闘の結果については、既に兵舎内の騎士達の知るところになっているのだろう。
私は毛布に顔を埋めて、こくりと頷いた。声は発していない。
「……ちょっと、起きなさいって!」
何を苛々としているのだろう。サラはベランダに足を踏み入れ、私の身体を揺さぶり始めた。
私は身体を翻し____
「起きてるよ」
気怠い口調で一言告げる。目にはムッとした少女の顔が映った。
「決闘に勝ったかどうか、聞いてるんだけど?」
「勝ったって言ってるじゃん」
私は鬱陶しそうに手を振り回し、彼女を追い払おうとする。今は誰かの相手をする気分にはなれない。
その態度が気にくわなかったのか、サラはより一層顔を不機嫌にさせ、私の頬を指で突き始めた。
つんつん……つんつん……と。危害を加えると言うよりは、弄るように。
「ち、ちょっと……やめてよ、サラ」
文句を言う私に、サラは____
「ねえ、ミシェル君」
初めて、私の名前を口にする。それで、寝ぼけ半分だった私の目は覚めてしまった。
「どうだった、アメリアの奴?」
名前を呼ばれ目を丸くする私の顔を深々と覗き込むサラ。
……どうだった、とは?
私が返答に困っていると、彼女は質問を変える。
「アイツ、無様に泣き叫んでたんだって? ねえ、どんな感じだったのよ?」
「……」
サラの声は弾んでいた。彼女は押し隠すようにその声音を抑えていたが、どうやら噂で耳にしたアメリアの哀れな結末に興味津々と言った様子だった。
「……知りたい?」
私は少しだけ口の端を吊り上げて尋ねる。サラは静かに頷いた。
私は毛布を引っ被り____
「教えてあげる。でも、また明日ね……今日はもう眠いから」
「はあ? ちょっと、ミシェル君! ……まあいいわ」
不満気な声を上げるサラだが、溜息を吐くと、諦めよく私の身体から離れ部屋の中へと引き返していった。
「明日、ちゃんと話してよね」
「うん……おやすみ、サラ」
暗闇の中、窓の鍵が閉められ、カーテンの引かれる音を聞く。
サラがすっかり立ち去ったことを確認し、私はふうと夜空に息を吐いた。
サラが……あの不愛想なルームメイトが私の話を聞きたがるとは。これは、明日、嵐がやって来るのかも知れない。
そんなことを考えていると、カネサダが言葉を発する。
『アイツは良いのか?』
「……?」
彼の質問の意味が分からず、私は首を傾げる。
『さっきは随分仲良くしてたみたいだが……アイツには復讐しないのか?』
「……ああ」
……その話ね。
私は小さく呟いてから、カネサダに触れる。
「サラは別にいいや」
そんな軽い調子で私が言うと、カネサダから呆れた声が返って来た。
『お前、昼間誓ったよな。自分を虐げて来た者達に復讐するって。もう忘れてるのか?』
「覚えてるよ」
当然とばかりに私は答える。
忘れるわけない。そして、その誓いが揺らぐことなど決してありはしない。
『もう一度聞くぞ、ミカ。……あの嬢ちゃん……サラには復讐しないのか?』
「しないよ」
『いや、何でだよ!?』
カネサダが声を荒げる。何をそんなに怒っているのだろうか?
『ミカ、お前は今何処で寝ている?』
「……何処って……ここだけど」
見ての通り、ベランダで寝転がっている。
『お前はあれか……好き好んでベランダなんぞで寝起きしてんのか?』
「まさか」
出来る事なら、室内のベッドの上で眠りにつきたい。
カネサダは苛々した口調で、尋問するように続ける。
『誰の所為で、ベランダで寝る羽目になってる?』
「……私が男性だからでしょ?」
『何でだよ!?』
再び声を荒げるカネサダ。
『あのサラとか言うクソ女の所為だろうがよ! アイツがお前を部屋から追い出しているんだろうが!』
まあ、実際問題その通りなのだが。
「そうだけど……それは仕方のない事だよ。私が男性なのが問題な訳で」
上辺だけを見れば、サラが私を迫害しているように見えるかも知れないが、その実、彼女の行為は適切な防衛手段だと私は考える次第で……。
『いやいや、目を覚ませ、ミカ!』
カネサダの叱咤が飛ぶ。
『アイツは不当にお前を虐げている! その認識をしっかり持て!』
「……うーん」
カネサダとは対照的に、私は気のない返事を返した。
認識をしっかり持てと言われても……。
彼から溜息が漏れる。
『お前、随分あの女に甘いよな。……もしかして、同情してるのか?』
「……」
ドキリとした。
サラの出自について、私は事の一切をカネサダに話したことは無かった筈なのだが……その口ぶりから、おおよその彼女の事情を彼は察しているようだった。
「カネサダはどこまで、サラの事を知ってるの?」
『アイツについて、俺はお前以上に詳しい自信がある。何たって、感情が読めるからな』
「じゃあ当然知ってるよね……サラがみなしごだって」
『勿論だ』
きっぱりとカネサダは答える。
サラ・ベルベット。この不愛想な私のルームメイトは、何を隠そう、みなしごであった。元、と言った方が良いかもしれない。騎士学校を卒業と同時に彼女はようやく里親と“ベルベット”と言う姓を手に入れた。しかし、それまでは、ただのサラ。みなしごのサラであった。
サラに同情しているか?
そう尋ねられれば、私は首を横に振る事はないだろう。
騎士学校時代、私は彼女が同級生にイジメを受けている現場を何度か目撃したことがある。
私も私で、自分自身の事で手一杯だったので、ただ彼女の事を可哀想だと思い、遠くからその様子を眺めているだけだった。
そして、その事に少なからず罪悪感を抱いていた。傍観者に留まる自分が情けないと感じていた。
ただし____
他の騎士達から虐げられていたサラだが、彼女が私と違ったことは、イジメの加害者に対し反抗に出ていた事だ。
やられたら、やり返す。それがサラの作法だった。
そのため、暴力等の直接的な加害が彼女に及ぶことは徐々に少なくなっていった。殴れば殴られ、蹴れば蹴られたからである。その代わり、陰口などの陰湿なイジメはずっと続いたが。
『アイツ、救貧院の出身だな。毎日毎日、白湯同然の薄粥で空腹をしのぎ、おかわりを要求しようものなら棒きれでこっぴどく叩かれた。そして、外での労働を課されていた筈だ。奴の仕事は恐らく煙突掃除。掃除の最中に煙突内で窒息しかけ、そのトラウマで今では暗所恐怖症と閉所恐怖症に悩まされている』
私の知らないサラの事情をぺらぺらと喋るカネサダ。驚いた。私の時もそうだったが、彼は本当に何でも知っている。
ここリントブルミア王国において、救貧院は、例えば路地裏のゴミ箱に捨てられていた赤子などが引き取られるような施設であった。孤児院とは違い、本物の捨て子が行き着く場所____みなしごの中のみなしごが集まる、この世の不平等を煮詰めたような場所であった。
初めて知った。みなしごだとは聞いていたが、サラは救貧院の出身者だったのか。
さぞ辛い幼少期を送って来た筈だ。救貧院の出は騎士団どころか、この国における最下層の存在。差別の対象であった。
「……サラが救貧院の……」
『何だ、やっぱり同情するか?』
尋ねるカネサダに今度ははっきりと頷いた。私の肯定に彼は深いため息を吐いて、呆れた様子を示す。
辛い救貧院時代を経て、孤独の騎士学校時代を過ごしたサラ。リントブルミア魔導乙女騎士団に入ってからも、クレア隊に“罠係”として仕え、兵舎では男性と相部屋。
同情しないわけがない。
しかし、私とは対照的にカネサダは一片の憐みもサラには向けなかった。
『あの女に慈悲を与えるな。アイツはお前がやっちまっても良い人間だ』
冷たく言い放つカネサダに、さすがの私も気を悪くする。
「カネサダ、ちょっと酷くない? サラだって辛い思いをしている筈なのに」
カネサダからまるで洞穴の奥底から吹いてくるような深いため息が漏れる。
何なんだよ、カネサダ。私、間違ったこと言ってる?
『確かにアイツは可哀想な奴かも知れないが……それでも、お前を虐げている事に変わりはないんだぜ? だから、お前は奴に対し然るべき対応を取っても許される筈なんだ』
「……でも」
『可哀想だとか、そんなのは関係ない。重要なのは、アイツがお前に害を及ぼす存在であるか否かだ』
諭す様にカネサダは言うが、やはり納得は出来ない。サラをこれ以上不幸な目に遭わせる気にはなれなかった。
『……お前、室内で眠りたくはないのか?』
「……それは……まあ……出来る事なら」
『良い方法がある』
どうした、突然?
私はカネサダの言葉に耳を傾ける。
『まず、用意するもの。記録石、縄、睡眠薬。どれも兵舎の倉庫で手に入るものだ』
「……?」
そんなもの用意してどうするというのだ。私は気配で先を促す。
『睡眠薬。まずはこいつを使ってサラの奴を眠らせる』
「うん、それで?」
『眠りについたところで、その身体を縄で縛る』
「……うん?」
顔をしかめる私。何やら不穏な事を言い始めた。
『目を覚ましたところで、身動きの取れないサラを襲え』
「……襲う?」
『あれだ、犯せ』
「ん?」
“犯せ”とはどういう事か? 首を傾げる私に、カネサダは____
『お前、ついてんだろ?』
「え? 何が?」
『いや、察しろよ。ミカ、お前も男だろ?』
「……まさか」
カネサダの一連の言葉で、彼が私に何をさせようとしているのか察する。
「そ、それって……もしかして……強姦の事を言ってるの?」
『ああ、そうだ。奴を犯し、その様子を記録石で記録する』
……えーと。
「馬鹿なの、カネサダ?」
冗談を言っていると言った様子ではない。彼は真剣そのものだった。
『最後まで話を聞けって。……で、記録した映像があるだろ? それでサラの奴を脅すんだ。これを拡散されたくなかったら、大人しく部屋を明け渡せって』
「馬鹿なの、カネサダ?」
再度、私は告げる。
彼の立てた計画があまりにも滅茶苦茶だったので、どこから突っ込んでいいのか分からなかった。
『いいから実行してみろって。上手くいくから』
「その自信は一体どこから湧いてくるの?」
万が一上手くいくにしても、そんな最低な行為、絶対にしたくはない。サラに性暴力を振るうなど。
『騙されたと思って、やっちまえよ』
「その結果、私は牢獄行きだけどね」
少しでも彼の提案に期待を抱いた私が馬鹿だった。
長い時間を生きているようなので、多少の知恵はあるようだが、カネサダは基が狂人のそれなのだ。道理も倫理もない外道。
私は軽くカネサダを軽蔑しつつ、毛布を引っ被り眠りつくことにする。
暗闇に身を委ねながら、私はサラと……この固いベランダの寝床の事を考えた。
私も今のこの状態に満足している訳ではない。カネサダの策は論外だが、ルームメイトとの付き合いも、いずれどうにかしなければいけないと思っている。
サラは私にきつく当たるが……彼女の素性を考えると、どうにも強く憎めないでいる私がいる。
私は、サラに仕返しをするべきなのか?
分からない。
だから考えよう。自分の事、周りの事。もっともっと多くの事を。
復讐を誓った私だが、思えば誰にどのような復讐を成すのかまだしっかりと定めてはいなかった。私を虐げてきた者達への復讐。では、その者達とは? 例えば、そこにサラは含めるべきか?
時間はたくさんある。動き出した私の時間。ようやく始まった私の人生を、これからじっくりと考えていけばいい。
そうして、今日も夜空の下、ベランダの固い地面で深い眠りへと入っていく私だった。