第一話「友達の資格」
気が付けば、私は静かに歩いていた。
いつ歩き出したのかは覚えていない。
唯一分かっていることは、私が無意識の内にとある場所に向かって進んでいると言う事。まるで風穴に吸い込まれるように。
覚束ない足取りで訓練場を抜け出し、人々に紛れながら首都エストフルトの市街地を横断し、私はそこに向かっていた。
アメリアとの決闘、そして復讐の誓い。
その反動から来る脱力感にのしかかられたまま、私は目的地に辿り着く。
そこは、王立軍病院。アイリスの元へ私は赴く。
二〇三号室。その扉の前で立ち止まり、私はまるで意識を取り戻したかのように数回の深呼吸を行い、自身の両頬をパンパンと叩いた。
扉を開ける。簡単に開くはずのそれが、妙に重々しく感じられた。
白い部屋。室内に一つだけ存在する幅広の清潔なベッドの中には、未だ愛しい少女が痛ましい姿のまま眠りについており、私に落胆と……安堵の感情を抱かせた。
何のために吐いたか分からない溜息が漏れ、私は部屋の異変に気が付く。
アイリスに目を奪われていたため気が付くのが遅れたが、部屋には先客がいた。
それは、二人の騎士で____
「……! “罠係”、どうして?」
アイリスの傍らに佇んでいた騎士の片割れが驚きの声を発した。
まるで生霊でも見ているようなその表情に、私は問い返す。
「そっちこそ、何でここに……ミミ、ララ」
室内にいた先客。それはミミとララのゴールドスタイン姉妹であった。
彼女達は警戒するように私を見つめていたが、その視線を再びアイリスに戻す。
姉のミミが震える唇で私に告げた。
「……お見舞いよ」
妹のララが、再度私に問う。
「アンタ……どうして、ここに……? アメリア隊長との決闘は?」
その言葉で、そう言えば、と私は思い起こす。
アメリアとの決闘の最中、私はその観衆の中にゴールドスタイン姉妹の姿を見なかった。
訓練場で決闘が行われている時、彼女達はどういう訳か、観戦もせずにこの場所にいたのだろう。
「決闘は私の勝利で終わったよ」
無傷の身体を見せびらかし、私は簡潔に告げる。
双子の姉妹は目を丸くして、口元を手で押さえた。
「……う、嘘! だ、だって……!」
あり得ない、と言った表情だ。私の勝利など万が一にもないと。
恐らく、彼女達もアメリアの不正については把握しているのだろう。だから、そんなにも驚いているのだ。
「……人工魔導核は壊れたよ、しっかりね。でも、そんなの関係ない。その程度で私が負けるもんか」
威圧するように言い放ち、私は姉妹に近付く。
「ねえ、二人は何でここにいるの? 何で、お見舞いなんか?」
「……」
ミミとララは目をそらし黙り込んでしまう。
しばらく沈黙が続いた後、ミミが掠れる声で呟いた。
「……こんなことになるなんて」
眉間にしわを寄せ、悔いるようにミミは言葉を漏らす。
「わ、私達は……何もここまで……!」
二人の視線はベッドの中で眠るアイリスへと注がれていた。包帯に包まれて痛ましい姿の少女に。
「アイリス……!」
妹のララが轢き潰れた声を発してベッドに寄り掛かり、涙を流した。
彼女の口から漏れ出た、アイリスを呼ぶ声に、私は察する。
ミミとララ。彼女達も彼女達なりに、アイリスの事を友達だと思っていたのだ。私と仲良くするアイリスに最近は冷たい態度を取るようになっていたが、それは友情の裏返し……即ち、嫉妬だったのかもしれない。
『ミカ、良い事教えてやるよ』
ふと、腰元のカネサダが私に語り掛けた。
何? と視線で言葉を促す。
『人工魔導核に細工を施したのはコイツら姉妹だ。正確には、アメリアの奴に細工の技術を提供したのが、だけどな』
「……!」
カネサダの言葉に、私の中で何やら燃え上がるものがあった。
つまり、先程の決闘の不正の元凶は目の前の姉妹。それどころか、アイリスの一件も彼女達が。
思わず姉妹に掴み掛かりそうになるのを抑え、私は深呼吸の後、侮蔑するような口調で彼女達に言い放つ。
「アイリスから離れろ」
恫喝するように、二人に迫る。
「アイリスがこうなったのは、貴方たちの所為でしょ。二人がアイリスの人工魔導核に細工を……」
「……な!? ち、ちが……!」
ミミは言い掛けて口籠る。
罪悪感からか顔を伏せていた彼女だが、その口が憎らし気に開く。
「……アンタの……アンタの所為でしょうがッ!」
激昂するミミ。その手が私の襟を掴みに掛かった。
「アンタが悪いのよ! アイリスはアンタと仲良くしたばっかりに……! 私達の大切な友達だったのに!」
「……!」
反論が出来なかった。
確かに、アイリスがこうなった責任は私にもある。
これは、半ば予測できた事態だった。だと言うのに、私はその未来から目を背けて、希望的観測の元、彼女との夢のような時間に溺れた。
私は奥歯を噛みしめ____
「友達面するなッ!」
掴み掛かるミミに吠える。
「貴方達……勝手に、アイリスに友情を感じているみたいだけど……アイリスは……二人の事嫌いだって……そう言ってたよ」
「……な!?」
顔を真っ赤にする姉妹。
「アイリスが貴方達と一緒に私をイジメていたのは、二人が怖かったから。二人に逆らえなかったから。そして、そんな二人が大嫌いだったって……そう言ってたよ」
「……ッ」
ミミとララ。二人は私の言葉に少なくないショックを受けている様子だ。
呆れる。まさか、アイリスに自分たちがどう思われているか気が付いていなかったとは。いや、薄々は察していたのかも知れないが。
たじろぐ姉妹に更に私は詰め寄る。
「友達なら、どうしてアイリスを見殺しにしたの? 貴方達なら、この事態を止められたでしょう?」
「そ、それは……」
彼女達が人工魔導核の細工の技術をアメリアに提供しなければ、訓練中の悲劇も起きなかったはずなのだ。
口をパクパクさせるミミ。妹のララが姉に代わって、言葉を紡ぐ。
「……ア、アメリア隊長に逆らえるわけないでしょう……隊長は私達姉妹が魔導工学のエキスパートだって知っていて……だから……」
「要はアメリアが怖くて、アイリスを売り飛ばしたってこと?」
「う、売り飛ばしただなんて……! じゃ、じゃあ……じゃあ、どうすれば良かったのよ!?」
皮肉なものだと私は思った。
アイリスは姉妹が怖くて私をイジメていた。
その姉妹は、隊長が怖くて、アイリスを痛めつける計画に手を貸した。
奇しくも、ミミとララはアイリスと同じ立場に立ち、彼女と同じ苦悩や葛藤を味わう事になったのだ。
「どうすれば良かったって? ……こうすれば、良かったんだよ!」
私は一歩後ろに下がり、腰元のカネサダを引き抜いた。
姉妹は悲鳴を上げ、その場に座り込んで頭を抱えて丸まってしまう。
「ミミ、ララ……よく聞いて……今後、私や私の友達に手を出そうものなら……容赦なく二人を殺すから。いや、ただ殺すだけじゃない……生まれたことを後悔するような苦しみを与えて……その尊厳を踏みにじった上で、惨めったらしくいたぶってやるから! アメリアにしたように!」
私は吐き捨て、カネサダを鞘に戻した。
そして____
「出ていけ! ここから、出ていけ! 貴方達に、ここにいる資格はない! アイリスの友達でいる資格なんてない! さあ、出ていけ!」
私が狂ったように叫ぶと、姉妹は互いを支え合い、逃げるようにこの場を後にした。
やがて静まり返った室内で、私はアイリスを覗き込み、その頬をそっと撫でた。
アイリスはいつ目を覚ますのだろう。
静かに息はしているが……もしかしたら、一生このまま寝たきりになるのかも知れない。
そんな不安が胸をよぎる。
「友達でいる資格なんてない、か」
姉妹に言い放った言葉を、もう一度口にする。
……。
私は何を偉そうに、あんな言葉を。
資格……そんなもの、私にだって。
アイリスが酷い目に遭ったのは私の甘え故であり……責任であった。資格だの何だの、よくも抜け抜けと言えたものだ。
それに、私は恐らくアイリスに相応しい者ではない。
明るく、優しく、勇気のある高潔の少女。そのアイリスと私のような者が一緒にいて良いものか。憎しみに心を委ね、大義名分を掲げて、アメリアを嬉々として痛めつけた私なんかが。
私は復讐を誓った。先のことは分からないが、最悪、私は破滅的な結末すら覚悟している。
私はそれで良い。しかし、もしそれに、アイリスを巻き込んでしまうのなら……。
私は彼女と共にいるべきではない。
「ごめんね、アイリス」
私は呟き、アイリスに背を向ける。
そして、逃げるように軍病院を後にした。まるで、先程の姉妹のように。
私にもまた、アイリスの友達でいる資格などないように思えたからだ。