第三十話「復讐の誓い」
訓練場は静まり返っていた。
アメリアが動かなくなり、数十秒。立会人のカエデが手を振り上げて告げる。
「そこまで! 勝者、ラピス・チャーストン代闘ミシェル!」
私の勝利が宣告され、決闘を眺めていたアメリア隊の面々が、時間が動き出したようにざわめきを発した。
立会人のすぐ隣に控えていた医者が医療器具の詰まった黒い鞄を手に、すぐさまアメリアの元に駆けよる。
私は息を大きく吸い、もたらされた決闘の結末をぼんやりと見つめていた。
アメリアの身体はボロボロだった。節々が赤黒く腫れ、所により関節がおかしな方角に曲がっている。外見はその程度で済んでいるが、内側はもっと酷いことになっているだろう。散々骨を砕いてやった。臓器も損傷が激しい筈だ。一命は取り留めているが、すぐに処置をしなければ息を引き取ってしまうことだろう。
私は立会人の元に向かい、彼女に手を差し出した。
「……刀を返してください」
私が一言告げると、彼女は無言でカネサダを差し出し____
「……?」
その手が引っ込められた。私は首を傾げる。
「君にこれを返すべきではないと……そう思う」
「……?」
そして、立会人はそんなことを言い出した。
「剣を取る者は、その力に見合うだけの誇りと品性を兼ね備えていなければならない。今の君にこの剣をその腰に下げる資格はあるか?」
「何が言いたいんですか?」
私は剣呑な視線をぶつける。
立会人のカエデは同じぐらい強い眼光で私を睨み返した。
「先程の決闘、とてもではないが……褒められたものではなかった」
私の先の行いを責めているのだろうか?
「アレは……全く騎士らしくない……いや、人間らしくない闘いだ」
「騎士らしい? 人間らしい?」
私は鼻を鳴らした。
「騎士らしいって何ですか! 人間らしいってなんですか!」
ムキになって私は立会人に掴み掛かった。
「まさか、彼女がそれだとでも言いたいんですか?」
私は背後のアメリアを見遣る。彼女は今、医師の応急手当を受けている最中であった。
私の言葉にカエデは首を横に振る。
「……アレは既に手遅れだ。最早、人間として終わっている。……しかし、君は……」
カエデは私の肩を強く掴んだ。その瞳が訴えかけるようにこちらを見つめる。
「君はまだ引き返せる」
「……」
「こんなことは、これっきりにしろ。そして、正しく……人間として真っ当に生きるんだ。騎士らしく、人間らしく、このカタナに見合うだけの誇りと品性を持って」
私は冷めた瞳で目の前の騎士を見つめていた。
騎士らしく? 人間らしく? 馬鹿馬鹿しい。
私は立会人の手を払いのけ、苛々とした口調で告げる。
「言われなくとも生きてやりますよ……人間らしく」
吐き捨てる私に、カエデは尚も突っかかる。
「力に溺れ、ただ己の欲の為だけに強さを振り回す者には、相応の報いが訪れる。その生き方では……いずれ、君は破滅を迎える事になるだろう」
私は強引にカネサダを掴み、彼女から奪い返した。
これ以上、説教に付き合う気はない。
「構いませんよ」
カエデに背を向ける。
「例えこの身に破滅が訪れようと……私は、私を虐げる者達を地獄の底まで道連れにする腹積もりなので」
私はつかつかと歩き、アメリア隊の騎士達が身を寄せ合う、グラウンドの外周部を横切った。
皆、私に怯えた視線を向けるだけで、何も言葉をかけて来なかった。
いや、唯一副隊長のラピスが____
「ミシェル、大丈夫か?」
「……ええ、勝ちましたよ、副隊長」
「……そうか」
ほんの数語の遣り取り。ラピスはそれ以上何も言わなかった。
私はただ、ぼうっとして歩いていた。
何かを考えるでもなく、一歩、また一歩と足を動かしていた。
目的地もなく進んでいると、やがて人気のない場所に出て、その場に座り込んだ。
ここは、建物と建物の間の小さな道。いや、道と呼べるほどの広さもない、ただの隙間だった。
カネサダを鞘から引き抜く。
『身体は大丈夫か?』
カネサダの言葉に私は、はたと気が付く。
決闘中、私は散々アメリアに痛めつけられた。しかし、今、その痛みが嘘のように消えている。
いや、痛みだけではない。身体の損傷部がことごとく回復していた。内部の骨や臓器も、元通りだ。
「……え……身体が全快してる……?」
困惑気味に私は身体を捻ったり、伸びをしてみたりした。
何故だ? 何故、身体が元通りに?
『……例の特殊体質か』
カネサダの言葉に、私は首を横に振ることで否定の意を示した。
「こんな短時間で身体が元通りになるなんて……」
『いや、お前の特殊体質の力だ』
断言するカネサダ。何か訳知りと言った様子だ。
『さっきの決闘中、何か不思議な力が沸いてこなかったか?』
「……不思議な力? ……そう言えば」
アメリアの足にしがみ付いた時だ。身体の内側から強い力が沸いてきて、私は彼女の膂力に対抗できていた。あれは、火事場の馬鹿力という奴だと、私は思った。
しかし、カネサダは____
『確信したぜ、お前の中には覚醒した魔導核が存在している』
「……え? 魔導核?」
私は懐にしまっていた無紋型人工魔導核を取り出す。
『それじゃねえよ……人工じゃなくて、天然の魔導核がお前の中にあるんだよ』
「……!? どういうこと?」
『魔物と同じように、器官として魔導核がお前の中に存在しているってことだ』
その言葉に少なくないショックを受けた。
魔物と同じように? 私は、化け物だとでもいうのか?
「わ、私は……人間じゃないってことなの?」
『れっきとした人間だよ。何もそこまで珍しいことじゃねえ。およそ三割程度の人間は天然の魔導核をその身体に備えている。お前はその内の一人だ』
カネサダは説明するが、私は首を傾げるばかりだ。
「そんな話、聞いたことないよ」
『人間の魔導核についての研究は、大昔に禁止されて久しい。研究で得られた知識は全て闇に葬り去られたようだし、今の時代の人間は知らねえだろうなあ』
「……およそ三割の人間が魔導核を持っている? そんなこと……」
『気が付かないのも無理は無い。覚醒した魔導核を持つ者がほぼ皆無だからな』
それからカネサダは人間に備わった天然の魔導核について語り出す。
『魔導核は、例えそれを生まれ付き身体に持つ者でも、普段は不要な器官として眠らせて、次第に退化させていく。ただし、生命に危機が迫った時、無意識の内に眠っていた魔導核を呼び起こすことがある。そして、それが常態化すると……即ち、続け様に何度も命の危険に晒されることで、その者は覚醒した魔導核を手に入れることが出来る』
私は胸にそっと手を添え、カネサダに尋ねる。
「それが私に?」
『お前、幼少期に女性化の人体改造の施術を受けただろ。毎日毎日、魔法と薬物による変化を与えられ続けて、痛みと吐き気に苦しめられた。身体は生命の危機を感じ続け、その際に魔導核が覚醒したんだ』
「……それじゃあ、まさか……私の異様な身体の修復能力って」
『お前の中の、魔導核による力だ』
衝撃の事実だ。
私の特殊体質にまさかそのような秘密が隠されていたとは。
『そして、さっきの決闘で、お前の魔導核は、絶体絶命の危機的状況とそれを打破しようとするお前の強い意思に呼応して、更なる力を発動させた。沸き上がった不思議な力も、今までにない異常な再生能力も、その正体はお前自身の魔導核による力だ』
私は自身の手の平を見つめる。
元々覚醒状態にあった私の魔導核が、先の闘いで更なる進化を果たしたという事か。
『“固有魔法”』
「……ん、何?」
『お前のその再生能力は、恐らく“固有魔法”によるものだ。並みの魔導核から引き出せる身体修復機能の域じゃない』
カネサダは何やら、聞き慣れない単語を発した。
「何、“固有魔法”って?」
『魔導核の保有者が持つ不思議な力だ。一人の人間につき一つだけ備わっている固有のもので、魔導学でも解析し切れない複雑な原理によって発現する……まさしく魔法の力。お前のそれは差し詰め“超再生”と言ったところか』
……何だろう、眉唾な話だ。
人間に備わっている魔導核についても、“固有魔法”についても、そんな情報一度も文献で目にした事がない。
カネサダの作り話とは到底思えないが……。
私の疑念をカネサダが察したようで____
『研究は闇に葬り去られたと言っただろ。察することが出来ると思うが、随分非人道的なものだったからな。徹底的な焚書が行われ、知識は禁忌として秘匿されたまま人々の記憶から忘れ去られた』
生命の危機に晒し続けることで得られる覚醒した魔導核。その研究において、被験者の確保に非人道的な方法が用いられたのは想像に難くない。
カネサダの言葉に納得する私だった。
『まあ、その話はまた今度じっくりしてやるよ……それより、どうだ……今の気分は?』
「……どうって?」
『決闘が終わって、今どんな気分だ?』
尋ねるカネサダ。彼ならば、わざわざ口にしなくとも私の気持ちを感じ取れるはずだ。
しかし、聞きたいのだろう。直接私の口から。今の私の思いを。
「……スカッとした……けど」
『けど?』
「……全然、足りない」
カネサダの剣身に映る私の瞳は獰猛な光を湛えていた。
「まだ……まだまだ足りない」
私はぎゅっとカネサダを抱いて、祈るように目を瞑った。
「カネサダ、ようやく分かったんだ。この世界には喰う者と喰われる者……二種類の人間がいるんだって。刃向かう意思のない者は、幸福、尊厳、正義……何もかも奪われ続けるって。今までの私がそうだった」
奥歯を悔し気に噛みしめる。
「でも、それも今日で終わりにする。私は、私を虐げる者を許さない。今後、私に手を出そうものなら、その倍の苦しみを味わわせ、二度と気の迷いを起こさないようにしてやる」
やられたらやり返す。そう、アメリアにしたように。
「それだけじゃない。私は……復讐したい」
それは胸の内側からあふれ出た思いだった。
カネサダが小さな笑い声を発した気がした。
「アメリアだけじゃない……私を虐げてきた者達……その全てに……私は復讐する」
立ち上がり、カネサダを目の前にかざす。
「力を貸して、カネサダ……私の復讐のためにその力を」
暗い建物の隙間で、その刃は白銀の煌めきを放つ。まるで、私の身に訪れた、一筋の希望の光のようにも思えた。
『俺はただの剣だ。貸してやれるのはこの刃と、ちょっとばかしの知恵ぐらいだぜ……なあ、ミカ』
嬉しそうにカネサダは続ける。
『お前の復讐はお前のもんだ! 誰のためのものでもない! 選べ、お前の好きな道を、生き方を……その結末を! お前が“選択”する未来を俺は見てみたい』
私は頷き____
「怯え震えて縮こまるのは終わりだ。もう何者にも好きにされたくない。見せてあげるよ、その未来を」
かつて、英雄フランシス・ホークウッドはその復讐故に世界を変えた。
その生き方は、成したことは、決して正しいものでも、褒められたものでもなかった。
破滅的な彼の所業に、しかし私は不思議と共感するものがあった。
彼はその時代の誰よりも人間らしく生きたのだと、私は思う。野蛮で愚かな人間らしく。
カネサダを手に、私は誓う。
何処まで行けるか、分からない。私の力がどこまでこの世界を変えられるのか。
だけど____
「私は復讐する。私を虐げる者に、虐げてきた者に……!」
さあ、行こう。
長いプロローグだった。
私の復讐の刃は今、暗くも輝かしく煌めいた。
第一幕・完