第二十九話「決闘 後編」
私の手は、アメリアのスパッツの裾部分____その内側に隠された固い何かを布越しに握りしめていた。
布に隠されて、その正体は判然としない。
しかし、私はそれが何なのか知っていた。
無紋型人工魔導。彼女の胸元のそれとは別の、もう一つの人工魔導がそこにあった。
視線を上に向ける。アメリアの胸元、そこには無紋型人工魔導が僅かな光も湛えないで、鎮座している。そう、彼女の胸元の無紋型人工魔導は起動していないのだ。
私は彼女から放たれていた魔導波の違和感の正体に気が付いた。彼女の魔導波は確かに無紋型人工魔導のものであったが、その発生源は胸元ではなく、太腿____このスパッツの裾部分だったのだ。発生源の位置の相違が微妙な感覚のずれとして私に不審感を抱かせていた。
「……こ、この……離せ、汚らわしい!」
アメリアが声を上擦らせる。
今、私は彼女のスカートの中に下から手を突っ込んで、そのスパッツを掴んでいるという状況だ。遠目にはただの痴漢にしか見えない。
アメリアが狼狽しているのは、しかしその羞恥からではない。私に不正のトリックを暴かれたことに対する動揺からだ。
____私に細工の施された無紋型人工魔導を握らせるトリックはこうだ。
まず、アメリアは無紋型人工魔導に細工を施す。しかし、一つではない____兵舎の倉庫に存在する全ての無紋型人工魔導に細工を施した。
そして、立会人のカエデが兵舎の倉庫から二つの無紋型人工魔導を調達することになるのだが、必然、選ばれた二つとも細工の施された不良品になる。
そして、決闘当日。それらの不良品は私達の手に渡る。この際、私がどちらの無紋型人工魔導を選んでも問題がなかった。どちらにも細工が施されているのだから。
私は……いや私達は、細工の施された無紋型人工魔導を手に闘う。
しかし、アメリアの無紋型人工魔導が故障することは無い。何故なら、彼女はもう一つの正常な無紋型人工魔導を用意し、立会人に手渡された不良品を使用する振りをして、隠し持っていたそれを実際には用いているのだから。
型が同じ人工魔導を使うので、魔導波によりもう一つの無紋型人工魔導に勘付かれる危険性は少ない。
「アメリア隊長、このスパッツの内側の固いものは何ですか?」
隠された無紋型人工魔導を握る私の手に、更なる力が込められた。
アメリア隊長の顔が見る見るうちに青くなっていく。
「離____」
もう遅い……!
アメリアが叫び振り払おうとした瞬間、私は渾身の力を込めて、彼女のスパッツを破り抜いた。
スパッツを裂くと言う一見するとただの変態行為にしか見えない痴態を演じた私の手には、細工の施されていない正常な無紋型人工魔導があった。
その瞬間、アメリアからは魔導の力が失せ、逆に私がその力を手にする。
驚愕するアメリアに向け、お返しとばかりに私はビンタを放った。
「……ぶふッ!?」
頬をはたかれ、アメリアがよろめく。
フラフラと揺れる彼女の上体に、私は続け様にハイキックをお見舞いし、その身体を仰向けに倒した。
アメリアが派手な音を立てて地面に倒れる。
「……ぐ……あ、あ……ああ……!」
苦しそうに呻くアメリア。
後頭部から地面に激突しにいったので、少しだけ不安だったが。
……良かった。気絶はしていないようだ。
私はアメリアを無視し、彼女に弾かれた自身の剣の元に向かい、それを拾い上げた。
拾い上げた剣をアメリアに突き付けて告げる。
「……さあ、決闘の続きと行きましょうか……剣を取って下さい」
数秒の沈黙の後____
「……こ、この……みなしごの分際で……!」
アメリアは呪うような目つきで立ち上がり、フラフラと自分の剣を回収しに歩き出した。まるで悪霊に憑りつかれたような姿だった。
ふと、私は周りの様子を窺う。
やや遠方、私達を取り囲むアメリア隊の皆が、再び変わりつつある勝負の行方に、ざわざわと不安げな声を漏らしていた。
立会人のカエデはと言うと、事態を上手く飲み込めていないのか、目を白黒させて私とアメリアを交互に見つめている。
アメリアが剣を手に取るのを見届け、私は____
「五分間」
アメリアに向けて五本の指を突き出す。
「五分間は持つはずです」
私の視線はアメリアの胸元、細工が施されているであろう無紋型人工魔導に注がれていた。
「その無紋型人工魔導を起動させてください。五分もあれば、決着をつけるのには充分でしょう」
余程屈辱的だったのだろう、アメリアは私に蹴りを入れられたことに対する怒りで、顔を真っ赤にしていた。
彼女は胸元の無紋型人工魔導に手を添え、それを静かに起動させる。
「調子に乗るな“罠係”が! そのボロボロの身体で……この私に敵うものか!」
叫び、アメリアが剣を振りかざしてこちらに突進する。
彼女の言う通り、私の身体は既にボロボロだった。
力を振り絞り、先程はどうにか無紋型人工魔導を奪うことが出来たが、これ以上の戦闘は非常に困難なように思えた。
身体のあちらこちらの骨が折れ、関節を少しでも動かせば激痛が走る。
____そんな状態だったのだが。
「……!?」
アメリアの真正面から放たれた重い一撃を、同じく真正面から私は受け止める。
____そう、不思議と私は戦えていた。
「はあッ!」
「くっ!?」
反撃をお見舞いする。アメリアの右肩を私の剣が捉えた。
「……な、何故だ……何故そんな身体で……!?」
狼狽し、苦痛に顔を歪めるアメリア。まるで幽霊か生きる屍でも見るような目で私を見つめる。
よろよろとアメリアは私から距離を取る。
私は肩をぐるりと回した。
……?
……痛くない。
無紋型人工魔導では痛覚の麻痺にも限度がある。だと言うのに、私は今、先程アメリアに与えられた身体の痛みをほとんど感じないでいた。
……よく分からないが、身体が十全に動くのであればそれに越したことはない。
私は剣を構え直した。今度はこちらから仕掛ける。
姿勢を低くし、私はアメリアの足元目掛けて鋭い剣撃を繰り出した。
「あがぁッ!」
アメリアの口から悲痛な声が漏れ出る。右肩の痛みに気を取られて、足元に守りの意識が向いていなかったのだろう。私の一撃は、驚くほどすんなりと彼女へ通った。
上体が傾くアメリアに追撃の剣を振り下ろす。私の狙いは右手首。これもまた妨げられることなく綺麗に決まった。
「……ああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
手首を打たれ、アメリアが剣を落とす。訓練場に叫び声を響かせ、彼女は地面に丸まり、痛みで目から涙を溢れさせていた。
「……ぐ……ミ、ミシェル……!」
アメリアの顔には怒り____そして、怯えの表情が浮かんでいた。
目の前に跪く隊長を私は侮蔑するように静かに見下ろす。
「アメリア隊長……ご存知かと思いますが」
私はゆっくりと剣を振り上げる。
「決闘中に過って対戦相手を殺めてしまっても……罪には問われないんですよ?」
「……!?」
アメリアの顔がさっと青くなる。
それまで彼女の表情の中に紛れていた怒りや羞恥の感情が霧散し、恐怖のみがそこに残った。
アメリアはがくがくと震え、私に怯え切った瞳で問いかける。
「ま……待て……ま、まさか……そんな事……しない、だろうな? な、なあ?」
情けない姿だった。心が恐怖に支配されていると見える。
「……」
「ひぃッ!?」
私はただアメリアを見つめていた。彼女は私の与えた冷たく暗い視線に短い悲鳴を上げる。
私は剣を振り上げたまま、静かに口を開く。
「……命乞い」
「え?」
「……命乞いしても良いですよ、アメリア隊長」
私の言葉にアメリアは目を丸くした。
その顔が再び赤くなっていく。
「……い、命乞いだと……こ、この私が……」
彼女の唇はぷるぷると震えていた。その瞳がキッと私を睨む。
「……ふ、ふざけるなッ!」
「……」
「ひっ!?」
____が、私が暗い瞳で応じると、アメリアは再び恐怖で縮こまってしまう。死への恐怖と言うのは、時にありとあらゆる尊厳を人間から奪うものなのだと私は感じた。
「もう一度言います。……命乞いしても良いですよ」
全ての慈悲を殺して、冷酷に告げる。
すると、アメリアは歯を食いしばり、轢き潰れた呻き声を漏らした。そこに彼女の激しい葛藤が垣間見える。
やがて、葛藤の天秤が傾く。
アメリアが出した答えは____屈服だった。
剣撃を貰った手首を押さえ、彼女は地面に座った状態のまま私に頭を下げる。
「……た、頼む……命だけは……頼む、ミシェル……!」
それは、彼女にとって精一杯の命乞いだったのだろう。屈辱や羞恥を必死に抑えている様子がありありと伝わって来る。
「……こ、これで良いか?」
恐る恐る尋ねるアメリア。
私は肩をすくめ____
「何、勘違いしているんですか」
「え?」
「もしかして、見逃して貰おうだとか考えていませんか?」
「……な、何を……?」
呆然とこちらを見つめるアメリアに向けて、私は先程の言葉を正しく伝える。
「私は、命乞いしても良いですよ、と言ったんです。見逃すだなんて、一言も言ってませんよ」
「は?」
「だから、命乞いの許可だけを与えたんです。その命乞いに応じるかはまた別です」
「……ば、馬鹿な!」
アメリアの顔が見る見るうちに赤くなっていき、瞳は険しい怒りの炎を浮かべた。
「き、貴様……私を愚弄するとはッ!」
「アメリア隊長も仰ったでしょう? “この決闘は、我々のどちらか一方が気絶するまで続く。それまでは、どのような事があろうと、途中で決闘を逃げ出すことは許されない”」
私はアメリアの放った文句をそっくりそのまま口にした。
「この……生きる価値のないゴミ屑がぁッ!」
アメリアの怒りが頂点に達する。彼女は手前に転がっていた剣を左手で掴むと、激昂して私に斬りかかった。
しかし、アメリアの剣が届く前に、私は振り上げていた剣を思い切り彼女の右の肩口へと振り下ろし、その身を地面へと押しつぶした。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
アメリアの絶叫。
手に確かな感触があった。恐らく、彼女の鎖骨は今の一撃で砕け散った筈だ。
アメリアは地に顔を伏せ、口からひゅーひゅーと息を漏らしていた。今の状態の彼女なら、例え呼吸をするだけでもその肩口に激痛が走るだろう。
「さあ、もう一撃行きますよ」
「ま……やめ……!」
勝敗は決した。
この時点で、既に勝負は終わりと言って良いだろう。
しかし、決闘はまだ終わりではない。彼女が気絶しない限り、それは続く。
そして、これは始まりだった。
ここからが、本当に私のやりたかったことだ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」
アメリアの絶叫が再度響き渡る。私が俯せの状態の彼女に剣を振り下ろし、その右の肩甲骨を砕いたからだ。
我ながら絶妙な加減だった。アメリアが気絶しないギリギリを計算し、彼女に最大限の苦痛を与える一撃を放ったつもりだ。
私は泣き叫ぶアメリアの頭を踏みつけ、無理矢理彼女を黙らせる。足元からは痛ましい嗚咽が聞こえてきた。
まだだ。まだ終わりじゃない。
私はアメリアの左手を掴むと、剣をもう一度高く上げ____
「……や、やめ……!」
アメリアの左肘。その関節部分に向けて、思い切り剣を叩きつけた。
鈍い音と共に、訓練場にはアメリアの悲鳴が響き渡る。
ひしゃげる腕は、目を覆いたくなるほどグロテスクだった。
私とアメリアの決闘を観戦していたアメリア隊の皆が、口元を手で押さえ、病魔に冒されたように震えているのが見えた。
「アメリア隊長?」
地面でぐったりと伸びるアメリア。足先で小突くが反応がない。
……気絶したのだろうか?
……いや。
「下手な小芝居は止めて下さい」
「ぐえっ!」
私が背中を圧迫するように踏みつけると、アメリアが呻き声を上げて上体を反らす。
やはり、まだ気絶していないようだ。
「言っておきますが、気絶した振りをして決闘を終わらせようだなんて……そうはいきませんからね」
責めるように忠告する。
そして、見せびらかすように剣を再び高く振り上げた。アメリアの顔に恐怖が差す。
「お、お願いしますッ!」
泣きじゃくりながら、アメリアは私の足元にしがみ付いた。
「お願いします、もうこれ以上は……お願いします、ミシェル様ぁ!」
「……」
私は目を丸くした。
何だコイツ。何だこの変わり様は。
媚びへつらうように縋るアメリアに、私は困惑していた。ついぞ聞いたことのない甘ったるい声は、物乞いのそれに等しい。
「わ、私が悪かったです! すみませんでしたぁ! この通り謝るので! もう許してえ!」
必死に謝罪の言葉を述べるアメリアに、私は首を振って溜息を吐いた。
なりふり構っていられないといったその様子に呆れ返る。
そして、彼女の口が更に呆れた事を言い放った。
「ほ、ほんの出来心だったんです!」
「出来心?」
「は、はい! 全部、何もかも、出来心だったんです!」
全部。
それは恐らくだが、アイリスの一件だけの話ではないのだろう。これまで私にしでかしてきた、ありとあらゆるイジメ、迫害、加害の数々。それら全てが、出来心だったと……そう言っているのだ。
呆れ返る言葉だが、私にはそれが真実であるとはっきり理解できる。
アメリアは何も本気で私を憎んでいる訳ではない。卑劣な行いの数々は、全て彼女の気まぐれ故のものだった。
その気まぐれが、今まで私に地獄の様な苦しみを与えてきた。
ただ、それだけのことだった。
……そして、その気まぐれを起こさせた原因は私にもある。
もし仮に、私がアメリアに気まぐれを起こさせないように……毅然と振舞っていれば、彼女が嗜虐に走る事は無かったのかもしれない。
そう、彼女に対し……その悪行に対し、私には責任がある。
だからこそ____
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!? やめてくださああああああああああああああああああいぃ!!」
私は剣をアメリアに振り下ろした。
何度も何度も何度も……。
手には節々の骨を砕く感触が伝わる。耳には轢き潰れた悲鳴が届く。目には慈悲を乞うように彷徨う手が映る。
アメリアは命乞いをした。
私が剣を振り下ろす度に一言。また振り下ろして、もう一言。
しかし、聞き入れられない。
私にはアメリアの悪行に対して責任があるのだ。だからこそ、二度と彼女が過ちを起こさないように、徹底的にその身体を、心を痛めつけなければならない。
いや____
そう言うのは無しだ。
この期に及んで、私はまだ正義だとか大義名分だとかに拘っているらしい。
これは、最早そう言うものではないし、そう誤魔化せるものでもないのだ。
私が今、アメリアを痛めつけているのは、悪行に対する制裁でも、その抑止のためでもない。
ただ、私の中の暗い欲求に従っているだけなのだ。
「ごめん」
剣を振り下ろしながら、私は謝る。
「ごめん、アイリス」
この場にいない少女へと……かけがえのない友人へと心から謝罪する。
……アイリス。
貴方は、私に憧れを抱いてくれた。それは、とても嬉しい事だし、これ以上ない私の誇りだった。
でも、私は貴方の思っているような騎士ではなかった。強くて優しい騎士ではなかった。
本当にごめん。
これが、多分本当の私なんだ。
騙すつもりなんてなかったんだよ?
……ごめんね、アイリス。
「いやあ……もう、いやあ……ごめんなさい……ゆるしてえ……!」
ふと、私の剣が止まる。
アメリアの胸元の無紋型人工魔導。そこから放たれ続けていた魔導波の消失を感じ取ったためだ。
アメリアの魔導の加護が失せた。
もし、もう一度その身に剣を振り下ろせば、彼女は気絶____最悪、命を落とし、決闘は私の勝利で終わるだろう。
「アメリア隊長……生きたいですか?」
囁くようにアメリアに尋ねる。
「……こ、殺さないで!」
「……」
怯えた瞳がこちらに向けられる。
私はすっと息を吸い、アメリアに言い聞かせた。
「ここで貴方を殺める選択が、どれ程楽なものか……ご理解できますよね?」
「……! お、お願いします! お願いします、ミシェル様!」
「約束です」
私は剣でアメリアをつつく。
「二度とアイリスに手を出さない事……しっかり守れますか?」
「守れます! 二度とアイリスに手は出しませんッ!」
宣誓するアメリアに、私は冷たい視線を向ける。
そして、声を張り上げた。
「聞け!」
その声は、言葉は、アメリアだけではない……この場にいる騎士達全員に向けて放たれたものだった。
「今日、私は宣言する!」
胸に手を当て、力の限り叫ぶ。
「私は、私や私の友達を虐げる者を容赦しない! 命が惜しくない者よ、再び卑劣な悪行に出るがいい! 今度こそ、本当の地獄を見せてやる! 私は本気だ! 例え、この身を滅ぼすことになろうと……お前たちを必ず……!」
私は燃えるような怒りの目をアメリアに向けた。
「お前たちを必ず……殺す!」
そして、彼女の頭部目掛けて、渾身の蹴りを放つ。
ゴムボールようにアメリアは吹き飛び、その身体が何度も飛び跳ね、地面を擦る。
土煙が舞い上がり、晴れた先、痙攣を繰り返す彼女の身体は____
「今回は……殺さないでおきますね」
アメリアの身体は、気絶して動かなくなった。
それは、即ち決闘終了の瞬間。
私の勝利が確定し、アメリアが命拾いをした瞬間であった。