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トラップ・アンド・ブレイド~男の娘と復讐の刀~  作者: ラプラシアン蒼井
第一幕 復讐のススメ
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第二十六話「白い手袋」

 アイリスと正式な友人になり、三日目の朝。


 朝の光がベランダに差し込み、私は幸せな気分の中、目を覚ました。


「おはよう、カネサダ」

『おう、ミカ』


 カネサダに朝の挨拶を済まし、私は新鮮な空気を肺の中に入れ込む。


『何だ、嬉しそうだな、ミカ』

「うん」


 私の声は弾んでいた。


 食堂に向かえば、アイリスに会える。その事実が、私に無上の幸福をもたらしてくれた。


 アイリスは知れば知るほど、良い娘であった。優しく、明るくて、とても勇敢な精神を持っている。


 彼女と友人になれたことは、またとない我が身の祝福のように思えた。


 今は、毎日が楽しい。朝と夕方。アイリスに会えるのはその時間に限られる。しかし、その短くもかけがえのない時間が、他の私の全てを鮮やかに、そして温かく彩った。


「おはよう、アイリス」

「おはよう、ミシェルちゃん」


 アイリスと朝食を共にする。


 なんてことのない会話を交わせる相手がいる事が、こんなにも幸せな事だったのだとしみじみと思い知らされる。


 アイリスとの雑談は楽しかったが、彼女は時々困ったことを言う。


「ミシェルちゃんって……恋人とか出来たことある?」

「え? 恋人?」


 アイリスの質問に私は目を丸くする。


「そう、恋人。彼女か……それとも、彼氏か……」

「……」


 時々だ。アイリスは私のジェンダー的な問題に探りを入れようとする。


 この質問もその真意は、私が男性か女性、どちらに性的な興味があるのか確かめるためのものなのだ。


 その探求心や好奇心は分からないでもないが、私としては少しだけ自重してほしい次第だった。


 あまり、触れられてほしくない話題なのだ。


「恋人は出来た事ないよ……アイリスは?」

「私もまだかなあ」


 明るく微笑むアイリスを見ると、中々彼女の詮索を咎める気にはなれない。


 朝食を食べ終えた私達は、一緒にエストフルト第一訓練場へと向かい、朝のミーティングの後、仕事終わりにまた会う約束をして別れた。


 アイリスはいつも以上に張り切った様子だった。何でも、今日は模擬戦形式の対人戦闘訓練を行うようで、彼女は普段波風を立てぬように隠していた真の実力を皆に見せつけたいそうなのだ。


 いつの間にか好戦的になっているアイリス。彼女もまた変わりつつあるのだ。


 ちなみに、本日の私の仕事は騎士団付属資料館の荷物整理の応援だった。


 時刻は過ぎ、夕方。


 仕事が終わり、私は食堂前でアイリスを待った。


 しかし、幾ら時は経てどアイリスは姿を現さない。


 いつしか日は完全に沈み、空には月がかかっていた。


 寒々しくて、妙に青白い月だった。そう感じるのは、友達を待つ寂しさの所為だろうか。


 食堂からは既に夕食を済ませて自室に戻る騎士も居る。


 ふと、私は寝床へと引き返していく騎士達の中にアメリア隊の面々を見つけ、その会話に耳を傾けてみた。


「アイリスの奴、傑作だったわよね!」

「ほんとほんと! 大人しく隊長に謝罪しとけば良かったのに、本当馬鹿なんだから」


 アイリス。その名前が彼女達の口から聞こえて来た。


 私の注意と関心は嫌でもそちらに向かう。


「アイリス、生きてるかな」

「さあ、どうだろ? あれはもう手遅れなんじゃない?」

「ふふっ、ざまあみろって感じよね!」


 生きてる? 手遅れ?


 不穏な言葉が飛び交い、私は全身の血が抜けていくような錯覚を覚え____


「……ま、待って下さい!」


 堪らず、会話中のアメリア隊の騎士達に飛びついた。


 彼女達は私に気が付くと、一瞬目を丸くした後、意地の悪い笑みを浮かべた。


「何よ、“罠係”」


 騎士の一人がニタニタと笑いながら、こちらを見つめてくる。


 私は不吉な予感を覚えつつ、荒くなる息を整え、前のめりになりながら尋ねた。


「……アイリスは……今、何処にいますか?」


 その問い掛けに、騎士達は顔を見合わせ、意味深にくすくすと笑い合うのだった。


「……さあ、何処かしらねえ」


 勿体ぶるような、あるいは挑発するようなその言葉に私の心臓の鼓動は早くなる。


 嫌な汗が全身から噴き出し、悪寒が手足を震わせた。


 私は気が付けばぜえぜえと喘いで、喉元を両手で押さえていた。


「……アイリスは」


 視界がぼやける。


 脳内で、何かが崩れ去る音がして____私は無意識の内に腰元の刀に手を伸ばしていた。


 カネサダの柄に右手を添える。


「……ちょっ!? な、何よ、”罠係”!?」


 身の危険を感じたアメリア隊の騎士達の目に恐怖の色が滲む。


「……アイリスはッ!」


 叫び、勢いのままカネサダを抜き放とうとするが____


「ミシェル」


 寸での所で何者かに背後から肩を掴まれ、私はその動作を中止する。


 後ろを振り返る。


「アイリスの居場所なら私が知っている」

「……ラピス副隊長」


 ラピス副隊長が私の肩を掴み、落ち着き払った瞳をこちらに向けていた。


 彼女は私の肩に置いた手を滑らせ、腕、そしてカネサダを握る手の甲へとそれを這わせる。


「落ち着け、ミシェル」

「……」


 私の右手に自身のそれを重ねるラピス。気が付けば、私はカネサダの柄から手を離していた。


 深呼吸をする。


 私はラピス副隊長に向かい____


「ラピス副隊長、教えて下さい……アイリスは今何処に……?」


 急く気持ちを押さえて、静かに尋ねた。


 一瞬、ラピスの目が泳いだようにも思えた。その口が若干言い辛そうに告げる。


「アイリスは今……意識不明の重体で王立軍病院だ」

「……!?」


 ラピスの言葉に頭が真っ白になる。


 意識不明の重体?


「……待て、ミシェル!」


 気が付けば、私は地を蹴飛ばし一心不乱に駆けていた。後方でラピスが呼び止めるが、私が振り返ることは無かった。


 胸元の複十字型人工魔導核ダブルクロス・フェクトケントゥルムに手を添え、ありったけの魔導の力を引き出す。


 流星の如く市街地を走破し、私はものの数十分で軍病院まで辿り着いた。


「アイリスは何処ですかッ!」


 軍病院の受付カウンターに押し掛けた私は、まるで脅迫するようにアイリスの居場所を尋ねた。


 私の剣幕に面食らった様子の受付係の職員。


「ア、アイリス……?」

「アイリス・シュミットです! 今日運ばれてきた!」

「し、少々お待ちを」


 怯えた瞳で職員は引き出しから用紙を取り出し____


「二〇三号室____」

「分かりました!」


 言い切る前に、私は軽くお辞儀をしてアイリスの元まで駆けていく。


 病院内を走るのは感心しない行為だが、今の私にはそれを気に掛ける余裕などなかった。


 二〇三号室。受付の職員の口にした部屋まで到着し、私は扉を派手に開けて中に入る。


「アイリス!」


 思わず叫んでしまう。


「……!」


 返答はなかった。しかし、アイリスはそこにいた。


 部屋に一台だけ存在する横幅の広いベッド。その中に、アイリスは丁寧に据えられていた。


 意識はない。但し、呼吸はしているようで、それが生存の証になった。


 全身、包帯でぐるぐる巻きだった。手足だけではない、白い布は胴体や……首、顔、頭にまで及んでいる。


 私は彼女にそっと近付いて、その様子を窺い、口元を手で押さえた。


 胃袋から何かが込み上げてくる。


 アイリスの状態は近くで見れば見るほど酷いものだった。包帯越しでも分かる身体の切り傷、痣、腫れ。可愛らしいその顔は、所々赤黒く腫れて、醜く歪んでいた。


「……あ……ああ……」


 足元がふらつく。私は床に膝をつき、丸まって、両手で頭を押さえた。


「……あああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 知らず、私は絶叫していた。我を忘れて髪を掻きむしり、肺の中の空気を全て外に吐き出した。


「ああ……ああ……ああああッ!!」


 狂ったように、まるで言葉を忘れてしまったかのように私は泣き叫ぶ。それは獣の咆哮と大差がない粗野なものだった。


『うるせえぞ、ミカ!』


 カネサダの一喝が入る。


 私は息を整え____


「ア、アイリスが……アイリスが……」

『安心しろ、生きてる』


 そう言う問題じゃない……!


 無残な友達の姿を前に、私は自我を保ち続ける自信がなかった。


 幽鬼のようによろよろと立ち上がり、白い壁に手を着く。


 項垂れた私は、恐る恐るアイリスを再度見遣った。


「……アイリス……一体、何が……」


 アイリスの身に何が起きたのか、私にはまだ分からない。


 分からないが、おおよその予想はつく。


「……アイリス」


 彼女の名を呟く。


「……アイリス……アイリス……アイリス……アイリス……!」

「病院内では静かにしろ、ミシェル」


 アイリスの名を狂ったように連呼していると、鋭い声が私にかけられた。


「……落ち着け、ミシェル」


 私を追って走って来たのか。


 室内の入口、ぜえぜえと息を切らしたラピス副隊長が私を見つめていた。


「落ち着け? ……これが、落ち着いていられますかッ!」


 ラピスに向かって吠える。


「何が……何があったんですか!? 教えて下さい、ラピス副隊長! 一体、アイリスは何をされたんですか!?」


 私がラピスに掴み掛かると、彼女は気不味そうに俯き、ゆっくりと口を開く。


「模擬戦形式の対人戦闘訓練があったのは知っているな? 私は巡回任務についていたので、現場を目撃したわけではないが……」


 歯切れが悪そうにラピスは続ける。


「報告によれば、アイリスの人工魔導核(フェクトケントゥルム)が故障を起こしたらしい」

「……故障?」


 私はその時点で、色々と察するのもがあった。


「しかし、当のアイリスは自身の人工魔導核(フェクトケントゥルム)の故障に気が付かず、魔導の力を失った状態のまま訓練を続行」

「……?」


 私は困惑の表情を浮かべていた。ラピスも同様の表情を浮かべている。


 人工魔導核(フェクトケントゥルム)が故障し、身体から魔導の力が急に消えれば、嫌でも魔道具の不調に気が付くはず。


「アメリア隊長はアイリスの様子を怪しんで、何度も人工魔導核(フェクトケントゥルム)の故障を指摘するも、当人はこれを無視」

「……はあ?」

「結果、魔導の加護のない身体のまま模擬戦に挑んだため、かのような手酷い大けがを負った」

「……いやいや」


 何だその話? 不審な点が多すぎる。


 私は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたと思う。


「……あの、ラピス副隊長……それ、本気で言ってます?」

「……」


 責めるように尋ねると、ラピスは目を瞑って黙り込んでしまった。


「まさか……真に受けてはいませんよね……その報告……?」

「……おそらく」


 苦々しく口を開くラピス。


「この一件を、アイリスの自己責任という形で処理するための作り話だろうな」


 ほぼ間違いなく、作り話だ。


 私の肩は怒りでわなわなと震えていた。


 それからラピスは、彼女自身が考える物事の顛末を語る。


「訓練に参加した騎士達の話を盗み聞ぎするに……アメリア隊長の手回しでアイリスの人工魔導核(フェクトケントゥルム)には細工が施されていたのだろう。アイリスがその故障を訴えるも、隊員皆で結託して彼女の口を封じ込め……」


 ラピスの視線がベッドの上のアイリスに向かう。


「……このようになるまで、容赦なくいたぶった」


 痛々しいアイリスの姿。


 私は感情を抑えきれず、壁を思いっきり拳で殴っていた。


「……クソッ!」

「ミシェル、よせ」


 宥めるラピス。しかし、彼女の声で私の憤りが収まる筈がなかった。


 私は床に丸まり、拳で何度もタイルを叩いた。


 ラピスが制止するが、私は構わず地面に怒りをぶつける。


 しばらくすると、私は拳を振り下ろすのを止め____


「……私の……所為だ……」


 力なく呟き、涙を流す。


「私と仲良くした所為で……アイリスは……」

「……」

「そうですよね、ラピス副隊長?」


 私が縋ると、ラピスは困ったような表情を浮かべて、口元を固く結んだ。


 彼女の口が否定の言葉を述べることは無かった。


 そうだ。


 これは(、、、)、十分に予測できたことだった。私と仲良くして、アイリスが無事なままでいられる訳がなかった。


 悲劇を予見していて尚、私は知らない振りを決め込んでいたのかもしれない。


 彼女に甘えていたのだ。ずっと素敵な夢を見ていたいと。


 私は酷い奴だ。


「……」


 自分が許せない。


 しかし、今は____


「……許さない」

「ミシェル?」

「……絶対に許さない……絶対に……!」


 私は立ち上がり、部屋の入口へと向かった。


 ラピスが私を呼び止める。


「おい、待て……何処へ行く……」

「アメリア隊長の所です!」


 こちらに手を伸ばすラピスに、私は殺気立って言い放った。


 彼女の手が私の腕をがっしりと掴む。


「アメリア隊長の所に行ってどうする気だ?」


 睨むラピスに____


「……そんなの……ラピス副隊長には関係ないでしょう」


 苛々とした口調で答える私。副隊長は眉間にしわを寄せた。


「お前は……今のお前は行くべきではないな」

「何故ですか」

「冷静さを失っている。今のお前をアメリア隊長に会わせるのは危険だ」


 ラピスは私の腕を握る手に力を込めた。


 そんな副隊長を払いのけようと、私はもがく。


「離してくださいッ! アメリア隊長に会いに行きます! 隊長に会わずにはいられません!」


 顔を真っ赤にしてじたばたと暴れる私は、ラピスの拘束を振りほどき再び駆けだそうとした。


「……ミシェルッ」


 ラピスの手から解放される。しかし、それは一瞬の事ですぐにまた彼女に捕らえられてしまった。


 振りほどいては捕まり。また振りほどいては捕まる。しばらくの間、私とラピスはそんな遣り取りを繰り返していた。


「……ミシェル!」


 ラピスが叫ぶ。


「……私も同行しよう」


 そして、そんな事を言い出した。私の動きが止まる。


「一緒に隊長に会い行こう……だから、落ち着いてくれ」

「……」


 私とラピスが息を切らし合って互いを見つめる。


 私が黙り込んでいると、ラピスは額の汗を拭って口を開いた。


「私だって、あの人には一言言いたい……どうだろうか……私と一緒に?」


 再びラピスが私の腕を掴む。今度は優しく包み込むように。


 そんな副隊長の様子をじろじろと窺う私は、深呼吸を一つする。


「副隊長と一緒に?」

「ああ、そうだ……嫌か?」

「……いえ」


 私は首を横に振った。


「少しだけ、冷静になりました……すみません」


 アイリスの無残な姿を前に、心の平静を失っていた。しかし、ラピスのおかげで一応の思慮分別は取り戻せたようだ。


「むしろ、こちらからお願いします。どうか、隊長の元まで付いて来てください」


 私は頭を下げた。


 正直、今の私はアメリア隊長を前に何をやらかすか分からない。冷静さを失って、取り返しのつかないことをしでかすかも知れない。


 しかし、副隊長が一緒なら、彼女が良い抑止となって私をいざという時に押し留めてくれるだろう。


 私の言葉にラピスはほっと安堵の表情を浮かべた。


「……だいぶ騒いでしまったな……叱られない内に早くここを立ち去ろう」


 言うが早いか、ラピスは私に視線を与え、すぐさま病院を後にしようとした。


 私達はラピスの先導でエストフルト第一兵舎に帰還し、一路アメリア隊長の自室へと向かう。


 部屋の前まで辿り着くと、様々な心情が渦巻く中、ラピスは目の前の扉をノックする。


「アメリア隊長、私です。ラピスです」


 凛とした声が発せられて数秒。扉が開き、寝間着姿のアメリア隊長が不快そうな面持ちで私達の前に現れた。


「夜分遅くに申し訳ありません」

「……全くだ」


 アメリア隊長は呪うような目つきでラピスを睨む。


「……お前もいたのか」


 私の姿を確認すると、不快そうな隊長の顔が更に不快そうに歪む。


 仁王立ちで構えるアメリア隊長。


「お前たち、私に何の用だ」


 咎めるようにアメリアは言い放った。すう、とラピスは息を吸い、私に目線を遣る。


「ミシェル」


 副隊長が私の背中を軽く押して、その身をアメリアの真正面に立たせる。


 私はラピスに一瞥を与えると、頷き、目の前の高慢な女性を見つめた。


 視線がぶつかる。私は色々な感情を抑えて、静かに口を開く。


「アメリア隊長、アイリスの事で伺いに来ました」

「……アイリスだと?」

「アメリア隊長、正直に答えて下さい。今回のアイリスの大怪我、貴方が仕組んで、彼女をあのような目に遭わせたのですね」


 毅然と言い放つ私に、アメリアは呆れたような口調で答える。


「それがどうした?」


 悪びれることなく、アメリアは溜息を吐いた。


「仮のそうだとして、一体何だと言うのだ」


 下らないと吐き捨てる隊長の態度に、はらわたが煮えくり返る思いだった。


 アイリスのあの惨状を毛ほども気にかけていないと言った具合だ。


「己の罪を認め、それを上層部に報告し、二度とこのような不条理に及ばないことを約束してください」


 私の言葉にアメリアは心底馬鹿にしたような態度で____


「そんな下らないことを言うために、ここまでやって来たのか……全く、呆れて物も言えない」

「……待って下さい」


 背中を向け、部屋に引き返そうとするアメリアを引き止める。


 彼女の振り向き様に、私は懐からとある物(、、、、)を取り出し、床に投げ捨てた。


「……何の真似だ?」


 丁度足元、私の投げ捨てたとある物(、、、、)をアメリアが眉をひそめて凝視する。


 私が投げ放った物。それは、白い手袋だった。


「足元の白い手袋。これが何を意味するのか……分かりますよね?」


 挑発するように尋ねると、アメリアは目を細め、苛立たし気に足先で床を数回叩いた。


 私とラピスが見守る中、彼女は重い口調で____


「……決闘か」

「ええ、そうです。アメリア隊長に決闘を申し込みます。決闘でこちらが勝利した場合、隊長には先程の私の要求を飲んで頂きます」


 アメリアは忌々しそうに頭を掻いた。


「下らん」


 そして、ただ一言言い放った。私は尚も挑発するように食って掛かる。


「……逃げるのですか? この私から? 決闘で負けるのが怖くて……」

「勘違いをするな、みなしご!」


 アメリアは一歩前に進み出て、私を睨みつけた。


「決闘とは神聖なもの。互いの誇りと名誉を賭けて闘うものだ。貴様の様な卑しい者の決闘に応じれば、それだけで私と我がタルボット家の名誉が穢される。身分の違う者同士の決闘など、非常識にも程がある」

「……そう言って、私から逃げるのですか!」


 私の言葉に、アメリアは見下したような視線を与えるのみだった。


 怖気づいている訳ではない。あくまで、その言葉通り、私との決闘を不名誉なものとして取り合わない気でいる様子だ。


 名門貴族の娘とみなしご。身分違いの者同士の決闘が非常識なのは分かっている。


「……私は」


 無意識の内に、腰元のカネサダに右手が伸びる。


「……貴方を」


 私のその言葉には強烈な殺気が込められていた。それは、今までの人生で魔物以外には放ったことのない明確で、鋭利なものだった。


「何をする気だ、貴様」


 私がカネサダの柄を掴み、身構えたためか、アメリアも咄嗟に身構えた。


「……その剣を引き抜いたらどうなるか……分かっているのだろうな?」


 強気に出ているつもりだろうが、アメリアの声は震え、その声音からは動揺と焦燥が滲んでいた。


「……私は本気です……もしも決闘に応じて頂けないのなら……いっそ……」

「……き、貴様」


 後退るアメリア。その身体が、恐怖でよろけた。さしもの彼女も、私が放つ本物の殺気を前に、身の危険を感じているようだ。


 決闘に応じないのならば……今この場で……!


 一歩足を前に出す。その時____


「よせ、ミシェル」


 それまで静観を決め込んでいたラピスが私達の間に入り、ぶつかり合う視線を遮断した。


「……ラピス副隊長」

「そこまでだ、ミシェル」

「ですが」


 私が身体を前に倒すと、ラピス副隊長はその鉄仮面をこちらに向け、鋭い視線だけで制した。


「お前の用事はここで終わりだ」

「……そんな!」


 ラピス副隊長に胸部を押され、私は後方によろめく。アメリア隊長が安堵の表情を浮かべたのが見えた。


 私は納得がいかない様子で、ラピスに詰め寄る。


「隊長とまだ話が……!」

「ここから先は私の用事だ」


 そう言って、ラピスはにべもなく私を突っぱね、アメリアに向き直った。


 抗議しようと再度詰め掛ける私を無視し____


「アメリア隊長、ここからは私の用事になります」

「……何だ」


 気を取り直すように仁王立ちになるアメリア。


 ふと、ラピスはしゃがみ込んで、床に落ちている白い手袋____私が投げ捨てた宣戦布告を拾い上げた。


「私の用事はこれです」


 そして首を傾げるアメリア目掛けて、ラピスは拾い上げた手袋を思い切り投げつける。


 軽く乾いた音がした。


 白い手袋はアメリアの額にぶつかり、彼女の両目を覆い隠す。


「……」


 アメリアは無言で手袋を顔から引っぺがし、手元で丸め、しげしげと見つめていた。


 沈黙が数秒続き、隊長が重々しく口を開く。


「何のつもりだ、ラピス副隊長」


 声には怒気が籠っていた。対してラピスは涼しい顔で____


「見てわかりませんか? 決闘です」

「決闘だと?」

「はい、この私____ラピス・チャーストンが……貴方に決闘を申し込むのです」


 呆れたようにアメリアはラピスの肩を小突く。


「舐められたものだな。貴様の剣の腕で私に敵うとでも思っているのか? 私の実戦での強さは知っているだろう」

「ええ、十分承知しております……ですので」


 ラピスが目を丸くする私を振り返り、小さく頷いた。


「代闘士を立てます」

「代闘士だと?」

「ミシェルに私の代闘士となってもらいます」


 ラピスが少しだけ悪戯な笑みを浮かべた気がした。


「即ち、私が決闘を申し込み、代わりにミシェルが闘います」

「……」

「どうします、アメリア隊長? チャーストン家との決闘ですよ。これ程名誉ある決闘がありますか?」

「……」

「お断りになっても構いませんよ。ミシェルと闘うのが怖いのなら」

「……!」


 アメリアが奥歯を噛みしめた。そんな隊長にラピスは更なる追い打ちをかける。


「もし貴方がこの決闘に勝利すれば……私は貴方の従属騎士になりましょう」

「……従属騎士だと!? チャーストン家の人間が!?」


 騎士団には従属騎士と言う制度がある。個人間で結ばれる騎士同士の主従契約だ。関係を持った従属騎士の数とその顔ぶれは騎士の組織内における個人的な政治力を形成する。


 チャーストン家の人間が従属騎士になる事などまずない。それもその筈。チャーストン家は騎士の四大名家の第三席で、他の騎士を従わせることはあっても、従う事など決してないのだから。


 分家の人間とは言え、チャーストン家の令嬢であるラピスを手中におさめれば、自身の政治的基盤は鋼の如き頑強さを誇るようになる。


 アメリアがごくりと生唾を飲み込む音が聞こえてきた。


「……正気か、ラピス副隊長?」

「勿論です。その代わり、こちらが決闘に勝利すれば、先のミシェルの要求を飲みこんで頂きます」

「……」


 アメリアはそれから気難しそうに唸り、顎に手を添えて目をぎゅっと瞑った。


 チャーストン家との決闘という名誉ある闘いである上に、その勝利の報酬が自身の権力を爆発的に増大させる垂涎(すいぜん)ものの品となると、ここで決闘の辞退は、敗北への強い恐怖を示すことを意味する。


 即ち、実際の対戦相手である私への恐れだ。


 アメリアはそれから目を開き、交互に私とラピスを見遣る。


 そして____


 その口の端が妖しく歪むのを、私は見た。

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