第二十五話「アイリス:壊れた人工魔導核」
ミシェルちゃんとお友達になって三日目の事。
その日、私は模擬戦形式の対人戦闘訓練を行う予定になっていた。
私達は刃の潰された剣と無紋型人工魔導核を装備し、二人一組を作って、ペアとなった騎士同士で一対一で戦う事になっている。
模擬戦は実戦に近い形式で行われ、ともすれば相手を殺める勢いで剣と剣をぶつけ合わせる。
使用するのが複十字型人工魔導核ではなく無紋型人工魔導核なのは、出力の小さい人工魔導核を用いることで、全力を出しても相手の命を奪うような事態に陥らないようにとの配慮があっての事だった。
アメリア隊の半数近い人員がエストフルト第一訓練場の一画に集合し、隊長の掛け声と共に戦闘訓練が始まった。
第一戦目、私の対戦相手は二つ年上の先輩騎士だった。
試合開始の合図と共に、先輩騎士は剣先をこちらに向け突きを放つが、私はそれをひらりと躱す。
「……な!?」
驚く先輩騎士。私はがら空きのその胴体に鋭い剣撃をお見舞いした。
勢いの乗った一撃を貰い、彼女は膝から崩れ落ちる。
「……ぐうッ」
苦痛の声を発して先輩騎士は身を屈めた。
勝負ありだ。私は悠然と地に両手両膝を着く騎士を見下ろしていた。
「き、貴様……アイリス……!」
先輩騎士は信じられないと言った目で私を見つめていた。彼女は驚いているのだ。私が今まで隠していた真の実力に。
今まで何度か模擬戦形式の対人戦闘訓練が行われてきたが、私は先輩や貴族の騎士相手には手心を加える事にしていた。
善戦を装い、最後の最後で勝ちを相手に譲る。全ては相手に花を持たせ、いらぬ波風を立てぬための処世術だった。
だが、それも今日で止めにする。他人の顔色を窺うのは終わりにし、私は誰の目も気にせず純粋に己の力を振るう事に決める。
ペア交代の号令が発せられるまで、先輩騎士は打たれた横腹を押さえ、私を悔し気な瞳で睨んでいた。
私の第二戦目の対戦相手は、これまた二つ年上の先輩騎士で、先程私に敗れた同期の騎士がふらふらと立ち上がり次の試合に向かう様を心配そうに見つめていた。
憎々し気な視線を新たな対戦相手から向けられる私。
私の勝利を面白く思っていないその様子が、ひしひしと伝わってくる。
以前の私なら、その敵意に満ちた瞳に委縮して、がたがたと肩を震わせていた事だろう。
だが、今の私は違う。その程度では、決して退かない。
再び試合開始の合図。私は振り下ろされた先輩騎士の剣撃を真正面から受け止める。
そして、そのまま全体重を剣に乗せて相手方を後方に押し込もうとするのだが____
「……!」
不意に、急な脱力感に襲われる。
「……くぅッ」
鍔迫り合いに持ち込み、やや優位を保持していた私だが、身体から力が抜ける感覚と共に逆に後方に押し込められ始め、力強い先輩騎士の一押しにより地面に尻もちをついて倒れ込んでしまった。
すぐさま起き上がろうとするが、私の開けっ広げの腹部に先輩騎士の靴底が押し当てられる。
「あがっ」
先輩騎士は渾身の力と怒りで以て私を踏みつけていた。
腸から胃袋にかけて強い圧迫を受けていた私は、唐突な吐き気に襲われ、無意識の内にえずき、苦悶の表情を浮かべる。
……何か、変だ。
上手く力が出ない。腹部を踏みつける足を押し返そうと踏ん張るが、全くと言っていい程歯が立たなかった。
「ほら、どうしたアイリス」
「……ああ……ぐ……!」
苦痛の中、余裕の表情で私を踏みつける先輩騎士の姿が目に入った。
やはり、おかしい。
同じ型の人工魔導核を装備している者同士の間で、これほどまでに膂力に差が出るなど。
「……! ……人工魔導核が!?」
人工魔導核。ふと胸元に取り付けられた自身のそれに視線を移すと、通常ならば淡い輝きを放ち続ける宝珠が、寝静まっているかのように暗く一片の光も発していないことに気が付く。
無紋型人工魔導核が起動していない。
いや、故障したのだ。おそらく、急な脱力感に襲われたのはそのためだ。
「ま、待って下さい……人工魔導核が……!」
「……」
私が試合の中止を訴えかけると、先輩騎士は意地の悪い笑みを浮かべて、剣を振り上げた。
そして____
「……いッ……!」
容赦なく振り下ろされる剣撃。先輩騎士の剣は私の肩を打ち、その口から呻き声を上げさせた。
「……ま、待って……!」
痛みに涙を目に浮かべ、私は手の平を対戦相手に向ける。
しかし、その制止を無視するように再度私に剣が振るわれた。
「……あああああああああああああああああああああああああッ!」
何度も何度も、先輩騎士は私を剣で打ちつける。
悲鳴を上げずにはいられなかった。
無紋型人工魔導核が故障し、魔導の力を失った今の私には、剣撃を防ぐ力も、身体を修復する力も、痛覚を麻痺させる力もなかった。
私は絶叫の中、先輩騎士の顔を見る。
____笑っていた。
ぞっとする。彼女は、魔導の力が使えないのを良い事に、私を徹底的にいたぶるつもりだ。
私は身体を転がし、暴れ回る剣から逃れようとした。
全身に激痛が走る。手先が痙攣し、私は身体をくねらせ、芋虫のように地を這った。
そんな私を先輩騎士は逃してはくれなかった。
彼女は剣を捨てると、私を掴み上げその頬を手の平ではたき始めた。
「……や、や……め……て……」
力なく私は懇願する。
そして、周囲に視線を這わせた。
これは最早試合ではない。誰かこの事態を止めはしないのか。
「……!?」
____愕然とする。
皆、模擬戦を行う振りをしながら私達のことをじっと見つめていた。
いや、観察していた。それも、いやらしい笑みを浮かべて。
アメリア隊長と目が合う。彼女は冷淡な瞳を私に向け、その口の端を吊り上げた。
「……ま、まさか」
この訓練場の異様で、不気味な騎士達の視線で、私は察する。
これは、仕組まれた事なのだと。
恐らくは隊長……いや、隊員全員により……。
無紋型人工魔導核は低出力である代わりに、魔導の初級者でも扱いやすく、また壊れにくい性質を有していた。
それが、このタイミングで不慮の故障を起こす。
偶然だとは思えない。
恐らく、この胸の人工魔導核には使用後数分で機能が停止するような細工が施されていたのだ。
理不尽な暴力に曝され、ぼこぼこにされながらも、私はどうにか試合を耐え凌ぐ。
次のペア交代の号令が発せられ、模擬戦は第三戦目に突入しようとしていた。
私はよろよろと剣を杖にして立ち上がり、手を上げる。
「……ア、アメリア隊長……!」
「どうした、アイリス」
アメリア隊長に呼びかける、彼女は何食わぬ顔で私に詰め寄った。
「わ、私の……無紋型人工魔導核が故障をして……替えのものを頂けないでしょうか?」
私の言葉にアメリア隊長は肩をすくめた。
「無紋型人工魔導核が故障? そんな訳ないだろう」
「え?」
「その型の人工魔導核は余程の事では壊れない仕組みになっている。点検も事前に行った。故障するはずがない」
「……で、ですが……現に……!」
余程の事では壊れないだとか、点検は事前に行っただとか、今はそんな事関係ない。現に人工魔導核は壊れているのだ。
茶番だ。なんて醜い茶番なんだ。
「み、見て下さい……ほら、壊れているじゃないですか……交換を……!」
「……」
私は息を荒げ、なけなしの力を振り絞ってアメリア隊長に訴えかけた。故障した無紋型人工魔導核を持つ今の私には、自身の身体を魔導の力で癒すことが出来ない。身体の損傷部を修復し、その苦痛から解放されるためにも、新たな無紋型人工魔導核が必要であった。
アメリア隊長は髪をかき上げ、ふうと息を吐いた。
「訓練に戻れ」
そして、無慈悲に告げる。
私は呆気に取られていた。
……訓練に戻れ? この状態で、まともに試合など出来る訳がない。
「……ア、アメリア隊長……替えの……」
「訓練に戻れと言っているのだ!」
怒鳴るアメリア隊長は腰から剣を引き抜いた。
それは訓練用の刃が潰された物ではなく、人体に致命傷を与えることのできる真剣だった。
「良いだろう」
アメリア隊長は邪悪な笑みを浮かべた。
「この私直々、お前の相手をしてやる」
「……!」
目を見開き、後退る私。
アメリア隊長は剣を掲げ、声高に告げる。
「それでは第三戦目、試合開始ッ!」
その言葉と共に、アメリア隊長は私の肩口目掛けて鋭い突きを放った。
身を引き裂くような鋭い痛み。
私の悲鳴と共に、肩口から鮮血が噴き上がり、訓練場の地面に赤い斑点を作った。
「どうした、アイリスッ」
剣を私の肩口から引き抜いたアメリア隊長が今度は太腿に狙いをつけ、突きを放つ。
「……ぎぃッ!」
地面に倒れ込む私。痛みに震えながら顔を上げると、アメリア隊長が靴底を額に押し付けて来た。
「どうした、お前の実力はこんなものだったか」
私が悔し気な視線を向けると、アメリア隊長は背中に強力な蹴りを入れた。
息が一瞬出来なくなり、私はぜえぜえと喘ぎ、涎をだらしなく垂らした。
「……ミシェルの奴と……随分仲良くしているみたいだな」
「……」
「あんな屑と付き合っている所為で、こんな様なのではないか?」
私はぎりりと奥歯を鳴らした。
「……ミシェルちゃんは」
「……あ?」
「屑なんかじゃありません」
アメリア隊長が眉根を寄せる。
「ここにいる誰よりも……強くて……立派な騎士です!」
「……貴様」
「アメリア隊の他の騎士なんて、足元にも及びませんッ」
アメリア隊長は顔を真っ赤にさせ、怒りのままに私の頭を蹴飛ばした。
「身の程知らずが!」
怒号を発し、隊長は私の身体に再度蹴りを入れる。
のみならず、剣を振り回し私の四肢をズタズタにした。
流血は私の手の平を染め上げ、頭の中を真っ白にする。
ショックで意識を失いそうになる私の髪を掴み上げ、アメリア隊長はその耳元で囁いた。
「命乞いをしろ」
「……」
私はぼやけた瞳をアメリア隊長に向けた。
「命乞いをして……もう二度と騎士団の風紀を乱さぬと誓え。ミシェルと付き合うのも止めにしろ」
鋭く、氷のように冷たい声。
私は咳き込んで____ふっと笑みを浮かべた。
「騎士団の風紀?」
私は馬鹿にするように続ける。
「元から乱れ切っている風紀を、どう乱せというのですか?」
私の言葉に、一瞬遅れて隊長は両目を吊り上げた。
私の髪を掴み手に力が籠る。
「……訓練中の不慮の事故死」
「……」
「起きぬとも限らないぞ」
脅しのつもりなのだろうか?
私は負けじとアメリア隊長を睨んで口を開く。
「例え命を落とすことになっても……私は騎士としてのあるべき姿を貫き通します」
「……! き、貴様ァッ!」
アメリア隊長はそれから狂ったような声を私に投げかけ、無心に剣を、拳を振るって私を痛めつけた。
視界が朱に染まり、脳が苦痛に支配されていく。
強烈な吐き気に襲われ、えずいた口から吐き出されたのは赤黒い血であった。
痛い。苦しい。辛い。
だけど、決して屈しない。
例え命を散らすことになっても、私は自分の信念を曲げるつもりはなかった。
訓練という名の公開処刑____
永遠のような時間が続いた。
身体中血塗れだった。
私は本当に死ぬのかもしれない。
頭が呆然として、全身が恐ろしい寒さに襲われる。
だけど……決して負けない。
身体は滅んでも、魂だけは売り払いなどしない。
途切れ行く意識の中____
私はただミシェルちゃんのことを想った。




