第二十四話「アイリス:友達」
翌朝、私はミシェルちゃんと朝食を共に取っていた。
久しぶりに彼の隣で齧るパンの味は甘くて温かくて、とても幸福だった。
ミシェルちゃんと正式なお友達になって一晩が明ける。私達の間には初々しい空気が漂っていて、少しだけくすぐったかった。
柔らかな笑顔を湛えるミシェルちゃん。時々、くすくすと笑いだすので、その様子を目撃した他の騎士達をぎょっと驚かせた。彼がこんなにも明るく誰かと話し合う所など、皆ついぞ見たことがなかったのだ。なので、今目の前にいるミシェルちゃんが自分達の知る彼と同一人物なのか、疑問に思った事だろう。
天使の様な笑顔だった。その温かい微笑みが周囲の者達の目を惹きつける様は、とても誇らしく思えた。反面、このミシェルちゃんを皆の視線から隠し、彼の奥に隠れていた表情を自分だけのものにしたいという独占欲にも駆られる。
私が彼の隣にいるためか____と、私は勝手にその身を守って上げていると自負している____今朝、彼にちょっかいを出す者は誰一人としていなかった。もし、何者かがミシェルちゃんに手を出そうものなら、私が毅然としてその間に入る心づもりだ。
朝食を食べ終えた私達は部隊のミーティング後、それぞれの仕事につく。
今日の私の午前の任務は首都のパトロール。相方はミミちゃんとララちゃんだった。
ミミちゃんとララちゃん。この双子の姉妹は、いつもとは異なる剣呑な様子で私を睨んでいた。
「アンタ、あの“罠係”と随分仲良くしてるわね」
ミミちゃんが首都の巡回任務中に、口をとがらせて言う。
私は頷き、誇らしげに答えた。
「ミシェルちゃんとお友達になったから」
私のその回答に双子の姉妹は顔をしかめ、非難の視線を向けてくる。
ミシェルちゃんをイジメる彼女達にとって、その事実はとても不愉快なものなのだろう。
分っていて、敢えて私はミシェルちゃんとの関係を彼女達に告げた。
私とミシェルちゃんは友達同士。それは誰にも妨げられることのない純然たる繋がりなのだと。私はそう誇示する。
双子の姉妹は不快そうに唸っていたが、ふんと鼻を鳴らすと____
「ま、卑しい者同士、お似合いかもね」
悔しそうに、そう吐き捨てた。怒りを抑えている様子が伝わってくる。
彼女達に面と向かって“卑しい者”と罵倒されたのはこれが初めてだ。
余程、腹に据えかねていると見える。
それから、双子の姉妹は私を徹底的に無視し始めた。こちらから話しかけても、鋭い視線を寄越すだけで、口を固く結び何事も発しようとしなかった。
こうなる事は覚悟していたが、いざそれが現実のものになると少しだけ気怖じしてしまう。ただし、後悔はしていない。こうするのが正しいと、私は決めていた。
夕方、仕事が終わった私はミシェルちゃんと食堂前で合流し、一緒に夕食を食べることにした。
食堂の様子は朝とは微妙に異なっていた。
騎士達は私達に険しい視線を投げかけ、そのいくつもの顔が「ここから出ていけ」と無言で語り掛けているようだった。
この場において、私とミシェルちゃんは皆の敵であった。
ベクスヒル家の本家次女であるマリアちゃんに楯突いたのだから、それも当然と言えば当然。いかに同僚であろうと、平民が貴族の意に背くことは、騎士団内部の秩序をかき乱す忌むべき行為であった。騎士団の下らない秩序への反逆行為だ。
直接何か手を出された訳ではない。しかし、私とミシェルちゃんは常に居心地の悪い周囲の圧力に晒され、ぎこちない様子で食事と会話を行うことになった。
そのため、私達は早々に食事を済ませ、兵舎の中庭へと逃げるように移動した。
ベンチに腰かけ、ゆっくりと私達は宵の時刻を過ごす。
ミシェルちゃんは心配そうに私を見つめていた。
彼曰く、自分の所為で私への風当たりが強くなり申し訳ないとの事。
全く構わなかった。それでミシェルちゃんと一緒にいれるのなら。その気持ちを伝えると、彼は複雑な表情を浮かべた。
ミシェルちゃんとお友達になってまだ一日しか経過していないが、彼について分かったことがある。
意外な事に、ミシェルちゃんは超が付くほどの甘えたがりだったのだ。
甘えたがり……いや、何と言うか……他人に依存しやすいタイプと言うか……ぶっちゃけると、面倒くさい性格をしていた。
事ある毎に「私達友達だよね」という確認を迫ってくるし、スキンシップを躊躇うくせに、こちらから彼に触れると愛玩動物のように私に身体を寄せて来るのだ。
まあ、愛されているようで悪い気はしないんだけど。
特に「アイリスは私の人生で初めて出来た真の友達」と告げられた時には天にも昇る思いだった。
ミシェルちゃんと言えば、彼からは物凄く良い匂いがした。
彼に気が付かれないように、こっそりその後ろ髪の匂いを嗅いだりしていた私なのだが……これがまた病みつきになる極上のものだった。いつか思いっきりくんかくんかしたい。
……変態さんかな、私?
ミシェルちゃんは……彼は、本当に男性なのだろうか?
以前、ドンカスター家が彼に女性化の人体改造を施したと言う事実を耳にした事があるが……それがどこまで及んでいるのか、私は把握していない。
あくまで女性っぽくなっているだけで、性別そのものは変わっていないと聞くが……。
どうなのだろう。確かめたい。
確かめたいが……彼にそのことを聞くのは多分に憚られるというものだ。これは彼にとってとてもデリケートな問題なのだ。万が一でも、不快な思いをさせたくはない。
性別問題と並行した疑問で、もう一つ気になる事があった。
ミシェルちゃんが私をどのような目で見ているかだ。
真の友達。彼は私にそう言ってくれたが……それは果たして同性として見てなのか、あるいは異性として見てなのか。
いや、私達は同性ではないのだが……何が言いたいのかと言うと、彼が私に対して恋愛対象に向けるような感情を持ち合わせているのかという事だ。無粋な事を言えば、劣情を抱きうるのかと、そう言う疑問だ。
「……ミシェルちゃんってさ」
「ん? 何?」
「男の子と女の子……どっちが好き?」
思わず聞いてしまった。
ミシェルちゃんの表情が曇る。不味い質問だっただろうか。
「どっちが好きって?」
やばい。口調が少しだけ険しい。
「え、えーと……例えば、物凄いイケメンにナンパされたら……ミシェルちゃん、どうする?」
「……」
……私の馬鹿! これはすぐに話題を変える必要がある。
「アイリスはどうするの?」
「え?」
「物凄いイケメンにナンパされたら」
逆に質問され、困惑する私。
頭を掻き____
「うーん……やっぱり……ナンパはちょっと怖いと言うか……仲良くなるにしても、もっとちゃんと……」
しどろもどろになりながら、私は回答する。
ミシェルちゃんは「ふーん」と目が据わった状態で私を見つめていた。怖い怖い。
今後、性別的な話には気を付けよう。
兎にも角にも、私は幸せだった。
次の日も、私とミシェルちゃんは朝と夕方と一緒の時間を過ごした。
周りの私達を見る目が段々と険しいものになっていったが、そんなものは取るに足らない些事に思えた。
所詮は腰抜けの騎士達だ。ミシェルちゃんに私が加わり、相手にするのが一人から二人に増えただけで、彼女達はちょっかいを掛けるのを断念していた。
そのことがとても愉快だった。周囲を圧倒するような全能感すら抱く程に。
私は負けない。
もし、何者かが私達に危害を加えようものなら、騎士らしく正々堂々とそれに立ち向かうつもりだ。
マリアちゃんとの遣り取りはアメリア隊長の耳にも入ったようで____
「アイリス、ちょっといいか」
「どうされました、アメリア隊長?」
「一昨日の夜、マリアと一悶着あったようだな」
アメリア隊長に詰め寄られる。口調がとげとげしい。視線も私を咎めるかのように鋭かった。
私は毅然と隊長に向かい合った。
マリアちゃんとの一件で、私には何らやましいことなどない。なので、気後れなどしなかった。する必要などなかった。
「彼女が問題行動を起こしていたので、騎士としてそれを咎めたまでです」
私の言葉にアメリア隊長は顔をしかめた。
「問題行動だと?」
「はい、同僚のミシェル隊員に不当な暴力を振るっていました」
「……」
アメリア隊長は苛々として髪を弄る。私が意見するのを面白く思っていない様子だ。
私は続けて____
「かのような卑劣な行いは……ミシェル隊員への暴力や暴言は……例えベクスヒル家の御令嬢であろうと看過できぬ所業故、私が間に入った次第です」
アメリア隊長の目を真っ直ぐ見つめる。
「許されぬ所業です。誰であろうと……例え、誰であろうとです」
「……! ……貴様」
私は咎めるようにアメリア隊長に言い放った。
言外に自分が非難されたことを察し、彼女は顔を真っ赤にさせる。
仕返しを予期し身構える私だが、アメリア隊長はただ不快そうにこちらを見つめるのみだった。
彼女は別れ際に強烈な一瞥を与えただけで、結局その場はそれで終いになる。
……勝った。
内心私はガッツポーズをする。
あのアメリア隊長に私は一歩も退かず、彼女を逆に退かせたのだ。
____近付けている。
かつて憧れた強くて優しい騎士。その存在に私は近付けている。
もうびくびくする日々は終わりにする。
私は騎士だ。
騎士団に不条理が蔓延しているのならば、それに立ち向かう。
決して逃げはしない。
そして____
その次の日、少しだけ調子づいていた私に、卑劣な騎士達の毒牙が襲い掛かることになった____