第二十三話「アイリス:憧れの騎士」
私の名前はアイリス・シュミット。
リントブルミア王国の商家に生まれた、割と平凡な女の子だ。
____騎士に憧れていた。
子供の頃、大きな魔物に襲われたことがあった。
死を覚悟した私の前に現れたのは一人の騎士で、彼女は剣を高らかに掲げると真っ直ぐ魔物へと駆けていった。
鮮やかだった。自身の身体の何倍もある巨体を斬り伏せるその姿は勇ましく、私に振り返り優しく微笑む様は聖母のような慈愛に満ちていた。
彼女のようになれたら。
彼女のように、強く、皆を救う優しい騎士になれたら。
そう強く願った。
だから私は騎士学校に入った。憧れの騎士になりたくて。強くて優しい、あの騎士のような存在になりたくて。
……だけど。
____騎士の社会は私の想像していたような場所ではなかった。
騎士団は実力主義を掲げる一方で、その集団内での立場は家柄に大きく左右された。平民の出の私は、同学年の学友相手でも、そして後輩相手でも、貴族であれば常にその機嫌を取る必要があった。
お世辞にも気が強いとは言えない私は常に他人の顔色を窺い、身を潜めるようにびくびくと日々を過ごしていた。
すごく情けない。
そんな私でも、なけなしの勇気を振り絞り、せめてもの抵抗として同期の騎士達相手には貴族であろうと砕けた口調で接していた。
騎士学校時代、入学したての私は思い切って名門貴族の同期の少女に話しかけたことがある。
「ミ、ミシェルちゃん、おはよう」
少女の名前はミシェル・ドンカスター。リントブルミア王国四大騎士名家の第四席、ドンカスター家の次期当主。
彼女は凄い人物だった。美しい容姿に清楚な立ち振る舞い。剣や魔導の才能は他者の追随を許さず、座学の成績もトップ。全てにおいて完璧な存在だった。
彼女に話しかけた時、私の胸には一瞬後悔がよぎった。
……良いのだろうか、私などが彼女に話しかけても?
私と彼女はあまりにもかけ離れている。住む世界が違うのだ。
「……お、おはよう……アイリスさん」
「……!」
その時の感動は未だに忘れられない。彼女に挨拶を返された。のみならず、しっかりと私の名前を覚えてくれている。
ミシェル・ドンカスターの名声は日に日に大きくなっていった。彼女の剣技は既に教官騎士のそれに匹敵し、同期のみならず学園中を唸らせるほどだった。
私も彼女……いや、ミシェルちゃんのようになりたい。
その一心で、研鑽に励んだ。
幸い、私にはその努力が報われる程度には騎士としての才覚があったようで、実技、座学共に成績は常に上位をキープしていた。
ある日の事、私の耳に衝撃的なニュースが飛び込んで来た。
ミシェル・ドンカスター。私の憧れの騎士が、ドンカスター家に勘当されたと言う報せだ。
しかも、さらに衝撃的なことに____彼女……いや彼は男性だったのだ。
ミシェル・ドンカスターは自身の性別を隠し、騎士学校に潜り込んでいたのだ。
その事実に、実は少しだけ納得いくものがあった。“ドンカスターの白銀の薔薇”と呼ばれた彼が、いつも何かを警戒するように……怯えるように周囲との距離を取っていたのは、決して明かしてはならない重大な秘密を隠し持っていたためであったのだ。
どういう訳か退学を免れたミシェルちゃんだが、彼のその後の騎士学校での日々は悲惨なものだった。
勘当され、親無しとなった彼に待っていたのは、容赦のないイジメ。
騎士団における集団内での立場は家柄で決まる。最上位の存在から最底辺の存在に墜ちた彼は、降りかかる災難を甘んじて受ける他なかった。
私は頬をはたかれたような気分だった。
いかに剣や魔導の才能に恵まれていようと、騎士の社会では生まれによりその者の境遇は決まる。
ここはそんな世界なのだ。
私が何よりもショックを受けたのは、彼がドンカスター家を勘当された事でも、彼が男性であった事でもない。真実が明るみになったことによる、彼を取り巻く環境の劇的な変化だった。
改めて、思い知らされた。これが騎士なのだと。
平民の私は、平民らしく貴族に従順に従わなければならない。そう痛感した。
それから、私は今まで以上に怯えた様子で騎士としての日々を送った。
いつしか私は、かつての目標____私を助けてくれた強くて優しい騎士の存在を忘れるようになっていた。
だけど____
それがつい先日、眠り錆びついていた記憶____騎士への憧れを呼び覚ます、ある事件が起きた。
護衛任務の最中に起きた、暗い森での巨大なアサルトウルフによる襲撃。
異様な魔物だった。鋼のような肉体を持ち、巨体に似合わない俊敏さで以て私達を翻弄した。その爪はただの一撃で騎士達を戦闘不能する。
圧倒的な強さを誇る魔物を前に、アメリア隊の仲間達は全くと言って良い程歯が立たなかった。
逃げなければ。せめて、自分の命だけは。そんな情けないことを思った。
恐らく他の皆もそうだったと思う。
だけど、ただ一人、無謀にも魔物に立ち向かおうとする騎士がいた。
ミシェルちゃんだった。ドンカスター家を追われ、アメリア隊では部隊の雑務ばかりをこなす“罠係”の騎士。
最底辺の騎士。その彼がアサルトウルフを討つと、そう告げた。
私はミシェルちゃんを押し留めようとする。その時の私は、彼が死に場所を求めているようにしか思えなかったからだ。
だが、違った。ミシェルちゃんは成し遂げた。決して敵わないと思えたあの魔物を見事倒した。
実際に、彼が戦っている場面を目にした訳ではない。
しかし、私にはその勇姿が容易に想像できた。
倒れ伏す魔物の巨体。未だ溢れ出る鮮血。そんなおぞましい森の光景の中、長い銀色の髪を持つ騎士は、驚くほど飄々としていて____とても綺麗だと思った。
記憶が蘇る。かつて憧れた騎士。その影が目の前のミシェルちゃんと重なった。
……ああ。
私は目が覚めた。
私はひどい思い違いをしていた。
私は強くて優しい騎士に憧れ、騎士を目指したのだ。
関係なかったのだ。私が憧れた騎士になるのに、出自や地位や立場など関係なかった。
その証拠に、騎士団内部において最底辺の存在である筈の目の前の騎士は、かつての騎士と同じ超然とした輝きを放っていた。
私はようやく理解した。立場ではない。ただ、己の力を高め、研ぎ澄まし、正しく振る事こそ騎士のあるべき姿。ただそれだけで良かったのだ。
その日、私は決心する。
私は再び、騎士を目指す。
強く優しい、誠の騎士を____
そして、何の因果か。今私はミシェルちゃんを庇い、その虐めっ子のマリアちゃんと対峙していた。
食堂に訪れた私は、彼女にイジメを受けているミシェルちゃんの姿を見つけ、その元に急いで駆けつけたのだ。
マリアちゃん____マリア・ベクスヒルは四大騎士名家の第二席、ベクスヒル家の本家次女だ。
本来の私ならば、彼女を前に恐怖ですくみ上っている所。
しかし、不思議と今の私に怯えは無かった。
私の心の中は、先日の一件でミシェルちゃんへの罪悪感に満ちていた。
先日、街でミシェルちゃんに出会った私は、彼に告げた。貴方のお友達になりたいと。
しかし、断られてしまった。今までイジメに加担していたくせに、今更ムシが良すぎると。
確かにその通りだ。今の私に、彼の友達になる資格などない。
私はその資格を欲した。
いや____
それ以前に、罪滅ぼしがしたかった。
彼を苦しめていた私が、今度はその力になるのだ。
私はその機会をずっと待っていた。
誓って言うが、これは私の望んだものではない。ミシェルちゃんがイジメを受けている光景など、見たくはない。
だが、これは私に巡って来た絶好の機会だった。
私の想いを、意思を、覚悟を、勇気を試す天が与えた試練なのだ。
私はマリアちゃんを睨んだ。負けない、と。視線で訴えかける。
「もうやめてよ、マリアちゃん」
自分でも信じられない程、毅然とした口調だった。
私の言葉にマリアちゃんは顔をしかめる。
「……邪魔ですわよ、アイリスさん」
不愉快そうに髪をかき上げる少女。その目は、まるで羽虫に与えるような視線をこちらに投げかけていた。
彼女にとって、私など相手にすること自体億劫な、取るに足らない存在。
弱くて、ちっぽけな存在なのだ。
それからマリアちゃんはしっしと手で払いのけるような仕草をして、私をミシェルちゃんの前からどかそうとした。
見くびらないで欲しい。
今の私は、その程度では退かない。
一歩前に出る私。
「騎士らしくない」
「……何?」
私は面と向かって、マリアちゃんに再度告げる。
「騎士らしくないよ、マリアちゃん」
その言葉にマリアちゃんは「はあ?」と表情を歪めた。
私は声を張り上げる。
「マリアちゃんだけじゃない! 皆、騎士らしくないよ! こんなの、全然騎士らしくないよ!」
食堂に集まる騎士達が互いに顔を見合わせるのが分かる。
少しだけ間があって、「何言ってんのあの娘」という嘲笑の声がいくつも聞こえてきた。
「弱気を助け、強きを挫く。それが私達騎士のあるべき姿。それなのに、何なのこの様は! ミシェルちゃんに寄ってたかって! それでも騎士なの!?」
熱弁を振るう私を、騎士達は面白可笑しそうに笑い、肩をすくめていた。
……駄目だ、話にならない。皆、聞く耳を持たないようだ。
私はマリアちゃんを再度睨みつけ、ただ彼女一人に語り掛ける。
「マリアちゃん、いつも言ってるよね? 私達は誉れ高いリントブルミア魔導乙女騎士団の騎士だって。……ねえ、どうなの? こんな状態でまだそんな事言い張れるの? どうなの、誉れ高い騎士様?」
挑発するように言うと、マリアちゃんの顔が真っ赤になった。私からの明確な侮蔑に、さすがに頭に来たのだろう。
「気でも狂ったのかしら、平民?」
怒気と敵意を発してこちらに詰め寄るマリアちゃん。
「この……己の分も弁えぬ愚か者がッ!」
そう叫んで、マリアちゃんは私にビンタを放った。
乾いた音が食堂に響き____
「……」
私はぶたれた頬をさすりもせず、ただつまらなそうに目の前の少女を見つめていた。
何だか、とても拍子抜けだった。
マリアちゃんの放ったビンタは痛くなかったし、彼女の剣幕も全く怖くなかった。
私は馬鹿馬鹿しくなっていた。
こんなものが今まで私の恐れていたものの正体だったのかと。こんなもの、あのアサルトウルフに味わわされた死の恐怖に比べれば、ほんの子供だましのようなものだった。
私はただ黙ってマリアちゃんを見つめていた。彼女も私の事を見つめ返していたが、不意にその瞳に恐怖のような感情が浮かび、次いでその頬を冷や汗が伝った。
マリアちゃんは一向に退かない私に怯えていた。あのマリアちゃんが、私なんかに。
彼女はじりじりと後退りをすると、ふんと鼻を鳴らし____
「付き合ってられませんわ!」
そう吐き捨て、私とミシェルちゃんの前から姿を消した。
それから食堂は時が止まったかのような静寂に包まれ、皆、水中で息を潜めるように各々の食事に静かに戻っていった。
一息吐き、私は背後のミシェルちゃんに振り向く。
彼は床に倒れ、身体のあちこちから血を流し、その服は血液と食べ物で汚れていた。
「ミシェルちゃん」
声を掛け、ミシェルちゃんが身体を起こすのを手伝う。
膝をやられているためか、まともに立つことが出来ないミシェルちゃん。私は肩を貸し、彼を支えることにした。
「……アイリス」
ミシェルちゃんが唇を噛みしめる。
そして、絞り出すように____
「……ごめん、アイリス」
「ミシェルちゃん?」
ミシェルちゃんは泣いていた。その口が嗚咽を堪え、必死に言葉を紡ぐ。
「分かってたのにッ」
「……わわっ、ミシェルちゃん……ちょっと……」
ミシェルちゃんに思い切り抱き着かれる。
……この人、本当に男の子だよね?
ミシェルちゃんから何だかとても甘い匂いがして……身体は信じられないくらい柔らかくて……髪は凄くさらさらとしていて綺麗で……私は顔が真っ赤になった。
「分かってた……アイリスがどんなに辛い思いをしていたのか。貴方も私と同じ、苦しい立場にいたのに」
ミシェルちゃんは少しだけ身体を離して、私の瞳を見つめた。
「嬉しかった」
はっきりとその口が告げる。
「貴方に友達になろうって言われて、凄く嬉しかった」
「……ミシェルちゃん」
涙が出そうだった。
その言葉がどれ程の喜びと安心を私に与えた事か。どれ程、その言葉を聞きたいと願ったか事か。
「……それなのに、私は貴方を拒絶して、酷い事を」
悔いるように顔をしかめるミシェルちゃん。
私はそっとその背中をさすって上げた。
「……外に出ようか、ミシェルちゃん」
ミシェルちゃんとゆっくりお話がしたい。ここでは、他の騎士達の目もあって、気が散ってしまう。
私はミシェルちゃんと二人きりになるため、彼と共に兵舎の中庭へと向かった。
辛そうに足を引きずるミシェルちゃんを励ましながら、その身体を支え歩き、どうにか中庭のベンチに私達は落ち着く。
空には月が昇っていて、夜風が涼しかった。
辺りは食堂とは別世界のように静かで、ここでならミシェルちゃんと気兼ねなくじっくり話し合える。
「ミシェルちゃん、怪我は大丈夫?」
私が尋ねると、ミシェルちゃんはこくりと頷いた。
驚いたことに、この短時間でミシェルちゃんの傷口は綺麗に塞がっていた。彼は特殊体質持ちで、傷の治りが驚異的に早いと以前耳にした事がある。
しばらく二人で黙ってベンチに腰かけていたが、ふうと息を吐いたミシェルちゃんが口を開いた。
「ありがとう、アイリス」
ミシェルちゃんはそれから深く頭を下げる。
「……そして、ごめん」
私は頭を振って、ミシェルちゃんの手を取った。
「……今更友達なんて、ムシが良いのは分かってる」
私の言葉に、ミシェルちゃんは顔を上げ、何かを訴えかけるような瞳を向けた。
「……それでも……もし、許されるのであれば……私はミシェルちゃんとお友達になりたい」
熱っぽく私は続ける。
「ミシェルちゃんと釣り合えるように努力するし、罪滅ぼしだってする……だから……」
「アイリス」
ミシェルちゃんが私の言葉を遮る。
「ずっと言いたかった。あの日から……貴方を拒絶したあの日からずっと伝えたかった。だから、私の方からその言葉を口にしたい。私の素直な気持ちを」
暗い夜の闇の中でも、その銀色の髪は月や星の光を捉えて美しかった。
「……アイリスとお友達になりたい」
ミシェルちゃんは確かに告げた。
「アイリスに相応しい友人であれるか分からないし、たくさん迷惑もかけるかもしれない……それでも……許されるのであれば……貴方と……」
……ああ。
これは夢だろうか?
騎士に憧れていた。
強くて優しい騎士に。皆を守れる騎士に。
いつでも、ミシェルちゃんは私の憧れだった。
騎士学校時代、強くて美しいその姿に惚れ込んだ。少しでも、その存在に近付きたいと願った。そして、一生懸命努力した。
一族を追われ、どん底に落ちても尚、ミシェルちゃんはその力が放つ輝きで以て、私にかつての憧れを取り戻させた。
銀色の長い髪。ただ後ろから眺めていたその姿。隣に並んで歩きたいと、どれ程祈ったか。
少しだけ、遠回りになったけど……。
今、私とミシェルちゃんは同じベンチに腰かけ、隣同士で座っていた。
「ミシェルちゃん、私とお友達になって下さい」
____その夜、私はミシェルちゃんとお友達になった。
もし、過去の自分に会えるのならば、自慢してやりたかった。
未来の私は”ドンカスターの白銀の薔薇”と友達同士なんだよって。