第二十一話「副隊長の憂鬱」
暗い心境のままに休日が終わりを迎え、私は翌日、騎士としての務めの中にいた。
そわそわとする私。
当然、同じ部隊に所属するアイリスと顔を合わせる場面があり、私は罪悪感からかその表情を直視することが出来ないでいた。
まるで罪人にでもなったかのようにアイリスから逃げ、私は彼女が今どのような状態なのか、正しく把握できないままだった。
アイリスは、今どんな顔をしている?
気になり、遠くから様子を窺おうとするものの、こちらの視線に気が付かれる事を恐れ、私は寸でのところで毎度その行為を中断してしまう。
「情けないなあ、私」
カネサダに語り掛ける。
『ははっ、今に始まった事じゃねえだろ』
「……む、そうだけど」
馬鹿にするカネサダ。頬を膨らませる私だが、彼は彼なりに私を元気付けようとしているのかもしれない。
本日、私はエストフルト第一兵舎の倉庫の中で荷物整理の業務についていた。
剣や人工魔導核だけでなく、騎士達は様々な道具を任務中に使用する。それは罪人を捕える拘束具だったり、敵を眠らせる睡眠薬、記録石とよばれる目前の映像を記録するための魔道具などもある。それらの予備を把握し、整理することは誰かがやらなければいけないことだ。
そして、その役割は“罠係”である私に託される。
一人黙々と作業をこなしていると、不意に倉庫の入口に人影を感じ、振り向いた。
「ラピス副隊長?」
「しっかりと仕事をしているな、ミシェル」
人影の正体はラピス・チャーストン副隊長だった。
なぜ彼女がここに? 首を傾げていると____
「私も手伝おう」
そんなことを口にした。
思わず「え?」と声を漏らす。
「どうしてですか?」
尋ねるのも当然だ。倉庫の荷物整理は私一人に任せればいいこと。わざわざ副隊長が手を貸すような雑務ではない。
疑問に思っていると、ラピスは答える。
「あまりお前一人に道具の管理を任せていては、いざという時に困るだろう。必要品の所在くらい把握しておいた方が良いと思ってな」
「……はあ、成るほど」
疑問に思いつつも、無理に納得して頷こうとした矢先____
「……というのは建前で、実際はアメリア隊長から逃げて来た所だ」
冷淡に言ってのけたその言葉に、私は目を丸くした。
……アメリア隊長から逃げて来た? それは、冗談か何かか?
私は恐る恐るラピスの様子を窺うが、彼女はいつもの事務的な無表情を顔に張り付けていた。
「……何か?」
「あ、いえ……何でもありません」
真意はどうあれ、私達は荷物整理の作業を始めることにした。
物の位置などは私が把握しているため、この場においては私が副隊長に指示を出す役回りを得ていた。
少しだけ畏れ多い。
さて、倉庫の中は私とラピスの二人きり。カネサダも合わせると二人と一振りになる。
やや遣りづらい空気の中、道具の出し入れを行っていると、ラピスが口を開く。
「アメリア隊長には困ったものだ」
「……副隊長?」
「あの事件が起きてから、彼女の機嫌はすこぶる悪い」
あの事件とは、森で巨大なアサルトウルフに襲われた時のことを言っているのだろう。
「訓練場の事務室で隊長と一緒にいると、胃に穴が空きそうだ」
らしくない物言いに、私は困惑していた。
胃に穴が空くって……。鉄の胃袋を持っていそうな副隊長の言葉とは思えない。
「それで、隊長から逃げてきたんですね」
「ああ、その通りだ」
ラピスの回答は平淡で、本気なのか冗談なのか上手く察せられない。
「隊長がピリピリしているのも致し方ない事」
それから、ラピスは独り言のように語り出した。
「彼女も今年で二十歳だ。来年か、少なくとも再来年には実働部隊を去り、騎士団の運営陣に加わることになる。彼女にとって、今はとても大切な時期で、下手な失態をやらかせば挽回の機会もなく、その後の進路が望まぬものになってしまう。隊長は先の事件が自身の評価を著しく下げないかとても気を揉んでいるのだ」
アメリア・タルボットは彼女の同期達の中では最も優秀な騎士で、一番の出世頭と目されていた。その評価はベクスヒル家の長女たるマーサ・ベクスヒル以上のもので、名目上は実力主義を掲げるリントブルミア魔導乙女騎士団の在り方を体現したような存在なのだ。
「噂では既に騎士団本部の官僚騎士の内定を貰っていると聞く。このまま何も不祥事を起こさなければ、最良の出世コースに入れるだけに、隊長は不測の事態に必要以上に神経を尖らせている。おかげで私は、彼女が癇癪を起すまいか隣でひやひやとする毎日だ」
ラピスはふうと息を吐き____
「すまない、こんな愚痴を」
「い、いえ」
申し訳なさそうにする副隊長だが、私としては珍しい彼女の一面を窺えて少しだけ得した気分だった。
それにしても。
「あの、ラピス副隊長って……アメリア隊長の事がお嫌いなのですか?」
ラピスの言葉の節々から感じる隊長への嫌悪。
質問が質問だけに、周囲に人がいないことを確認してから尋ねる私。
ラピスは迷うことなく頷き答える。
「嫌いだな」
躊躇のない物言いに、面食らってしまう。そこまできっぱりと断言するか。
「隊長は騎士学校を首席で卒業された優秀な騎士だ。実戦での実力も申し分なく、なにより仕事ができる。全てにおいて秀でたお方だ。しかし」
さんざんアメリアを褒めちぎった後、ラピスは容赦のない酷評を下す。
「様々な美点を霞ませるほど、隊長は気質に問題がある。傲慢で常に人を見下し、潔く振舞う一方で不正を良しとする。そして、名誉欲が異常に強く、権力に執着するきらいがある。アレは様々な意味で騎士団を体現する存在なのだ」
私は近くにアメリア隊長がいないかひやひやとしていた。まあ、こんな所に彼女がいる訳はないが。
「騎士団を体現?」
「お前も知っているだろう。騎士団上層部は権力闘争の場と化している。各人が己の地位を守るのに必死で、隙あらば容赦なく他者の権力を喰らおうとする。お前が女性の振りをしてまで騎士団にいるのもドンカスター家が……」
言い掛けて、ラピスは口を噤む。
「すまない、あまり触れてほしくない話題だったな」
「い、いえ……お気になさらず」
頭を下げて謝罪の言葉を述べるラピス。私は慌てて手を振り、その頭を上げさせる。
ドンカスター家。その名前が出てきて、内心どきりとした。
ラピスの言う通り、騎士団上層部はまさに権力闘争の場なのだ。そして、その壮絶さは私が騎士団にいる理由にも繋がっている。
ドンカスター家がもし、その家系の存続だけを考えるのであれば、何も私を女性として育てる必要はなかったのだ。
私を普通に男性として育て、結ばれた女性との間に生まれた女児を次のドンカスター家の当主にすれば良いだけの事。
しかし、そうはしなかったのは、ドンカスター家が早期の次期当主を望んでいたためだ。
はやり病によりドンカスター家当主の座に空席が出来た折、騎士団の意思決定機関である騎士会議では他家による容赦のないドンカスター派の議席の強奪が起きた。当主不在に起因する求心力の低下がどれほど一族の権力を損なうものか、まざまざと思い知らされた瞬間であった。
エリザ・ドンカスターはあまり健康的な女性ではない。いつまでドンカスター家当主として騎士会議に参加出来るとも分からぬ身であるため、世継ぎの獲得は急ぎの案件だったのだ。
種々のリスクを抱え、私を女性として義母が育て上げたのは、騎士団内部に蔓延る権力の奪い合いに対する怯えからなのだ。
「……騎士団とは全く馬鹿馬鹿しい組織だ。消えてしまえば良い」
ぽつりと呟くラピスに、私は息をのんだ。
「……ラ、ラピス副隊長……あまりそのような事は……」
「……そうだな、聞かなかったことにしてくれ」
騎士団など消えてしまえば良い。それは冗談でも口にしてはいけない言葉であった。
リントブルミア魔導乙女騎士団。それはただの軍事組織ではない。“ロスバーン条約”がもたらした平和秩序を象徴する存在であり、人類の知性と善性の勝利を物語る存在であり、竜神教と並ぶ人々が神聖視する信仰的存在でもあるのだ。
騎士団の存在そのものを批判する、あるいはそうと受け止められる言葉を発する事は、邪悪で反知性的な行為として、時に投獄の対象になり得るくらいだ。
「……私がチャーストン家の分家の人間であることは知っているな」
「ええ、存じ上げています」
再び口を開き出したラピス。今日はやけに物を語りたがるなあと密かに思った。
「チャーストン家は内部の権力闘争も激しくてな。私は幼き頃から父や母がその親戚同士で醜い争いをする様を嫌と言う程見せられてきた。血を分けた一族がこうも激しく、ただ地位や財のためだけに争えるのかと辟易していた。時にはまだ幼子であった私の身にも闘争の毒牙が及んだ。何度、誘拐や誘拐未遂が起きた事か」
そう述べるラピスの顔には憎悪にも似た感情が浮かんでいた。
「騎士は……いや、人間は矛盾に満ちている。高潔に立ち振る舞う一方で、平然と悪行をこなす。善人と悪人の二種類がいるのではない。皆、善人で悪人なのだ」
語る副隊長。
私が不思議そうに見つめていたためか、ラピスは首を傾げた。
「どうした?」
「あ、その……意外だなと思って」
「意外?」
「副隊長がこんなにも正義感の強いお方だったのが」
失礼な言葉だっただろうか。だが、実際に彼女が善だの悪だの言い出した時には、驚いてしまった。
これも失礼な言葉になるが、私は副隊長の事をあまり世の中に興味のない人物だと思っていた。
私の言葉に副隊長は目を丸くする。
「正義感が強い?」
彼女自身意外そうな様子で呟いた。
「私はただ面倒が嫌いなだけだ」
「面倒?」
「権力闘争も、矛盾に満ちた人の在り方も……全て、面倒臭い」
それから、ラピスは子供のように愚痴る。
「どうして、皆スマートに生きられないのか。騎士は己が役割を正確に把握し、時計の歯車の如くただ愚直に使命を全うすれば良い。権力闘争はその業務にはないだろう。権力とは本来、合理的な道具なのだ。それを奪い合う事に熱を注ぐなど、なんと非合理的で面倒なことなのか」
普段表情に出ない分、色々と溜まっていたものがあったのか、ラピスは熱っぽく語っていた。
鉄仮面の奥に隠れていた感情を目前にし、やや困惑気味の私。
唖然とする部下に気が付いてか、ラピスは頭を掻いた。
「すまない、近頃隊長の機嫌が悪くて、私も色々と苦労していたのだ。話に付き合ってもらったな」
私はぶんぶんと首を横に振る。
「色々と話してくれて嬉しいです」
「嬉しい?」
「……何と言うか、副隊長に相手にして貰えて」
私の言葉にラピスは腕を組んで考え込むような仕草をした。
私は続けざまに____
「最近、よく私の事を目にかけてくれますよね、副隊長。それがとても救いになっているんです」
言うのはちょっぴり恥ずかしかったが、私は素直に告げる。
腕を組んだまま困った表情を浮かべるラピス。
「……そう見えるか?」
「少なくとも私には。……違いますか?」
「……うーむ、どうなのだろうな。……私がお前の事を目にかけている? この私が? ……自分でもよく分からん」
唸る副隊長。自分の気持ちを把握しかねている様子だ。
困惑するラピスの顔は、年相応のもののように思えた。彼女もまだ16歳だ。大人びてはいるものの、胸の内の感情を整理するにはまだ幾分か年月が足りないのかもしれない。
「お前の事を評価しているのは確かだ。そこに何か特別な感情があるのかは知らんが。……いや、もしかすると、同情だったり……罪悪感だったりが今になって私の心に訪れているのかもしれんな」
「同情? 罪悪感?」
「同じ騎士の四大名家の生まれである事。共にその生まれに翻弄されている事。そして、お前の理解者になり得るであろう境遇の私が……虐げられているお前に手を差し伸べようとしなかった事。今になって、それらの事を意識し出しのかもしれん」
私は少しだけ無粋な事を言ってみた。
「私があの森のアサルトウルフを倒したからですか? それで、私の事を?」
ラピスは曖昧に頷く。
「大きな要因の一つだろう。……だが、それだけではないと思う」
歯切れが悪い副隊長。
「お前が……ここ最近、お前が変わったからだ」
「変わった?」
ラピスは上手く言葉に出来ないと言った様子で、首を傾げている。
「上手く言えないが……以前のお前は……手を差し伸べるだけ無駄なような感じがした。だが今は違う……救われようとしている……そんな感じだ」
要領を得ない言葉だが、私には何とはなしにその意味が理解できた。
腰元のカネサダを見る。
“選択”の積み重ねが人を強く、幸福にする。カネサダを手にしたあの日。ようやく私の“選択”は始まった。
未だおぼつかない足取りだが、私は自分の人生を自分の足で歩き始めた。
ラピスはそんな私の心境の変化を察しているのかもしれない。
多くの言葉を交わし合った後、私と副隊長は荷物整理の作業に戻る。
滞りなく仕事を片付け、私達は倉庫を後にした。
「それでは、私は事務室に戻る。お前も次の仕事があるだろう」
「はい、作業の応援感謝いたします」
別れ際、私はお礼を述べて____
「“皆、善人で悪人”」
先程ラピスの口にした言葉を何気なく唱えていた。
立ち去ろうと持ち上がる彼女の足が、再び地を踏みしめる。
「……どうした?」
「あ、すみません……その……マリアと私が同期なのはご存知ですか?」
「ベクスヒル家の本家の次女とお前がか? 知っているが、それがどうした?」
ほんの気まぐれだ。
ラピスの身の上話を聞いたためか、私も彼女に自身の事を話してみたくなった。
「マリアは私の同期の中では一番騎士らしい騎士なんです。少なくとも私はそう思っています。騎士道を重んじ、曲がったことが嫌いな性分で、誰よりも騎士であることに誇りを持っています」
つらつらとマリアの人物像を述べる私。
「でも、一方で……彼女は私をイジメる者達の筆頭者です。平然と暴力を振るい、みなしごと私を罵り……その一切に容赦がありません」
騎士道を重んじるマリアとイジメの加害者であるマリア。二つの人物像には大きな乖離があった。
「私の秘密が明るみになった時、密かに期待していました。マリアは私の友達だったんです。気高い精神を持つマリアなら、友人である私に優しく手を差し伸べてくれると」
「しかし、現実は違ったと」
「はい」
密かにマリアの助けを期待していた私に待っていたのは、彼女による凄惨なイジメの日々だった。
当時、とてもショックだったのを覚えている。
日に日にエスカレートしていくイジメに、私はマリアの事が……いや、人間という存在そのものが分からなくなっていた。
「でも……きっと、これが人間なんだと……最近、理解し始めました」
「人間が、矛盾に満ちた存在であることにか」
私は少しだけ言葉を探すように唸り____
「善悪で人間を語る限り、その答えは矛盾に満ちるでしょう」
最近得た、人間に対する結論を形にする。
ラピスは興味深そうに私を見つめていた。
「私の大切な人が、人間を支配する理論を教えてくれました」
「どのような理論だ?」
「簡単なものですよ」
私は腰の鞘を無意識にさすった。
「力です。強い力とその欲求に人間は支配されます。ただそれだけです」
「随分と野蛮だな」
静かに頷く。
ラピスの言葉に私は____
「私の大切な人はこうも言っていましたよ。人間は野蛮な生き物だと。副隊長が嫌いな面倒臭い存在なんかじゃありませんよ。犬や猫と同じ、ごくごくシンプルな生き物です、人間は」
平淡に言いのける。
ラピス副隊長は私の言葉に何を思ったか。
それは分からないが____その言葉を最後に、私と副隊長は別れた。