第十九話「裏通りのナンパ」
エリーことエリザと別れた私。
彼女と友人になれたことに大きな喜びを感じると共に深い罪悪感を私は抱いていた。
エリーには私が男性であることを伝えてはいない。
もし、私がこの秘密を包み隠さずエリーに伝えたら、彼女は一体どんな反応をするだろうか?
マリアのように軽蔑の眼差しを私に向け、その無上の好意を憎しみへと反転させるのだろうか? 想像するだけで、胃が痛くなる。
なので……。
不誠実かもしれないが____私はエリーには真実を隠し通すことを決める。
臆病と罵ってくれても、卑怯と蔑んでくれても良い。
バレる嘘かもしれない。
しかし、いつか全てが明るみにされようとも、その時までは____
私は自分が破滅的な思考に陥っていることを自覚し、それら一切を頭から追い出すように首を激しく振った。
『……どうした、ミカ?』
不思議がって尋ねるカネサダに、私は何でもない風を装って肩をすくめた。
「予定、無くなっちゃったね」
カネサダの鞘修理の一件はエリーによって解決された。彼女が職人を手配してくれるので、私達にはもう漆器屋を探す必要はない。
『午後は適当に街を回ろうや。デートの続きだ』
「うん。カネサダは何処か寄ってみたい場所とかある?」
私が希望を尋ねると、カネサダは____
『じゃあ、裏通り行こうぜ』
「え?」
『裏通りだ』
「……」
カネサダの提案に私は固まってしまう。
つい先程……午前中の話だ。私は確かにカネサダに告げた。裏通りにはあまり寄りたくないと。あそこに行けば、私はかなりの頻度でナンパに遭うのだ。
「何で裏通りに?」
裏通りに寄りたい特別な用事か理由があるのか? 私はカネサダに尋ねる。
すると____
『何でかって? お前がナンパされるところを拝みたいからだ』
「……はあ?」
『お前、裏通りじゃよくナンパされるって言ってただろ? その現場を見てみたい』
……な、何故に?
困惑を隠しきれない私。
「それに一体何の意味が?」
私の問いに、カネサダは当然だとばかりに言い放つ。
『面白そうだからだ』
……面白そう?
「……ねえ、何言ってんの、カネサダ」
私は真顔で言った。
『いや、面白そうだろ! ちゃらちゃらとした馬鹿な男共が男性と知らずに嬉々としてお前をナンパする。こんな面白おかしい光景、見ないままでいられるかよ!』
謎の熱意をもってカネサダが語る。
私は額を手で押さえ、大きな溜息を吐いた。
「私は嫌だよ。男に言い寄られる私の身にもなってよ」
『良いだろ、減るもんじゃねえし』
「カネサダは舐めている。ナンパ男の中には断ればあっさり引き下がる奴もいるけど……ごく稀にストーカー化する輩もいるんだよ」
食い下がるカネサダに、私はナンパ男の危険性を力説する。
「あそこは、用事がなければ、気軽に寄るような所じゃないよ」
『じゃあ、こうしよう』
諦めきれないのか、それからカネサダは提案するように口を開いた。
『お前が裏通りに寄ってくれるのなら……お前の知りたがっている情報の一つをくれてやろう』
「……知りたがっている情報?」
知りたがっている情報とは何か? 私はカネサダの言葉にいまいちピンとこない様子で首を傾げた。
『お前、俺に身体を乗っ取られた時のことを覚えているか?』
「……あ、うん……そんなこともあったね」
しっかりと覚えている。カネサダと出会った日の____一週間前の出来事だ。ミミとララのゴールドスタイン姉妹に兵舎の廊下で絡まれた時、カネサダは私の身体を乗っ取って二人に痴漢行為を働いたのだ。
『俺には人間の身体を乗っ取る能力がある。お前、知っておきたいだろ? この能力の発動条件を』
「……!」
『お前の身体を勝手に乗っ取るようなことはしないと、俺は確かに誓ったが……その約束を守る保証がどこにある? この件の主導権は未だ俺にあるんだぜ。お前はそれでいいのか?』
挑発するようにカネサダは言う。
『能力の発動条件を教えてやる。もし、お前が裏通りに寄ってくれるのならな』
カネサダの言う通り、もし彼の身体を乗っ取る能力に発動条件があるのならば、それをしっかりと把握しておくべきだろう。でなければ、今後彼と生活を共にする上で心理的優位に立ち続けられる心配がある。それはあまり好ましくない。
私は悩んだ末____
「……はあ……分かった」
カネサダの提案に応じることにする。
「行って上げるよ、裏通り」
『へへ、そうこなくっちゃな!』
「でも、ちゃんと約束守ってよ」
『分かってるよ! しっかりと能力の発動条件は教えるさ!』
愉快気なカネサダとは対照的に、私は憂鬱な表情を浮かべて裏通りの方に向かうのだった。
もうこうなれば仕方がない。
裏通りに行けば、ほぼ確実にナンパに遭うだろうが……厄介な男に捕まらなければ、まあ……然程実害はない。
私は覚悟を決めて、裏通りの少しだけ湿っぽい石畳の道を踏むのだった。
華やかな目抜き通りとは違い、裏通りには独特の静けさが漂っている。閑散としていると言う程ではないし、治安に問題があると言う訳でもないが、少しだけミステリアスな雰囲気があるのだ。
立ち並ぶ店も、その売り物はどちらかと言うとマニアックな品揃えで、珍妙なものが多かった。
そして、そこに居座る人間も、やはりこの場に似つかわしい者達ばかりだ。皆どこかフラフラとしていて、その日その日を適当に生きている様子がする。
しばらく裏通りをぶらぶらとしていたが、こちらを舐めるように観察する者はいるものの、積極的に声を掛けてナンパする者はまだ現れていない。
カネサダがつまらなさそうに____
『声かけられねえな。何かこっちをいやらしい目で見つめてくる奴はいるが』
ナンパされないのであれば、本来それに越したことはないのだが……カネサダを満足させてこの場から引き上げるためにも、誰か一人くらいナンパ男に捕まる必要が今の私にはあった。
そわそわとし出す私。
早く誰かナンパしてこないかなあ____
そんな事を考え出す。
「……」
『どうした、難しそうな顔して』
「い、いや……」
早く誰かナンパしてこないかなあ、って何だよ! ナンパ待ち女か私は!
如何とも言い難い心境の中、道の端をとぼとぼと歩いていると、ふと目の前にまさにちゃらちゃらとした男性二人に言い寄られている最中の女の子が現れた。
……ナンパされている。
しかし、誰が何処でナンパされていようと自分には関係のないことなので、ちらりと一瞥を与えて、私はその横を通り過ぎようとする。
「……!」
そのつもりだったのだが、一瞬だけ目に留まった女の子の横顔に、私は数歩先で足を止めて道を引き返すことにした。
「なあ、良いだろお嬢ちゃん……俺らと一緒にお茶でもしようや」
「名前教えてくれよ、名前」
品のない口調で少女に詰め寄るナンパ男二人。
「そ、その……こ、困ります……私、まだ用事があるもので……」
男性二人に言い寄られる少女は、迷惑そうにその誘いを振り払おうとする。その声音には怯えの色が滲んでいた。
つかつかと男達に歩み寄った私はすっと息を吸い____
「その娘を放して下さい」
毅然とした態度でナンパ男二人に告げた。
男達が私を振り返る。始め、突然入った邪魔にやや不機嫌そうに顔を歪めていた二人だが、私の姿を視認するやその表情を変え、口元をだらしなく綻ばせた。
「お、君……すごく可愛いね!」
「ねえ、これから時間ない? 俺たちと一緒に遊ばない?」
私への第一声がそれである。脳内がお花畑過ぎる。
私は呆れかえって溜息を吐きつつ、もう一度先の言葉を繰り返す。
「……その娘を放して下さい」
警告するように、私は出来るだけ険しい調子を努めた。
すると____
「うん、いいよいいよ! で、これからそこの喫茶店で一緒にお茶しない?」
「君今日何時まで遊べる? 夜まで? 何なら、一夜明かしちゃう?」
「……」
先程まで目を掛けていた女の子の事など忘れて、私にがっつき出したナンパ男達。
男二人分のよこしまな視線に晒され、身震いがする。
……あまりこのような事はしたくはないが……彼女もいる事だし、事態が色々とこじれる前にケリを付けよう。
私は再度溜息を吐き、腰元____カネサダの鯉口を切った。
乾いた金属音が裏通り響く。
私は鞘から白刃を覗かせて、それをナンパ男達に誇示した。
「これが見えませんか?」
ぎらつく刃。私は冷え切った眼光と共に、刀身に走る暗い煌めきを彼らに向け、脅すような口調で問い質した。
さしものナンパ男達も、凶器を前に命の危険を感じてか、身体を震わせて後退りする。
「大人しくどっか行ってください」
私が冷徹に告げると、男達は青い顔のまま黙って頷き、逃げるようにこの場を立ち去っていった。
『無茶するなあ、ミカ』
呆れ半分にカネサダが笑う。
『お前、最近暴力的になってねえか……まあ、俺はそれで良いんだけどな』
だって、こうするのが手っ取り早いんだもん。刃傷沙汰にはなっていないので、問題はないと思う。ただ、今後は控えよう。
彼らの姿が見えなくなった所で、私はナンパの餌食になっていた少女に向き直る。
そして、その名前を呼んだ____
「災難だったね、アイリス」
男達に言い寄られていた少女____アイリスは、しばらく呆然としていたが____
「……あ、ミシェルちゃん!」
私が誰であるのか気が付き、顔を綻ばせた。
「ミシェルちゃんだよね! 私服だったから、気が付かなかったよ!」
「私も、一瞬アイリスだって気が付かなかった」
今、アイリスは騎士の服装ではなく、フリルが程よくあしらわれたお洒落な私服に身を包んでいた。
そのため、先程は彼女が男達にナンパされている所を他人事としてスルーしようとしていたのだが、一泊遅れてその被害者が知り合いである事に気が付き、助け舟を出そうとした次第であった。
「そう言えば、ミシェルちゃんも今日は非番だったっけ」
「うん……そっちも非番だったよね」
頷いてから、私は肩をすくめた。
「アイリスはこんな所で何をやっているの?」
私が尋ねるとアイリスは手元に持った鞄を掲げる。
「お使いだよ」
「お使い?」
「私、商家の生まれで、休日には実家のお手伝いをしているの」
詳しい事情は知らないが、この裏通りに実家の商いに関わる何かで、彼女は用事があるのだろう。
休みの日なのに家のお手伝いとは何と健気な、と私は思った。
「ミシェルちゃんはこんな所で何を?」
「え、私?」
アイリスに質問され、私は頬を掻いた。
一言で言えば……ナンパされに来たと言う他ないのだが____詳しい事情は話せないので、適当に誤魔化すことにする。
「……ただの散歩。休日はいつも街の中を歩き回っているから」
私がそう答えると、アイリスが「じゃあ」と瞳を輝かせる。
「この後は何も予定ないんだよね!」
「う、うん」
覆いかぶさるようにアイリスに詰め寄られ、私はぎこちない返事を返した。
「さっき男の人達から助けて貰ったお礼がしたいなあって……思うんだけど……目抜き通りの方に美味しいケーキ屋さんがあって……良ければ、おごらせてくれないかな?」
「ケーキ? ……良いの?」
「うん!」
甘いものは好きだ。ご馳走になれるのならば、お言葉に甘えたい。
「……じゃあ、おごって貰おうかな」
「うんうん! ……あ、でもここで少しだけ待っててくれる? 家の用事を先に済ませたいから、ごめんね」
飛び跳ねそうなくらい喜んで、アイリスは軽い足取りで「すぐに戻ってくるから」と私に手を振り近くの建物へと入っていった。
ケーキをおごる側の彼女の方が私よりも幸福そうなのは何故だろうか?
さて、言われた通りアイリスが彼女の用事を済ませるまでこの場で待つことにしたのだが、私は運が悪いらしく、この短い時間で再度ナンパに遭ってしまった。
腰元で大笑いするカネサダに私は顔をしかめ、迫り来るナンパ男一名をしっしと手で払いのける。
厄介な事に、男はいくら私が誘いを拒んでもしつこく纏わりついて来た。アイリスを待っている身としては、勝手にこの場を離れる訳にはいかないので、彼の方から何処かへ行って欲しいのだが。
先程のように腰の刀で脅してやろうかとも思ったが、今回は自重することにして____
「恋人を待っているので」
彼氏持ちであることを臭わせることにした。気分的にあまり吐きたくない嘘だが、この言葉はナンパを振り払うには中々に良い効果を発揮する。
それから私は追い打ちをかけるように存在しない恋人ののろけ話を始め、男に“貴方には脈がない”という事をまざまざと思い知らせてやる。
しかし、男がようやく私の前から去っていこうと言う時、タイミング悪くアイリスが戻ってきて____
「あ、ミシェルちゃん、お待たせ!」
そんな事を言ったので、男は私達を交互に見つめて、厳しい口調で問い質した。
「おい、どういうことだ! 恋人を待っているって……!」
まあ、こうなるよね。
溜息をぐっと堪える。
……仕方がない。
「こういうことです!」
私は駆け寄ってくるアイリスに迫り、その身体に思い切り抱き着いた。
アイリスと男が驚きで目を丸くする中、私は再度告げる。
「こういうことです!」
どういうことかと言うと、こういうことである。つまりはアイリスが私の恋人であると、男に見せびらかしているのである。
「……あ、ああ……そういうことか……なるほど」
男は躊躇いがちに呟いた後____
「なるほどね」
訳知り顔で「俺はそう言うのには理解がある男なんだ」と言い残し、手を振って立ち去った。無駄にクールな後姿を見せて。
「……あ、あの……ミシェルちゃん……?」
私に抱き着かれたままのアイリスが顔を真っ赤にさせて、口をパクパクとさせる。
その潤んだ瞳に、私は慌てて謝罪の言葉を述べて彼女の身体を解放した。
「ご、ごめん……あの……」
しどろもどろになりながら事情を説明すると、アイリスは納得したように頷き、照れくさそうに顔を俯かせた。
「な、何だ……そういう事か……た、大変だったね……ミシェルちゃん」
「う、うん」
「さっきの人には……」
アイリスが言葉を一旦区切り、躊躇いがちに続きを口にする。
「私達が恋人同士に見えたのかな?」
「……うーん……そう、なるのかなあ」
最終的にはそう理解されたのだろう。同性のカップルだと。
アイリスが遠慮がちにこちらに視線を向ける。
言うか言うまいか迷うように口を開いたり閉じたりさせ、思い切ったように呟き出す。
「ミシェルちゃんてさ……」
「?」
「美人さんだよね」
いきなり何を言い出すのか。
私は困り顔を浮かべた。
「私をナンパしてた二人も、ミシェルちゃんが現れた途端私のことは眼中になくなるし……何だろう……うらやましいなあって思う。私より全然魅力的だもんね」
「……」
……えーと。
私はどう言葉を返せば良いのだ?
女性としての容姿を褒められても反応に困るのだが……。
私はあくまで男だ。素直に「ありがとう」と言うのは何か嫌だった。
「アイリスの方が全然可愛いよ」
「え?」
私は少しだけむすっとして言い放つ。
ただの社交辞令のつもりだったのだが、言い終わって後になって、変な誤解を与えていないか私は心配になった。
呆気にとられるアイリスは徐々に顔を赤くさせていき、恥ずかしそうに身をくねらせ始める。
その反応の仕方で、変な誤解を与えてしまったことを悟る私。
「あ、えーと……他意はないから! ただ客観的に見て私よりもアイリスの方が可愛いと……」
慌てて言葉を付け加えるが、それもまた何か変な誤解を与えそうなものだった。
「そ、そんなことないよ! ミシェルちゃんの方がずっと可愛いから!」
いや、対抗されても嬉しくないし困るんだけど……。
私は面倒くさそうに頭を掻き、これ以上この話題を続けたくはなかったので、アイリスの手を取り____
「ほら、ケーキ屋、連れて行ってくれるんだよね!」
「……あ、うん」
兎にも角にも、ケーキをおごって貰う事にする。
アイリスはまだ少しもじもじとしていたが、私の手を引いて____
「じゃあ、いこっか」
少し照れた笑みを浮かべて、裏通りの出入り口へと向かうのだった。