第十五話「暖かい夜」
それからしばらく____
負傷者に出来る限りの応急手当を施していると、森の静寂を破る車輪と蹄の音が地を揺らし始めた。
顔を上げ、首都エストフルトへと続く道の方を見遣る。すると、数台の馬車とそれを護衛する馬上の騎士達が姿を現した。
目を凝らす。
私の目に映ったのは、救急馬車を引き連れたマーサ隊の面々だった。
「負傷者はこれで全てか、ミシェル」
「……あ、はい」
先行するマーサ隊の一人の騎士が私の前に馬を停め、馬上から問い質す。
「話は聞いている。後の事は我々に任せて貰おう」
マーサ隊の騎士は端的に告げると、手綱を繰り仲間たちの元へと去って行く。
遅れて後続の騎士達がなだれ込み、皆一様に地面に降り立った。
マーサ隊の騎士達の中に私はマリアの姿を発見する。
彼女は私に気が付くと、血相を変えてこちらに詰め寄って来た。
「……ミミさんとララさんは!?」
私の肩を掴み、激しく揺さぶるマリア。
「無事なんですの!?」
マリアの慌てた様子に面食らいながらも私はこくりと頷いた。
「……二人ともさっさと逃げて行ったよ」
「……そう……でしたの」
マリアの安心した様子が伝わってくる。仲の良いゴールドスタイン姉妹の無事が気掛かりだったのだろう。
「他の皆さんは今どちらに?」
マリアは尋ねるが、私は肩をすくめるだけだった。そんなものはこちらが知りたいぐらいだ。
私のぶっきら棒な態度が気に入らなかったのか、マリアは顔をしかめて刺々しい口調で口を開いた。
「貴方はピンピンしてますのね」
マリアの視線は私の背後、地面に横たわる負傷者____その中の息絶えた騎士達に注がれる。
「……ああ、哀れな騎士達! どうして、高潔な彼らが骸となり……貴方のような下賤な輩が今もこうして生きながらえているのでしょうか! 何て理不尽な世の中!」
心無い侮蔑の言葉。
普段の私ならば、特に気にも留めず大人しく流しているのだろうが____
今日は少ばかり気分が違った。
私はすっと息を吸い込み、マリアを激しく睨みつけた。
「死者を愚弄するのはよせッ!」
「!?」
叫ぶ私の剣幕に、マリアがびくりと身体を震わせた。
「彼女達は騎士として立派に戦った。そんな彼女達を引き合いに出してまで私のことを貶めたいのか! それは例えベクスヒル家の人間であろうと許されない行為! 誇り高い騎士の魂を辱める行為だ!」
放たれる激しい言葉に、マーサ隊の他の面々の視線も私に集まった。
マリアが冷や汗を垂らしてじりじりと後退するのが分かる。
「……あ、貴方……誰に物を言って……」
「……」
「……こ、この……“罠係”の分際で生意気な!」
苦し紛れに言い放つが、分が悪いことを察してか、マリアは慌てた様子で私に背を向け、どこかへ去ってしまった。
『死者を愚弄するのはよせ、か……ひゅー、仲間想いで涙が出るねえ、ミカ』
「うん」
茶化すカネサダに私は苦笑を浮かべた。
良心に訴えかけるような方法で責められるとマリアは弱い。その事が分かっていたので、先程は彼女の発言を咎めるような形で言い返させてもらった。ただ、それだけだ。別に亡くなった仲間たちを想って憤慨したわけではない。
マリアが目の前から消えると、丁度入れ違う形でその姉のマーサ隊長が私の前に現れた。
「ミシェルさん、少しよろしくて?」
「はい」
マーサは腕を組んで私をじっと見つめた。
「ラピスさんから報告を受けたのですけども……あの魔物は貴方一人で倒しましたの?」
懐疑的な口調で問うマーサ。その視線が黒い狼の死骸へと向いていた。
「ええ、その通りです」
私は頷き、ただ一言肯定の言葉を述べる。
すると、マーサは顎に手を添え難しそうな表情を作った。
「……あれを一人で? ……そんな馬鹿な」
やはり訝しむようにマーサは声を漏らす。
しばらく自問するように俯いていたマーサだが____
「……石橋の魔物」
「ん、何ですの?」
「コナン河に架かる石橋を破壊した魔物はどうなりました?」
私の問い掛けにマーサは顔を上げ、神妙な面持ちで答えた。
「……調査はいたしましたけれど、不明のままですわね」
私はアサルトウルフの巨体へと目を向ける。
「謎の巨大な魔物……もしかして、この魔物がそうなのではないですかね?」
首都周辺のこの一帯には、そもそも石橋を破壊し得るほどの巨大な魔物の生息は報告されていない。謎の巨大な魔物の出現として今一番に考えられるのが、巨大化の特異能力を持った目の前のアサルトウルフだった。
「……そうかもしれませんわね」
「……?」
何処となく気のないマーサの返事に私は首を傾げる。
「何か?」
「あ……い、いえ……」
私は言うまいか迷ったが、やはり口にすることにする。
「自分で言っておいて何ですが……石橋を壊したのはこの魔物ではないと思います」
「……」
「確かに凶暴な魔物ですが……奴では件の石橋をかように破壊するのは不可能でしょう」
確信して言えるが、あの石橋は爆発によって破壊されたのだ。巨体が暴れ回っただけではああはならない。
私の言葉にマーサは腕を組んだまま目を瞑った。考え込んでいると言うよりは、彼女は何か眠りに落ちているような様子だった。
「そうですか」
てっきり意見を述べたことをまた叱られるのではないかと内心びくびくしていたのだが、マーサはただ静かに頷いて一言漏らすだけだった。
それから____
「兎に角、よく貴方はやってくれましたわ」
「……え……は、はい」
「お背中の傷が酷くてよ。ここはもうよろしいので、貴方も馬車で病院まで連れて行って貰いなさいまし」
マーサは労いの言葉と共に私に救急馬車への同乗を勧めた。
違和感を覚える。
マーサ・ベクスヒルのような人間が、私に気遣うような言葉を投げかけるなど。
何かをはぐらかされているような、そんな印象を受けた。
後ろ髪を引かれる思いだったが、私は大人しく馬車に乗り込み、他の負傷者達と共に軍病院まで搬送されることになった。
その後____
病院のベッドの上で私は一晩を過ごす。
眠りに落ちるまでの間、私は昨日今日の出来事を色々と整理した。
アサルトウルフ。どうにもその存在が気に掛かった。
昨日の倉庫街に現れた個体と今日の森に現れた個体。両者の間には目に見えぬ繋がりがあるように思える。
アサルトウルフであってアサルトウルフでない存在。
あれは一体何なのだろうか?
石橋を破壊した謎の巨大な魔物の出現と言い、おかしな事が立て続けに起きている。
これはただの予感だが……この奇妙な事件はこれで終わりではないと、そう思う。
そう遠くない未来、また何かが起きる。
もっとも、その折の渦中に私がいるとは限らないのだが。
なので、この事はもう忘れてしまっても大丈夫だろう。
珍事件の連続____そんなものより、私にとって余程重要なのはカネサダとの出会いだった。
盗人じみた____いや、実際に盗人なのだが____そんな真似をしてまで手に入れた一振りの刃。
彼と出会ってたった二日間。その間に私は変わりつつあった。
今朝はゴールドスタイン姉妹に恥をかかせ、魔物との戦闘から離脱するアメリア隊長には嫌味を言い、先程はマリアを責め立ててやった。
私は自身を虐げる者達相手に反抗に出るようになっていた。きっとそれはカネサダの影響だ。
カネサダは言っていた。人間らしさを取り戻した時、私の復讐は燃え上がると。
きっと、私は取り戻しているのだろう。彼の言う所の人間らしさを。
復讐____
カネサダはこうも言っていた。
私の復讐心がやがて世界を変えると。
かつて、“英雄の時代”にフランシス・ホークウッドがそうしたように。
彼は願っていた。私が、どん底の人間が起こす小さな革命を見てみたい、と
だが、正直ピンと来ていない。
この私に世界を変えるだけの力があるのか。気概があるのか。
カネサダを手にした者として、彼の希望に応えて上げたいと思うのは人情だろう。
カネサダを満足させて上げたい____
「見せて上げられるかな……小さな革命」
そんな想いが伝わったのか、カネサダが暗闇の中私に語り掛けた。
『焦らなくていい』
「……」
『お前の復讐はお前のもんだ。俺のためのもんじゃない』
カネサダは諭すように言葉を紡ぐ。
『俺はお前の剣だ。所詮は道具に過ぎない。そんな俺に気を遣う必要なんてねえんだ』
私は心の中で頷いた。
すると、カネサダからも満足するような気配が漂って来る。
私とカネサダがこれからどうなるかなんて分からない。
“罠係”としての私の境遇は未だ変わらず____
だけど根拠のない希望が、白銀の煌めきの如く我が前に姿を見せたような……そんな気がした。
私の意識はやがて、まどろみの中暗闇に落ちていく。
今夜はやけに暖かい夜だった。