エピローグ 後編
____Yayo____
自然科学の大国、大アルビオン帝国。それは故郷アウレアソル皇国からサン=ドラコ大陸を挟み更に西に存在する島国。
故郷と同じく“ロスバーン条約”を締結していない国であるためか、リントブルミア王国とはまた違った異国情緒が漂っている様子だ。
そんな西の最果てに私はいた。リントブルミア人の留学生として。
2年以上前の話になる。アンリ様が戦死し、騎士団は公安部に敗北を喫した。四大騎士名家は公安部の管理下に置かれ、ドンカスター家を掌握したラピス様は私にあろうことかアルビオンへの留学を命じたのだ。
私をドンカスター家から追い出す意図があったのだろうが……今は____確信は無いが、ラピス様はそれ以上の思惑を持っていたように思える。
旅立ちの前、別れ際のラピス様は私に何かを期待しているような顔をしていた。
広い世界を見て、より多くの事を学んで、もっと成長して欲しい。そんな願いがこの留学には込められているのかも知れない。
真意は定かではないが……兎に角、私はアルビオンの大学で学生生活を送っていた。
留学生としての日常____
リントブルミア王国は様々な国の文化や人種が入り乱れる国であったためアウレアソル人の私でも比較的違和感なく世間に溶け込めることが出来たが、ここでの私は“東世界人”として周囲から浮いているように思える。
それなりの艱難辛苦に見舞われた日々。
しかし、私はこの西の帝国で孤独にはならなかった。
「次の一コマは空き時間ですね、ガブ」
大学構内。講義が終了し、廊下で隣を歩く親友に声を掛ける。
「そうですね、昼休みを挟むので次の講義までかなり時間が空きますね」
大アルビオン帝国にて、私の傍には常に親友の姿があった。それは同じリントブルミア王国からの留学生、ガブリエラ・アンドーヴァー。私は彼女の事を親しみを込めて“ガブ”と呼んでいる。
「ところで、ヤヨ。この近辺にサーカス団が訪れているらしいのですが、よければ見物に行きませんか」
「サーカス、ですか」
ガブの提案に私は目をぱちくりとさせる。
「珍しいですね」
「そうですか? この辺りでもそれなりにサーカスは催されていると思うのですが」
「そうではなく、ガブがサーカスを見に行きたいだなんて」
ガブリエラ・アンドーヴァーは騎士団のためにその人生の全てを捧げて来た少女だった。そんな彼女が娯楽に興味を示すとは。
どう言う心境の変化だろうか。
ガブは何か説明し辛そうな表情になり____
「いえ、別に私は……ご先祖様がうるさくて……」
「ご先祖様?」
「あ、えと……何でもありません。色々な物に触れて知見を広げるのは良い事だと思いまして」
もっともな理由だが、取ってつけたような感じがするのは何故だろうか。
「まあ、ともあれ、時間はありますしサーカスの見物には賛成です。開演時間は分かりますか?」
「次の公演は30分後ぐらいですかね」
「割とすぐですね。見に行くなら急いだ方が良いかも知れません」
大学構内から抜け出し、ガブの案内を受け私は早足でサーカス会場に向かう。
「へいへい、そこの嬢ちゃん達」
その道中、近道のために通った人気の少ない小道での事だ。突然、物陰から数人の男達が姿を現し私達の行く手を塞ぐ。
「駄目だぜえ、アンタらみたいな小さな女の子達がこんな道を通ろうとしちゃあ」
「何ですか、貴方達は」
「そんな事より、着てるもの全部脱いで貰おうか。おら、早く服を脱げ」
小汚い身なりの男達。その邪な視線が私達に向けられていた。人を見た目で判断してはいけない、とは言われているが、この者達はどう考えてもチンピラの類で、私達に危害を加えようとしているように思える。
「追剥ですか? 憲兵を呼びますよ?」
「へ! お前、これが何か分かるか?」
男達に鋭い視線を向ける私。こちらの睨みを嘲笑い、彼らの内の一人が懐から何かを取り出した。
「……銃」
男が取り出したのは手のひらサイズの銃だった。小さいからと侮ってはならない。アルビオン製の拳銃であるならば、男の位置から私を射殺する事は十分可能だ。
「大人しく服を脱げ。そうすれば命は取らない」
「……」
冷や汗をかく私。アルビオンでは公人以外の人工魔導核の所持は禁止されている。当然、私もガブも人工魔導核を携帯してはいない。そのため、かつてのように魔導の力に頼る事は出来ないのだ。
……どうすれば良い?
逃げる動作をすれば、男は即座に銃から弾丸を放つ事だろう。近くに人が居る事に賭けて大声を出す選択もあるが……チンピラたちを逆上させかねない。
「……ガブ」
私は不安気な視線をガブに向ける。
かつてミシェルお姉様との闘いに敗れ、一月の仮死状態に陥った後、奇跡的にその意識を取り戻したガブリエラ・アンドーヴァー。しかし、目覚めた彼女からは魔導核の力が失われていた。ガブの魔導核はミシェルお姉様から受けた損傷を回復させる事が出来なかったようだ。
そのため、今のガブにも私同様魔導の力がない。私達は武器も持たない丸腰の少女という訳だ。
「持っていって下さい。これが目当てなのでしょう」
ガブは懐から財布を取り出し、男達に投げ寄越す。
「ヤヨも」
「え? あ、はい」
ガブに促され、私も財布を男達に投げ寄越した。
「私達は留学生です。これ以上の品物は持ち合わせていません。それで満足して下さい」
お金は渡す。なので、自分達を解放しろ。ガブはそう主張していた。好戦的な印象を受ける彼女だが、この手の冷静さは持ち合わせているようだ。銃を持つ複数人の男達が相手では、抵抗した場合無傷で済まされない可能性がある。
ガブの提案に____
「駄目だ、服を脱げ」
しかし、男達は要求を変えない。
「お嬢ちゃん達、随分と上等なもの着てるねえ。その服、きっと高く売れるぜ」
脅す様に銃口をこちらに突き付けてくるチンピラ。ガブは表情を変えず____
「銃を使えば、こんな場所でもさすがに人は集まります。そちらにとっても嬉しくないのでは?」
「ああん? ん……まあ、確かにな」
「財布の中身を確かめて下さい。結構なお金が入っています。それで十分ではありませんか。それを手にして安全に撤退するか、危険を冒してまで更なる収獲を求めるか。どちらが賢明でしょうか?」
この状況で尚も冷静に交渉を進めるガブ。さすがは元ラ・ギヨティーヌ最強騎士。素晴らしい判断能力だ。
さて、チンピラの回答は____
「いいから、服を脱げ」
寒気のする様な下卑た笑みを浮かべる男達。
「勘違いするなよ。俺達は金品だけが目当てで追剥をやってるんじゃねえよ。むしろ、お前達みたいな可愛くて上品な嬢ちゃん達を辱めたくてこんな事してんだよ」
チンピラの言葉に私は絶句する。
人を辱める目的のために? 何て下衆な男達なのだ。途端に怒りが沸き上がり、身体が義憤で震え出す。
「おら、どうした!? 早く脱がねえと本当に撃っちまうぞ!」
怒鳴るチンピラ。銃口は冷たい光を放ち、こちらを威嚇する。私は心の焦りを抑えるのに必死だった。
素直に男達の言葉に従うか。それとも死を覚悟で抵抗するか。
どうする? 私はどうすれば……。
その時____
「おい、三下共。お前ら、ここらが引き時だぜ」
それはガブの口から放たれた言葉だった。
「不細工共が。情けねえなあ。碌に女も抱けねえからって、こんな事で欲求を満たそうって訳か? お家に帰って母ちゃんのおっぱいでもしゃぶってろ」
「……え……ガ、ガブ……?」
およそガブのものとは思えない、粗暴な言葉の羅列。私はあまりの事態に困惑していた。
「お、お前……! 今何て言った!?」
突然のガブの変容にチンピラ達も呆然としていたが、我に返り、投げかけられた侮辱の言葉に激怒した。
「失せろ、雑魚共。今なら見逃してやる」
「……く……この小娘が……!」
銃を構えているチンピラが顔を引きつらせて、その銃口をガブへと向ける。いけない、と私は思った。男は完全に理性を失っている。銃の引き金は今にも引かれん勢いだ。
「舐めんじゃねえぞ! ぶっ殺してや____」
チンピラが怒号を発したその刹那の出来事だ。
「へ?」
瞬きの間にガブがチンピラの懐に飛び込み____いや、正確には飛び込んでいた、と言うのが正しい____その顎目掛けて回し蹴りを放った。
ガブの回し蹴りを受け、後方に吹き飛び、そのまま気絶する男。彼の銃の行方はガブの手の中だった。
「な、何だ!? 何が起きた!?」
大混乱に陥るチンピラ達。私も目前の一瞬の出来事に唖然としていた。
「……瞬間移動」
と、私は呟く。先程のガブの動き。速い、と言う次元ではなかった。元居た場所から男の場所まで全く痕跡を残さず移動したように思える。まるで、魔法でも使用したかのように。
「いやあ、久しぶりに身体を動かすって言うのは気持ちが良いな」
ガブはご満悦の様子だった。奪った拳銃を手元で遊び、横壁に数発試射する。その銃声にチンピラ達は怯え切った表情を浮かべた。
「俺はさっき、“今なら見逃してやる”っていったよな?」
凶悪な笑みを浮かべるガブ。じりじりと男達に近付き____
「やっぱ、それなしだわ。悪いが付き合って貰うぜ。お前ら全員ボコボコにしてやる!」
そして、ガブによるさながら殺戮劇の様な一方的な攻勢が始まるのであった。
____Gabriela____
目が覚めた私は全てを失っていた。
お母様____アンリ・アンドーヴァーは戦死。四大騎士名家は“黙示録の四騎士”ごとその力を公安部に奪われ、ラ・ギヨティーヌも彼らの支配下に置かれていた。騎士団は完全に機能不全に陥っている。
私の大切なもの____全てが終わった後だったのだ。
そして、私からは魔導核の力が消えていた。
魂の結合力により私の魔導核は全くの無傷。しかし、“固有魔法”を使用するどころか魔導の力も引き出す事が出来ない状態に私はなっていたのだ。
あの時、ミシェルに魔導核を一突きされた時、一体何が起きたのかは分からないが……兎に角、私は不全に陥っていた。そして、目覚めて一月の間、様々な検査を受けたが魔導核の異常の原因は分からず、その折に私はラピス・チャーストンに大アルビオン帝国への留学を言い渡される。
「国外で学んで来い。多くのものを見ろ。色々な価値観に触れろ。世界は広い」
ラピスはそれだけを言い残し、私を見送った。
留学は八夜・東郷・ドンカスター____ヤヨも一緒だった。国外追放代わりの留学。アルビオンに到着したての頃の私は専らそのように思っていた。先の闘いで公安部に逆らった有力な二人を、体裁を整えて王国内から消す。そんな思惑を感じていた。
しかし、今は別に考えている事もある。
騎士団が全てだった私。ラピスはそんな私を変えようとしたのかも知れない。牙を抜く事で私を無害化しようとしたのか……あるいは慈悲か。
アルビオンへの留学中に私には親友が出来た。ヤヨだ。共に大学生活を過ごしていく内に、利益など関係ない、ただ一緒に居るだけで楽しくて温かい、ヤヨは私にとってそんな存在になっていた。
初めての親友。それは私の世界を、価値観を大きく変えた。世界よりも、国よりも小さな存在。しかし、私にとってヤヨは何に変えても守り抜きたい存在となった。
敗北の悔しさはある。大切なものを失った喪失感もある。しかし、ヤヨのお陰で私は“今”をそれ程憎んではいなかった。
そして、一年程前の事だ。私は自身の異変に気が付く。
『……おい、聞こえるか、ガブリエラ』
聞き覚えのある男の声。初めはただの空耳かと思った。しかし、次第にその声は私の中で大きくなっていき____
『おい、聞こえてんだろ! 返事しろ、ガブリエラ!』
「……貴方は」
声は機能不全に陥った状態のままの魔導核から聞こえて来る。そして、その声の主は____
「貴方……もしかして……カネサダ、ですか?」
『おうよ!』
「一体、どうして……」
カネサダ。ミシェルの愛刀にその魂を宿していた英雄フランシス・ホークウッドその人だ。何故、彼が私の元に。
「貴方、消えた筈では」
『あー、まあ……俺もそのつもりだったんだがなあ。あの時、俺は自分の魂を犠牲にお前の魔導核を破壊する算段だった。だけど……これは一体全体どういう状況だ?』
「私に聞かれましても」
両者、状況を飲み込めていない状態だった。
『んーそうだな。これは俺なりの考察なんだが、俺はお前の魔導核の破壊には失敗したが、その代わりに移魂が行われた。つまり、今のお前の魔導核には俺とお前、二人の魂が宿っている状態だ』
「……はあ、成る程」
『お前、魔導核から魔導の力が使えないだろ。きっと、俺の魂がその行使を阻害してるんだ』
「……疫病神じゃないですか」
『疫病神とは何だ! 俺はお前のご先祖様だぞ! もっと敬え!』
目くじらを立てているご様子の我がご先祖様。
「ご先祖様の所為で私は魔導核が使えないようですが……どうにかなりませんか」
『どうにかって?』
「力を返して頂きたい」
私の言葉にご先祖様は『馬鹿言え』と吐き捨てる。
『お前に力を返して俺に何の得がある。お前は俺達の敵だろうが』
「……敵、ですか。……ああ、そうでしたね……確か……」
『……ん、どうした?』
歯切れの悪い私にご先祖様は何かを察した様子で____
『成る程な。俺が眠っている間に色々とあったようだな』
「……ええ、まあ」
『そうか……じゃあ、良いぜ。色々と試してみようや』
ご先祖様がそう言うと、私の中で魔導核が活性化する感覚がした。久々に味わう魔導の力が流れる感触だ。
「……!?」
だが、次の瞬間には内臓を手掴みされた様な不気味な感覚に襲われ____
「……よっと! おっしゃ、やったぜ! 成功だ!」
それは私の口から出た私のものではない言葉だった。
『……!? ……声が……ご先祖様、これは一体……』
「どうだ、見たか! お前の身体を乗っ取ってやったぜ!」
私の口から発せられるご先祖様の言葉。対して、私の言葉は木霊の様に私の中で響くのみだった。私とご先祖様の対場が逆転している。
『え、ちょっと……ご先祖様! 力を返して下さるのでは!? 逆に身体を奪ってどう言うつもりですか!?』
「まあまあ、落ち着け。色々試すって言ったろ?」
私の声でケタケタと笑うご先祖様。
「恐らくだが、長い付き合いになるぜ、俺達。どんな事が出来るのか一つ一つ調べていこうじゃねえか」
『そんな事はどうでも良いので、とっとと成仏して下さいよ』
「嫌だね」
それからご先祖様は私の身体で色々な事を試した。数日間の検証を経て、おおよその事が判明する。
まず、大前提として魔導核の支配権はご先祖様にあるようだった。そして、身体の乗っ取りもご先祖様の自由に出来る。ただし、それに関しては一定の制限があるようで、一日に一時間程度の乗っ取りがご先祖様の限度の様だ。
そして、割と厄介なのが、魔導の力の行使にはご先祖様の許可が必要な事だ。条件付きとは言え、力が使用出来る事自体は朗報なのだが。加えて、扱える魔導の力の量も以前に比べて激減していた。
総括すると、私は弱体化したと言える。そして、ご先祖様と言う疫病神に取り憑かれていた。
「……はあ、どうしてこんな事に」
『不満そうだな、ガブリエラ』
「当り前じゃないですか! 何で、こんな異物が私に……」
『“こんな異物”って……お前、ふざけんなよ! 良いのか、そんな態度で? お前の身体乗っ取って全裸で路上ダンスしても良いんだぜ?』
……最悪過ぎる。
『まあ、何だ。仲良くしようぜ。お前は俺の子孫なんだ。悪いようにはしねえよ』
「……全く信用できませんね」
かくして、ご先祖様との最悪な共同生活が始まった訳だが……意外にも私達は上手く共存する事が出来ていた。
無神経で非常識なご先祖様だが、最低限の思慮分別はあるようで、私の身体を乗っ取って好き勝手暴れるような真似はしないようだ。少なくとも私の不利益になる行動は起こさない。
ただ全く大人しくしていると言う訳ではなく、何か騒ぎや揉め事が起きた際は嬉々としてご先祖様は表に出てくる。
例えば今がそうだ。
大学の講義の空きコマを利用し、サーカスの見物に向かう途中、不運にも追剥に囲まれた私とヤヨ。対処が手に余り、最終的に出て来たのがご先祖様だった。
ご先祖様は“固有魔法”で時間を止める事が出来る。その力で追剥達を一方的にいたぶった。
追剥達を退治してくれた事には感謝するが……ヤヨの前でのはしたない言動は慎んで欲しい。ご先祖様の要望でその存在はヤヨを含め周囲の人間達には秘密にしていた。そのため、一連の振る舞いについて私はヤヨに十分な説明が出来ない。
ボロボロの状態の追剥達を、その惨状に仰天していた憲兵に突き出した後____
「サーカス……もう間に合いませんね」
「はい」
私達は近くのレストランで昼食を取っていた。サーカスの見物はまたの機会にする。
「それにしても驚きましたよ。武装したチンピラ達相手に丸腰で。さすがはラ・ギヨティーヌ最強騎士ですね」
「元、ですが」
ヤヨは窺うような視線をこちらに投げ掛け続けていた。しかし、私が困ったように目を泳がせていると、別の話題を口にし出す。
もしかすると、ヤヨはご先祖様の事を既に察しているのかも知れない。その上で知らない振りをしている、あるいは敢えて気が付かないようにしている可能性があった。ヤヨは私と違って空気の読める少女だ。
「午後の講義は別々になりますね」
「ええ、確かヤヨは社会科学の講義を取っていましたね。講義が終わったら構内のカフェテリアで落ち合いましょう」
昼食を済まし、大学の構内まで一緒に歩いた後、私はヤヨと一度別れる事に。
周囲に誰も人が居無くなり____
「そう言えば、今更なのですが」
『ん? 何だ?』
「どうして、ご先祖様は自身の存在を秘密にして欲しいと私に頼んだのですか?」
改めて気になったので尋ねてみる。理由が思い付くようで思い付かないので、気になってはいた。
『秘密にして欲しい理由?』
「ええ、今更気になって」
『……まあ、実を言うと大したもんじゃねえんだけどな』
と、何故だか気不味そうな様子のご先祖様。
『俺って消えた事になってんじゃん? 結構カッコいい感じに』
「カッコいいかは知りませんが。まあ、確かに消えた事になっていますね」
『実は生きていました、とか恥ずかしくね?』
「……は?」
一瞬、ご先祖様の言葉に理解が追い付かなかった。恥ずかしい? それだけの理由で? と言うか、何が恥ずかしいのかもよく分からない。
『何だよ、下らねえみたいな事思ってんなお前は』
「いや、思ってますよ。下らな過ぎですよ。何ですかそのふざけた理由は」
『あーはいはい! そう言うと思ったぜ! ったくよお……分かんねえかなこの俺の繊細さが』
どの口が繊細を語るのか。
「本当にそれだけの理由なんですか」
『それだけって……まあ____いや、後はそうだな』
ご先祖様は若干言い淀むような感じになり____
『ミカの奴に俺の生存を知らせたくない』
「ミシェルに?」
少しだけ真剣なご先祖様の声。これはただの私の勘になるのだが、一つ目の“恥ずかしいから”と言う理由よりもこちらの方が本命の理由のように思える。
「どうして、ミシェルに生存を知らせたくないのですか?」
『……んー、そうだなあ……実は自分でもよく分かってねえんだわ』
「何ですか、それ」
自分の気持ちが分からない、と言うやつか。ご先祖様らしくない。
『何でだろうなあ……お前は何でだと思う、ガブリエラ?』
「いや、知りませんよ。分かる訳ないじゃないですか」
『だろうなあ』
いつにも増してぼんやりとしているご先祖様。何だか、こちらの調子が狂う。私は思わず____
「邪魔したくないからなのでは」
勝手な推論をしてしまう。
「ミシェルは……そうですね、言ってしまえばひなたの存在です。騎士団に勝利した公安部の英雄であり、今は多くの仲間達に囲まれている。その仲間達も健全な心を持ったひなたの存在であり____ご先祖様のような影の存在は相応しくない。自分は既に過去の人物であり、余計なものが混ざる事でミシェルの今の幸せを壊したくないと思っている。こんな具合では?」
『お前、ひでー言い様だな。俺の事邪魔者扱いかよ。何も知らねえくせにぺらぺらと』
「何も知らない者の勝手な考察ですので」
何も知らない者として勝手に話を作らせて貰った次第だ。
だが____
何も知らない私だが……ただ一つ明確に理解している事は、ご先祖様がミシェルの事を大切に想っている、と言う事。
大切に想うが故に触れられない、と言った所か。
「ミシェルに会いたくない訳では無いのでしょう?」
『それはそうだが』
「ならば、ご先祖様のその葛藤は彼を大切に想っているが故のものでしょう」
こう言うのはあまり私らしくないが____
「素敵だと思いますよ、そう言うの。誰かを大切にしたい。守りたい。そう言った想いは何ものにも代え難いものです」
私の言葉にご先祖様は驚いた様子だった。
『お前……いつの間にそんな一端に人間らしい事言えるようになったんだよ』
「……む、失礼な」
ご先祖様の言い様に私は頬を膨らませる。
まあ……実際、以前の私はおよそ人間的な感情が欠落した冷血な人間だったのだが。
『ご先祖様として素直に嬉しいぜ、お前の人間的な成長は』
「そんなご先祖様みたいな事言われましても。まあ、ご先祖様なのですが」
誰かを大切に想う気持ち。それは最近になって知ったものだった。いや、自覚した、と言った方が良いか。
ヤヨのおかげだ。
大切な人を守りたい。その想いを私は彼女から学んだ。
在りし日。私はそれをお母様にも感じていたのだと思う。しかし、その本当の気持ちに気が付かぬまま、お母様はいなくなってしまった。
私が守るべきもの。それは騎士団ではなく、お母様だったのではないか。彼女が私をどう思っていたのかは正直な所分からない。本当の娘として愛していたのか、それともただの道具として利用していただけなのか。しかし、少なくとも私はお母様の事を愛していた。
だから、今度は間違えない。
私にとっての大切なもの。それを今度こそ守り抜く。
____Michelle____
人生には多くの後悔が付きまとう。
あの時、ああしていれば、こうしていれば。大なり小なり、誰しも思った事はある筈。
後悔の無い人生などない。なので、大切なのは後悔をしない事ではない。覚悟と“選択”の中で生きる事だ。
後悔を呑み込んで、それでも“今”を肯定する。人間はそうやって、より強く、より幸福になれるのだ。
私は自身の“選択”に後悔はするが、それ以上に“それで良かったのだ”と誇りにも思っている。
『貴方、すっかり面構えが変わったわね』
ギロチンの刃が私に話し掛ける。
『少しだけ、フランに似て来たかも』
「カネサダに?」
『そう、まるで生まれ変わりみたい』
私は自身の頬に触れ、首を横に振った。
「生まれ変わりは言い過ぎだよ、エステルさん」
『そうね、アレほどの男はそうそう居ないわ』
愚痴る様な、また慈しむ様な、そんな声がギロチンの刃から漏れる。
私は急に寂しさを感じ____
「たまにはさ、カネサダとの思い出話を聞かせてよ」
『私とフランの思い出話?』
「エステルさんだって話したいんじゃないの? ……だって、本当は大好きなんでしょ、カネサダの事が」
ギロチンの刃が困ったような沈黙を醸し出す。私は少しだけ追い詰めるように再度問い掛けた。
「好きなんでしょ、カネサダ事?」
『……ええ』
静かに肯定するギロチンの刃。
『結局、私はフランの事が好きだったのよ。対抗意識を燃やして……今までの全てはきっと、フランに認めて欲しかったから、なのかも知れないわね』
カネサダが消えて、脱け殻の様になっていたのは私だけではない。彼女もまたそうだった。カネサダが彼女にとっての生きる理由だったのかも知れない。この世界の何処かに存在するその男に自分の存在を思い知らせる。そのために、彼女は“女神”になろうとしたのではないか。
それからしばらく、しみじみとした沈黙が私達を支配し____
『今度聞かせて上げるわね、フランとの思い出話。……でも、今は』
ギロチンの刃が微笑む様な気配がした。
『過去の思い出に浸るよりも、しっかりとした姿を皆に見せないといけないわね、公安団団長殿』
「……そうだね」
私は頷き、ギロチンの刃を持ち上げる。腰元には大切な相棒との思い出の一品である愛刀があった。
「そろそろ時間かな。行こうか、エステルさん」
私はギロチンの刃____革命期の象徴である“働き者の女神”を手に進み行く。
今日はリントブルミア公安団創立記念式典だ。公安団団長である私は国民に向けて、演説をする手筈になっている。
控室の暗闇を抜け、演説台の上に立つ私。
多くの人々が私を見つめていた。多くの意識が私に集まっている。
私はすっと息を吸い、手元のギロチンの刃を深々と演説台に突き刺した。
鳴り響く轟音に大衆がどよめく。
「“騎士の時代”は終わった!」
私はただ前を見つめ、強く宣言する。
「リントブルミア人よ、騎士達に理不尽に抑圧された時代に別れを告げよ!」
己の存在を示す様に、私は自身の胸を叩く。
「私は新たな秩序の番人である公安団団長ミシェルだ!」
私は腰元の愛刀を抜き放つ。そして、視線でギロチンの刃に向けて合図を出した。
『じゃあ、行くわよ』
私の合図を受け、ギロチンの刃が僅かに発光する。その光は不可思議な力と共に私のカタナへと流れ込んだ。
手元に確かな熱を感じる。
『移魂に成功したわ』
女性の声が白銀の刃から響いて来た。もう、彼女の魂はギロチンの刃に存在しない。
私はゆっくりと腰を落とし____
「はあッ!」
大衆の前で、ギロチンの刃に一閃を放つ。
白銀の煌めきは鈍色の鉄の塊を両断し、人々に驚嘆と歓声を巻き起こした。
「ここで____いや、ここから全ての旧悪を断ち斬る!」
人々に向けて、再度の宣言。
「弱き者よ、弱きに甘んじるな! 虐げられし者よ、被虐を是とするな! 旧き理念に縛られし者よ、新しき思想を受け入れよ! 人々よ、心に刃を宿せ!」
私の中にはカネサダがいる。
何よりも鋭く、輝かしい、最強の刃が。
今、カネサダがそうしてくれたように、私も人々にそれを与える。
全ての始まり____心の剣を。
ここまでありがとうございました。物語はこれで完結です。
感想を頂けると幸いです。