エピローグ 中編
____Sara____
この世の____少なくとも、この国の下から上までを見て来た。その上で出した結論がある。
無力は不幸である。言ってしまえば当然の事だが、肌で感じ、理解している者は少数だと思う。
満足に生きるためには力が必要だ。権力、財力、時には暴力。自分を守る力を持たぬ者は、迫る不幸に押しつぶされるのみ。
救貧院時代の私には力が無かった。無力な子供は理不尽に対抗する術を持たない。世の中には弱者に差し伸べられる救済の手も存在するが、その手を取るのにも、そして差し伸べられる機会を得るのにもやはり力が必要だった。
貧しい子供に過ぎなかった私。しかし、幸いな事に私にはとある力が隠れていた。騎士としての才能が。
己の剣の力のみを頼りに私は伸し上がった。騎士学校時代には優秀な成績を残す。その後、エストフルト第一兵舎にエリート騎士として入舎を果たし、そして今や____支配される側から支配する側へと私は変わっていた。
公安監督官。それが今の私の肩書。騎士団の実働部隊はとうの昔に去った。私は大勢の公安員を部下に従え、首都の騎士団の風紀を正す役割を担っている。
公安員からの情報を元に不正を行っている者や組織内のイジメを摘発して処罰するのが私の仕事だ。
私の日々は痛快なものになっていた。
エストフルトにおいて公安監督官サラ・ベルベットは畏敬の対象になっていたのだ。私が睨めば、高貴な出自を持つお偉い騎士達も恐怖で黙り込む。もう誰も救貧院のみなしごと私を罵らない。
今の生活を存分に謳歌している私だが、それでもまだ足りないものがある。
私には____いや、私達には大切なピースが欠けていた。
2年間も眠り続けている大切な親友。ミシェル君がまだここにいない。
ミシェル君に会いたい。また、色々なお喋りがしたい。剣の手合わせだってそうだ。実働部隊を退いた私だが、剣の鍛錬は欠かしていない。ミシェル君には負けっぱなしだったが、いつか必ず勝利すると誓っていた。
そして、これは割と切実な案件なのだが……ミシェル君が早く目覚めないとラピスさんが過労で倒れる。
ミシェル君が目覚めるその時まで、ラピスさんは首席監督官と副監督官の役職を掛け持ちするつもりでいた。彼女は優秀なので、どうにか膨大な仕事量をこなしているのだが……このまま公安部の活動範囲が広がり続ければいずれ限界が来る。
「ラピスさん、たまには休暇も必要だと思いますよ」
公安首席監督官室で執務に没頭しているラピスさんに活動の報告ついでに休息を促す言葉を呈する。
ラピスさんは「ああ」と頷いてから____
「実は明後日に久しぶりの休暇を取るつもりでいた」
「へえ、そうなんですか」
久しぶりとラピスさんは口にしたが、本当にその通りで、もう1年近く彼女は働き詰めだった。
「気分転換に街をぶらつくつもりだ」
伸びをするラピスさん。私はふと思い立って____
「私もご一緒して宜しいですか?」
「ん? 構わないが」
「街をぶらつくついでにミシェル君のお見舞いにいきましょうか」
私の提案にラピスさんは首肯する。
「……そうだな……もう長い事ミシェルの顔も見ていない。出向いてみるか」
そう言う訳で、ラピスさんとのお出掛けが決定した。街の散策とミシェル君のお見舞いだ。
二日後____
エストフルトの石畳の上を私服の私とラピスさんが歩いていた。
「懐かしいな、こうやって街を歩くのは」
周囲を見回しながら、ラピスさんが言う。実働部隊に在籍していた頃は巡回任務で街を回っていたのだろうが、公安首席監督官に就任してからは自由な外出の機会がめっきり減ったのだろう。
「思えば、激動の時間だったな。公安部が立ち上がって、“黙示録の四騎士”の計画が明るみになって」
街を歩きながら私達は当時の思い出話に花を咲かせた。苦しい時もあったが、全てが丸く収まった今となっては笑い話にもなり得る。
何だか不思議な感じがした。ラピスさんは名門中の名門、チャーストン家の息女で、片や私は救貧院の育ち。その二人が友人として楽しく談笑をしているなんて。
「ミシェルの顔が見てみたいな」
昼食を済ませた後、唐突にラピスさんが言う。
「お見舞いに行きますか?」
「ああ、そうしよう」
ラピスさんは若干緊張しているようだった。直接ミシェル君と話をする訳ではないのだが、久々の顔合わせに心がざわついているのだろう。
私達は軍病院へと向かう。建物に辿り着き、勝手知ったる私がミシェル君の病室までラピスさんを案内した。
病室の扉を開ける。私は「あっ」と声を漏らした。室内には先客が居たのだ。
「アイリス」
「あ、サラちゃんに……珍しい、ラピスさんだ」
私とラピスさんの組み合わせにアイリスは少しだけ驚いていた。
「今は勤務中じゃないのか?」
騎士の制服に身を包むアイリスに指摘するラピスさん。もしや、サボりか? ならば見過ごせないが。
「あ、はい……えーと……」
言葉に詰まるアイリスは目を泳がせる。もしかして本当に勤務中にも関わらずミシェル君の顔見たさにお見舞いに来たのか。
「ち、違うんですよ! そ、その……緊急事態でして!」
「緊急事態?」
「う、動いたらしいんです」
動いた、とは?
「昼の休憩中に知らされたんですけど、昨晩、僅かにミシェルちゃんの手が動いたって。それで私……確かめに……」
アイリスの言葉に私はベッドに横たわるミシェル君の姿を覗き込む。静かな寝顔だ。そして、その身体は人形の様にぴくりとも動かない。
「動いてないじゃない」
「いや、だから……動いたって……」
肩をすくめる私。ミシェル君は眠っているだけで、死んでいるのではない。生理現象で身体が何らかの反応を見せる事ぐらいあるだろう。
「大袈裟ね、アイリス」
「む……んむー……」
私が呆れた視線を寄越すとアイリスは不満そうに頬を膨らませた。
「まあ、気持ちは分からなくも無いわ。ミシェル君を待つ気持ちは私も同じだから。だからこそ、どっしりと構えておくべきじゃない? 手が動いただのどうだので一々騒がないの」
「……」
黙り込み、溜息を吐くアイリス。ラピスさんがその肩を叩いて「気持ちは分かるぞ」と慰める様に言う。
____その時だ。
「おや、先客がいますね」
部屋の扉が開く音と共に少女の声が響く。
「えーと……ラピス様、サラ様、アイリス様、ですね」
背後を振り返る私。そこに居たのは____なんとエリザベス王女と秀蓮だった。
____Elizabeth____
万事物事は順調に進んでいる。
2年前、私達は魔導乙女騎士団相手に勝利を収め、その名を正義として轟かせた。公安部の活動域は首都を越え、直に王国全土へと至るだろう。そして、いずれは騎士団から独立し、公安部は公安団へと成る。
しかし、私達の心にはぽっかりと大きな穴が空いていた。誰もその事を口にしようとはしない。ぽろりと零す事がある程度だ。だが____私達は柱を失っていた。
精神的な支え。私達を導いてくれる光の様な存在。そう……彼が____ミシェル様がいない。
「また、溜息ですか、殿下」
休暇中の王宮内の私室。私は知らず溜息を吐いていたらしい。はっとなって口元を押さえ、溜息を指摘した人物、秀蓮様に向き直る。
「何か悩み事でも?」
「いえ……悩み事、という訳ではないのですが」
ミシェル様の事を考えていた……と言うのは少しだけ憚られた。
「もうすぐ、秀蓮様がタティアナ様の元に向われてしまうので」
「おや……私、ですか」
「ええ、心寂しいなと思いまして」
私の言葉に秀蓮様は照れたように頬を掻いた。
タティアナ様からの要請。あれから色々と考え、話し合ったのだが、秀蓮様をヨルムンガンディア帝国へと送り出すことにしたのだ。
後一月もすれば、秀蓮様は私の元からいなくなる。ミシェル様の事もそうだが、秀蓮様の事も寂しく思っていた。
「いやあ、何でしょうか……嬉しいですね、寂しがられると言うのは」
こっちの気も知らないで暢気な。
私ははっと思い付き____
「秀蓮様は何処か出向きたい場所はございますか?」
「へ? 出向きたい場所ですか?」
「せっかくの休暇です。部屋に籠ってお茶をするよりも、餞別代りに秀蓮様の望む所へお出掛け致しましょう」
私は立ちあがり、秀蓮様の手を取った。
「良いのですか、殿下? そんな、私なんかのために……」
「ええ、勿論です。ささ、そうと決まれば早速支度をしましょうか」
困惑する秀蓮様を尻目に私は外出の支度を始める。街娘に扮するための白いブラウスと青いスカートに着替えた。
「秀蓮様は何処に行きたいですか」
「……何処にと言われましても」
再度の問い掛けに秀蓮様は困ったように唸っていた。私が急かす様な視線を送ると____
「……そうですね、取り敢えず____」
「はい」
「ミシェル先輩に会いたいですね」
それは単純に秀蓮様の願望なのか、はたまた私のミシェル様を寂しく思う心を察しての事か。
兎に角、私達はミシェル様に会いに軍病院に向かう事になった。
馬車での移動を挟み____
「おや、先客がいますね」
ミシェル様が眠る病室に到着。扉を開けた秀蓮様が立ち止まって口を開いた。
私は秀蓮様の背後から部屋の中を覗き込む。
「えーと……ラピス様、サラ様、アイリス様、ですね」
三人の少女の姿を確認。そこに居たのはラピス様、サラ様、アイリス様だった。お見舞いだろうか。私の存在に気が付くと彼女達は恭しく一礼をした。
「皆様もお見舞いですか、三人お揃いで」
「ええ、まあ……」
ラピス様がサラ様とアイリス様の顔を交互に見遣る。
「サラとは休暇中という事でミシェルのお見舞いに来ました。アイリスとは偶然病室で鉢合わせた具合です」
私が「あら、そうなのですね」と頷くと、アイリス様が少しだけ興奮した様子で喋り出す。
「ミシェルちゃんが動いたらしいんです!」
「ミシェル様が?」
「はい! 昨晩の事なのですが、様子を見に来た看護婦によると____」
続きを話そうとするアイリス様だが、サラ様に「止めなさいよ」と口を塞がれてしまう。
「王女殿下の前でみっともない」
「む、むぐー……ぷはあっ……で、でも……!」
「手が少しだけ動いた、それだけでしょ? 生理現象よ生理現象。大騒ぎしないの」
「そんな……いや、ミシェルちゃんは目覚めるよ……! その内、目覚めるの!」
サラ様の拘束を解いたアイリス様が訴えかける様に皆の顔を見回す。
「まあまあ、良いじゃないですか。ミシェル先輩がしっかりと生きていると言う証拠です。嬉しい報告ですよ」
秀蓮様がアイリス様を宥める様に言う。それから、ミシェル様に近付き、しゃがみ込んでその顔に鼻を近付けた。
「良い匂いですね。それに、相変わらず可愛いお顔」
秀蓮様は愛おしそうにミシェル様の顔を眺めていた。
「ヨルムンガンディアへ旅立つ前に、こうしてお顔を拝見できて良かったです」
「ん? アンタ、ヨルムンガンディアへ行っちゃうの?」
「はい、ちょっと野暮用で」
微笑む秀蓮にサラ様は「ふーん、気を付けなさいよ」と軽い餞別の言葉を寄越した。
「まあ、しっかりと任務をこなしてきますよ。……あ、お土産、何が良いですか? 良ければ持ち帰りますけど」
「……呑気な。お前、観光に行く訳じゃないだろうに」
呆れ混じりの溜息を零すラピス様。
私もミシェル様に近付き、その顔を覗き込んだ。
……本当に綺麗な顔だ。まるで精緻な人形の様で、美術品の類と思わせる神秘さがそこにあった。
静かに眠る顔も素晴らしいが、私は知っている。ミシェル様のもっと美しい姿を。
それは戦場でのみ輝く、騎士としての彼の姿。銀色の髪を靡かせ、白銀の刃を振るうその姿は天使そのもの。
騎士としてこそ、ミシェル様は生きる。その輝きに生命が宿るのだ。
願わくば____
「……早くお目覚め下さいませ、ミシェル様」
意識せず、私はその言葉を漏らしていた。ミシェル様を切望する気持ちが抑え切れず。
私は乞う様にその手を____白磁の様に美しいミシェル様の手を握る。
僅かな温もり。生命の温かさだ。ミシェル様は生きている。決して消えなどしない。そして、いつかは目覚める。
私は、その時を……。
「……!」
ふと、手元に妙な感覚があり、私は目を見開く。
「……どうかされましたか、殿下?」
「あ、いえ……その……」
固まって動かなくなる私を心配してラピス様が恭しくその肩に触れた。私は言うまいか躊躇した後____
「今、握り返されたような……」
自信なさげに告げる。一同は顔を見合わせて____私とミシェル様に視線を送った。
「ほ、本当ですか、殿下!?」
「あ、こら! 止めなさい、アイリス!」
身を乗り出すアイリス様をサラ様が制止する。私は狼狽して目を泳がせた後、首を傾げさせた。
「その……いや、勘違いかも知れませんが……」
ミシェル様の手をじっと見つめる私。白くて綺麗な肌。私はその手を少しだけ強く握る。
今のは何だったのだろうか? 握り返されたような感触があったが……気のせいか?
ごくりと生唾を飲み込み____
「ミシェル様」
呼び掛ける。
「起きて下さい、ミシェル様!」
少しだけ強めに呼び掛ける。
「皆様、ずっと待っているのですよ!」
駄目だ。呼び掛けた所為で、心の箍が外れそうになる。ミシェル様を想う気持ちが抑え切れず、それが言葉と声に出てしまう。
「貴方様の事を私達は待っているのです! ずっと、ずっと……!」
感情が制御出来ない。寂しくて、辛くて仕方がない。何故だろうか、ずっと我慢して来たのに。ミシェル様を前につい我儘になってしまう。
「貴方がいないと私はダメなのです! お願いです、ミシェル様____」
刹那、その感触が訪れた。
白く美しいミシェル様の手に力が宿る。初めは人差し指。次に中指が動いて____
「……!」
その手が私の手を確かに掴んだ。
____Maria____
弱い自分が嫌いだった。無力な癖に正義感だけは人一倍強かった自分。一族からは時々、嘲笑の目を向けられていた。
無力な正義は悪ですらあるとある人は言ったらしい。
実際その通りで、私の自己満足は多くの不幸を生んだ。正義だの騎士道だの、それが一体何になるのか。自分が分からなくなり、罪の無い人間に当たり散らかし、何度も己を捨てようとした。
だが____私はまだ私のままでいる。
それは私の背中を押してくれた存在がいたから。
ミシェルさんが“貴方は正しい”と肯定してくれたからだ。
そして、今の私は無力な正義などではない。私は強い自分になれるように努力をした。
再建途中のリントブルミア魔導乙女騎士団。その指揮を執っているのが私だった。
今はまさに黎明の時代。
2年前の戦闘で前騎士団団長アンリ・アンドーヴァーは死亡し、騎士団団長の座は未だ空席が続いている。四大騎士名家はその政治力を抑制され、王国内のパワーバランスは崩壊。大小様々な貴族達が権力を我が物にしようと奔走していた。加えて、“黙示録の四騎士”の存在が明るみになり、諸外国との軋轢も生じている。
私の責任は大きい。リントブルミア王国は窮地に立たされている。その離脱には騎士団の立て直しが急務だった。
決して誤りは許されない。私の選択がこの国の、この世界の運命を決するのだから。
エリザベス王女やルカ様の手助けがあるとは言え、苦しい仕事である事に変わりはない。
ここが私の新しい戦場だ。
その日の昼下がりは公安部の管理下に置かれていた私の実家、ベクスヒル家の視察を行っていた。
公安監督官として実の母親と面談。当然と言えば当然だが、お母様は終始苦い顔をしていた。お家の支配権は当主ではなくその娘である私にある。ベクスヒル本家当主として、そして母親として、これ以上の屈辱は無いだろう。
「貴方も偉くなったものね」
面談が終わり、皮肉交じりに吐き捨てるようにお母様は言う。私は一礼をして____
「では、私はこれで失礼いたします、バーバラ・ベクスヒル殿」
「……ふん。視察、ご苦労様でした、マリア・ベクスヒル公安監督官殿!」
声を荒げるお母様。その苛々が伝わってくる。私はあくまでも公安監督官として冷徹な態度を取り続けていた。
ベクスヒル家の屋敷を離れた私は諸事を済ませに騎士団本部へと赴く。
「……思いの外、時間が余りましたわね」
全ての用事を済ませた私。仕事が思いの外早く片付き、空き時間が出来た。
どうしようかと悩んでいると____
「あ、マリアじゃない! おーい、マリア!」
私の名前を呼ぶ声に気が付く。声の主を探ると、そこに居たのは____
「ミミさんにララさんではありませんか」
ミミさんとララさん。ゴールドスタイン姉妹がそこにいた。
「騎士団本部に用事があってね。丁度、終わった所。そっちは?」
「ええ、私も丁度帰途につくところですわ」
何故だか安堵の笑みが零れる私。公安監督官になりピリピリとした日々を送っている私だが、親友を前にすると不思議な安心感を得る事が出来る。
「思った以上に用事が早く終わって、これからララと一服する予定だったんだけど、良かったらマリアもどうかしら?」
「あら、良いですわね。丁度私も用事が早く終わって、時間に空きが出来た所ですわ」
嬉しい誘いだ。久しぶりにミミさんとララさんとゆっくりお話が出来る。
「ねえ、折角だから」
と、ここでララさんが控えめに提案する。
「軍病院に……ミシェルのお見舞いに行かない? ずっと、お見舞いに行きたいなと思ってたんだけど……私一人だと場違い感があって。でも、二人が一緒なら」
ララさんの言葉に私とミミさんが顔を見合わせる。
「そうですわね、では、お見舞いに行きましょうか」
ララさんの提案は喜ばしいものだった。ミミさんがそうであったようにララさんもまたミシェルさんとの和解を望んでいる。
私達はミシェルさんの眠る軍病院に向かう事に。
「なんか、少しだけ寂しい気分なのよねえ」
道中、ぽつりと零す様にララさんが口を開く。
「気が付いた時にはミミが別人みたいになってて。世の中も大きく変わっちゃってるし。一人取り残された感じよ」
寂し気な目をするララさんの小脇をミミさんが小突く。
「まあまあ、アンタの力なら直ぐに私達に追い付くわよ。精々頑張りなさい」
「む、上から目線。もー、双子なのに嫌になっちゃうわ」
暗い気持ちを和らげようと、冗談交じりの口調で茶化すミミさん。
談笑をしている内に、私達は軍病院に到着する。ただのお見舞いだと言うのに、私達は謎の緊張感に包まれていた。
ミシェルさんの病室が近付く。すると、妙な気配に気が付いた。
「随分と……賑やかですわね」
廊下にまで聞こえる声。病院内だと言うのに騒がしい。声の発生源を探ると、ミシェルさんの病室からだった。
「人がいるみたいね。それも複数人」
ミミさんが首を傾げる。どうやら先客が居るようだが、それにしてもまるでお祭りの様な賑やかな雰囲気だった。
「行きましょうか」
中の様子が気になり、急いでドアノブに手を掛ける。心臓の鼓動が速くなり、汗ばむ手で、それでも急く気持ちを抑えてゆっくりと扉を開けた。
私の目に飛び込んで来たのは____
____Michelle____
私は今、何処にいるのだろうか?
見渡す限りの白い空間。周囲には何も無い。ただ輪郭が希薄な私のみが存在していた。
寝起き後のぼんやりとした意識に支配され、思考もままならない。このまま自我が空間に溶けてしまいそうだ。
ありとあらゆる記憶が混濁し、何が本当の自分なのかも分からなくなる。
しかし、私が散り散りになる事は無かった。
意識や記憶がバラバラになりかけても、幾つかの想いが私を繋ぎ止めていたからだ。
そして感じていた。私には私の帰りを待つ仲間達が居る事を。
____早くお目覚め下さいませ、ミシェル様。
ふと、声が聞こえる。
____起きて下さい、ミシェル様!
誰の声だろうか。
____貴方様の事を私達は待っているのです! ずっと、ずっと……!
思い出せない。だが、きっと大切で愛しい者の声。
____貴方がいないと私はダメなのです!
私の帰りを強く望む者の声。
「……起き、なきゃ」
皆が私を待っている。これ以上、待たせる訳にはいかない。これ以上、皆を悲しませてはいけない。寂しい思いをさせる訳には……。
「起きろ、私! 起きろ、ミシェルッ!」
自分自身に叫ぶ。
胸の内側が熱くなる感覚。止まった時間が動き出す様に、私は己を取り戻し始める。
焼けつくような点滅。何も無い空間に一条の光が現れた。知らず、私は手を伸ばす。皆へと続く道標を求めて。
出口は何処だ。何処に向えば良い? 探して、探して、必死に探して____
息も絶え絶えになった時、私は何かを掴んだ。
温かい感触。優しくて、懐かしくて……私はずっとそれを求めていた。
途端、世界は暗転する。
「……ミシェル様!」
はっとなって目を覚ます。
「……! み、皆様、ミ、ミシェル様が……!」
私はベッドに横たわっていた。深呼吸をして、ゆっくりと上体を起こす。
「ミシェルちゃん……!」
「嘘でしょ……本当に……!?」
「ほら、だから言ったじゃない! ミシェルちゃんが動いたって!」
「いや、でも……! え、嘘……こんな事って……!」
真横からは騒がしい声が聞こえて来た。
「ミシェル、自分が分かるか?」
「……」
両目を擦り、真横に向き直る。そこにいたのは____
「……エリー……アイリス」
一人ずつ、私の視界が彼女達を捉えていく。
「サラ……ラピスさん……秀蓮……」
そして、私はその名前を一つずつ、確認するように口にしていく。
「……皆、少しだけ大人びた?」
私の一言目がそれだった。直前までの記憶と比較した感想だ。皆、色々と成長していた。顔つきや身体つき、纏う雰囲気まで。
私は大きく息を吸った。そして、震える声で____
「私達は……勝ったんだよね?」
今、ここに私が居て、大切な仲間達が居る。それは……それこそが勝利の証。私の問い掛けに一同は満面の笑みで頷いた。
「勝ったんだ……そうか……。いや、でも……本当に……何と言うか……皆、しっかりと大人になってるね。一瞬、誰が誰だかって感じだったよ」
再度、成長した皆の容姿を眺める。
「お前が眠りについて、2年も経過したからな」
「……え……2年、ですか……」
「随分な寝坊助だったな」
「私……2年間も眠っていたのですか」
ラピスの言葉に呆然とする私。2年____長い眠りについていた感覚はあったが、そんなにも時間が経過していたのか。
「ミシェル様、よくぞ……よくぞご無事に……」
涙目になりながら嗚咽を堪える仕草をするエリー。
「今日という日をどれほど待ちわびたことでしょうか」
「……エリー」
感極まるエリーにつられて私も泣きそうになってしまう。
「ミシェルちゃん! ずっと、ずっと待ってたんだよ! ああ、もう! 寂しかったあ!」
「おわっ」
泣きじゃくりながら私に抱き着くのはアイリスだった。身体にずしりとその体重がのしかかってくる。
「あ、こら! 止めなさい、アイリス! ミシェル君は目覚めたてなのよ!」
私に抱き着くアイリスをサラが全力で引き剥がしに掛かる。
「あ、ご、ごめん……痛かった? 身体は平気?」
「うん、まあ」
思い切り抱き着かれたが、身体は何ともない。私はサラに羽交い絞めにされるアイリスに苦笑を向けた。
「全く、馬鹿アイリスったら……ミシェル君も大変ね、起きて早々」
アイリスを拘束しつつ、サラがじっと私の顔を見つめる。
「でも、良かったわ……こうして、目覚めてくれて。……私も……ずっと寂しかった、から」
頬を赤らめるサラ。照れ臭いのか、言葉尻が小さくなっていった。
「サラ、背が伸びたね。あと、髪型。ショートからセミロングに変えたんだ」
「え? あ、うん……似合ってるかしら?」
「似合う似合う。何かあれだね、女の子らしくなったっていうか……すっかり美人さんになって」
「……ッ」
2年後のサラの姿に少しだけ感動する私。以前はボーイッシュな印象があった彼女だが、今は品のある可愛さを醸し出している。
「び、美人……へ、へえー……そうかしら?」
動揺しているのか、サラの声が裏返っていた。アイリスが割り込んできて____
「ミシェルちゃん! 私は? 私はどう!? 私はどんな感じ?」
対抗するように身体を見せびらかしてくるアイリス。私の視線はとある一点に向けられていた。それは大きく成長していた彼女の胸。身長やその他の大きさは然程変わっていないが、そこだけが2年前に比べ異様な膨張を見せている。
「……」
「あ、ミシェル先輩のスケベ! アイリスさんのおっぱいなんかじっと見つめて!」
黙り込んで見つめていると、秀蓮がにやけながら私に身を寄せて来た。
「ちょっとお、だめですよお、おっぱいばっか見てえ。ミシェル先輩もやっぱり男の子なんですねえ」
「は、はあ!? い、いや、別に……!」
秀蓮にからかわれ、慌ててアイリスの胸元から視線を外す。
「さすがに驚きますよね。童顔であの大きさなんで。私もアイリスさんとお話する時は思わずそっちの方を見てしまいますよ」
私の脇腹を何度も小突く秀蓮を手で追い払い、アイリスと視線を合わせる。
「はは……あんまりそっちの方ばかり見られると恥ずかしいかも」
「いや、本当に……そんな……ま、まあ……ちょっと目に付いたのは本当だけど……」
若干顔を赤らめるアイリス。彼女の胸部を注視していた事を否定しようとしたが、そちらの方に目が釘付けになっていたのは事実なので、私は言葉を濁すに留まった。
「ミシェル、全く……お前というやつは」
「……ミシェル様、お気持ちは察しますが」
「はあ、もう……ミシェル君さあ」
ラピス、エリー、サラの三者から冷ややかな視線を浴びる事に。寝起き早々勘弁してくれ。
その後、しばらくがやがやとしていると、病室の扉が開き____
「……ミシェルさん!」
目をぱちくりとさせる。私の目に飛び込んで来たのは金髪の少女の姿。背が高く、雰囲気も大人っぽくなっているが____マリアだった。
「え、嘘!? ……ミシェルが起きてる!」
そして、マリアの背後から顔を出したのはミミ……そして、彼女の双子の妹のララ。
「あ……えーと……マリア、だよね?」
2年後のマリアの姿をじっと見つめる。アイリスやサラの容姿も随分と変わっていたようだが、マリアは見違えるほどだ。若干だが、彼女の姉マーサ・ベクスヒルの面影があるように思える。近寄り難い女性、と言う印象を受けた。
「……? もしかして、私の事をお忘れでしょうか?」
「え? いや……」
不安気に尋ねて来るマリア。私は助けを求めるような視線を背後のミミに向けた。
「あー、まあ……随分様変わりしたわよね、マリア。久々に見たら本人って気が付かないかも」
「貫禄が出て来たわよね、マリア。別人に見えてもおかしくないわ」
マリアを挟んでミミとララがフォローを入れる。
「そんなに変わりましたか、私?」
「うん、大分変ったよ。何だろう……棘のある薔薇って感じかな」
“気難しそうな美少女”と言おうとしたが、なるべく温和な表現を用いた。
「棘のある薔薇ですか? ……はあ……成る程……薔薇に棘はあるものですが」
あまりピンと来ていない様子のマリアだった。
「ミシェル、身体の方は大丈夫なの? あ、そうだ、魔導核はどんな感じ?」
ミミが割り込むように他の者達を押し退けて私の目の前にやって来る。その視線が私の胸元、魔導核へと向けられていた。
「……魔導核」
ミミの言葉に私は胸の内側に意識を集中させた。確かに感じる魔導の力。私の魔導核がそこにある。一度は欠けた魔導の源はその本来の姿を取り戻していた。
試しに“超変化”の力を使用してみる。伸ばした右腕に小さな白銀の双翼を生やす私。
「無事、回復したみたいだ」
力が使える事に安堵を覚える。病室の皆は「おお」と再び目にする私の“固有魔法”に感嘆の声を漏らした。
「……あの、ミシェル」
と、ミミと並ぶように私の目の前にやって来たのはララだった。
「えーと……久しぶり、よね」
「……うん。そっちの具合はもう良いの?」
「まあ、今はピンピンしてるわ」
気不味そうに話すララ。その目が泳ぎ出し、両手は何処か覚束ない。数秒の沈黙があり、ララは思い切ったように____
「ごめんなさい、ミシェル!」
ララは深々と頭を下げる。
「私、アンタにひどい事して……ごめん……」
「……」
謝罪の言葉を述べるララをじっと私は見つめていた。
精神的な傷が癒え、今は立ち直って久しい様子のララ。ミミ同様改心して以前の己の行動を悔いているようだ。
「頭上げなよ、ララ」
ララの表情を観察する。成長し、大人の良識をそなえた面構えだ。言いたい事は無いわけでは無いが、正直な話、これ以上彼女を責めるのは……疲れるだけだ。あれこれ言うのも面倒臭い。
だから、再度の謝罪は要求しない。そんなみっともない事は。
「今は何してんの、ララ? 騎士団には復帰した?」
「え、いや……公安部でお仕事を。騎士はもう辞めた感じかしら」
「へえー」
大方予想出来たが、ミミと同じくララも公安部所属になったようだ。
そう言えば____
「……皆は今、何を? あれから公安部はどうなったの?」
2年の間に世界はどの様に変化したのだろうか。皆の容姿がこんなにも変わっているのだ。世の中は同等かそれ以上の変容を見せている筈。
何せ、公安部は騎士団に勝利したのだから。
古い秩序が破壊され、新たな秩序が誕生する。その黎明の時代が訪れた。
私が眠っている間、この世の全てが目まぐるしく変わったのだろう。
私の目の前で顔を見合わせる一同。エリーが____
「そうですね、お話しましょう」
その声は嬉々として弾んでいた。
「ミシェル様が眠っていた間の出来事を。私達が今、何をしているのかを」
ベッドの端に腰掛け、優しくこちらに微笑むエリー。
「本当に色々な事があって____話し終えるのに夜を徹するかも知れませんが」




