第十四話「一目惚れ」
呆然としていた。
息絶えた魔物の巨体を前に、私はぐったりとして木々の隙間から届く微かな日光を眺めていた。
森は信じられないくらい静かだ。
幾時か経って私は我に返り、魔法を行使して上空に水を溜め、それを思い切り頭からかぶった。
水の冷たさに生き返る心地だ。
水浴びをしながら、私は地面に放り出されたカネサダを手に取り、血振りをしてから鞘に納める。
改めて周りを見回すと、森は酷い有様だった。
馬車に積まれていた貴重品の数々はあちらこちらに散らばり、それらがものの見事に破損していた。
アメリア隊の面々は血塗れで地面に横たわり生死は不明。
アサルトウルフの残した凄惨な爪痕。少しだけ現実離れしていた。
身震い一つ。
私はふと、アイリスの様子が気になって彼女の元までとぼとぼと歩いて行った。
「……アイリス、いる?」
「ミ、ミシェルちゃん?」
呼びかけると、地面に丸まってうずくまるアイリスから返事が返って来た。
彼女は恐る恐る顔を上げ、私の瞳を見つめる。
「……ミシェルちゃん……魔物は?」
アイリスがふらふらと立ち上がる。その膝はがくがくと震え、誰かの支えを必要としているかのようだった。
「倒した」
私は腰元のカネサダに手を重ね、端的に答える。
「だから、もう安心して」
その言葉に、アイリスは目を丸くし、私の肩に掴みかかった。
彼女に押され、私は後退る。
「……う、嘘!」
息を切らしながらアイリスが私に縋る。
「う、嘘言わないで! あ、あんなのに……あんな怪物に勝てる訳が……!」
アイリスはムキになって私に突っかかる。
私は溜息を吐き、アイリスを身体からそっと離した。彼女に血塗れの背中を見せ、手招きをする。
「……本当だよ。こっちに来て」
私はアイリスを魔物の元まで連れて行った。
彼女が私の言葉を信じられないのももっともだろう。なので、直接その事実を目にして貰うことにした。
私達の前に、黒い首から血を流して横たわる巨狼の姿が現れる。
その恐ろしい骸を前に、アイリスは地面にへたり込んでしまった。
「……そ、そんな」
アイリスが唇を震わせ、私の足元にしがみ付いた。そのことで、私の身体のバランスは若干崩れる。
「これを……ミシェルちゃんが……」
アイリスの瞳が私に向けられる。そのガラス玉の様に丸い双眸には、恐れと憧れの色が深く滲んでいた。
「す、すごい……!」
アイリスは立ち上がり、私の両腕を掴んで揺さぶった。
「凄いよ、ミシェルちゃん! これ、ミシェルちゃんが一人でやったんだよね!」
「……う、うん」
キラキラとした瞳を向けられ、私は顔を引きつらせてぎこちなく頷いた。
何だろう、少しだけ居心地が悪い。私は彼女から顔を背ける。
その時____
「ごほっ……ミシェル……それに、アイリス……こっちだ……」
アイリスはしばらく顔を輝かせて私を見つめていたが____何処からともなく聞こえる掠れ声が私達の視線をそちらに向けさせる。
「ラピス副隊長!」
アイリスが叫ぶ。私達の視線の先、アメリア隊副隊長のラピス・チャーストンが地面に身体を横たえながら焦点の合わない瞳をこちらに向けていた。
私達は彼女の元に駆け寄り、その前にしゃがみ込む。
「まともに動けるのはお前たちだけか?」
むくりとラピスは起き上がり尋ねる。
「はい、ここに残っている者達の中で無事なのは私達だけです」
私はラピスの身体を支え、その問いに頷いた。
ラピスは視線を辺りに巡らせると、私とアイリスを交互に見遣り、再び地面に倒れる。
「……アメリア隊長はどうした?」
事務的に尋ねられたので、私も同様に返す。
「この場から離脱しました」
「……成るほど」
私が答えると、ラピスは機械的に頷き指示を出した。
「この場の指揮権は私にある。被害状況の確認。倒れた者達をここに集めてくれ」
私とアイリスは頷き、副隊長の指示通り魔物にやられた者達の回収を始める。
アメリア隊の仲間達と御者を務めていた売却業者達。森の地面に転がる彼らをラピス副隊長の前に集めて丁重に地面に横たえた。
絶命している者。辛うじて息がある者。両者とも共通するのは身体中血塗れである事だった。
回収の最中、私とアイリスは負傷者達のグロテスクな傷跡に気分が悪くなって吐きそうになったが、どうにか堪えて副隊長の命令を遂行する。
「売却業者の死者は2名、重傷者は3名。我が隊の死者は3名、重傷者は5名。他の者達はこの場から離脱した模様です」
負傷者達を規則正しく並べ、私とアイリスは各人の状態を確認。そしてラピス副隊長に被害状況を報告した。
「ご苦労だった」
ラピスは労いの言葉を投げかけると、顔をしかめて無理矢理立ち上がった。
「アイリス、馬で私を街の方まで連れて行ってくれ」
魔導の力のなせる業か、若干ふらついてはいるものの、ラピスは動き回れるまでに身体の状態を回復させていた。
アイリスが幸運にも逃げずに近くの茂みに隠れていてくれた馬の一頭を引っ張ってくる。彼女は鞍に跨り自身の背後に副隊長を乗せた。
「ミシェル、お前はここで待機だ。負傷者達の面倒を見てくれ。……それと」
アイリスの腰に手を回したラピスが何気なく告げる。
「ありがとう、ミシェル。お前があの魔物に立ち向かってくれたおかげで、私や仲間は命拾いをすることが出来た」
「……!」
たった一言。
涼しい声音で放たれたその言葉に、私はびくりと身体を震わせてしまう。
「では、行ってくれ、アイリス」
「はい」
馬に跨った二人の姿が来た道を引き返していく。
私は一人この場に取り残されてしまった。
いや、一人ではない。私の腰元、そこにはカネサダがいた。
「……副隊長にありがとうって言われた」
私はカネサダに話しかける。その声は自分でも分かるほど弾んでいた。
『そりゃ良かったな』
「うん」
『あのラピスとかいう嬢ちゃん……副隊長だっけ? 歳の割に落ち着いてやがるな。“白銀の団”にもウォラストンって言う冷静沈着な副団長がいたが、そいつと張り合えるぐらいだ』
ラピス・チャーストン。私の一つ年上の16歳の先輩騎士。その若さにも関わらず、彼女はアメリア隊の副隊長を任されていた。
それは彼女が騎士の四大名門の一つチャーストン家の分家の生まれであるという理由だけではない。何より、その明晰な頭脳が認められてのことだった。剣や魔導の才能には恵まれなかったものの、彼女は何時如何なる時でも冷静に状況を判断し、的確な指示を隊員に下すことが出来る才能を有していた。
ラピスと私との間には、同じ部隊にいながら、あまり接点と呼べる接点がなかった。
と言うより、彼女は私以外の隊員ともあまり深い人間関係を築こうとはしなかった。人付き合いが嫌いなタイプの人間なのだろう。
そのような性格なので、私は彼女からイジメを受けた記憶がなかった。だからと言って、救いの手を差し伸べられたこともなかったが。
そんなラピス副隊長から、形だけとは言えお礼を述べられたのは、正直とても嬉しかった。
何と言うか、とても新鮮だったのだ。
私が少し浮かれていると、カネサダが____
『なあ、ミカ……これからどうするよ』
何やら窺うように尋ねてくる。
私は首を傾げ、腰元の鞘に触れる。
「どうするって……何が?」
『俺たちは……俺とお前は……』
珍しく躊躇いがちにカネサダが言葉を並び立てる。
その声はとても寂し気だった。
『これで最後か?』
「……」
『色々茶化したりしてるけどよお……俺は真剣なんだぜ。お前とこれでお別れなんて、そんなのは……』
切なげなカネサダの声に私は息を詰まらせていた。
『俺は寂しいんだ、ミカ』
「……」
……寂しい、か。
私は目を瞑り、悩まし気に唸っていた。
カネサダの気持ちが痛い程伝わってくる。私との離別を拒むその強い想いが。
私は目を開き、鞘からカネサダを引き抜いた。
目の前に、鏡のように美しい白銀の刀身が姿を現す。
私は愛おし気にカネサダを撫でた。
『……ミカ?』
呼びかけるカネサダに私はふっと笑い掛ける。
「……気が変わった」
『え?』
カネサダが驚いた声を出す。
「貴方を……自分の物にしたくなった」
私は再び目を瞑った。その脳裏に昨日の彼との出会いの場面が蘇る。
暗い倉庫の中、古びた鞘の中からカネサダは現れた。
白銀の煌めきが刀身を走り、その光はまるで私の魂を切り裂くようだった。
決して、忘れない。
私は彼を____ただ、美しいと思った。
そう、あれは……
「一目惚れだった」
『な!? ……ど、どうした、ミカ?』
「私、貴方に一目惚れをしたの」
私の言葉に、カネサダが狼狽えるのが分かる。
『お、おう……急にどうした……らしくもない』
「貴方を初めて目にした時、貴方が私の剣だったらどんなに素敵なんだろうって……そう思った」
『……ミカ』
忘れはしない。
刀身に映る私の瞳は、今も、あの時も、キラキラと輝いていた。鋭く伸びる白銀の刃に私の心は奪われていた。
それはまるで恋のようだったのかもしれない。
『良いのかよ? 俺は国の所有物で勝手に自分の物にしたら不味いんだろ?』
「今更それを貴方が言うの?」
『む……まあ……何つーか……押されると引くタイプなんだよ、俺は……』
カネサダは照れたように言い放った。
「構わないんじゃないの」
私は周りを見回した。
乱雑に散らばる国有財産の数々。その中には粉々になり、最早財としての価値を失った物が多数存在していた。
「この中から、刀の一つなくなったってバレないよ」
火事場泥棒というやつである。
カネサダが苦笑を浮かべた気がした。
『お前……そんな奴だったか? 随分と胆の据わったこと言うじゃねえか』
「言わせているのはカネサダだよ。例え盗んででも、貴方が欲しくなった」
『お、おう』
引き気味に答えるカネサダが少しだけ面白かった。
私はふっと息を吐き、カネサダを再び鞘に納める。
静かに地に伏せる負傷者達を前に私は座り込み、懐からつげ櫛を取り出して銀色の髪を梳き始めた。
「ねえ」
私は腰元の鞘を叩き、暗い森が地面に作る影の斑模様を見つめた。
「これから宜しくね、カネサダ」
私は相棒の名を呼ぶのだった。