第二十八話「駆け付ける騎士」
夜闇の中、ウォラストン屋敷を抜け出す。
辺りは静寂と寒気に包まれていた。
白い息を吐きながら、私はカラケスの市街地へと出る。街中をずんずんと進んでいた私だが____
「おい」
ふと、背後から声が掛けられる。驚いて振り向くと、そこに居たのは____
「……ヴィクトル・ベクスヒル」
マッドサイエンティストのヴィクトル・ベクスヒルだった。厚手の外套を着込んでおり、片方の手が鉄製の義手になっている。
私は敵意の視線を向ける。
「まあ、待て。落ち着いてくれよ、ミシェル」
思わずカネサダに手を添える私だが、ヴィクトルは両手を挙げて敵意が無い事を示す。
「何の用だ?」
脅すように低い声を発する私。
そう言えば、コイツの存在を忘れていた。八夜と同じで、大使として屋敷に留まっているのだろうか。
「お前こそ、こんな夜中にどうした?」
「……」
ヴィクトルの問い返しに黙り込む私。八夜にばかり注意が向いていたが、彼もまた私達の監視を行っていたのだ。完全に失念していた。
私が沈黙を貫いていると____
「行くんだろ、エリザベス王女の元に」
意味あり気な笑みを浮かべるヴィクトル。当然、こちらの行動は見抜かれている。
「お前、足はどうすんだよ」
「……足?」
「まさか、徒歩でエストフルトまで行くつもりか? こんな時間だと、ここじゃ使える馬もないと思うぜ」
首を傾げる私。移動手段の心配をされているのだろうか。
「付いて来い」
こちらの反応を待たず、ヴィクトルが手招きをする。私がぼうっと立ち尽くしていると____
「付いて来いって言ってんだろ。ちょっくら特別な馬車を用意した。それで今からエストフルトまで行くんだよ」
「え……ちょっ……」
私の肩を叩き、ヴィクトルはその手を強引に引いていく。彼の行動の意味が分からず、私は何も反応出来ずにいた。
「……離せッ!」
ヴィクトルの手を跳ね除けて、私はその顔を睨む。
「何のつもりだ、ヴィクトル? ……馬車を用意したって……一体……」
「エストフルトに行きたいんだろ? 俺が連れて行ってやるって言ってんだよ」
意味が分からない。何故、ヴィクトルがそんな事を。
私はカネサダを鞘から少しだけ引き抜き____
「……カネサダ」
『どうやら、目的地まで連れて行ってくれるみたいだな』
「乗っ掛かっても良いって事?」
私の確認に『構わない』とカネサダは答える。
人の心を読むことの出来るカネサダが問題ないと言っているのだから、その通りなのだろうが……。
「お前が私に手を差し伸べる理由は何だ? 何が目的だ?」
この男に無償の手助けなどある筈がない。
尋ねると、「やれやれ」と面倒臭そうにヴィクトルは説明を始める。
「首都には今、ガブリエラ・アンドーヴァーが居る」
「……ガブリエラ? それが一体どうした?」
「今お前と奴が出会えば、必ず闘いになる」
確かに……闘いにはなるだろうが。
「俺はな、見たいんだよ。同じ“固有魔法”を持つ者同士の対決が。お前とガブリエラの闘いが」
もう何度か見せた事のある少年の様に純粋な瞳でヴィクトルは言う。
「このまま幕引きなんてつまんねえだろ。だから、俺が舞台を用意してやろうって話だ」
ヴィクトルは大真面目に言っているようだった。
「良いのか? 騎士団に対する裏切り行為だぞ」
「別に構やしねえよ。奴ら、元より俺の事は変人扱いだ。裏切り行為の一つや二つ、“ああ、また何かやってるよアイツ”ぐらいに思われるだけだ」
はっきりと言い切るヴィクトルに私は目を細める。
信頼が皆無と言う訳か。騎士団としてもヴィクトルの事は手に負えない猛獣と言う認識なのだろう。それが裏切り行為に対する免罪符になる程。
「俺みたいなネジの外れた天才科学者には刺激が必要なんだ。地道な努力よりもな。刺激が新たなモチベーションと発想を生む。そして、それが優れた研究成果に結びつくんだ。だから、俺が更に前に進みには必要なんだ。お前とガブリエラの衝突が」
随分と手前勝手な言い草だ。だが、理由はともあれ、動機的にもヴィクトルの助けを借りても問題はないようだ。
やや不服だが、ヴィクトルに付いて行くことに。
夜気の中を進むと、カラケス市街地を抜け、街外れの草原に辿り着く。そこに一台の馬車が止まっていた。ヴィクトルの用意した馬車だろう。最新のサスペンションが用いられた軍用馬車のようで、車体の造りも堅牢だった。そして、繋がれている馬は____
「……魔物!?」
ただの馬ではない。頭部からは禍々しい二本の角が生え、瞳は夜闇の中で紅い光を放っている。何より、魔物特有の魔導核の気配がした。
珍しい種類だが、書物で見覚えがある。確か、この魔物の名前は____
「バイコーンだ」
私が口にするよりも先にヴィクトルがその名前を告げる。バイコーン。リントブルミアでは生息が確認されていなかった筈だが、何処からか持ち込まれたものであろうか。
「……そいつも“パック・モンスター”なのか?」
「いいや」
と、首を横に振るヴィクトル。
「コイツは野生だったのを飼育して懐かせたものだ。わざわざ外国まで捕りに行ってな」
そう言って、ヴィクトルはバイコーンの身体を撫でる。
「……魔物を飼育」
「そういう研究もしてるって事だ。よし……さあ、乗った乗った! コイツが夜の間に俺達をリントブルミアまで連れてってくれるって訳さ」
義手を叩いて音を出し、ヴィクトルは私を「早く乗れ」と車内に追い込む。私は言われるままに馬車内部の座席に座った。
「よし、出発しろ!」
ヴィクトルも私に続いて馬車に乗り込み、窓を開けてバイコーンに出発の命令を出した。
少しの間があり、馬車が動き出す。流れる夜の景色。御者はいないようだが、バイコーンが勝手に正しい道を選んで進んでくれているようだ。
「まあ、ゆっくりしてけよ。何なら横になっても構わねえぜ」
「いや、眠くないから良い」
ヴィクトルが休息を勧めるが、私は断った。彼の目の前で無防備になるほど油断してはいない。
しばらく車内では沈黙が続いていたが、私はふと____
「お前達は……いや、騎士団は何故“黙示録の四騎士”を成就させようとしているんだ?」
「何故か、だと?」
「世界を支配する程の力を手にして、何が目的なんだ?」
私が今更な質問をするのには訳がある。
「何か意味がある事なんだろ? 八夜は“黙示録の四騎士”に何かしらの意義を見出していた。あの娘が与するぐらいだ。きっと……そこに騎士団なりの正義がある筈なんだと思って」
騎士団が世界を支配する力を求めている事は知っている。しかし、そこには、権力に対する執着以外に何かしらの大義があるように感じた。でなければ、八夜が騎士団に加担する筈がない。彼女は何かしらの思想に影響を受けているようだった。
「騎士団なりの正義、ね」
頬杖をつくヴィクトル。
「あるっちゃあるぜ、一応な。……次の時代の世界平和って言う正義がな」
「次の時代の世界平和?」
首を傾げる私。ヴィクトルを見つめ、説明を促す。
「“黙示録の四騎士”は世界平和のためのもんなんだよ」
「世界平和? ……何の冗談だ」
「冗談じゃなくて本気だ。少なくとも、アイツらの頭の中じゃな」
それから、ヴィクトルは長々と語り出す。私は黙って彼の話に耳を傾けた。ぐだぐだと要領を得ない説明が続いたが、要約すると以下のような話になる。
リントブルミア魔導乙女騎士団団長アンリ・アンドーヴァーは語った。“ロスバーン条約”によって築き上げられた平和は近い将来終わりを迎える事になる。そのため、次の時代の平和のための新たな秩序が必要である。新たな秩序として、一つの勢力が世界の全ての力を独占する構造が最適と考えられ、四大騎士名家が“黙示録の四騎士”により世界を支配する事で次の時代の平和が成し遂げられる。
「武力を独り占めしちまえば戦争は起きないってことだ」
締めの言葉を述べるヴィクトルに私は胡乱気な瞳を向ける。
「そんな事が上手く行くのか?」
「さあな」
と、私の疑問に対し肩をすくめるヴィクトル。
「物事は試さなきゃ分からねえ。正解かどうかは後になって知るもんだ。ま、精々頑張ってくれって感じだ」
「……他人事みたいな言い草だな」
「他人事さ。“黙示録の四騎士”による世界平和が成功するのかどうか。興味はあるが、上手く行こうが行くまいが俺の関する所じゃねえよ」
無責任な。関係者の言葉ではない。
「“黙示録の四騎士”による世界平和なんて出鱈目みたいに聞こえる理屈だが、それは“ロスバーン条約”だって同じだと俺は思うぜ」
ヴィクトルはふうと息を吐き____
「女は男と違って凶暴でも野蛮でもない。だから、女が全ての軍事を担えば戦争は起きない。これが“ロスバーン条約”による平和の理屈だが……コイツもとんだ出鱈目さ。女だって戦いになれば男に負けないぐらい勇敢にも凶暴になるし、男と同じくらい権力争いも利権争いも大好きだ。それはお前だって分かってる事だろ?」
ヴィクトルの言葉に私は小さく頷く。“ロスバーン条約”による平和の理屈。男女による凶暴性の違いがその根拠になってはいるが、今の世の中に目を向ければ、それは眉唾な話だった。力の振るわれ方に男も女も関係ない。
「“ロスバーン条約”は偶然上手く行っただけだぜ。理論通りに平和化のプロセスが進行したんじゃなくて、多くのイレギュラーと無関係な思惑が重なって最終的に当初予定していたものと似ている何かが出来上がっただけだ。……“黙示録の四騎士”も、もしかしたらそうなるかも知れねえな」
「偶然上手く行くかもって事?」
「可能性の話だ」
その言葉を最後に、ヴィクトルは腕を組んで仮眠を取り始めた。私も、眠るつもりはないが、リラックスして目を閉じる事に。
“黙示録の四騎士”による世界平和。胡散臭い事に変わりはないが、その正しさと実現性については議論の余地がある。
ヴィクトルの言うように、それが次の時代の平和を築き上げる可能性だってある。
しかし____関係ない。
八夜には……いや、四大騎士名家には彼らなりの正義があるのは分かった。それを知れた事に価値はある。
だが、だからと言って道を譲る気は無い。こちらにはこちらの正義と願望があり、曲げることの出来ない誓いがある。
騎士団を赦すことは無い。彼らに勝利し、その存在に一太刀を浴びせるまでは。
馬車は進む。私はカネサダに手を添え、闘いの時をじっと待った。
長い時が経つ。やがて、寒風が和らぐ頃、太陽がその姿を現した。
「もうすぐエストフルトだな」
いつの間にか国境を越え、首都に接近していたらしい。ヴィクトルの言葉に私は自身の両頬を叩いて気を引き締めた。
建物の群れが姿を現す。エストフルトの街並みだ。じっと風景を見つめていると、首都を目の前に馬車が止まった。場所は小高い丘の上。
「エリザベス王女はエストフルト中央放送基地にいる」
ヴィクトルが馬車の扉を開ける。「場所は分かるか?」と問われたので、私は無言で頷いた。
「お前は来ないのか、ヴィクトル?」
「馬車を片付けてからだ。さすがにバイコーンを街中には入れられねえからな」
私が降りると、馬車はバイコーンに引かれて何処かに去って行ってしまう。
エストフルトの街並みを見つめる。
目的地はエストフルト中央放送基地。直接出向いた事はないが、騎士団本部の近くに首都で最も背の高い鉄塔が存在する事は知っている。その周辺施設がエストフルト中央放送基地だ。
小高い丘の上を駆け出す。
舗装された道路。久方振りの首都に足を踏み入れる私。若干の懐かしさを感じる。思わず街の空気を吸い込んだ。
しばらく歩くと、人混みが現れる。私はいつの間にか人々の中に紛れ込んでいた。騎士団と公安部の争いなど何処吹く風。市民は変わらぬ日常を過ごしている。
私は目抜き通りを過ぎ、人の群れを抜け出した。
一息ついて、再び駆け出す私。
走って、走って、走って____私はエストフルト中央放送基地に辿り着いた。
無機質な鉄と石の建物。近くで見ると思った以上に施設は巨大だった。ランドマークの鉄塔が天高く伸びている。私はフェンスを飛び越え、建物の中に侵入した。
「エリーは何処だろう?」
建物の内部は狭く入り組んでいる。まるで迷路みたいだ。地図が欲しくなる。
と、カネサダが____
『俺を抜け、ミカ。俺が気配を感じ取って、エリーの元まで案内してやる』
「分かった」
頷いて、私は鞘からカネサダを引き抜く。すると____
『……! おい、ミカ!』
「どうしたの、カネサダ?」
『急げ、エリーが危ない!』
急かすカネサダに私も焦り出す。
「いや、急げって……エリーは何処に____」
『右だ! 右の壁を突き破って行け!』
……壁を突き破れって。良く分からないが、緊急事態なのだろう。ならば、形振り構っていられない。
魔導核に意識を集中し、“超変化”の力を引き出す。私は自身の身体を硬化させ、足元に力を溜め込んだ。
「____はあッ」
私は一つの砲弾となり、壁を一つ、また一つと突き破り、建物内部の構造を破壊しながら前に進む。
幾つもの壁を突き破る私。瓦礫と土埃の中、壁ではなく、一際大きな扉が目の前に現れた。
『その部屋だ!』
カネサダの言葉と共に私は扉を蹴破り、部屋の中に飛び込む。私の目が捉えたのは、エリーを組み敷くアンリ・アンドーヴァーの姿だった。
室内に鳴り響いた轟音に跳び上がり、身構えるアンリ。エリーは苦し気に地面を転がる。
私は怒りが沸き上がり____
「エリーから離れろ、下衆女」
アンリに憎しみの目を向ける。思いがけず強めの言葉が口から出た。
「____ミシェル様!」
私の登場にエリーは涙を流していた。私はすぐさま彼女の元に駆け付ける。
「エリー! 無事だった!?」
「え、ええ」
涙を拭い、立ち上がるエリー。口元を綻ばせ、小さく「無事です」と告げる。
「危機一髪でしたが。さすがはミシェル様です」
「良かった……間に合ったみたいで」
“超変化”の力で身体の硬化を解除し、柔らかい手でエリーの手を取る。少女の優しい温もりに、私は限りない安堵を覚えた。
目立った怪我はないようだ。無事でよかった。思わず抱き着きそうになってしまう。
「公安試作隊隊長ミシェル」
忌々し気に私の名前を呼ぶアンリ。剣を抜き放ち、その切っ先をこちらに突き付ける。
「来るとは思っていましたが、まさか最悪のこのタイミングで。全く……貴方は……お前は、やはり悪魔の子だ」
「悪魔はお前達だろ」
前に進み出て、カネサダを突き付け返す。
「エリーに与えた苦痛、償って貰うぞ」
「……ふん」
アンリは鼻を鳴らし、剣を天井に掲げた。
「王女の騎士の実力、見せて貰おうか」
魔導の反応。刹那、大量の氷の矢が出現し、私とエリーを囲む。そして、アンリが剣を振り下ろすと同時に氷の矢が私達に殺到した。
……不味い!
私一人だけなら兎も角、エリーが氷の矢の餌食になってしまう。咄嗟に、エリーに覆いかぶさろうとして____
「行って下さい、ミシェル様!」
私を送り出すエリーの言葉。私は反転させ掛けていた足を前へと戻し、アンリへと駆ける。決してエリーの方を振り返らずに。
「……くっ!?」
一閃。私の放ったカネサダがアンリの剣を真っ二つに割る。その驚異の切れ味に彼女は目を見開いた。
「ぶっ飛べッ、アンリ・アンドーヴァー!」
無防備になったアンリ。私は叫び声と共に飛び膝蹴りを彼女にお見舞いする。咄嗟に魔導装甲を展開されたが、その防御ごとアンリを吹き飛ばした。
アンリの身体が壁に激突する。室内に響く鈍い音。それから、意識を失ったのか、アンリは力無く床に倒れて動かなくなった。
私は背後、エリーの方を見遣る。氷の矢の襲来に巻き込まれたエリーを。
……エリーはどうなった!
「お見事です、ミシェル様」
二の腕を押さえ、エリーはこちらに微笑んでいた。
「エリー!」
私は急いでエリーの身体を観察する。衣服が破れていたが、身体に直接氷の矢が当たったのは手で押さえている二の腕のみ。その二の腕も少し出血しているだけで、軽傷で済んでいるようだった。
私は安堵の吐息を吐く。
「……大したお姫様だよ」
あの氷の矢の攻撃を自力で避けたのだ。人工魔導核も無しに。騎士顔負けの身体能力と勇気だ。
「私だってやる時はやりますよ」
私にハンカチで止血されながらエリーが胸を張る。
私はちらりとアンリを見遣り、周囲を警戒しながら____
「すぐにここを出よう」
施設内の騎士達……そして、アイツが来る前にここを抜け出したい。
私はエリーの手を優しく引き、破壊された建物内を出口まで駆けて行く。勿論、エリーのペースに合わせて。
「兎に角、ここを離れよう。しばらくは歩き詰めになるけど我慢し____」
外の光を目にした時だ。丁度真正面、それがいた。
幼い身体に燃え殻のような灰色の長い髪。身体に不釣り合いな棺桶を背負った少女。
出来るのであれば、出会いたくは無かった。
しかし、こうなる運命だったようにも思える。
私はその少女の名を口にした。
「ガブリエラ」
ラ・ギヨティーヌ最強の騎士、ガブリエラ・アンドーヴァーが私の前に立ちはだかる。