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トラップ・アンド・ブレイド~男の娘と復讐の刀~  作者: ラプラシアン蒼井
第四幕 天使の時代
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第二十七話「エリザベス:次の時代」

 頭がぼうっとする。


 目が覚めた私は見知らぬ空間に居た。簡素な部屋の簡素なベッドの上。清潔なシーツを確かめるような手つきで撫で、上体を起こす。


「何処でしょうか、ここは?」


 いや、それよりも、私は一体何をしていた?


 直前までの記憶を探る。ヨルムンガンディア帝国はカラケス自治区に亡命中だった私。ラジオ放送による告発が終わった翌日、魔物の大群がカラケスの市街地に攻めて来た。


 その後は____


「……思い出しました」


 ミシェル様が魔物達を討伐しに屋敷を出た後、ラ・ギヨティーヌが私の目の前に現れたのだ。秀蓮(シュウリエン)様やその他護衛の公安試作隊隊員達が迎え撃つが、集団を率いていた八夜・東郷・ドンカスターにより全て退けられてしまう。


 護衛を失った私はラ・ギヨティーヌに詰め寄られ、口と鼻に睡眠薬を含ませたハンカチを押し付けられて____そのまま意識を失った。


「しかし、この状況は……」


 ベッドから飛び降り、靴を履く。私は周囲を警戒しながら部屋を抜け出した。


 灰色の壁と床。寒々とした天井。扉の先は無機質な長い廊下だった。ここは何処かの施設であろうか。居住空間のような温かみが一切無い。


 しばらく、歩いていたら____


「……!」


 曲がり角から唐突に人が姿を現す。リントブルミア魔導乙女騎士団の騎士だ。私は咄嗟に隠れるような仕草を取るが、逃げ場など何処にもなかった。


「おや」


 と、騎士は私の姿を目に留めると丁重な仕草で一歩後ろに下がり____


「お目覚めですか、エリザベス王女殿下」


 膝を地面につき、ゆっくりと頭を下げる騎士。私は、数秒の間黙り込んだ後____


「……ここは」


 深呼吸をして、尋ねる。


「ここは一体何処でしょうか?」


 騎士は立ち上がり、落ち着いた様子で口を開く。


「ここはエストフルト中央放送基地です」

「……エストフルト……放送……」


 私ははっとなって、声を荒げて再度尋ねる。


「ここは、リントブルミア王国なのですか!?」


 取り乱す私に騎士は「ええ」と頷き、状況を説明する。


「畏れ多くも、殿下を彼の帝国より連れ戻させて頂きました」


 私は騎士から少しだけ距離を取り、窓のない閉鎖空間を見回す。


「私をどうなさるおつもりですか?」


 若干の敵意を放つ私に騎士は肩をすくめて答える。


「今は夕刻。直に騎士団団長がここを訪れます」

「……アンリ様が?」

「詳しい話は団長殿にお聞きになって下さい」


 騎士はそれから付け足す様に____


「それまで、基地内は自由に歩き回って頂いても構いません。ただし、建物の外には抜け出さないように」


 私はごくりと生唾を飲み込む。


「……もし、ここを抜け出そうとしたら?」

「その場合、殿下の扱いは貴賓ではなく脱走した捕虜になります」


 口調は穏やかで丁寧だが、言葉には強い警告が含まれていた。


 その後、騎士は深いお辞儀をして私の前から姿を消す。


 どうやら、建物内部での行動の自由は許されているようだ。大人しくしている限り、私は彼らにとっての大切な客人らしい。


「……カラケスはどうなったのでしょうか?」


 再び廊下を歩き出した私。向こうの様子が気になる。魔物達は無事に討伐されたのだろうか? 仲間達の安否は?


「……ミシェル様がどうにかして下さった筈です」


 自分に言い聞かせる。案ずる必要は無い。ミシェル様が居る。騎士団最強の騎士が。我らが公安試作隊隊長が。


 廊下を移動していると職員らしき人物とすれ違い、その度に恭しく頭を下げられ、道を譲られた。


 先程の騎士はこの場所をエストフルト中央放送基地と言っていた。


 騎士団は何故そのような場所に私を閉じ込めたのだろうか。人間を収容するにはいささか相応しくないように思えるのだが。


 施設内を見学した後、大人しく元の部屋に戻る私。


 窓があったので外を覗くと警備の騎士とばっちり目が合った。頭を下げ、敬意を示す騎士だが、その目が「ここから逃がさない」と強く訴えかけている。窓からの脱出は無理そうだ。


 陽が沈み始める。


 焦燥と退屈の中、夜闇と共にその人が現れた。


「既にお目覚めのようですね、殿下」


 冷たい瞳の麗人。涼やかだが、威圧感のある声色に私は背筋を伸ばした。


「お久しぶりですね、アンリ様」


 私の言葉にリントブルミア魔導乙女騎士団団長アンリ・アンドーヴァーが恭しく頭を下げる。


 深呼吸を一つ。私は決然とアンリ様に歩み寄った。


「どう言うおつもりですか?」

「……どう、とは?」

「何故、私をこのような場所に」


 視線が交差する。私はアンリ様が放つ威圧感に負けないようにその瞳をじっと見つめた。


「殿下は誤解されているようだ」


 肩をすくめ、前置きをするアンリ様。


「我々に敵対の意思は始めからありません」

「そんな、見え透いた____」

「嘘ではありません。当初から申し上げている通り、我々は殿下や公安部との協力関係を望んでいます。此度の騒動も、そちらの裏切りに対する当然の対抗措置です。……全く、つくづくお転婆なお姫様だ」


 責めるような口調でアンリ様が私に詰め寄る。沈黙が続いた後、彼女は溜息を吐いて____


「……無駄な口論は不要ですね。我々が殿下をこの場所にお連れした目的をお話します」


 気を取り直すようにアンリ様は咳払いをする。


「ここはエストフルト中央放送基地。殿下にはラジオ放送にて発表を行って頂きたいのです」

「……発表? 何の、でしょうか?」

「先日の告発内容の否定です」


 アンリ様の言葉に私はきっと目を細めた。“黙示録の四騎士”は出鱈目だと言わせるつもりか。


「出来ません」


 私の短い拒絶にアンリ様は頷き____


「そう言われると思いました」


 涼しい顔のアンリ様。


「明日の正午、私は世界に向けて放送を行います」


 アンリ様はそう言って私に背を向ける。


「是非お聞きになって頂きたい。その後、殿下とは話し合いの場を設けます。賢明な殿下ならば、こちらの話を理解して下さると」


 目の前から去って行くアンリ様を私は睨みつけていた。その姿が消えた時、急な脱力感に襲われ、ベッドに倒れ込む。


 短い言葉の遣り取りだったが、随分と疲弊した。


 明日の正午、放送を行うと言っていたが、アンリ様は何を話すのだろうか。“黙示録の四騎士”に関する事ではあると思うのだが。


 翌日____


 私は施設内で大人しくその時を待っていた。部屋にはラジオ受信機が設置されており、私の意識はそちらに注がれている。


<皆様、リントブルミア魔導乙女騎士団団長アンリ・アンドーヴァーです____>


 放送が始まった。静かにその内容に耳を傾けていたが、アンリ様の主張を要約すると以下のようになる。


 “黙示録の四騎士”の計画は存在するが、その研究過程に非人道的な行為は存在しない。四大騎士名家は偶然にも(、、、、)黙示録に記される四騎士の力を手に入れ、その“奇跡”を以て計画の名を“黙示録の四騎士”とした。そして、自分達四大騎士名家こそが竜神教で預言された“黙示録の四騎士”であり、世界の支配者たる資格を有している、と。


 成る程、と私は理解する。


 何故、四大騎士名家が計画に“黙示録の四騎士”の名を与えたのか。それは彼らが世界の支配者になるための正当性を得るためだったのだ。


 荒唐無稽な理屈だが、竜神教への信仰が根強いサン=ドラコ大陸では一応の筋が通る。


「放送はお聞きになりましたか、殿下」


 放送が終了し、しばらくするとアンリ様が私の元を訪れた。


「“その時、我々は殿下の謝罪を受け入れ、その罪を赦す事に致します”」


 アンリ様の放送での締めの言葉をそのまま口にする私。


「私が貴方の思い通りになるとでも」


 強い言葉を投げ掛けると、アンリ様はこちらの敵意を和らげるように____


「仲良くしましょう、殿下」


 あまり見せた事のない、ラフな態度でベッドに腰を掛けるアンリ様。真横のシーツをポンポンと叩き、隣に座る事を促した。


「私は殿下の事を評価しているのですよ。その能力を。ですから、しっかりと話し合えば、我々は良き友人になり得ると思っています」

「……」


 私はアンリ様の言葉には従わず、彼女の目の前に立つ事に。それが私とアンリ様との心の距離だった。


「我々が不毛な争いを行っている理由は一つ。それは真に互いを理解していないからです。その原因は殿下にも御座いますが、殿下を子供として侮っていた私に大いにあると反省しています」


 私を見上げるアンリ様は、試す様な視線をこちらに向けている。


「殿下は“ロスバーン条約”を信じておいでですか?」


 アンリ様の問い掛けに私は沈黙した。質問の意図が正しく理解出来なかったからだ。


「“ロスバーン条約”により、世界は真に平和になったと思われますか?」


 私は若干の躊躇いの後、「いいえ」と答えた。


「“ロスバーン条約”により国家間の争いは消えました。しかし、それで世界が平和になったと言う訳ではありません。不正や横暴は健在し、それを抑止するための存在が欠けています。私が公安部を立ち上げたのは____」

「それは違います」


 言い切る前にアンリ様が私の言葉を否定する。私は首を横に振り____


「何も間違っていません。リントブルミア王国には、この世界には騎士団による様々な横暴が____」

「私が否定したのは」


 アンリ様が手の平をこちらに向け、私を黙らせる。


「殿下、私が否定したのは“国家間の争いが消えた”と言う殿下のお言葉です」

「……え」


 突然のアンリ様の発言に私はぽかんと口を開けた。


「“ロスバーン条約”により国家間の争いが消えたと言うのは全くの偽りです。確かに、“英雄の時代”の様な大規模な戦争は起きなくなりました。しかし、我々は民の見えぬ暗部で剣を交えているのです」


 呆然とする私にアンリ様は説明を続ける。


「取り分け、新大陸での利権争いでは惜しみない武力の衝突が起きています。無論、戦闘報告は各国が示し合わせて揉み消していますが」


 よりにもよって、騎士団のトップが“ロスバーン条約”による平和秩序を否定している。その現実に私は寒気すら感じていた。物事が根底から覆った感覚だ。


「争いはいつの時代も絶える事はありません。力を持つ者が持たざる者を抑圧し、幸福を手にする。今の平和は____今の仮初の平和は、陰の闘争を覆い隠す張りぼてに過ぎないのです」


 アンリ様はここではない何処かを見つめているようだった。


「その仮初の平和も直に終わりを迎える事でしょう。人類は急激な進歩を見せ、世界は密に繋がり始めています。そうなれば、各国の利権争いは過激化し、戦闘は大規模かつ顕在化。“英雄の時代”に逆戻りです」


 アンリ様は語り掛ける様に____


「殿下、世界は新たな秩序を必要としています」

「……新たな、秩序?」


 震える声の私にアンリ様が頷く。


「英雄の存在が肯定され、国同士が戦争に明け暮れた“英雄の時代”が終わり、騎士団が武力を独占し、大国同士が示し合わせて表面上の平和を演出した“騎士の時代”が終わり____次の時代が訪れます」

「……“騎士の時代”……次の時代……?」


 “騎士の時代”____初めて耳にする言葉だ。それは今の時代を示す言葉であり、いずれ“過去の時代”となる事をアンリ様は確信しているのだ。


「選ばれし少数の者達による世界支配の時代____“天使の時代”が訪れるのです」


 ……天使? それは即ち____


「“天使”と言うのは貴方達四大騎士名家の事を指しているのですか?」

「その通りです。我々が天命を授かった“天使”となり世界を支配する。次の時代の平和はそのように実現されるのです」


 アンリ様は力説する。


「人類の争いは力の所在と意思の所在がバラバラであったために起こりました。一つの意思の元に全ての力を集中させる事こそ、真の平和を実現させるための唯一無二の方法なのです」


 それは……一理あるが、思考実験の域を越えない御伽話に過ぎない。それに、アンリ様の語る平和には大きな欠点が存在する。


「その“真の平和”は決して貴方が思い描く理想郷にはなり得ません。絶対的支配者による抑圧された世界。支配者が善なる心の持ち主であれば、世界もまた良きものになりますが、悪なる心の持ち主であった場合、絶望の世界が待っています。そこでは今以上に不正や横暴が蔓延り、力無き者が苦しむ未来が生まれます」


 一つの意思の元に全ての力を集中させる事の危険性は決して無視する事が出来ない。


「私もそれは理解しています。ですから、物事は匙加減が重要になるのです」


 アンリ様は私の反論など予想していたかのように続きを語り出す。


「勘違いなされているようですが、私は公安部の存在を評価しているのですよ」

「……煙たがっているようにしか思えませんが」

「存在は評価しているのです。ただし……そうですね、間が悪すぎる」


 間が悪すぎるとは?


「今は“黙示録の四騎士”が最優先なのです。公安部はその成就の妨害をしている。ならば、こちらはありとあらゆる手を尽くして公安部を排除しなければならない」


 アンリ様は私に手を差し出し____


「間が悪かったのです、殿下。今は四大騎士名家が世界を支配する力を手にすべき時。公安部は平和を実現するための障害にしかならない。公安部の生まれる時期がもっと後であったのであれば、私はその存在を、活動を、大いに歓迎した事でしょう」


 アンリ様に強引に手を握られた。その圧に私はたじろいでしまう。


「私の理想を述べさせて頂きます、殿下。四大騎士名家が“黙示録の四騎士”により世界を支配し、平和の礎を築く。そして、公安が力の抑制装置として腐敗を取り締まる。このパワーバランスこそ、秩序の最適解だとは思いませんか?」


 私は生唾を飲み込み、アンリ様の思い描く未来を要約する。


「四大騎士名家が世界を支配し、公安がその抑止力として存在する____それがアンリ様の理想なのですね」

「その通りです」


 アンリ様の冷たい瞳に熱意が宿り始める。


「そのためにも、どうか今は我々に協力を。そして、“黙示録の四騎士”の計画が成就した暁には我々が殿下の計画に協力致しましょう」


 詰め寄るアンリ様。私は目を閉じ黙り込む。


 言葉が出てこない。私は迷っているのだ。


 拒絶する事も出来ないまま、空白の時間が続き、アンリ様が私を解放する。


「一日」


 と、アンリ様が人差し指を立てる。


「一日____どうか、お考え下さいませ。明日のこの時間、私は殿下のお答えを聞きます」


 心臓が早鐘を打っている。私は荒くなる呼吸を抑え、対抗意識からか、じっとアンリ様を見つめていた。


「期待していますよ、殿下」

「……」


 アンリ様が立ち去る。昨日と同様、いやそれ以上の脱力感に襲われ、私は床に倒れ込んだ。


「……“天使の時代”」


 アンリ様が口にしていた言葉だ。次の時代の名称。天命を与えられた“天使”達による世界支配の到来を彼女は予言していた。


 少数の人間が力を独占し、管理する秩序の構造。様々な危険性を孕み、現実味も無い話だが……。


 荒唐無稽と切り捨ててしまうには惜しい……と、私は思ってしまった。


 “天使の時代”に魅力を感じてしまったと言うだけではない。私がアンリ様を明確に拒絶する事が出来なかった理由はもう一つある。


 それは私が思いの外に無知であったと言う事だ。


 私はアンリ様の事を愚鈍であると見下していた節があったのかも知れない。“ロスバーン条約”による秩序を妄信し、権力に執着する愚か者であると。


 しかし、真実は逆で、アンリ様はこの世界で起きている事全てを____私の知り得なかった事も含めて____理解した上で、その俯瞰図に未来を描いていたのだ。


 アンリ様は私よりも一つ上の次元からこの世の中を見つめていた。


「……私は……どうすれば……」


 考えなければいけない。一つの未来だけではなく、幾つもの枝分かれした可能性を。何が何処まで正しくて、実現の可能性があるのかを。


 考えて、考えて、考えて……。


 思考を巡らせている内に時間は経過し、約束の期限が訪れた。


「決心はつきましたか、殿下」


 私の前に再びアンリ様が姿を現す。


 胸元を押さえ、一歩前に進み出る私。すうと息を吐き____


「……はい」


 決然と告げる。抱いた覚悟で身体は震えていた。呑まれそうな異様な空気の中、私はアンリ様に答えを出す。


「私は……アンリ様の計画に乗ろうと思います」


 私の答えにアンリ様が喜色を浮かべるのが分かった。


「よくぞご賛同下さいました」


 私の手を取り、軽く上下に振るアンリ様。その瞳は未だ観察するように私に一直線に向けられている。


「殿下には今すぐにでも先の告発の否定をするためのラジオ放送をして頂きたい」

「すぐにですか?」


 アンリ様は「ええ」と頷き____


「筋書きは……そうですね。我が国にはヨルムンガンディア帝国の工作員が紛れ込んでいて、その者達が王国と騎士団を陥れるためにエリザベス王女に偽の証拠を掴ませていた____と、いう事に致しましょう」


 ヨルムンガンディア帝国を悪者にすると言う算段らしい。私と帝国との繋がりを考えれば、最も合理的な詭弁だろう。


「ええ、分かりました。その筋書きで行きましょう」


 同意すると、アンリ様が部屋の扉を開け、私を外へと誘導した。


 無言のまま歩く私とアンリ様。こつこつと二人分の足音が廊下に響き渡る。気が付くと、目の前に巨大な扉が迫っていた。


「第一放送室です」


 扉を開け、アンリ様が部屋の中に私を招じ入れる。


 目に飛び込んで来たのは整然と並ぶ機械類。それらが無機質な音を合奏のように重ね合わせ、異様な空間を作り出していた。


「始めましょうか、殿下」


 そこそこの広さを誇る部屋の中には私とアンリ様以外に誰も人はいない。それが妙に寒々しく感じられた。


「こちらの伝声管に御声を」


 ラッパの様に端が広がっている金属の管を指し示すアンリ様。私はゆっくりと伝声管に近付く。


「心の準備が出来たのであれば、手をお挙げください。ラジオ放送を開始しますので」


 アンリ様は先端に球体の付いた鉄のレバーに手を掛けていた。引けばラジオ放送が開始されるのであろう。


 私は発声練習を挟んだ後、アンリ様を見つめてゆっくりと手を挙げた。


 がしゃり、と____


 レバーが引かれる。部屋全体が唸り声を上げ、小刻みに振動し出した。


 アンリ様が視線で「どうぞ」と訴えかけている。放送開始のアイコンタクトだ。私は頷き、伝声管に向き直った。


「皆様、突然の放送で申し訳ありません。リントブルミア王国王女エリザベス・リントブルムです」


 ゆっくりと挨拶をする。


「本日は先の私のラジオ放送、及び先のリントブルミア魔導乙女騎士団団長アンリ・アンドーヴァー殿のラジオ放送についてお話したい事がございます」


 緊張で言葉が喉に詰まりそうだ。私は決意を以て____


「先の放送でアンリ騎士団団長殿は“黙示録の四騎士”における非人道的行為を否定されましたが____それこそが……彼女の発言こそが全くの出鱈目です」


 私は早口でまくし立てる。


「“黙示録の四騎士”の計画の過程において、多くの罪の無い人々が犠牲になりました。それを証明する多数の物証を我々は保持しています。四大騎士名家は決して許されざる罪を犯し、あろうことか、それらを揉み消そうとしているのです」


 背後を見遣る私。アンリ様がこちらをじっと見つめていた。氷の様な冷たい瞳で射抜くように。


 額を人差し指で叩き、数秒。アンリ様は溜息を吐いて____


「成る程、それが殿下の本当のお答えですか」


 感情を押し殺したかのような声のアンリ様はゆっくりとこちらに歩み寄る。


「殿下、大変失礼とは存じますが殿下を試させて頂きました。放送は未だ始まっていません。殿下が本当に我々にご協力下さると確信が得られなかったので。先程の偽の放送はそれを確かめるためのものです」


 偽の放送? 私を試すために?


 さすがはアンリ・アンドーヴァー。油断が無い。私の事を手放しで信頼する程愚かではなかったと言う事か。


「これは……嵌められてしまいましたね」

「それはこちらの台詞ですよ、殿下」


 アンリ様がこちらに詰め寄るにつれ、私はひりつく様な怖気を感じた。


「私はですね、殿下。我々は真に手を取り合って新たな秩序を築いて行けると……本気でそう思っていたのですよ」


 残念そうに告げるアンリ様。私は生唾を飲み込んで、答える。


「一晩考えましたが……貴方の計画は危険過ぎる」


 毅然と告げる私にアンリ様が吐き捨てるように____


「世の中を何も知らないお姫様が」

「何も知らないのはアンリ様の方です」


 私に知らなかった事があったように、アンリ様にも知らない事はある。


「エリザベス王女としてではなく、“エリザ”として市井の中に紛れ、私は私なりにこの国を、世界を見てきました。力を独占した騎士団による不正と横暴を。貴方達の醜い腐敗を。そんな者達にこの世界を支配する程の力を与える事は出来ません」


 天命を与えられた“天使”達による世界支配の構造。それはともすればこの世界の命運を賭けるに値するものなのかも知れない。


 しかし、少なくともその“天使”達に四大騎士名家は相応しくない。


 四大騎士名家による独裁は悲劇に終わる。それは魔導乙女騎士団に支配されたリントブルミア王国の秩序の延長として考えれば容易に想像が出来る事だった。


 私はただ上層から世界を見下ろしていただけではない。エリザとして民の中に溶け込み、この世の中を内部から見つめて来た。世界を上から俯瞰するだけでは理解出来ない事もある。私はそれに気が付いたのだ。


 上から世界を見下ろしていただけのアンリ様には理解出来ない。彼女の唱える世界平和は実現などしないのだ。“黙示録の四騎士”による平和などただの妄想に過ぎない。


「貴方達が力を手にするよりも、貴方達が今現在支配している秩序の是正の方が先です」


 私の本当の答えに____


「……そうですか」


 目を瞑るアンリ様。


「残念ですが、仕方がありません。殿下がその気なら……無理矢理協力をして頂くまでです」


 そう言って、懐から何かを取り出すアンリ様。透明な筒の先端には鋭い針が付いている。注射器だ。


「ご存知ですか、殿下。アンドーヴァー本家の歴代当主は“女神”の御声を聞く事が出来るのですよ」

「……“女神”の声?」

「そして、魔導の心臓と生まれ持った魔法の力を具えているのです」


 魔導の心臓? 生まれ持った魔法の力? 


 何の事かと思ったが____


「……まさか、貴方も覚醒した魔導核(ケントゥルム)の持ち主」

「その通りです」


 胸元に手を添えるアンリ様。彼女もミシェル様と同じ覚醒した魔導核(ケントゥルム)の持ち主だったとは。


「私の“固有魔法”は“意識操作”。対象を意のままに操る能力です」


 アンリ様が手に持っている注射器をこちらに向ける。


「まあ……意のままに操る能力と豪語しましたが、私の魔導の力はそこまで強い訳ではないので、実際には半昏睡状態の人間の言動をいい様にコントロールするのが関の山です」

「その注射器は?」


 後退しようとして、逃げ場がない事に気が付く。


「この注射器の中には“剣”の計画においても使用された精神を破壊する薬が仕込まれています。今からこれを殿下に投与し、その精神を破壊させて頂きたいと存じます。然る後に、私の“固有魔法”で殿下を我が操り人形にして差し上げましょう」


 薬で私の意識を奪い、“固有魔法”で操ると言う魂胆か。


 ……そうはさせない。


「……はあッ」


 アンリ様がこちらに掴み掛かるタイミングを狙って、顎に頭突きを放つ。


 しかし____


「何のつもりですか」

「……!」


 不意打ちのつもりだったのだが、あっさりと躱される。


「騎士団団長を舐めないで貰いたい」


 赤子の手を捻るように私を組み敷くアンリ様が呆れたように言う。実働部隊を去って長いとは言え、騎士団団長と王女とでは戦闘能力の差は歴然だった。


 首筋に冷たい感触。


 注射針が私に差し向けられていた。


「私は今から殿下を廃人にします。この量の薬を投与された者は二度と通常の精神を取り戻さなかった」


 力一杯もがく私。しかし、アンリ様の拘束は外れない。


「殿下が悪いのですよ。殿下が素直に協力に応じて下されば、こんな事にはならなかった」


 私を押さえつける力が強くなる。首筋に鋭い痛みが走り____


「……!?」


 次の瞬間、凄まじい音が部屋中に鳴り響いた。


 跳び上がるアンリ様。部屋の扉が吹き飛び、壁に衝突した。拘束が解けた事で地面を転がった私は、何が起きたのかを確かめるため顔を上げる。


 私の目に飛び込んで来たのは____


「エリーから離れろ、下衆女」


 はためくマント。虚空に流れる銀色の髪。その宝石の様な瞳には怒りの炎が燃えていた。


 立ち上がり、思わず涙を流し、私はその名前を呼ぶ。


「____ミシェル様!」


 私の騎士が現れた。

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