第二十六話「アンリの放送」
中庭は静寂に包まれていた。
幾度となく味わって来た激戦の後の空気。
急な脱力感____
私は地面に倒れ伏す八夜の隣にしゃがみ込んだ。
「……危なかった」
安堵の吐息を吐いて、抜き身のカネサダを横に据える。
『そうか?』
「うん、まあ……」
私の峰打ちを食らい、昏倒した八夜。彼女には本当に驚かされた。“疫病”の力を操っていたのもそうだが、こちらが“パック・アルファ”を取り込み、“ドローン”に干渉出来るようになった以降も剣で十二分の闘いを繰り広げたのだ。
正直な話、“ドローン”を無力化した時点で勝敗は決したと思っていたのだが、それで終わらないのが八夜だった。
「きっと、立派な騎士になるよ」
と、私は気絶して動かない八夜の頭を撫でる。
それから、しばらくの間、無気力の状態にいた私だが____
「……エリーを追い掛けなくちゃ」
カネサダを拾い上げ、立ち上がる。八夜との闘いには勝利したが、それで終わりではない。連れ去られたエリーを助け出さなければ。幸い、すぐに命の危機にさらされるような事は無いようだが。
八夜の体内の“ドローン”は全て死滅させた。彼女の事はこのまま放置しても大丈夫な筈だ。
屋敷の敷地内を飛び出す私。エリーを追い掛けるため出立をした訳だが____
「……魔物が」
ふと、周りの様子に気が付く。ヴィクトルと闘って、八夜と闘って____その勝利を以てカラケスでの全てが解決したと錯覚していたが、そうではなかった。
未だ、カラケスの市街地では魔物が猛威を振るっており、遠方では巨大な蛇が騎士達を翻弄している様子が見られる。
大元の宿主であるヴィクトルが無力化されたとは言え、魔物の脅威は消えていない。
「どうしよう」
エリーを直ぐにでも助け出しに行きたい。だが、市街地で暴れ回っている魔物達を退けるには私の力が必要なのではないだろうか。
「……くそッ」
時間が勿体ない。迷っている暇があるのならば、行動に移すのみだ。私は暴れ回る大蛇に駆け寄り、魔導核から“パック・アルファ”に具わっていた“獣”の力を引き出す。
“ドローン”のような微生物とは異なり、大型の魔物である大蛇の魔導核に干渉し、命令を下すのは気力と体力を大きく消耗した。
自滅を命じる事が出来ず、行えたのは再生能力を奪う事のみ。しかし、それでも十分と言えば十分で、私の刃を受けた大蛇はそのまま絶命に至った。
アサルトウルフはこの際無視しよう。市街地で暴れ回る大蛇。それらを全て片付けるのだ。
その後、市街地を駆け回り、大蛇を次々と倒していく私。
“獣”の力の行使はかなりの精神力を使う。疲労が限界を迎え始めた。
一匹、また一匹と無我夢中で大蛇を狩って____全てを討伐した時、私は地面で仰向けに倒れていた。
『大丈夫か、ミカ』
カネサダに言葉を返す気力も無い。
ヴィクトルと八夜との二連戦の後の重労働だ。成し遂げられただけでも奇跡と言うもの。
大きな吐息を空中に吐いて、気が付いた事は、周りを騎士達に囲まれていると言う事。
その中に、カミラ隊隊長のカミラの姿もあった。心配そうな顔で何かを言っているが……よく聞き取れない。
……駄目だ。
頭がぼんやりとする。意識が保てない。
目を瞑り、すうと肺の中の空気を全て吐き出すと、次の瞬間____
「あ! 目が覚めた、ミシェルちゃん!?」
アイリスの声が聞こえた。
「起きたみたいね、ミシェル君」
サラの声も。
……サラ? どうして彼女がここに? サラは残留組の筈だ。
はっとして起き上がる。私はベッドに横たわっていた。場所はウォラストン屋敷の自室。先程まで市街地の固い地面の上で倒れていたのに。
「今、どうなってる!?」
慌てて問い掛ける私。知らぬ間に気を失い、時間が経過しているのは明らかだ。
「街の様子は? エリーは無事なのか!?」
「どちらも問題はありません」
やや狂乱気味の私に冷静に答えたのは____八夜だった。
「……八夜」
アイリスとサラに挟まれる形で八夜がそこにいた。
「魔物は全て討伐されました。怪我人は居ますが、死傷者は誰一人としていません。魔物達には人を殺さないように命令をすり込ませてありましたから」
淡々と告げる八夜。
「王女の身も安全です。そこは保証しましょう」
私はじっと八夜を見つめ、それからアイリスとサラに視線を移した。
「これは一体どういう状況? 私が眠ってからどれだけ時間が経ったの?」
八夜が平然とこの場所にいるのが不思議でならない。
「ミシェルちゃんが眠って、だいたい一日くらいかな」
「……! 一日も!?」
私は思わず、近くに置いてあったカネサダを引っ掴み駆け出しそうになる。
「お、落ち着いて」
「……」
が、アイリスに腕を掴まれ、思い留まった。彼女の視線が八夜に向き____
「エリザベス王女が無事なのは本当だよ。それはラピス隊長も確認してる」
「……ラピス隊長が」
アイリスは難しそうな表情を浮かべ、やや困ったような口調で説明をし出す。
「今の状況なんだけどね……うーん……何て言ったら良いんだろ」
言葉に窮しているアイリスに助け舟を出したのは八夜だった。
「我々は一時的な休戦状態にあります。私は言うなれば、騎士団側の大使のような存在です」
大使と言う肩書に違和感を覚えたが、特別の拘束を受ける事なくこの場にいると言う事は、嘘を述べている訳ではないのだろう。
しかし、八夜の発言に対するアイリスとサラの反応は微妙で、何か言いたげな顔をしていた。
「それにしても、良いタイミングで目が覚めましたね、お姉様」
「良いタイミング?」
八夜の視線が部屋の片隅に向く。そこにあったのはラジオ受信機だった。
「正午まで後二十分ほど。アンリ様の放送が始まります」
「アンリ……騎士団団長の?」
未だ正確な状況が掴めぬまま、ラジオ受信機を見つめながら黙り込んでいると____
<皆様、リントブルミア魔導乙女騎士団団長アンリ・アンドーヴァーです>
ラジオ放送が始まった。騎士団団長のアンリの声が聞こえて来る。
<一昨日のエリザベス王女殿下の放送は既に耳にされた事でしょう。殿下がその中で言及された“黙示録の四騎士”。その計画に関する正確な情報をお伝えしたいと考え、急の放送を行わせて頂きます>
畏まった口調で告げるアンリ。計画に関する正確な情報とは何だろうか。
<まず“黙示録の四騎士”の存在の有無ですが、件の計画は実在します>
否定するのかと思ったが、あっさりとアンリは“黙示録の四騎士”の実在を認めた。どういうつもりだ? まさか、騎士団の罪を受け入れるつもりか?
<ただし、王女殿下が言及されていたような非人道的行為は一切行われていません。あれらは悪質な捏造に過ぎません>
アンリの言葉に私は八夜に向き直った。目線が合う。頷く八夜の瞳が“そう言う事です”と伝えていた。
“黙示録の四騎士”の計画は存在するが、非人道的行為には及んでいない。そう言った詭弁だ。
しかし、それは過去の非人道的行為の否定に過ぎない。“黙示録の四騎士”の計画を認めると言う事は侵略の力の保持を認めると言う事だ。その過程に悪事が無いとしても、“ロスバーン条約”の秩序下ではそれ自体が悪になる。
<アンドーヴァー家、ベクスヒル家、チャーストン家、ドンカスター家は“英雄の時代”より一族の財力と権力を学術研究に注いで来ました。時代が下り、それらはそれぞれの実りを見せます。そして、我々四大騎士名家は数年前にとある事実に気が付きます>
重大な発表を行う前の大きな空白を作るアンリ。
<我々の研究が竜神教の預言に言及される“剣”、“獣”、“飢饉”、“疫病”の力に類するものであると言う事実です>
……。
何かおかしくないか?
アンリの発言を脳内で整理し、違和感に気が付く。
時系列が違う。
彼女の言い分では自分達の研究がたまたま黙示録に言及されている四騎士の力に類似していたと言う事になっている。そして、それ故に研究計画を“黙示録の四騎士”と命名したのだと。
だが、事実関係は逆で、四大騎士名家は黙示録の預言に着想を得て“黙示録の四騎士”の研究を始めたのだ。
何故そのような時系列の虚偽を遂行したのか。
その答えは次のアンリの言葉にあった。
<その時、我々は悟りました。我々四大騎士名家こそが黙示録に預言される“黙示録の四騎士”であると>
その言葉で私は全てを理解した。
アンリの発言の意図だけではない。四大騎士名家が何故“黙示録の四騎士”を計画の名前に据えたのか。
<我々は天より使命を授かっているのです。我々こそが預言書に記された“黙示録の四騎士”であり、地上を支配する天命を与えられた選ばれし者達なのです>
四大騎士名家が計画に“黙示録の四騎士”の名を与えた理由。それは侵略の力の正当化だ。
サン=ドラコ大陸における“ロスバーン条約”と同程度の権威を持つ存在である竜神教。その預言が告げる世界の支配者。それこそが自分達なのであると。
そのロジックを組み立てるための“黙示録の四騎士”なのだ。
<王女殿下は“黙示録の四騎士”を不当に非難なされました。殿下により我々の名誉は傷付けられましたが、殿下もまた偽りの情報を掴まされた被害者でもあります。只今、我々は殿下と話し合いの場を設けています。そして、後日発表なさることでしょう。殿下が偽の情報を元に我々のありもしない非人道的行為を責めていたのだと>
アンリは自信たっぷりと____
<その時、我々は殿下の謝罪を受け入れ、その罪を赦す事に致します>
謝罪を受け入れ、その罪を赦す?
その言葉に怒りで脳内の血管が切れそうになる。……赦しを乞うのはどっちだ。
「ミ、ミシェルちゃん! 落ち着いて!」
無意識の内に私はラジオ受信機を叩き潰そうとしていた。アイリスの制止を受け、我に返る。
「……くそっ……好き勝手言いやがって!」
悪態を吐いて、壁を蹴り上げる私。
それからアンリは締めの挨拶を述べていたが、頭に血が上っていた私はその内容を全く聞いていなかった。
ラジオ放送が終わり____
「もう既に理解なされているかと思いますが」
立ち上がる八夜。
「“黙示録の四騎士”の名はその計画の正当性を得るためのものです。四大騎士名家が正当な大陸____いえ、世界の支配者となるための。そして、その力には一片の暗い過去もあってはならないのです。なので、王女殿下には先の告発で述べられた騎士団の非人道的行為を否定して頂きたいのです」
勝手な話だ、と私は思った。
「恥ずかしくないのか、八夜。自分の言っている事が」
「恥を忍んで申し上げています。この恥で全てが丸く収まるのであれば、私は生涯それに耐えましょう」
随分とまあ……潔い。
「ミシェル君、ちょっと良い?」
「ん?」
それまでじっと黙り込んでいたサラが私を突く。
「ちょっと、二人だけで話したいの」
「良いけど……」
私はアイリスと八夜をちらりと見遣る。私の視線に気が付いた二人は____
「話して来て下さい」「話しておいで」
二人の言葉を受け、私はサラと共に部屋を抜け出す。
何の用事だろうか。廊下を黙って二人で歩く。しばらくして、人気のない屋敷の隅に辿り着き____
「抜け出すなら、夜よ」
「え?」
「カラケスを出て王女の元まで向かうなら夜にしなさい」
サラは小声で話す。
「王女を助けに行くんでしょ?」
その言葉に私は当然の如く頷く。
「八夜の奴、何か動きがあったら向こうに報せを送るように指示されているのよ。今は王女の身の安全が保証されているけど____」
「下手に刺激をすると不味いって事?」
サラは「そう言う事」と頷いた。
「何されるか分かったもんじゃないからね。ミシェル君には八夜に気が付かれないようにここを抜け出して欲しいのよ」
サラは私の肩を叩き____
「身体、一日も眠ってたんだからもう平気でしょ?」
「うん」
私は自身の胸を拳で叩く。
「動かし足りないくらいだ」
それからサラは一足先にアイリスと八夜の元に戻り、私は身体を清めに浴場へと向かう。
身体の汚れを落とした後、部屋に戻ると、三人の少女が楽し気な談笑を繰り広げていた。
その光景に不思議な感覚を抱く。
一応、敵と味方の関係にあるのだが、アイリスもサラも八夜と仲良くやっているらしい。私が眠っている間も、その隣で楽しくお喋りをしていたのだろうか。
私は「もう少し眠る」と告げ、ベッドの中に滑り込んだ。
しばらくすると三人は去って行き、仮眠を取る間に陽が沈み始める。
そして、夜が訪れた。
着替えを済ませ、私はカネサダを手に取る。
一日以上も身体を休めた。夜闇の中、心身が異常にうずく。
私は深呼吸をして____エリーの元へと一人発った。