第二十四話「キメラの男」
立ちはだかるヴィクトル・ベクスヒル。彼の右腕は異形のそれへと変貌していた。巨大な蛇の胴体が不格好に男の肩口から生えている様は“超変化”による暴走で人間の形を失い掛けた私を思い起こさせる。
異質で不気味な眼前の存在に目を細め、私は____
「……その姿……一体、どうした」
恐る恐る尋ねる私にヴィクトルは「へへっ」と少年の様な笑みを浮かべる。
「右腕を切り落としてよ……代わりに魔物を移植したんだ。変化の能力を与えて普段はただの腕に擬態しているが、こうやって本来の姿を与える事が出来る」
ヴィクトルの右腕____大蛇の先端が巨大な咢を開く。蛇の頭には両眼が存在せず、ただ凶暴な歯牙がずらりと並んでいた。
「自分の右腕を切り落として……?」
「ああ、そうだ」
「……正気か?」
狂っている____と、私は冷や汗を垂らした。自分の右腕を切り落とす事も、魔物を身体に移植する事も尋常な事ではない。
何処までも人間離れした精神。やはり、ヴィクトル・ベクスヒルはマッドサイエンティストか。
「おらよっ!」
「……!」
弾んだ声を発すると共にヴィクトルはその右腕を私に差し向ける。大蛇の咢は骨格の限界を超えて縦に開き、私を丸呑みにせんと迫った。
「ほら行け!」
背後に跳躍してヴィクトルの右腕を回避した私に追撃を与えたのはアサルトウルフの“ベータ”だった。カネサダで返り討ちにするが、両断した身体はすぐさま再生する。
視界を奪う魔物の血を拭う私。
前方のヴィクトルと後方の“ベータ”。大蛇と狼による挟み撃ちの状態になり____
「ぐっ」
恐ろしく連携の取れた前後両面の同時攻撃が繰り出された。私はヴィクトルの右腕への対処を優先した事で“ベータ”に対する防御を疎かにしてしまう。
背後からのしかかり私を地面に押さえつける“ベータ”。凶悪な牙が迫る気配がした。あわや首筋に食い付かれる寸前で私は力任せに狼を押し退ける。
小休止____
カネサダを構え直し、私はヴィクトルと“ベータ”の両者に警戒の視線を与えた。
今度はこちらから仕掛ける。地を蹴り、ヴィクトルへと疾駆する私。彼の右腕が行く手を阻むがカネサダの一閃で斬り伏せ、勢いを削がれつつも接近に成功する。
「はあッ!」
気合一つ。カネサダを持ち替え、ヴィクトルへと峰打ちを放つ。煌びやかな輝きを放つ峰は魔導装甲を破壊し、そのまま男の肩口へと振り下ろされた。
「よっと」
「……ッ」
半身になり紙一重でカネサダを躱すヴィクトル。魔導装甲により剣速を奪われていたとは言え、回避されるとは思わなかった。予想以上の反射神経だ。
カネサダが虚空を走ると共に、私は背後からの気配を察知。当然の様に再生を果たしていたヴィクトルの右腕と“ベータ”が迫っていた。
「お優しいね、公安試作隊隊長殿は」
大きく跳躍して反撃を回避する私はヴィクトルの皮肉めいた言葉を受け取る。
「わざわざ剣を持ち替えてまでして峰打ちで俺を仕留めようとしたろ? 白刃を使えば楽に真っ二つに出来るのに」
「……」
「お前、人を殺した経験がないんだろ?」
馬鹿にするように尋ねるヴィクトル。私は「それがどうした?」と睨みを利かせる。
「怖いんだろ? 人を殺すのが?」
ヴィクトルは挑発する様に下品な笑みを浮かべた。
「誰だって初めては怖いもんだ。だが、怖いのは一人目だけで、そこを越せば躊躇いは消える」
「お前もそうだったのか?」
カネサダの切っ先を向けつつ、私はヴィクトルとの距離を静かに詰める。
「俺だって初めての人殺しは怖かったぜ。だが、今はこの通り。その手の恐怖からは解放されている。今の俺に一切の迷いは無い」
ヴィクトルはそれから自身の異形と化した右腕を左手で撫で____
「コイツもそうさ。移植には多少の躊躇いがあったが、今はこの上無い満足を感じている。俺はいずれ身体の他の部位にも魔物を移植する予定だ」
嬉々として語るヴィクトルに私は溜息を吐いた。
「勘違いするな、ヴィクトル・ベクスヒル」
刺すような鋭い口調で私は告げる。
「私は人を殺す事を恐れてはいない」
私の言葉を強がりと解釈したのかヴィクトルは訳知り顔で肩をすくめた。
「私は不要な殺しはしない。それは迷いを断ち切るためだ」
「迷いを断ち切るためだと? 何言ってんだ、お前」
ヴィクトルには理解出来ないだろう。私は殺しを躊躇っているのではない。殺さないと言う“選択”をしているのだ。それは困難な道には違いないが、その試練が私に覚悟を与え、覚悟は力を与えてくれる。
「自惚れるなよ。お前なんて殺す程の価値もない。人間離れした精神と類稀な才能の持ち主。だけど、お前は……所詮は何て事のないつまらない人間に過ぎない」
「……ほお、言ってくれるじゃねえか」
男の額に少しだけ青筋が立った。つまらない人間と言われた事が気に障ったのだろうか。
ぶつかり合う視線。再び、ヴィクトルの右腕が襲い来る。私は疾駆と共に大蛇の咢に二連の斬撃を放ち、肉片を散りばめながらひたすら前へと進んだ。
「邪魔だ!」
襲い来る“ベータ”に一閃を放って地に伏せるが、その隙に再生を果たしたヴィクトルの右腕が尚も食い付いて来る。
「おらおら! これじゃあ埒が明かねえぞ! 早くこっちに来いよ!」
常に私から距離を取り続けるヴィクトル。右腕と“ベータ”を差し向ける事で、こちらを近付けまいとしていた。
「ミシェルよお! お前の本気はそんなもんじゃねえだろ? 使えよ、“固有魔法”の力を!」
ヴィクトルは愉快そうに私を挑発する。「ふん」と私は鼻を鳴らし____
「舐めるなよ。こんなの____“超変化”を使うまでもない」
私はヴィクトルの油断を見逃さなかった。彼の心の緩みが右腕と“ベータ”の連携を僅かに疎かにさせる。今、私の目にはヴィクトルの姿がしっかりと見えていた。私と彼を繋ぐ線上に遮蔽物は何一つない。
魔導の力を足元に集中。
「そこだ!」
疾駆と共に草原の大地が抉れる。私は一つの弾丸となり、周囲に衝撃波を撒き散らしながらヴィクトルの元へと飛んでいった。
「うおッ!?」
ヴィクトルの展開する魔導装甲を蹴散らし、その勢いのまま男の腹部に膝蹴りをお見舞いした。
地面を転がるヴィクトルの身体。男が腹を押さえながら起き上がろうとする所を____
「貰ったッ!」
「ぐぅッ!?」
カネサダの峰がヴィクトルの首筋を捉える。鈍い殴打の音。死なないように加減はした。私の峰打ちを受けたヴィクトルは地面へと昏倒する。
勝負ありだ。魔物の大元がその意識を失った。
『ミカ、後ろ!』
「分かってる」
背後からはヴィクトルの右腕と“ベータ”が迫って来ていた。大蛇と狼。私はカネサダを持ち替え、白刃で二つの異形を一閃の下に伏せる。
噴き上がる血飛沫。私は跳躍を一つして、勝負の余韻に浸りつつ血振りを行ってカネサダを鞘に納めた。
だが____
「……!? 何で」
目を見開く私。私の眼前で、先程斬り伏せた筈のヴィクトルの右腕と“ベータ”が再生をしていたからだ。
「ヴィクトルは倒したのに……駄目なのか……」
顔をしかめ、私はカネサダを再び構え直す。
『いや、倒してはねえだろ』
「……」
『ヤるんだよ、ミカ』
____ヤる。
相棒の言葉が重くのしかかる。心臓の音が妙に大きく聞こえるようになった。私はごくりと唾を飲み込み、確認するように____
「殺さないといけないのかな」
『ああ、どうやらそうらしいぜ。意識を奪った程度じゃ“パック・アルファ”の力は消えないらしい。感じただろ? 未だヴィクトルからは魔導の力が供給され続けている』
見込みが外れたようだ。宿主の意識が消失すれば、魔導的な繋がりは断たれ、“ベータ”達は再生能力を喪失するものだと思っていたのだが。
『覚悟を決めろ、ミカ。きっと、今がその時だ。お前が殺しを行うその時なんだ』
「……」
『おいおい、どうしたミカ』
カネサダの急かす様な声と共に再びヴィクトルの右腕と“ベータ”が襲い来る。宿主の意識が無いためか、魔物達の連携は不十分で、対処するのは赤子の手を捻る様なものだった。
『まさか、怖気づいた____訳じゃねえよな』
「……まさか」
私はカネサダの白刃をそっと撫でた。分かってくれ、相棒。そう言い聞かせるように。
「カネサダになら分かるでしょ、私の気持ちが」
そう言って、カネサダを鞘に納める。
「覚悟を決めたんだ。不要な殺しはしないって。それは本当に必要な時に____その価値がある時に行うって」
魔導核に意識を集中させる。そして、その奥底から“超変化”の力を引き出した。
「少なくともこんな奴にその価値は無い。私はそんな安い殺しはしない」
私の両手がその形を失い、無数の銀糸になる。それらは伸長し、昏睡状態のヴィクトルへと殺到。“超変化”の力で男の身体と融合を果たす。
「……うおぅ!?」
その時だ。身体の異常を感じ取ってか、ヴィクトルが目を覚ました。
「な……コイツは……何がどうなって……!」
困惑する男の声。しばらく混乱状態にあったヴィクトルだが、次第に状況を飲み込んだようで____
「その力……“固有魔法”の力か」
じっと観察するような男の視線。と、同時に、背後からの敵意に気が付いた私は“超変化”の力で白銀の双翼を生やし、その鋭利な先端でヴィクトルの右腕と“ベータ”を串刺しにした。
「……おお……凄え……」
私の“固有魔法”の力を間近で目にしたヴィクトルは感嘆の声を静かに上げていた。身体が侵食されている最中だと言うのに、その関心は私の”超変化”の力に注がれているようだ。
私の腕から伸びる無数の銀糸がヴィクトルの身体の内部を這いずり回り____そして、魔導の源である“パック・アルファ”を見つけ出す。
ヴィクトルを殺害する必要は無い。要は“パック・アルファ”さえ破壊すれば____
「おっと、そう簡単にはやらせねえぞ」
「……!」
“パック・アルファ”に触れた途端、気味の悪い違和感に襲われる。それは侵食の感覚。カラケスの市街地で不死身の大蛇から味わったのと同質のものだった。
男の内部で“パック・アルファ”がその形を変質させ、私の魔導核に食らい付こうとこちらに迫って来ているのが分かる。
『ミカ!』
「……くそっ____食われて、たまるかッ!」
負けない。咆哮一つ。私は己の心を肉食獣のそれに染め上げ、迫り来る“パック・アルファ”の侵食に対抗する。
そちらが食う気なら、こちらから食わせて貰う。
今度はエリザ・ドンカスターの“女王蜂”の時の比じゃない。“パック・アルファ”を丸ごと捕食する。
魔導核よ____
「……おお」
ヴィクトルが目を見開いて唸り声を上げた。彼の“パック・アルファ”の侵食を凌ぎ、私の魔導核が全てを喰らい尽くす。
私の魔導の源が大きく広がり、“パック・アルファ”を包み込んだかと思うと、それを細かく切り刻み、自身の一部へと押し込み始めたのだ。
「……く……うッ……」
激しい眩暈に襲われる。全身が火達磨になったように熱い。ぐらぐらとする視界の中、私は辛うじて周りの様子を確認する。
ヴィクトルの右腕と“ベータ”は既にその活動を停止させている。“パック・アルファ”の消失により不死身の再生能力を失ったのだ。
ヴィクトルはと言うと、私の銀糸に身体を突き刺されたままぴくりとも動かず、しかしその両目が少年のそれを思い起こさせる輝きを放ってこちらに向いていた。
一先ずは“超変化”の力で元の状態に戻ろう。
呼吸を一つ。
白銀の双翼は失せ、無数の銀糸と化していた私の両手は人間のそれに戻る。背後からは絶命した魔物達が地面にどさりと落ちる音が聞こえて来た。
「……」
『大丈夫か、ミカ』
頭痛がするし、身体は熱を帯びている。何より、全身に奇妙な差異を感じていた。どちらかと言えば大丈夫ではない。
“パック・アルファ”を____異物を取り込んだ影響だろうか?
「はは、やっぱ凄えなお前はよお」
地面に仰向けに倒れたままヴィクトルが笑い声を発する。起き上がる気力は無いようだが、笑うだけの力は残っているようだ。
私はカネサダを手に取り、注意深くヴィクトルの元へと歩み寄る。
「お前の負けだ、ヴィクトル」
「へへ」
ヴィクトルは不敵な笑みを浮かべていた。何か企んでいるのだろうか。
「俺の負けだと? そいつはどうかな」
「……何?」
一瞬、奥の手の存在を警戒したがどうやらそう言う訳ではなく____
「俺はこの通りやられたが、与えられた任務はしっかりとこなしたぜ。その点では決して俺の負けとは言えねえんじゃねえか」
「……与えられた任務?」
「今回も良い物見せて貰った礼だ。特別に教えてやるよ」
ヴィクトルは勿体ぶった口調になって語り出す。
「一つは王女の居場所を特定する事。“パック・モンスター”をカラケス内に拡散させ、その魔導感知能力を利用して竜核の位置、即ち王女の位置を知る事が出来る」
ヴィクトルは笑みを深め____
「そして、もう一つは____時間稼ぎだ」
ヴィクトルは吹き出して続ける。
「魔物の大軍勢。さぞかし、手こずった事だろうよ。だがな、それは陽動だ。ただの囮に過ぎねえ。お前をここに誘き出すためのなあ!」
「……陽動……囮……?」
私は一瞬だけ呆然となり____
「まさか……あの魔物達が全て陽動だったって言うのか!?」
「この俺含めてな」
思わず声を荒げる私とそれを可笑しそうに笑うヴィクトル。
「急いだ方が良いぜ。じゃないと、お前達の大切なお姫様が持ってかれちまうぜ?」
……エリーが?
「カネサダ!」
『本当に急いだ方が良いかもな。この男、はったりを言ってる訳じゃなさそうだぜ』
「……!? ……くそッ」
エリーに危機が迫っている。カネサダが言うのだからそれは確定事項だ。
焦燥感に駆られ、走り出す私。身体は不調だが、徐々に快方に向かっているようだった。全身の力を走力に変えて駆けて行く。
「じゃあな、頑張れよ」
嬉しくもないヴィクトルの声援を背中に受け、私はカラケスの市街地____エリーの居るウォラストン屋敷へとひた走る。
市街地では未だ壮絶な戦闘が繰り広げられていた。大元の宿主が倒されたとは言え、それで魔物達が全滅する訳ではないのだから当然だが。
「これが陽動って……本命は一体何なんだろう?」
『さあ、そこまでは読み取れなかったが』
エリーには秀蓮が付いている。彼女ならば大抵の脅威には対処する事が可能だが。
……騎士団はヴィクトルを囮にして何をエリザベス王女に差し向けたのか。
やがて、ウォラストン屋敷に到着した私は____
「……嘘だろ」
絶望の光景を目にする。屋敷内の人間、その全てが床に倒れ伏していたのだ。襲撃の痛ましい痕跡に血の気が引いていく。
急いでエリーの自室へと向かう私。床に倒れ伏している者達に目を配るが、幸いな事に死人は出ていないようだ。皆、気絶しているだけで息はあった。
……手心が加えられている?
私は襲撃の様に妙な印象を抱いた。今まで見て来た騎士団の非道なやり口ではない。何か良識的な思惑が感じられた。極力犠牲者を出さないように配慮がなされているような。
「エリー!」
エリーの自室に辿り着き、その名を叫ぶ。私が目にしたのは____
「……!?」
地面にぐったりと倒れ伏す秀蓮の姿と____
「来ましたね、お姉様」
部屋の真ん中で悠然と構える八夜の姿だった。