第二十二話「侵略の狼」
エリーの護衛を他の公安試作隊隊員達に任せ、私はウォラストン屋敷を飛び出す。
一先ずはカラケス自治区常在の騎士達との合流を果たそう。
寒風を頬に受けながら市街地を走り、私は目抜き通りの真ん中で構えるヨルムンガンディア魔導乙女騎士団の輪の中に混じった。
「公安試作隊隊長ミシェルです。魔物の大群が迫って来ているとの一報を受け駆け付けました」
私の言葉に実働部隊の隊長らしき人物が向き直り____
「カミラ隊隊長カミラ・コストルナヤです。現在国境付近の農業地帯で我々の仲間達が報告のあった魔物達と交戦中です」
隊長のカミラが礼儀正しい態度で状況を報告する。
「敵勢はアサルトウルフが百匹程度。そして、件の魔物は驚異の再生能力を保持しています」
「十中八九“パック・モンスター”でしょう」
“パック・モンスター”と言う私の言葉にカミラは「それは確か……」と頭を捻り____
「“黙示録の四騎士”の“獣”の力でしたか? 改造され、人間の命令を受け付けるようになった魔物だとか」
「ええ。兎に角、此度の魔物の襲来はリントブルミア魔導乙女騎士団によるものです」
“獣”の力は未完成だった筈だが、百匹のアサルトウルフを操っているのであれば、あの後、力は完成に至ったのだろうか。ヴィクトル・ベクスヒルの……あのマッドサイエンティストの顔が思い浮かぶ。
カミラは眉をひそめ、溜息を吐いた。
「エリザベス王女の命を狙っての事でしょうか?」
「恐らくは」
「越境までして。明確な侵略行為ですよ、これは。なりふり構わずと言った感じですね」
全くだ。カラケス自治区への襲撃は“ロスバーン条約”への挑戦に他ならない。騎士団は一体どんな屁理屈をこねてこのような横暴に打って出たのか。
「情報提供感謝します。私はこれから農業地帯へ赴き、魔物の討伐に加勢致します」
「はい。我々は市街地の警備態勢を強化します。ご武運を、ミシェル殿」
カミラと別れた私は市街地を抜け、魔物の大群が現れたと言う農業地帯へと向かった。
収穫期を終えた一面の麦畑が眼前に広がっている。風の音。草木が擦れる音。寒々とした自然の雑音のその先から、獣の声が上がっていた。
「そっちに行ったぞ! 逃がすな!」
人の怒声。私は釣られるように疾駆し、戦いの場へと躍り出る。
私が目にしたもの。それは黒い狼____アサルトウルフの大群だった。狼の魔物達は波の様にこちらに押し寄せており、それをヨルムンガンディアの騎士達が阻んでいた。
騎士達から振るわれる無数の斬撃。アサルトウルフを絶命に至らせるものもあったが、そのほとんどが致命の一撃にはならず、魔物達は瞬時に欠損した身体を再生させていた。
「行くよ、カネサダ!」
愛刀を鞘から抜き放ち、私はアサルトウルフへ迫ってその身体に一太刀を浴びせる。狙いは魔導核。そこを破壊すれば“パック・モンスター”は絶命するのだ。
赤黒い血が噴き上がり、目前のアサルトウルフが動かなくなる。獲物の絶命を確認し、すぐさま次の一閃を別の魔物へと放つ私。
二匹のアサルトウルフを仕留めた所で周囲を見回す。辺りは騒然としていた。魔物達へと剣を振るう騎士達。しかし、彼女達の攻撃は魔物達の身体を傷付けるだけで、絶命に至らせる事は出来ないでいた。
「皆、魔導核を狙って! そこを潰さないとこの魔物達は倒れない!」
叫び、助言をする私。しかし、騎士達は私の言葉に耳を傾けるどころか、助太刀に気が付く余裕もないようだった。
私は騎士達の苦戦の理由に気が付く。それはアサルトウルフ達が積極的な攻撃行動を起こさない事だった。魔物達は威嚇程度の反撃に及ぶだけで、騎士達を全く無視して市街地へと疾駆していたのだ。
「ちょこまかと! おい、そっちにも抜けて行ったぞ!」
アサルトウルフを追い掛ける事に精一杯の騎士達は、致命の一撃を加える事に手こずっているようだ。魔物達の進軍の速度を遅らせるだけで、その数を減らせないでいた。
「くそっ!」
そして、それは私も同様だった。考え込んでいる間に数匹のアサルトウルフ達が私の脇を通り抜けて行く。慌てて斬撃を放つが、致命傷を与えるには至らなかった。襲い来る魔物を仕留めるのと逃げ行く魔物を仕留めるのとでは勝手が違ってくる。
「止まれッ!」
地を蹴り、一匹のアサルトウルフに追い付く私。行く手を塞ぎ、その魔導核へと斬撃を繰り出した。
それで、ようやく一匹分の敵の数が減る。
「駄目だ、このままじゃ」
『半分も減らせない内に市街地に侵入されるな』
アサルトウルフはただ市街地を目指すばかりでこちらに危害を加えようとはしない。そのため、騎士側に負傷者等は全く出ていないのだが、兎にも角にもこのままでは市街地が魔物達に占領されてしまう。それは不味い事態だった。
追い掛けては斬撃を放つを繰り返していた私だが、自慢の俊敏さを以てしても討伐数は思ったように増えて行かない。
焦燥感で呼吸が乱れる。次第に市街地を覆う石の囲いが見え始めた。
「不味い、侵入される!」
ここまで私一人で二十数匹のアサルトウルフを仕留めたが、それでも全然足りない。
今まさにカラケスの市街地は狼の魔物の波に飲み込まれようとしていた。
その時____
「全騎士団員に告ぐ! 至急最大級の魔導装甲を展開されよ!」
それは市街地から発せられた警告。拡声の魔道具でも使用しているのか、耳をつんざく程の大音声だった。
訳が分からず立ち止まる私。周囲の騎士達は魔物の追跡を中断し、警告に従い魔導装甲を展開して身を守り始めていた。
刹那、幾つもの爆音が連なるのと同時に空が黒で覆われる。一体何事かと唖然とするが、私はすぐさま天を覆う物の正体を知った。
無数の鉄の槍。それらが市街地側から上空へと発せられ、日光を遮るほどになっていたのだ。
空を飛翔する槍はやがて重力に従い地へと墜ちる____そう、私達の方へ。
「うわっ!」
頬を槍の一本が掠めた所で、私は慌てて魔導装甲を展開した。槍の雨が大地に降り注ぎ、荒唐無稽にその表皮を掻き乱す。圧倒的な質量。それらを圧しつけられ、地面は大きく震えていた。
獣の悲鳴が幾つも上がる。
魔導装甲で防御する傍ら周囲を見回すと、アサルトウルフの大半が槍の雨の餌食となっているのが見えた。運悪く急所を一突きされて絶命した個体。絶命してはいないものも多くの槍が身体に刺さり、まともに動けなくなった個体。運良く槍の強襲を掻い潜ったのは少数の個体のみだった。
槍の雨が止み、私はアサルトウルフを再び追い掛ける。数はだいぶ減ったが、それでも二十数匹は生き残っていた。それらの市街地への侵入を許してしまう。
「……見失った!」
舌打ちをする私。アサルトウルフに遅れて市街地に足を踏み入れる。建物の並ぶ街中では視覚で目標を捉えるのが困難だ。魔物達の姿を一時的に見失ってしまう。
「……!」
気持ちを切り替え、追跡を再開した私だが、突如出現した異常な魔導反応にたたらを踏んでしまった。
「な、何だ」
複十字型人工魔導核の気配だ。それ自体に異常性はないのだが、問題はその数。あまりに多数の人工魔導核の反応に私は圧倒されてしまった。
『おいおい、何だこの人工魔導核の数は』
カネサダも多数の魔導反応に驚いているようだ。
私は地を蹴って建物の屋根に上がり、市街地の様子を俯瞰する。
私が目にした光景。それはアサルトウルフと____それらと闘う市民の姿だった。軍人でもない多くの街の人々が人工魔導核と武器を手に取り魔物に立ち向かっていたのだ。性別も年齢も関係なく。
「……これは」
市民はアサルトウルフ相手に十二分の戦いをしていた。再生を繰り返すアサルトウルフに圧倒的な数の力で迫り、ついには魔導核を破壊し、絶命へと至らせてしまう。
私が出る幕は無い。魔物達の全滅は時間の問題だろう。
しばし、街の人々と魔物達との戦いを観察していた私だが、街中にカミラ達騎士の姿を発見し、彼女達の元に駆け寄る事に。
「カミラ殿」
「ミシェル殿、無事でしたか」
カミラと合流し私は____
「申し訳ありません、魔物達の市街地への侵入を許してしまいました」
「いいえ、お気になさらず。想定内の事でしたので」
カミラは遠くの空を見上げ、苦笑いを浮かべた。
「まさかアレを使う事になるとは思いませんでした。それも騎士達を巻き込む形で」
「……アレ?」
「スチーム・ジャベリンの事です。大量の槍が降って来たでしょう?」
カミラが市街地の外周部を指差す。目を凝らすと目立たない位置に巨大な筒が幾つも配備されていた。
「街を防衛するための兵器です。蒸気機関の力で鉄の槍を大量に発射する装置。私も実際に起動するところは初めて見ましたね」
少しだけ感慨深げになっているカミラに私は疑問をぶつける。
「街の人々が魔物達と戦っていましたが。それも複十字型人工魔導核を装備していたようで」
「ええ。まあ……」
カミラは言い辛そうに口籠る。
「カラケス民兵ですね」
「民兵……と言う事は、正規の軍人ではないのですよね」
正規の軍人でもないのに複十字型人工魔導核を装備していると言うのはおかしな話だ。あれは魔導騎士にのみに所持が許されたものの筈。リントブルミア王国でもヨルムンガンディア帝国でも明文化されていないがそう言う決まりになっている。
「答え辛い事ですが、ここは色々と特別なのですよ」
カミラは私に窺うような視線を投げ掛ける。
「ミシェル殿は“ロスバーン条約”を信じておられますか?」
「……“ロスバーン条約”ですか」
突然の問い掛けに私は首を傾げてしまう。
「彼の条約によりサン=ドラコ大陸で二度と国家間の争いが起こることは無い。それはまやかしに過ぎません。カラケスで生まれ育った私は……私達はその事を十分に理解しています____」
その時だ。話の腰を折る様に二匹のアサルトウルフが視界に現れたので、私は疾駆し魔物達にカネサダによる白銀の二連撃を浴びせた。
「おお……お見事です、ミシェル殿」
血振りを行う私に称賛を送るカミラ。私は「話の邪魔をされましたね」と彼女の元に戻る。
「カミラ殿は何故“ロスバーン条約”に疑いを持たれているのですか?」
「単純な話ですよ。国家間の争いが既に起きている事を知っているからです。此度の事もそうですが」
訳知り顔で語り出すカミラ。
「リントブルミア王国はカラケス自治区の領有権を未だに主張しています。取り分け、東部にある鉱床の。そのような事情があって、カラケス自治区では“ロスバーン条約”が締結されて以降もヨルムンガンディアとリントブルミアの両軍が戦闘を繰り返していました。小規模ですけどね」
「……え」
衝撃の事実に私は目を見開く。カミラの語る事実によれば、大陸で戦争が起きていないと言うのは真っ赤な嘘になる訳だが。
「一部の人間だけが知る真実です。当然、カラケスでの戦闘は国際条約に違反するものなので、両国はこの事実を隠蔽しています」
カミラは市街地を見回し____
「国家間の争いは終わっていない。私達カラケスの人間はそれを理解しています。それ故に防衛のための武装をしているのです。カラケス民兵はそのように組織されました。自治区長の計らいで複十字型人工魔導核も支給されています。かなりグレーな行いですけど」
民兵と言っているが、その実は傭兵と言うよりは正規の軍人に近いものなのだろう。
「騎士団の人間としては面目が立たない話ではありますけどね。私はここの出身者なのでカラケス民兵について理解は示しているのですが、そうでない騎士達もいます。カラケス自治区の軍事事情は複雑なのです」
カミラの話を聞いている内にカラケスの市街地は静寂を取り戻した。
「様子を見てきます、カミラ殿」
私は上空を翔けながら街を巡回し、アサルトウルフの死骸を一つ一つ確認する。見た所、生き残っている個体はいない。魔物達は全滅させられたのだ。
「ミシェル先輩!」
「あ、秀蓮」
「丁度良かったです」
地上に降りた時、私は情報収集に向っていた秀蓮に捕捉された。
「向こうの仲間達と連絡が取れました」
秀蓮は慌てた様子だった。
「既にご察しの通り、騎士団がこちらに攻めてきています。先程の魔物達は“獣”の力____“パック・モンスター”です」
秀蓮は説明する。ラピス達によれば、ラジオ放送用の中継アンテナの幾つかに魔導波の逆探知が行われた形跡があったそうだ。エリザベス王女の居場所を騎士団側に察知された事を知った残留組は、電報でその事を私達に伝え王女の避難を促していたらしい。
「今直ぐに殿下をヨルムンガンディア帝国の内部へと避難させましょう。先程のアサルトウルフの襲撃は第一波に過ぎません。第二波が直に訪れます。それも、本命の」
「……本命」
「アサルトウルフは斥候。あれは……あれで、ただの様子見なのです。本命は____」
秀蓮の言葉を遮るように地響きが起きた。
「……!? な、何だ」
思わず膝をつき、周囲を見回す私。秀蓮は目を見開き、彼方の空を見つめていた。私も彼女の視線に釣られて、そちらを見遣ると____
「……大蛇」
それは黒い胴体を持つ巨大な蛇だった。市街地から遠く離れた場所にいるそれは、しかしその大きさ故にはっきりとこの位置から視認する事が出来る。
「早い……来ましたね、本命が」
呟く秀蓮。驚くことに大蛇は尚も膨張を続けており、しかも一匹だけでなく、後続の大蛇が複数存在していた。
大蛇の軍勢の出現に市街地は大混乱に陥る。そのかつてない威容に人々は恐怖した。
鳴り響く連爆音。
スチーム・ジャベリンが発射されるが、全ての槍が吐き出された所で大蛇の一匹も倒す事は出来なかった。アサルトウルフの時のようには行かないようだ。
地響きが続く中、私はカネサダを抜き放ち____
「秀蓮はエリーをお願い」
遠く、大蛇の軍勢を睨み付ける。
「私はアイツらを片付ける」