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トラップ・アンド・ブレイド~男の娘と復讐の刀~  作者: ラプラシアン蒼井
第一幕 復讐のススメ
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第十三話「暗い森に白銀の一閃」

 ____魔物を倒す。


 一撃の下に騎士の魔導装甲を粉砕し、その巨躯に似合わぬ俊敏さで以て地を疾駆する。何より、刃の一つも通さない硬い表皮を持つそのアサルトウルフは、まさに怪物と呼ぶに相応しい存在だった。


 それでも、私は立ち向かう。


 アイリスの制止を振り切った私は、暗い木々をかき分け元居た馬車へと向かっていた。


 “彼”ならば____カネサダならば、かの怪物に絶命の一撃を叩きこむことが出来る筈だ。


 カネサダを振るい、私は魔物を倒す。


 それは、決して根拠のない自信でも希望的観測でもない。


 この身に斬れぬものはない。カネサダのその言葉を、私は昨日の一戦で真実と確信していた。

 白刃が鋼の体毛を紙片のように斬り伏せる感触。その瞬間の記憶が、厳然たる事実として彼の切れ味を私に伝える。


「カネサダ!」


 馬車の荷台に辿り着き、私は彼の名を叫んだ。

 幸運な事に、巨狼はこちらに気が付いていない。未だ、少し離れた道の先でこの場に残ったアメリア隊の騎士達相手に奮戦している。


『どうした、ミカァ!』


 荷台の奥側の木箱からカネサダの返事が返ってくる。


『この俺に何か用か! ええ?』


 暴れる魔物を前に人がバタバタと倒れていくこの状況で、カネサダの声は楽し気に弾んでいた。

 もし彼に浮かべる表情があったとすれば、今その顔はいやらしく笑っていた事だろう。

 何故私が彼の元に訪れたのか。その理由を察せない訳がない。


「カネサダ、外の様子がどうなっているか……分かるよね?」

『ああ、随分と苦戦してるみてえだな、お前たち』


 荷台に積まれた荷物の位置をずらしていき、私は奥側に仕舞われたカネサダの木箱の元までやって来る。


 その蓋に手を掛け____


「力を貸して、カネサダ」


 私が告げると、箱の中から大きな笑い声が聞こえて来た。


『はっはっは! ったくよお! 俺はつくづく都合の良い男だよなあ!』

「……カネサダ」

『何だなんだ! 手放すと決めておいて、急に必要になったから力を貸して欲しいだと? とんだ悪女だな、お前も!』


 ……あ、悪女?


 罵倒するカネサダは、その言葉とは裏腹にとても愉快そうだった。


 私は木箱の蓋を取る。


 古びた漆塗りの鞘が目に入り、私はすっと息を吸った。


「……つ、使って……上げる」

『あ?』

「もう一度、貴方を使って上げる(、、、、、、)……そう言ったの」


 私は有無を言わさずカネサダを手に取り、素早く腰のベルトに差した。


「使って欲しいのは、カネサダの方でしょ? 私に使われたくて仕方がないんじゃないの?」


 私がそう言うと、カネサダから呆気に取られたような気配が漂って来た。


 一瞬の沈黙の後、腰元から爆発するような笑い声が響く。


『おうおう! どうしたどうした! どうしたよ、ミカ! 頭でも打ったか? お前がそんな不敵な態度を取るなんてなあ! マジでどうしたよ?』


 カネサダの声を耳に、私は騎士達の悲鳴の聞こえる方角を見つめた。


 抉られた地面が土埃となって宙を舞う。


 巨大なアサルトウルフが暴れ回る姿は、馬車越しにでも見えるほどだった。


 私は今からあれに立ち向かうのだ。


「多分」


 私は目を瞑り、カネサダの先程の問い掛けに答える。


「私は嬉しいんだと……思う。もう一度、貴方を振るえることが。……それで」


 私は少しだけ顔を赤くして頬を掻いた。


「らしくもなく……はしゃいでるのかな?」


 不謹慎かもしれないが、私はもう一度カネサダと一緒に戦えるこの状況を喜んでいた。もう一度あの白刃を振り回すことが出来るのだと。


 少しだけ悔しい気分だった。


『マジかよ』


 カネサダは驚き半分嬉しさ半分と言った具合に口を開いた。


『よりにもよってお前、この状況で浮かれてやがんのかよ? 気が狂ったんじゃないだろうな?』

「どうだろ? 結構血を流したから……頭がおかしくなってるのかな?」


 私の背中は先程の魔物の一撃を喰らい、血塗れの状態だった。魔導の力で痛覚を麻痺させているので、痛みは平気だったが。


 私は頭を振り、腰元のカネサダを叩いた。


「無駄話は無し」


 私の言葉にカネサダが頷く気配がした。彼も私と同じ気持ちなのだろう。


 これ以上部隊の仲間を待たせる訳にもいかない。


 悠長に話し合うのは後だ。


「行くよ、カネサダ」

『ああ、行くぞ、ミカ! 鯉口は切っておけ!』


 左の親指で刀の鍔を押し上げ、私は地を蹴って宙へと躍り出た。


 狼の雄叫びが聞こえる。周りの木々を揺らし、その音圧で私の腹部を圧迫した。


 酷い有様だった。


 横転した数台の馬車は踏みつぶされ、その荷台に積まれていた国有財産の数々が野に放り出され粉々に砕けていた。


 死んでいるのか、それとも辛うじて息はあるのか。血塗れの騎士達が意識を失いあちこちに身体を横たえている。


 剣を手にアサルトウルフに立ち向かのは、隊長のアメリア・タルボットを含めたった四人の騎士。生き残った彼女達も全身がボロボロで、その手の剣がぽっきりと折れている者もいた。


「な……何なんだ! 何なんだ、この魔物は! どうしてこんなにも硬いのだ!」


 アメリアは悲痛な叫び声を上げ、目に涙を浮かべた。


 恐るべき巨狼の影を前にその身はすくみ上がっていた。彼女をこの場に留めるのは隊長としての意地か、それともアサルトウルフが騎士達に逃走の隙を与えないためか。


 私は音を消し、狼の足元に駆ける。


 アサルトウルフの注意はアメリア達に向いている。魔物に気が付かれる事なく、私は難なくその身に接近した。


「____はあッ!」


 気合の一声と共に、私はアサルトウルフの巨大な後ろ脚に居合斬りを放つ。


「ッ!?」


 しかし、得られたのは刃が肌を裂く感触ではなく、猛烈な手の痺れだった。


 私の放った斬撃は、アサルトウルフのその硬い表皮に弾かれてしまったのだ。


 一度体勢を崩した私は、カネサダを両手で握り、身を持ち直してから二撃目となる刃を振るう。


 右斜め上からの全体重を乗せた一撃は、しかし魔物の表皮を傷付けることはなかった。


 二度も斬撃を繰り出したことにより、アサルトウルフの注意がアメリア達から私に向く。巨大な後ろ脚が持ち上がり、強烈な蹴りが我が身に迫った。


 後ろ蹴りを回避した私は、身体を反転させたアサルトウルフの凶悪な顔と対面することになる。


 黒い狼。その目は爛々と光り、口元からは赤黒い血が滴っていた。


 近くで見ると尚のこと圧倒される。巨大なその魔物の姿に、まるで私の方が小人になったのではないかと錯覚してしまう。


『おい、ミカ! 弾かれてるぞ!』


 魔物と真正面から対峙する中、腰元のカネサダが叱責する。


『昨日の感覚を思い出せ!』


 アサルトウルフの爪が迫る。


 私はその一撃を回避し、振り下ろされたその脚に再びカネサダを放った。


「……いっ!」


 鋼鉄のような魔物の肌に弾かれ、カネサダを握る私の手が宙を迷う。魔物の逆襲を予知し、私は大きく後方へ飛んだ。


『ミカ!』

「……ぶ、分厚い」


 私は冷や汗を垂らし、魔物の次撃に備えるように腰を低くした。


 昨日のアサルトウルフはその体毛を硬質化させる力を有していたが、此度の魔物はその肌……いや、筋肉を硬質化する能力を保持しているようだ。


 そのため、その身に刃を入れた時の感触が全く違うのだ。昨日のそれは、謂わば鋼鉄の薄い板を斬るようなものだったが、今斬ろうとしている目の前の物体は、まさに鋼鉄の塊だった。


『感覚を修正しろ!』


 カネサダが叫ぶ。


『装甲を断ち斬る感覚じゃない。岩を丸ごと斬り伏せる感覚だ』

「……岩を丸ごと?」


 私は困惑気味に呟く。


 感覚を修正しろと言われても、一体どうすれば?


 その時____


「……ミ、ミシェル、貴様!」


 アサルトウルフの巨体越しにアメリアの声が聞こえてくる。


「今までどこをほっつき歩いていたのだ!?」


 私を責める声には、疲弊と焦燥の色が濃く出ていた。


「ち、丁度良い! おい、ミシェル、貴様! し、殿は任せたぞ!」

「……殿(しんがり)


 アメリアのその言葉を私は復唱し、溜息を吐いた。


 要は私を囮にしてさっさとこの場から離れたいのだろう。


 呆れた私の様子が伝わったのか、苛立たし気な隊長の声が返ってくる。


「な、何だ貴様! “罠係”の分際で、隊長命令に背く気か!」

「……いえ」


 冷めた瞳で首を振る。


 私は魔物を視線で牽制しつつ、その言葉を言い放った。


「邪魔なので早く逃げて下さい」

「……!」

「隊長に居られても、邪魔なので早く逃げて下さい」


 アメリアは今どのような表情を浮かべているのだろうか?


 その顔が見えないが残念だ。


 森の空気を介し、その羞恥が、屈辱が伝わってくる。


「お、お前たち! 撤退するぞ!」


 魔物の向こう側で、ドタバタと音がした。


 アメリアのその一声で、騎士達が撤退を開始する様子が伝わってくる。魔物を挟んで彼女達は首都へと引き返す道の側にいた。そのため、私がアサルトウルフの注意を引きつけていれば、そのまま邪魔が入らず逃走が可能だった。


「はあッ!」


 魔物の気を引くためにも、私はその懐に飛びこんでカネサダを振るった。


 硬い肌と刀身がぶつかる音がして、手には痺れが伝わる。


 やはり、駄目だ。上手く斬ることが出来ない。


『ミカ、お前の悪い癖を教えてやる』


 アサルトウルフの攻撃を躱しつつ、私はカネサダの声を聞いていた。


『お前はあーだこーだ考えすぎる上に決断を下すのが大の苦手な人間。典型的な頭でっかち。いや、頭の良いアホだ』


 私は少しだけ魔物から距離を取るように背後に跳躍し、近くにあった馬車の影に隠れた。


『その悪い癖は、お前の剣にも出ている。気の迷い。決断不足。雑念が剣筋を鈍らせる』


 カネサダはそれから一つの提案をした。


『お前、痛覚を魔導で麻痺させてるだろ? 一瞬だけそれを解除しろ』


 私は目を丸くして____


「え? な、何でそんな……」


 当然の疑問を呈する。


『良いか、解除するのは一瞬だけだ。一瞬の痛みがお前の過剰な思考を鈍らせる。昨日の事を覚えているか? あのわんころの首を刎ねた時の事を?』


 私は魔物の動きを警戒しつつカネサダに頷いた。


『あの時のお前は、ただ無心に剣を振った。痛みにより思考が鈍くなっていたんだ。余計な思惑の乗らない純粋な剣撃が、あの鋼の装甲を斬り伏せた』


 カネサダの言葉に、昨日の一戦の最後の場面を思い出していく。


 流れる血と傷口の痛みで、私の思考能力は低下していた。迫り来るアサルトウルフに私はただ無心でカネサダを放った。ただ、何も考えず剣を振るい____それが、あの魔物を斬り伏せた。


『今回も同じだ。痛みで頭を鈍らせろ……やれ、ミカ!』

「……」


 カネサダが指示する。


 私は躊躇うように目を泳がせると、息を大きく吸い込んで、痛覚の麻痺を一瞬だけ解除した。


「いッ!?」


 激痛が背中を走り、私は喉から呻き声を出した。


 目に涙を浮かべ、カネサダを握る手に力を込める。


『いけッ、ミカ!』


 その掛け声を耳に、私はアサルトウルフに疾駆する。刀を引き、接敵に合わせて横に振り抜いた。


 分厚い鋼鉄の感触。私の剣はやはり弾かれ、乾いた音を森の中に響かせた。


『まだだ! まだだ、ミカ! 剣を振れ! 感覚を研ぎ澄ませ!』


 アサルトウルフの反撃が迫る。私は紙一重でその爪を回避し、再度白刃を振るった。


 それからの私は、まるで悪足掻きの様だった。繰り出される魔物の連撃を回避し、時に身体の一部を掠らせ、それでも私は鋼鉄の如き筋肉にカネサダを放ち続けた。


 カネサダが叫ぶ。


『この身は全てを断ち斬る刃だ! 何度でも俺を放て! この剣が折れることは無い! お前の心が折れない限り、何度でも、何度でも、何度でも!』


 一瞬だけ蘇った背中の痛みで、私の脳の一部は麻痺していた。


 幾度放てど通らぬ斬撃。普段の私ならば、もうとっくに諦めて別の手段を探している。


 私は剣を振るい続けた。


 カネサダを振り回している内に、様々なものが私の中から零れ落ちていくのが分かった。


 暗い過去。先のない未来。惨めな今の私。私の中にわだかまる精神の不純物が、一刀の度に振り払われ、空白の時間がその心身に訪れる。


 私はカネサダのとある言葉を思い出していた。


 暴力は黄金。ありとあらゆる力の中で、唯一その力を代替するものはない。


 ここにいるのは、私とアサルトウルフ。一人の人間と一匹の魔物。

 そこには財力だの権力だのが介入する余地はなく、私達を支配していたのは暴力____純粋な力の応酬だった。


 変な話だが、私は暴力に支配されたこの野蛮に過ぎる空間を心地よく感じていた。


 一族に勘当され、騎士団でイジメの毎日を送る私。常に他人の顔色を窺い、暴力や暴言に耐える日々。


 しかし、この場では……命の遣り取りが行われる原初のこの場では、そんなものは関係ない。


 剣と魔導の才能に恵まれた私は、本来ならば生まれながらの強者なのだ。


 そう、私は強い。


 だから、何も恐れる必要はない。誰かの顔色を窺う必要もない。


 私は思いのままに剣を振るうことが出来る!


「____はあッ!」


 その時だ。私の振るった白銀の一閃が、硬い魔物の表皮に弾かれず、水を掻くようにその肉の中を泳いだ。


 噴き上がる血。


 降りかかる赤いカーテンに、カネサダが声を荒げた。


『その感覚だ、ミカァッ!』


 魔物が雄叫びを上げる。私も負けじと叫び、間髪入れずに二撃目の刃を放った。


 前脚の片方に二発の斬撃を放たれ、魔物の身体が(かし)いだ。


 目の前に狼の巨大な頭部と胴体の接続部である黒い首が迫り、私はカネサダを下段に構える。


 私は空に飛んだ。


 アサルトウルフの首に目掛けてすれ違い様の一閃を放ち____身体を宙で捻り、落下時に反対側の首回りへもう一度刃を通す。


 大量の血潮が我が身に降りかかった。


 血液の目つぶしを喰らい、私は素早く後方に跳躍して退避する。


 顔の血を拭い、私は目にした。


 首の両側から血液をだらだらと垂れ流す黒い巨狼が、苦し気に暴れ回る姿を。


 生きている____が、魔物は急所をやられている。


 とめどなく溢れ流れる血は、命の砂時計。


 しばらくすると、魔物は己の死を悟ったかのように目を瞑り、その場に身体を横たえた。


 魔物が倒れると同時に、私も地面に座り込む。

 傍らに視線をくれると、目には白銀の煌めきが映った。


 魔物は死に、私は生きている。


 ふと、周りの景色が私の中に戻って来た。


 血塗れで倒れているのはアサルトウルフだけではない。その魔物にやられた魔導騎士達もまた地に身を投げ無惨な姿を晒している。


 この暗い森の中、まともに意識を保ったまま佇むのは私だけだった。


 そう、私だけだ____


 激しい命の遣り取りは、私の勝利だった。


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