第十九話「カラケスと英雄の一族」
ヨルムンガンディア帝国カラケス自治区。リントブルミア王国との国境沿い位置する帝国の特別区だ。
この土地の歴史はやや複雑で、一時期はリントブルミア王国の領土であったり、またある時は完全な独立国であったりと国際政治と領土問題の舞台でもあった。
リントブルミア王国の文化や言語が入り混じっているので、リントブルミア人の私達でもカラケスでの日常生活に特段困ることは無い。カラケスの人々は標準的なヨルムンガンディア語の他にリントブルミアとのピジン言語が扱えるのだ。
ヨルムンガンディア帝国への亡命に成功してからおよそ一月が経過した。
亡命初日、カラケス自治区の統治者であるマトヴェイ・ウォラストンに接触した私達は彼の厚意によりカラケスのウォラストン屋敷に匿われることになる。
その数日後、カラケス自治区に物々しい一団が現れた。ヨルムンガンディア帝国第一皇女タティアナ・ヨルムンガンドとその私兵団だ。
エリーは私と秀蓮を伴い、タティアナ皇女と会談する。話し合いは二日間続き、“黙示録の四騎士”に関する情報提供と告発のための協力要請が行われた。
会談は成功。タティアナ皇女は私達公安部に全面協力することを約束し、彼女の秘書を連絡要員としてカラケスに残した。
「貴様が噂のミシェルか。想像よりも細いな」
「噂の、ですか?」
「貴様はエリザベスのお気に入りだからな。名前と存在は私の耳にも入って来ている」
滞在する屋敷でタティアナ皇女と鉢合わせする事があった。一人きりで廊下を歩いていた彼女に私は肝を冷やしてしまう。気付かぬ間に毒蛇を踏んでいた時の気分だ。
「ドンカスター家の人間らしいな」
「元、ですけど。今は勘当された身です」
「ドンカスター家に婿入りしたウォラストン家の人間が居たらしいが、確かお前の父親だっただろう。名前はレフ・ウォラストン。違うか?」
「はい、私の父親です」
レフ・ウォラストンは確かに私の父親の名前だ。
タティアナ皇女はじっと値踏みするように私の事を見つめる。
「ウォラストン家の人間の事は信用している。この自治区を彼らに任せているのもひとえに信頼あってこそだ。強くて勇敢。ウォラストンの血を引く者は皆そうだ。何せ____」
タティアナ皇女が私の肩を叩く。
「貴様らは英雄の子孫なのだから」
「……英雄の子孫?」
きょとんと首を傾げる私にタティアナ皇女も首を傾げる。
「ふむ、その顔……何を言っているのか、と言った顔だな」
「……はあ」
「マトヴェイ自治区長を訪ねてみろ。貴様のもう一つの血族について話をしてくれるだろう。偉大なるウォラストン家の話を」
それだけを言い残し、タティアナ皇女は私の前から立ち去る。彼女に言われた通り、私は屋敷の主でもあるマトヴェイに会いに行くことにした。
「マトヴェイ様、お時間は宜しいでしょうか?」
夕食後の裏庭。マトヴェイはそこで剣を振っていた。彼の日課らしく、武術の鍛錬を行っているそうだ。
私の存在に気が付いたマトヴェイは剣を地面に突き刺し、タオルで汗を拭いてこちらに向き直った。
「これはミシェル殿」
がっちりとした筋肉を持つ長身の男性が笑みを浮かべる。
「私に何か御用ですかな?」
「その……大した用事では無いのですが」
私は言葉に迷い____
「レフ・ウォラストンをご存知ですか? 私の父親なのですが」
「レフ・ウォラストン」
父親の名前を復唱するマトヴェイ。彼は少し俯いてから気前の良い笑みを浮かべた。
「知っていますとも。ミシェル殿もウォラストン家の血を引いていると窺っています。一度、お話がしたかった」
どのように思われているのか不安だったが、マトヴェイは国外の血族に対し悪い印象を抱いてはいないようだった。
「リントブルミア王国の四大騎士名家に婿入りした血族の話は有名です。アンドーヴァー家に婿入りしたアレクセイとドンカスター家に婿入りしたレフ。二人の兄弟の話は」
マトヴェイは少しだけ暗い口調になって____
「しかし、残念です。アレクセイもレフも今は帰らぬ人。おまけに____レフの息子はこんな____おっと、失礼……その、変な意味ではなく……ドンカスター家を追い出されて……とても心苦しいと言う事で……」
不味い言い回しだと思ったのか、途端にしどろもどろになるマトヴェイ。私は苦笑いを浮かべ「分かっています」と答えた。
「……何はともあれ、レフの息子が立派にやっているようで安心しました。ミシェル殿に会えて私はとても嬉しい」
「……はい……その、マトヴェイ様は……一族の事をとても愛しているのですね」
マトヴェイの言葉の節々からウォラストン家への愛と誇りが感じられた。彼は「当然です」と頷き____
「我々は誇り高き英雄の子孫なのですから」
「英雄____英雄、と言うのは……もしかして____」
「フランシス・ホークウッドの事です」
私は「ああ」と声を漏らした。やはり、そうなのかと。ずっとその予感はあったのだが____
「私はホークウッドの子孫、なのですね」
「ん……もしや、知らなかったのですか。……成る程、確かリントブルミア王国でのホークウッドの扱いは英雄であると同時に大悪党だった筈。だから、知らされていなかったのですね。一族の詳しい事情について」
「ヨルムンガンディアでは違うのですか?」
かつてのヨルムンガンディア帝国にとってホークウッドは敵の大将であった。歴史的な扱いはリントブルミア王国よりも酷いと思うのだが。
「こちらでは専らの英雄扱いです」
「……リントブルミアでは悪党扱いで……ヨルムンガンディアでは英雄扱い……随分とあべこべな……」
普通、扱いとしては逆になるのではないか。
「フランシス・ホークウッドはリントブルミア王国を救った後、“白銀の団”を引き連れ国外へと旅に出ました。リントブルミアに残された妻のエステル・ウォラストンとその子供達は後に生活の拠点を祖国からかつての敵国ヨルムンガンディア帝国へと移します」
説明を始めるマトヴェイ。
「何故、エステルはヨルムンガンディアに?」
「様々な説がありますが……そうですね、ホークウッドの妻であることが____と言うより、ホークウッドの妻としてしか扱われない事が耐え切れなかったのでしょう。エステルはホークウッドの姓を捨て、自分自身の名声を欲しヨルムンガンディア帝国を訪ねたのだと思います」
そう言えば、エステルはカネサダ____ホークウッドに対抗意識を燃やしていた。エステルと言う独立した存在ではなくホークウッドの妻と言う付属的な存在として扱われるのが嫌だったのだろう。
「ヨルムンガンディア帝国でウォラストン家を立ち上げたエステルは混迷の最中にあった帝国をその卓越した手腕と勇敢さでまとめ上げました。エステル亡き後も、その子孫達は帝国の秩序と繁栄に大いに貢献し、英雄の家系として持て囃されるようになったのです」
マトヴェイは肩をすくめ____
「エステルから始まったウォラストン家ですが、皮肉な事にここでも名声を浴びたのは彼女自身ではなく彼女の夫であるホークウッドの方でした。時代が時代でしたので、女性が成し遂げた偉業はその夫の物となりやすかったのです。彼女の場合、夫が英雄だっただけに特にそちらの方に注目が集まったようです」
ヨルムンガンディア帝国でホークウッドが好意的に受け入れられているのはエステルの帝国への貢献のお陰と言う訳か。
「兎に角、そう言った歴史的な事情があって、我々ウォラストン家は英雄の一族として尊敬され、信頼されているのです」
「成る程。……しかし、何と言うか……エステルが可哀想ではありますね。彼女自身の名声のために頑張っていたのに、夫の方が持て囃されるなんて」
「まあ、確かに。我々は“英雄の一族”ではなく、その妻であった“エステルの一族”と名乗るのが正しいのかも知れませんね。しかし、ネームバリューを考慮するとやはり英雄ホークウッドの一族であることを名乗りたくはあります」
マトヴェイは苦笑いを浮かべる。
「ミシェル殿、宜しければなのですが、貴方自身のお話が聞きたい。今日に至るまでの貴方の話が」
「私のですか? 構いませんが」
マトヴェイに請われ、私は幼少期から騎士学校時代を経て公安部設立に至るまでの話をした。
「____と、言った具合に私は公安試作隊隊長になりまして。目下、騎士団と争いの最中にいます」
「成る程、波乱万丈な人生ですね」
私の話を聞き終わりマトヴェイは満足そうだった。
「リントブルミア王国での一族の活躍の話が聞けて良かったです。ミシェル殿ならきっと此度の戦いも勝ち抜く事でしょう」
それから少しだけマトヴェイとの会話は続き、切りがついた頃、私は彼と別れ屋敷内に戻る事になった。
そのまま割り当てられた自室に帰還する私。ベッドに腰掛け、膝の上にカネサダを載せる。
「カネサダ、聞いてた?」
『……おう』
「私、ホークウッドの____貴方の子孫なんだって」
マトヴェイから告げられた事実をそのままカネサダに伝える。しばらく沈黙が続き____
『そうか……お前、俺の……俺とエステルの子孫だったんだな』
珍しく呆然とした声の相棒。
『まあ、何だ、運命って奴かこれは』
「どんな気分? 自分の子孫とお話をするのって」
『どんな気分って……そもそも、俺とエステルの間にガキがいたこと自体実感がねえし』
「それはちょっと……ちゃんと認知しなよ。その……エステルとはそう言う仲だったんでしょ?」
『まあ、アイツ美人だったし、何回かやったがな。でも夫婦って感じじゃなかったし、“出来てる”とは思わなかった』
「うわあ」
最低過ぎないか、その発言。エステルが俄然可哀想に思えて来た。
「カネサダがそんなだから、エステルはあんなだったんじゃない」
『あんなって?』
「貴方に対抗意識を燃やしてたって言うか……若干、恨みがましかったじゃない」
『アイツは元からああだぞ。頭が良くて基本冷静沈着だったが、熱い競争心の持ち主だったな。エステルとは色々と競い合ったりしたが、アイツが俺に勝ったことは一度たりともなかった。だから悔しくて今でも対抗意識を燃やしてるんだろうな』
エステルがカネサダと同じ様にギロチン刃に自身の魂を移した理由がそこにあるのだろう。
私のご先祖様は意志が強いと言うか……執着心が強いようだ。数世紀経った今でも、復讐に執着するフランシス・ホークウッドと競争に執着するエステル・ウォラストン。
私はそんな二人の血を引いているのだ。そして、あのガブリエラ・アンドーヴァーも。
自身の血にまつわる秘密に触れる一幕がありつつ、カラケスでの準備は進んで行く。
亡命から二週間が経った頃にはリントブルミア王国の残留組と定期的な手紙での遣り取りを行うようになり、あちらの様子を知る事が出来た。残留組の事が心配だったが、手紙で知る限り皆無事なようである。ルカの命にも危険はないようだ。
三週間目には秀蓮をリントブルミア王国の方に派遣し、政治工作の指示を行った。ヨルムンガンディア帝国で行われる私達の告発がリントブルミアの世論にしっかりと効果を与えるように。
万事順調。この一月の間に告発の舞台が整った。
季節は冬。寒風が寒冷のカラケスに吹き付け、戦いに挑む者達の身と心に敢闘の檄を与えているようだった。
カラケス自治区中央広場。そこに大掛かりな魔導装置が組み立てられている。ラジオ放送のための魔道具で、話者の言葉を遠く離れた複数の土地に同時に伝える事が出来る代物だ。
今から”黙示録の四騎士”の秘密が世に明かされる。
ずらりと並ぶ公安試作隊の面々。原稿の束を手にしたエリーが魔導装置に近付き、伝声管の前で深呼吸をする。
広場には大勢の聴衆が集まっており、その中には新聞記者も居た。
目を瞑り、静かに開くエリー。
決意の一時。その口が世界へ向けて開かれた。




