第十三話「剣の地下研究施設」
秀蓮が運んできてくれたサンドイッチを食し、私達はベッドで眠りにつく事に。
窮屈な二段ベッドの上段で寝付くのには苦労を要した。天井がすぐそこにあるので、圧迫感を感じる。
しばしの暗闇____そして、鳴り響く甲高い金属音。午前二時、目覚まし時計が私達を叩き起こす。
「二人とも起きてる?」
ベッドから降り、私はマリアと秀蓮に呼びかける。
「起きてますよ」「私もですわ」
眠たそうな二人の声が返ってくる。私は軽く伸びをして相棒のカネサダを腰に携え、ぶかぶかの外套と仮面を装着した。一応の変装だ。
「一人ずつ外に出ましょう。まずはミシェル先輩から」
秀蓮に促され、私は一足先に部屋を出る。廊下の突き当りの扉まで移動し、その先の外階段を使用してパブを去った。
暗い夜の中、近くの物陰に隠れマリアと秀蓮の姿を待つ。
先程まで区間を賑わせていた声も光も今は疎らだ。注意深く周囲を観察すると酔っ払いらしき男がだらしなく壁を背に寝息を立てていた。
待つ事数分。最初に秀蓮、次にマリアが現れた。再集合を果たした所で私達は揃って繁華街を、そして市街地を抜けていく。
「カリヴァ中央研究所までは私が道案内を致しますわ」
土地勘があるマリアを先頭に私達は夜道を行く。
カリヴァ中央研究所。かつては国の中心的研究機関だったらしいのだが、学術研究の施設と優秀な研究者が首都エストフルトに集約されるに至り、今は昔日の活気が失われていると聞く。事前のリサーチで判明した事は脳に関わる研究をしている事と新薬の治験を行っている事で、詳しく中身を調べたが特に怪しい内容は見つからなかった。ただし、これは表向きの情報。裏では“剣”の研究が行われているのだ。
街の微光が離れていき、辺りはどんどん暗くなる。
「見えましたわ」
マリアが前方を指差す。月光を妖しく反射する鉄条網。その先、やや老朽化の見られる巨大な建物が目に入った。
「カリヴァ中央研究所ですね」
呟き、秀蓮が魔導の力を借りて跳躍する。鉄条網を越え、研究所の敷地内に着地。身を屈め周囲を注意深く観察した。
「罠はなさそうですね」
程なくして、秀蓮はこちらに手招きをする。私とマリアは頷き、共に鉄条網を跳躍で越えた。
かくして敵地へと乗り込んだ潜入班。高い危険察知能力を持つ秀蓮を先頭に建物内へと侵入する。
『……なんだここは』
「どうしたの、カネサダ」
腰元の相棒が突然困惑の声を漏らす。
『いや、何つーか……ざわざわするんだよな』
「……ざわざわ?」
「ああ、よく分かんねえけど、さっきからやたらと五月蠅くて仕方がない」
曖昧に答えるカネサダ。五月蠅いと彼は述べたが、辺りは全くの静寂だ。喧騒とは程遠い。
しかし、これもまた曖昧な感覚だが、カネサダの言いたい事が私には何となく分かった。聴覚ではない。何か魂に訴えかけるような、そんな“声”が聞こえて来る。
「“剣”の研究は地下施設で行われているんですよね?」
「エリザ・ドンカスターによれば」
秀蓮に短く答える私。彼女は今、施設内の巨大マップの前に佇んでいた。
「この施設マップには地下施設とそこへと至る経路が記載されていませんね」
秀蓮は腕を組み____
「隠し通路が何処かにある筈です。……そうですね……ここの場合ですと……」
マップを睨み、黙考する秀蓮。長年の“便利屋”としての経験と勘から隠し通路の場所を推測しているのだろう。
「付いて来て下さい」
秀蓮が頼もし気に告げる。私達は内装が綺麗に整えられた夜の研究所内を忍び足で進んで行った。
「警備員はいないのかな?」
私は周囲を注意深く見遣る。先程から人の気配が全くしない。それが逆に不安の種になっていた。警備用の人員が数人は居ても良いのに。
「恐らくは本命である地下施設の方に人員を割いているのだと思います」
秀蓮がもっともらしい意見を述べる。
暗闇と静寂のカリヴァ中央研究所。足元、私は何か異様な気配を感じ取っていた。その気配の正体は不明だ。しかし、この下の地下空間に“剣”に関わる何かが存在していることを伝えているようであった。
「見つけました」
秀蓮が壁に手を着く。彼女の手元、よく見るとそれはただの壁ではなく、取っ手の無い開かずの扉だった。
「マップ上には存在しなかった地下空間への隠し通路。その扉です」
秀蓮はしゃがみ込んで、扉に耳を当てた。続いて両手をべったりとくっ付け、複十字型人工魔導核から魔導の力を引き出す。
魔導波の脈動。僅かな駆動音が扉の向こう側から聞こえて来る。
「……ふむふむ……ここをこうして……」
しばらく、開かずの扉と格闘していた秀蓮は____
「よし、開きました」
秀蓮が立ち上がると同時に扉が勢いよく開く。扉の先は地下空間への緩いスロープになっていた。
「どうやって開けたの?」
興味が湧いて秀蓮に尋ねる。魔導の力を用いていたようだが、どのような魔法を使用したのだろうか。
「念動力を使って内部構造を弄りました。私にかかれば解除出来ない物理的ロックは存在しません」
「念動力でって……随分と器用な」
改めて秀蓮の持つ技術に感心する私。彼女が行った解錠方法には繊細な魔導の制御能力と機械構造に対する深い理解が必要となる。今回の潜入任務に秀蓮を同行させたのは正解だったようだ。
秀蓮を先頭に暗闇のスロープを下って行く私達。傾斜が終わると、辺りは昼間の様な明るさになった。
「明るいですわね。地下とは思えないぐらいですわ」
白く眩い空間を見回すマリア。多数の人工光源が地下施設内を照らしていた。
「お二人とも静かに。……足音が聞こえます」
聴覚に意識を集中させる秀蓮。手招きをして「私に付いて来て下さい」と訴えかける。
秀蓮の先導で人の気配を避けつつ地下施設内の探索を行う一同。やがて、綺麗にファイリングされた書類がずらりと並ぶ一室に辿り着いた。
「大当たりですね」
秀蓮が書類の一つを手に取って呟く。
「日誌です」
どうやらここは日誌の保管室のようだ。立ち並ぶ棚には日付のプレートが貼り付けられており、地下研究施設内で、いつ、どのような事が行われていたのかを知る事が出来るようになっていた。
「最近の記録はこっちの棚ですね」
そう言って秀蓮はごっそりと棚からここ数年分の日誌を引き抜いた。私も日誌の束の中から適当に一つを手に取る。パラパラとページをめくり____
「……ッ」
日誌の内容を目にした私は言葉を失う。
「これは……酷いですわね……」
同じく日誌の内容を目にしたマリアが身に着けている仮面の奥からくぐもった声を発した。目には見えないが、その表情が引きつっているのが分かる。
手元の日誌。それは言ってしまえば拷問の記録だった。日誌の中身から察せられることは、この地下研究施設内に多くの年端も行かぬ少女達が監禁されており、様々な責め苦を与えられている事。それは衝撃的で、忌むべき事実だった。
書面の文字を追う。詳細な拷問内容の記述に私は吐き気を覚えてしまった。
「成る程、被験体の少女に苦痛を与え、その脳波の記録を行っているようですね。紛れもない人体実験です」
私やマリアと異なり秀蓮は冷静に日誌の内容を読み解く。冷静とは言ってもその僅かな口調の変化から彼女の嫌悪感がこちらに伝わって来た。
「本当に酷いですわね……どうして……何のためにこんな事を」
当惑するマリア。秀蓮が私とマリアを指差し____
「魔導核」
秀蓮の言葉に私とマリアが顔を合わせる。
「“覚醒した魔導核を持つ騎士”の量産。それが目的でしょう。魔導核は苦痛や死に際の恐怖により覚醒します」
それは義母エリザ・ドンカスターも“剣”の力に関して言及していた事だ。覚醒した魔導核を持つ私とマリア。私達のような存在を大量に生み出し、乙女騎士団の戦力を絶大なものとするのが“剣”の計画と言う訳だ。
「どうやらアンドーヴァー家は魔導核を覚醒させる高効率かつ安全な方法を欲しているみたいです。……ここで言う方法とは拷問方法の事なんですけど。日誌から判断するにいくつかの覚醒の成功例があるらしく、覚醒に至るまでの少女の苦痛を、その脳波を測定する事でサンプリングしているようです」
覚醒の成功例。ガブリエラ・アンドーヴァーがその一つなのであろう。
「……“覚醒プロセス”」
私は日誌内に何度も登場するその単語を口にする。どのような種類の苦痛をどの程度与えれば魔導核が覚醒するのか。彼らはそれを“覚醒プロセス”と呼んでいるようだ。要するに少女達を殺さずに覚醒へと至らせるための拷問方法。
「許せんわ。こんな……罪の無い少女達を……」
怒りに震えるマリア。深呼吸をして____
「行きましょう。この施設内に被験体の少女が囚われている筈ですわ」
マリアの決然とした言葉に私と秀蓮が強く頷く。目的地が定まった。私達はこれから被験体の少女達の元に向かう。
『……聞こえるか、ミカ、それにマリア』
証拠として何冊かの日誌を回収し、再び通路を行く私達。カネサダがふと私とマリアに呼び掛ける。
「……どうしたの、カネサダ」
『聞こえねえか____“声”が』
私が立ち止まった事で先頭の秀蓮も歩みを止める。背後を振り返り____
「どうされました、先輩? カネサダさんが何か言ってるんですか?」
『“声”が聞こえるんだ。恐らくは被験体のガキ共の』
私はカネサダの声を秀蓮に伝える。
『ミカ、俺の言う通りに進め。お前が先導しろ』
カネサダの声に頷き、私は事情を説明して秀蓮の前に出る。
「と、いう訳で、ここからは私達に任せてよ」
「……“声”ですか。成る程……まあ、兎に角、ここから先は先輩達に任せる事にします」
秀蓮から先導を引き継ぎ、私はカネサダの指示を頼りに前へと進む。
昼間の様に明るい閉鎖空間。そのギャップが不気味で仕方がない。周囲の人の気配を警戒しながら歩みを続けていると、次第に妙な感覚が強くなって来た。
“声”が聞こえる。それはカリヴァ中央研究所に足を踏み入れた時から微かに感じていたものだったが、ここに来てはっきり”それ”と認識出来るようになっていた。
「……何か、聞こえますわね」
マリアが不安げに呟く。恐らくは覚醒した魔導核を持つ者の特性なのだろう。彼女にも“声”が聞こえているようだ。
「この先だ」
いつしか私はカネサダの指示も無しに目的地に向かっていた。“声”が私を導いてくれたのだ。
堅牢で無骨な鉄扉の前。辿り着いたその場所で佇み、私はマリアと秀蓮を振り返った。
「この先に“声”の主が____いや、主達がいる」
誰が“声”を発しているのか。特段語る必要は無い。囚われの被験体。その中でも魔導核を覚醒させたか、覚醒途中にある者達の救済の訴え。それが“声”となって私の元に届いているのだ。
鉄扉を開ける私。扉の先は洞窟の様な暗闇となっていた。こちらから差し込む光を頼りに中の詳しい様子を探る。
まず目に飛び付いたのは重い鉄格子。そして冷たく薄汚い石壁。各所には威圧するように拷問器具が設置されている。
私は唾を飲み込んで暗闇に足を踏み入れた。
目____多くの目がこちらに向けられている事に気が付く。それらは鉄格子の奥に閉じ込められた幼い少女達のもので、人間の目付きと言うよりは野生動物のそれに近かった。
暗闇に目が慣れる。私は冷たい牢屋を見回し、被験体の少女達を観察した。
少女達は薄着で、鈍色の鎖に繋がれており、その頭部には計器が取り付けられたヘルメットが装着されている。表情はどんよりとしており、肌は死人の様に白かった。
私は鉄格子の一つに近付き、とある少女の前に立つ。この牢屋の中で一際大きな“声”を発していたのが彼女だった。
カネサダを抜き放つ私。斬撃を鉄格子に浴びせ、牢の中に足を踏み入れる。そして、恐怖で震え上がる少女の手を取った。
「……ひっ」
少女が短く悲鳴を上げる。
「こ、殺さないで……!」
怯えた瞳を私とその相棒であるカネサダに向ける少女。私が「大丈夫」と優しく声を掛ける前に____
「う、う……が、があああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
それは恐怖と言うより苦痛の悲鳴であった。私の目の前で少女は白目を剥き、両手でヘルメットを押さえながら絶叫する。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
目の前で悶える少女に私は困惑して佇む。カネサダが____
『ヘルメットだ。どうやら、その頭のごついのが激痛を与えてるっぽいぜ』
私は「ごめん」と短く口にし、少女を取り押さえる。そして、激痛から解放すべく少女のヘルメットに手を掛け、取り外そうとするが____
「止めておいた方がいいですよ」
牢屋に響く冷たい声。それはマリアのものでも秀蓮のものでもましてや私のものでもない。
「そのヘルメットは抑制装置でもあります。それを外されれば、感情や魔導のコントロール能力が不十分なその少女はたちまち自らの力を暴走させ絶命に至ります」
突然の忠告に私は慌てて少女から離れる。次いで我に返ったように声の主の方に向き直り、はっと息を飲んだ。
はためくマントにはギロチンの紋章。それはラ・ギヨティーヌの証であり、声の主が敵であることを私に伝えていた。
そして、目の前のラ・ギヨティーヌの騎士。その顔には見覚えがある。
「仮面にぶかぶかの外套。正体を隠すための変装のつもりですか」
「……」
冷酷に騎士は口元を歪ませる。
「初対面の相手には有効ですが、生憎と我々は顔見知り。私には貴方達が何者なのかお見通しです____ねえ、ミシェルさん」
私の名前を口にする騎士。どうやら正体が見抜かれているようだ。私は諦めたように____
「久しぶりに顔を見たよ、レイズリア」
カネサダを構え直し、私も騎士の名を口にする。