第十一話「八夜:真意と迷い」
四大騎士名家____それはリントブルミア王国の正義と秩序を担う四つの血族。
第一席アンドーヴァー家。
第二席ベクスヒル家。
第三席チャーストン家。
そして、第四席ドンカスター家。以上の四名家により彼らは構成されている。
四大騎士名家は単に騎士会議における占有議席数の多さによってその存在を規定されているのではない。彼ら____いや、私達には他の名門騎士家にはない特権が与えられていた。
その一つが『ルーム:ABCD』____通称“スクエア”への立ち入り許可。
“スクエア”____首都エストフルトに所在する騎士団本部の地下にはルームプレートに『ABCD』と刻まれた一室がある。広大な空間を有し、中央には巨大な正方形の平たいテーブルが据えられ、その四辺にそれぞれ『A』、『B』、『C』、『D』と背に文字が彫られた荘厳な椅子が配置されていた。空間の四隅には仕切りが為されており、四つの個室のようになっている。
“スクエア”は強固な結界により守護、あるいは閉鎖されており、四大騎士名家いずれかの始祖の血を受け継ぐ者にしか内部に入る事が出来ないようになっていた。
「ここに____“スクエア”に足を踏み入れるのは初めてですか?」
声の主に頷く。
私は今、その四大騎士名家の血族にのみ立ち入りが許された“スクエア”内にいた。
「恐らく、ここに足を踏み入れた者達の中で貴方は歴代最年少の四大騎士名家の血族になるのでしょう」
「はい。……私達ドンカスター家はそれ程の非常事態ですから」
思わず暗い返答をしてしまう私。
「若いのに、その上元異邦人でありながら大変だとは思いますが、私で宜しければいつでもお力になりますから。共に励みましょう、八夜殿」
「はい……ありがとうございます、アンリ様」
声を掛けてくれた目の前の女性、アンドーヴァー本家当主アンリ・アンドーヴァーに頭を下げる。
周囲を見回す私。
今、この“スクエア”内には四大騎士名家の本家当主が三人と本家当主代行が一人集結していた。
アンドーヴァー本家当主アンリ・アンドーヴァー。
ベクスヒル本家当主バーバラ・ベクスヒル。
チャーストン本家当主キャシー・チャーストン。
そして、私____ドンカスター本家当主代行八夜・東郷・ドンカスター。
私達は四大騎士名家の代表者達の集いである“スクエア会議”に参加するべく『ルーム:ABCD』を訪れている。
ドンカスター本家当主であるエリザ・ドンカスター____お母様は碌に動き回る事も出来ない身体。そのため、ドンカスター家からは私が代表者として“スクエア会議”に参加していた。
「各々、席へ」
アンリ様が『A』の文字が彫られた席に座る。すると、他家の当主達も各々の椅子に腰を下ろした。私も自身に割り当てられたドンカスター家を表す『D』の文字が彫られた席に座る。
「皆様におかれましては此度の緊急招集に応じて頂き誠に感謝致します。さて、挨拶もそこそこに。さっそく本題へと移りましょう」
アンリ様が重い口調で口を開く。
「先日、“獣”の研究施設が謎の集団の襲撃を受けたとの報告を耳にしました」
アンリ様がベクスヒル本家当主であるバーバラ様を見遣る。
「謎の集団がヨルムンガンディア語を仲間内で口にしていたとの報告から、バーバラ殿は彼らがヨルムンガンディア帝国の者達であるとの結論を出し、かの帝国政府に対し抗議文を発しました」
バーバラ様は「そうです」とアンリ様に頷いた。
「しかし、この様な報告も上がっています。謎の集団が口にしていたヨルムンガンディア語は現地人のそれではなかった。故に彼らの正体はヨルムンガンディア帝国とは無縁の存在である、と」
「ヴィクトルの報告ですね」
忌々しそうにバーバラ様は補足する。
「賢ぶったことを。馬鹿馬鹿しい。あの人間性のひん曲がった男の言葉など信じるに足りませんよ」
「いいえ」
吐き捨てるバーバラ様にアンリ様が首を横に振る。
「結論から申し上げます。“獣”の研究施設を襲撃した謎の集団の正体。それは公安部です」
公安部。アンリ様の言葉に私は目を見開く。他家の当主達もにわかに騒めき始めた。
「……公安部は“黙示録の四騎士”に対し関与しないとの約束では?」
と、私は思わずアンリ様に確認を取ってしまう。
「ええ、その筈ですが」
苦虫を嚙み潰したような顔になるアンリ様。
「反故にされた____いえ、初めから約束を守る気など無かったのでしょう。あの場での取り決めは我々を欺くための嘘だったのです」
しばし、室内が沈黙に包まれた後____
「何故、公安部の仕業であるとの結論に達したのですか?」
眉をひそめたキャシー様がアンリ様に尋ねる。
「報告によると、侵入者の一人にアウレアソル皇国のカタナを武器にしている者が居たそうです」
アウレアソル皇国のカタナ。私は「え」と声を漏らしてしまった。
「しかも、その者は身体を自在に変化させる力を行使していたとか。さて、ここまで言えば、この侵入者が何者であるかお分かりですね?」
「……公安試作隊隊長ミシェル」
憎しみを込めてその名を口にしたのはバーバラ様だった。
「マーサを追いやったあの疫病神がッ!」
怒りのあまりバーバラ様がテーブルを拳で殴る。彼女の娘マーサ・ベクスヒルはミシェル____お姉様によって投獄されるに至った経緯があり、それ故に個人的な恨みがあるのだろう。
「そうです。公安試作隊隊長ミシェル。彼女……いえ、彼が謎の集団を率いていた。即ち、公安部が“獣”の研究施設に襲撃を仕掛け、その内部情報を強奪しようとしたのです。恐らくは“黙示録の四騎士”に関わる証拠を集め、それらを騎士団と我ら四大騎士名家の大罪として世に明らかにするために」
語気を強くして言い切るアンリ様。
「皆、良いですか。公安部との闘いは未だ続いているのです。今日、急な招集を掛けたのはそれを伝えるためです。我々は彼らとの闘いに勝利しなければならない!」
一同の視線が勇ましく言い放つアンリ様に集中する。
「世紀間を跨いで紡がれて来た大計画“黙示録の四騎士”を我々の代で急ぎ結実させる!」
「我々の代で? ……ほ、本気ですか、アンリ殿」
怖気づいたようにキャシー様が口を開く。
「ええ、それも早急に。そのために我々は結束せねばならない。今までは各家が独自に研究を進め、緩く協力関係を築いて来たに過ぎませんでしたが、ここで一丸となって“黙示録の四騎士”完成に挑むのです」
それからアンリ様は熱弁を振るい続け、四大騎士名家間の強固な協力関係を確認させるに至らせた。
“黙示録の四騎士”はアンドーヴァー家が“剣”、ベクスヒル家が“獣”、チャーストン家が“飢饉”、ドンカスター家が“疫病”の力を担い、基本は相互不関与を貫いて来たのだが、この垣根を取り払う事に。今後はより一層四大騎士名家間の情報共有と技術協力が活発になるようだ。
「この“スクエア会議”も今後は定期的に開催することにします。では、皆、我らの勝利のために各々励むように。解散」
アンリ様の解散宣言で脱力する私。
何やらきな臭い事になっているようだ。公安部と四大騎士名家との闘いが未だ続いている。
「……ミシェルお姉様」
私はどうすれば良いのだろうか。
このままでは四大騎士名家ドンカスター本家当主代行として公安部____お姉様と衝突する事になる。そんなのは……嫌だ。お姉様と闘いたくはない。
いや、それ以前に私は“黙示録の四騎士”に対して己の答えを出さなければならない。
私はお母様の願いや先祖の遺志を引き継いで“黙示録の四騎士”の成就に努めるべきなのだろうか。
「浮かない顔をしていますね」
他家の当主達が退室を開始する中、じっと椅子に座り俯いていた私にアンリ様が声を掛ける。
「……」
「何か悩んでいる____いえ、迷っている、と言った感じですね」
アンリ様が内心を見透かすようにこちらを見つめている。私は思わず____
「“黙示録の四騎士”は正しいのでしょうか? 私達のしている事は?」
ずっと胸に抱いて来た疑問を口にしてしまう。私は自身の失言に口元を押さえた。この手の発言は控えるべきだ。アンリ様の前では特に。
「成る程」
アンリ様は頷くと____
「八夜殿、“黙示録の四騎士”はこの世界に何をもたらすと思いますか?」
静かに、そして誠実な口調で問い返すアンリ様。私はしばし返答に窮した後____
「騎士団の力を盤石にし、世の秩序の安定を確固たらしめます」
私の答えにアンリ様はゆっくりと首を縦に振る。
「そうですね。しかし、騎士団の力を盤石にするのに“黙示録の四騎士”は必要なのか? “黙示録の四騎士”に縋らざるを得ないのか? 八夜殿はそう考えているのですよね?」
私は若干の硬直の後、躊躇いがちに首肯した。
「八夜殿の疑問は正しい。“黙示録の四騎士”は不要な計画です。もし仮に、この時代がこれからも続くのであれば」
意味深な言葉を口にするアンリ様。“この時代がこれからも続くのであれば”との事だが、その発言は現秩序の崩壊を予見しているとも受け止められるものだった。
「この後、宜しければ時間を頂けませんか?」
「時間、ですか。……はい、構いませんが」
「私の屋敷へとご招待させて下さい」
招待を拒む理由はない。
頷き、アンリ様と共に“スクエア”を抜け出す私。彼女の言葉に従い馬車に乗ってアンドーヴァー本家の屋敷へと移動する。
「ようこそ、アンドーヴァー家へ」
馬車を降り、アンリ様の歓迎と共に屋敷へと足を踏み入れる。使用人の出迎えを受け、私は屋敷内のとある一室へと通された。
「しばらくお待ちください。娘を連れて来ますので」
「……娘?」
ソファに腰を下ろし、私はアンリ様を待った。
数十分後____
「お待たせしました」
アンリ様が戻ってくる。私の視線は彼女ではなく、その隣の少女に向いた。灰色の長い髪と白磁のように白い肌。背丈は私と同程度。
何処となくお姉様に容姿が似ているような気もした。
「初めまして、ガブリエラ・アンドーヴァーです」
少女は自己紹介と共にお辞儀をする。ガブリエラ・アンドーヴァー。直にお目に掛るのは初めてだ。元は分家の生まれでアンリ様によって本家に引き取られた経緯を持ち、その類まれな才能からラ・ギヨティーヌ最強の騎士と認められた少女。
「八夜・東郷・ドンカスターです」
私もお辞儀を返す。
「ガブリエラ、八夜殿の隣へ」
アンリ様の言葉にガブリエラさんは私の隣に腰を下ろした。
「お隣失礼します、八夜様」
再度丁寧に頭を下げるガブリエラさん。私も釣られて頭を下げる。
アンリ様は真剣な面持ちになり____
「ガブリエラ、いつか貴方に言った事がありましたね。“時が来たら、全てを託しましょう”と。今が“その時”です。“黙示録の四騎士”が持つ真なる意義を明らかにします。八夜殿もどうかご静聴下さいませ」
それからアンリ様は語り始める。
それは未来の話でもあり、歴史の話でもあり、正義の話でもあり、人類の進化の話でもあった。
私の出身はサン=ドラコ大陸ではなくアウレアソル皇国だ。なので、その元来の価値観の相違からアンリ様の話を理解するのは余計に困難なものになった。
私には分からない。アンリ様が正しい事を言っているのか。
正しいと思い込むのは容易だろう。しかし、それは愚か者の選択だ。
結局の所、私は私自身で決断をしなければならない。誰かに答えを求める事など出来ないのだ。
正義の“選択”を行い、その“選択”に対し責任を負わねばならない。
「いずれ新たな時代が訪れます。人類にとって次の時代が幸福なものになるのか、あるいは大いなる災いとなるのか____それは“黙示録の四騎士”の結実に関わっているのです」
最後にそう締めくくるアンリ様。
室内にしばしの沈黙が訪れる。
「____変わりはありません」
ガブリエラさんが重々しく口を開いた。
「私の為すべき事。それはラ・ギヨティーヌとして乙女騎士団を守護する事です。それに間違いはないのですよね?」
「ええ、それが貴方の使命です。例え、“ロスバーン条約”による現秩序が____」
「私は騎士団を護ります」
固い意志で告げるガブリエラさん。
「それが……私が生み出す流血が世界の秩序と平和のためになるのであれば。変わらずに私は闘います。騎士団に仇なす存在を成敗し続けます」
ガブリエラさんは私に向き直り____
「八夜様、共に闘いましょう。必ずや勝利を掴み取るのです」
「……私は」
私の手を取るガブリエラさん。その熱意に圧され、口籠ってしまう。
「……私は……」
「八夜殿には考える時間が必要ですね」
ガブリエラさんから目を逸らした私にアンリ様が優しく話し掛ける。
「疲れた事でしょう。兵舎までの馬車を用意します」
「……はい____あ、少し待って下さい」
私は遠慮がちにアンリ様を呼び止める。
「馬車なのですが……その……お母様の元に……お母様にお会いしたいです」
私の言葉にアンリ様は何かを察したかのように頷き、笑顔を浮かべた。
「分かりました。では、馬車の行き先を軍病院に変更致しましょう」
アンドーヴァー家の屋敷を離れる。去り際、ガブリエラさんが熱の籠った視線をこちらに向け続けていた。私の事を共に闘う同志だと思っているのだろう。
馬車に揺られて行き着いたのは軍病院。私は入院中のお母様の元を訪ねる。病室のベッドに彼女はゆったりと腰掛けていた。
「八夜です、お母様」
「……」
呼びかけに一瞬だけ間があり____
「……ああ、八夜」
呆けた目がこちらに向けられる。
「お身体の方はどうですか、お母様?」
「……」
「お母様、何か不便な事はありますか?」
声を掛けるが反応が乏しい。どうやら今日は調子が悪い日のようだ。お姉様との一件以来、身体の機能を大きく損ねたお母様は、日によってまともに会話が出来ない場合がある。意識がしっかりとしている日もあるのだが、今日はその日ではなかったようだ。
具合が良ければ初めての“スクエア会議”の事、アンリ様の語る“黙示録の四騎士”の真意について会話がしたかったのだが、どうやらそれは叶わぬようだ。
私はそっとお母様の傍に佇みその手を握る。そうするだけで、私は温かい幸せを感じられた。お母様にもこの安らぎを、と静かに願う。
突然____
「……お願いです、八夜」
お母様の声に私ははっとなる。
「どうしたのですか、お母様」
「……」
私はそっとお母様の顔を覗き込む。そして、急かす事なく次の言葉をじっと待った。
「……ドンカスター家は……“黙示録の四騎士”は……私の生きた証です……」
か細く、しかし確かに言葉を紡ぐお母様。
「……何一つ期待されず……影のように生きて来た……そんな私が唯一守り抜くと……次代に託すと誓ったもの」
握った手を介してお母様の熱が私に伝わる。
「お願いです、八夜……ドンカスター家と……“黙示録の四騎士”を……守り____」
話の途中、急に閉口するお母様。心配してその肩に触れると次第に寝息を立て始めた。どうやら眠りについたようだ。
私は優しくお母様をベッドに横たえ、毛布を被せる。
「ドンカスター家を……“黙示録の四騎士”を……」
お母様の寝顔を見つめながら知らず私は呟いていた。
お母様の苦労は痛い程良く分かる。
身体が弱く、一族の中では常に日陰の者だったエリザ・ドンカスターは他の血族が息絶えた事により突如本家当主の座に据えられる事になってしまった。本人は決してそれを望んでなどいなかったのに。
弱い人間でありながら、彼女は彼女なりに当主の務めを果たし、生きた証を残そうとした。
ドンカスター家を守り抜く事。そして、“黙示録の四騎士”の成就に貢献する事。
苦しみの中、孤独の中、エリザ・ドンカスターは必死にドンカスター本家当主たらんとした。
そんな彼女が生涯を掛けて為したことを、よりにもよってその最愛の娘が否定する____そんなのは悲し過ぎる。
最愛の母親の願いを私は……。
「私には____そんな事は出来ない」
息を吸い、私はしばし黙想する。
再び目を見開いた時、窓に薄っすらと映る自分と目が合った。恐ろしい瞳が私を見つめている。敵を前に慈悲を捨てた殺人者のそれだった。
「私にはそんな事は出来ない。お母様の生きた証を否定するなど」
“黙示録の四騎士”の正しさなど私には理解出来ない。だから、私は答えをそこに求めた。
私が闘う理由。それは言ってしまえば単なるエゴだ。人は私を不誠実と罵るのかも知れない。世界と母親への愛を天秤に掛け、後者に重きを置くなど。
分かっている。だが____
「お母様の願いは……生きた証は……私が守り抜きます」
覚悟を決め、私は己に宣言する。
「“黙示録の四騎士”を必ずや結実させます」