第十話「秀蓮:タティアナ皇女」
「先輩達、今頃はヴァイゼン大学ですかね」
揺れる馬車。その静かな個室の中で私は前方に座る唯一の同乗者に話し掛ける。
「そうですね。上手い具合に事が運べば良いのですが」
車窓の外を心配そうに眺める同乗者____エリザベス王女はどうにも落ち着かない様子だ。
「まあ、ミシェル先輩なら大丈夫ですよ。誰よりも強い人ですし」
「ええ……ミシェル様は強いお方です」
首都エストフルトの街はどんどん遠ざかって行く。私は……いや、私達は彼方の空に銀髪の騎士の姿を思い描いた。ミシェル先輩は今頃、“飢饉”の計画の調査のためヴァイゼン大学に潜り込んでいる筈だ。
「それよりも、殿下は殿下のお務めにご集中なさって下さい」
「……ええ」
一方の私とエリザベス王女。馬車に揺られて向かう先はペチョルイ要塞。そこでとある人物に会う予定だった。
「ところで殿下、良かったのですか? 護衛が私一人だけで」
「はい。彼女に____タティアナ様に会うのに人の数は少ないに越した事はありません」
ヨルムンガンディア帝国第一皇女タティアナ・ヨルムンガンド。私とエリザベス王女がこれから顔を合わせる人物の名前だった。
「それに秀蓮様が____エリザベス王女護衛団団長殿が居てくれれば百人力です」
「はは」
苦笑いを浮かべる。エリザベス王女護衛団団長。それは私に与えられた新たな肩書だった。立派な響きを伴うが、あくまでも張りぼての称号に過ぎない。
目的地のペチョルイ要塞が見えてくる。ヨルムンガンディア帝国との国境沿いに建てられた堅牢な建造物だ。その近くに黒く豪華な馬車が一台停泊していた。よく見るとヨルムンガンディア帝国の国章が側面に刻まれている。タティアナ皇女が搭乗していたものだろう。
「おや、タティアナ皇女に先を越されましたね」
恐らく、要塞の一室で帝国からの客人は私達の到着を待っている筈だ。
「半年振りですね、タティアナ様と会うのは」
目を細めるエリザベス王女。
“ロスバーン条約”が締結され“英雄の時代”が終結して以降、リントブルミア王室とヨルムンガンディア帝室の親交はそれなりに盛んだったと言う。
しかし、近年ではそれが縮小傾向にあった。かの帝国では皇帝家に対する国民の不信感が日に日に増して行き、皇族の活動が制限されつつあると聞いている。外遊も公のものは事実上禁止に追い込まれ、本来であればタティアナ皇女も国境を跨いでこちらの領土に足を踏み入れる事など出来ないのだが、旅費を私腹で賄い、護衛も私立傭兵を雇う事で____即ち、半分お忍びと言う形でそれを実現しているらしい。
「殿下はタティアナ皇女とは仲が宜しいんですよね」
エリザベス王女とタティアナ皇女の交流が盛んなのは有名な話だ。今回の会談も何か特別な用事があって催されたものではなく両者の定期的な顔合わせの一つに過ぎなかった。
「仲良しとはまた違いますね。上手く言い表せないのですが……そうですね、強いて言うのであれば同志。私達は似た境遇の二人ではあります」
「共通点が多いですもんね」
齢十八のタティアナ皇女はエリザベス王女同様国で一番の大学を飛び級で卒業して政治家として活動し、更には軍籍に身を置いている。そして何よりも、彼女は竜神型人工魔導核____通称竜核の所有者であった。
「参りましょうか」
馬車を降り、要塞に足を踏み入れる。建物内は無人に近い。一応数人の見張りが中に居る筈なのだが、その姿も見当たらなかった。
「来たか、エリザベス」
「お待たせ致しました、タティアナ様」
要塞内の一室に入ると、椅子に腰を掛けた白髪の麗人がそこに居た。タティアナ皇女だ。隣には護衛と思わしき傭兵が二人控えている。
「座ると良い。お前達は私が呼ぶまで外に出ていろ」
エリザベス王女に着席を促し、自身の護衛には退室を言い渡すタティアナ皇女。流暢なリントブルミア語だ。
「失礼致します」
「ふん……相変わらず、行儀の良いお姫様だ」
丁重なお辞儀をした後、エリザベス王女が椅子に座る。その様子をタティアナ皇女は目を細めて眺めていた。
「そっちの護衛も退室させてくれないか?」
ふと、タティアナ皇女の視線が私に向く。氷の様に冷たいその眼光に思わず「おおう」と変な声を漏らしてしまった。
「彼女を退室させるのは構いませんが、盗み聞ぎされると思うので、意味がないかと」
「……何?」
断言をするエリザベス王女。ある種の信頼と受け取っておこう。
タティアナ皇女が私とエリザベス王女を交互に見遣る。
「”東世界人”だな、貴様。名前は?」
「エリザベス王女護衛団団長蔡秀蓮と申します」
「……護衛団団長?」
私の名前よりもその肩書に反応を示すタティアナ皇女。
「いつの間にお抱えの護衛団など作ったんだ、エリザベス」
「ついこの前です。ただ、護衛団と言っても、団員は彼女一人だけなんですけどね」
エリザベス王女の返答に顔をしかめるタティアナ皇女。「意味が分からん」と困惑して腕を組んだ。
「彼女は“便利屋”です。団長の役職は……まあ……表向きのものですね」
「ああ、成る程」
タティアナ皇女は納得したように呟き、私を興味深げに観察する。
「ふむ……中々にどうして、佇まいが違うな……。貴様、”西世界”に取り残された青龍人か?」
「はい」
「特段、王女と王国に忠誠がある訳でもあるまい。気が向いたら仕える主を変えてみるのも良いだろう。私はいつでも歓迎するぞ」
それはタティアナ皇女からの勧誘の言葉だった。良く分からないが、私は彼女に気に入られたのだろうか。
「近頃は色々と順調なようだな、エリザベス。公安部も設立から無事活動を続けているらしいしな」
エリザベス王女に向き直るタティアナ皇女。
「タティアナ様こそ、つい一月前程に幕僚長になられたようで。順調にご出世なされていますね」
「ふん……まあ、相変わらず皇族と言う事で肩身は狭いのだがな。竜核の権限を惜しみなく行使できるお前が羨ましい限りだ」
「私とて竜核の権限の行使については神経を擦り減らしているのですが」
タティアナ皇女はそれから少しだけ声を潜めて____
「“黙示録の四騎士”については何処まで調べが付いたんだ?」
“黙示録の四騎士”。タティアナ皇女がその単語を口にした事に私は目を見開いた。
「殿下」
「ああ、心配ご無用です」
身構える私にエリザベス王女が笑顔で牽制する。
「私とタティアナ様は機密情報を共有し合う仲なので」
「……機密情報を?」
エリザベス王女は頷き、タティアナ皇女に向き直ると“黙示録の四騎士”に関する詳細な情報を口にし出した。
エリザベス王女の話が終わると、今度はタティアナ皇女が事務的な口調で自国の政治情勢や軍の機密クラスの情報を語り出す。
周囲に視線を巡らせる私。今、この無骨な要塞の一室では大陸内で最も機密性の高い情報の交換が行われているのだ。神経を研ぎ澄ませ、気配の感知に努める。
「殺気とも言うべき凄まじい気迫だな。そんなに警戒しなくても良い」
一度話を中断し、タティアナ皇女が私に視線を向ける。
「我が国の魔道具で室内に結界を張っている。防音が完璧な上に周囲に人が居れば把握出来る」
「そうでしょうか? 私なら結界があっても盗み聞きぐらい出来ますけど」
「……ほう」
思わず生意気な口を利いてしまった私にタティアナ皇女が目を細める。
「例えばどのように?」
挑戦的に私を見つめるタティアナ皇女。その瞳が好奇の光を湛えている。
私は懐から両の先端に微小な鉤爪が付いた細いワイヤーを取り出した。
「片方の鉤爪を室内の壁に引っ掛けます」
言葉の通りに手を動かす私。壁に引っ掛けられた鉤爪は小さく、人の目で視認する事は出来ない。ワイヤーも同様で肉眼で捉える事は不可能だった。
「室内の肉声が壁で反響し、その際にワイヤーを伝わって微弱な音声がもう一方の鉤爪へと届きます」
私は更に懐から魔導聴診器を取り出し、そのチェストピースを自由になっている方の鉤爪に当てた。
「後はこの魔導具で音声を拾うだけです。私の方で独自の調整をして環境音をカットする仕様になっているので、人の声だけを耳にする事が出来ます」
私はワイヤーと魔導聴診器をタティアナ皇女に手渡す。
「ワイヤーは要塞の外まで伸ばすことが可能です。この室内から十分に距離を取って魔道具を使用出来るので、魔導波を察知されることもありません」
「成る程」
「他にもいくつか盗聴の方法はありますけど____お聞きになりますか?」
タティアナ皇女は私にワイヤーと魔道具を返却し、かぶりを振った。
「いや、十分だ」
蒼く冷たい瞳が私に吸い付いて来る。
「それよりもどうだ。私の元に来る気はないか、蔡秀蓮」
「タティアナ様」
遮るようにエリザベス王女が声を挟む。
「せめて私の居ない場所でスカウトは行って下さい」
若干の圧を込めてエリザベス王女が述べる。タティアナ皇女は「そうさせて貰う」と涼しい顔だ。
見目麗しい帝国のお姫様に気に入られ私は大満足だった。
その後、両者の情報交換は再開され____
「では、そろそろお開きと行こうか」
会談の終了がタティアナ皇女の口から告げられる。
「タティアナ様、新しいコードブックです」
「ああ、ご苦労」
エリザベス王女から小冊子を受け取るタティアナ皇女。
「コードブックですか」
「ええ、我々は文章を暗号化させ、頻繁に手紙の遣り取りを行っているのです。暗号は半年に一度、更新する事にしています」
タティアナ皇女は私の方を一瞥すると、立ち上がり____
「では、私は帰る事にする」
「はい、お気を付けて」
淡白に言い残し、退室するタティアナ皇女。私は彼女が去ったのを確認するとエリザベス王女に向き直る。
「何と言いますか、ドライな関係ですね殿下とタティアナ皇女は。深い仲であるのは確かなのですが」
二人の様子をずっと見ていたが、世間が想像しているような仲睦まじい感じではなかった。会話も淡々としている。
エリザベス王女はじっとタティアナ皇女が去った方角を見つめ____
「タティアナ様は国外の協力者です。彼女にとっての私もそうであるように」
それは言外にタティアナ皇女が協力者以上の何者でもないと言っているようでもあった。
「騎士の支配する大陸の秩序に対する反逆者と言う点で私と彼女は同じ志を有しています。我々は世界の変革を望む同志。しかし____いや、だからこそ、それ以上の関係は望まないのです」
私は少しだけ言うまいか迷った後____
「ところで、国内の機密を国外の者に明かすのは感心できませんけどね」
「承知しています。それに関しては散々迷った末の事なのですが____」
エリザベス王女は何かを予感するように屋外の空を見つめる。
「もしも、その時が来た場合____大きな戦いが避けられない時のための対価として甘んじなければいけません」




