第六話「獣の腹の中」
薄闇の空間を前へと前へと進んでいく。“獣”の研究施設へと続く秘密の地下通路。ここは敵地の喉元に当たる場所だ。その所為か不気味な寒気を感じる。
周囲を観察する私。
一定の間隔を空けて配置されたランタンの列が両壁を走っている。その淡い光の助けを借りて慎重に歩み続ける潜入班。一同は正体を隠すための仮面を装着していた。
サラがぼそりと____
「向こうはこちらの侵入に気が付いているかしら?」
「……恐らく」
私は前方への警戒を怠らず答える。
「さっき倒した“パック・モンスター”を操っていた人間が異変に気が付いている筈」
“パック・モンスター”とそれを操る“パック・アルファ”を宿す人間がどのように繋がっているのかは不明だが、コントロール下の魔物が絶命したとなると向こうがその非常事態に気が付き、警戒体制を敷くのは必至だ。
「いつでも剣を抜けるようにしておいて」
私の忠告に背後の隊員達の頷く気配がした。
臨戦態勢のまま通路を進んでいく私達だが____ふと、微かな魔導の力を感知し、立ち止まる。
「……今、魔導の力が働いたよね?」
周囲を見回し、確認するように呟くアイリス。
次の瞬間____
「……罠だ!」
乾いた空気の噴出音と共に白い煙が濛々と通路内に立ち込め始める。それは侵入者を撃退するための罠に他ならなかった。
「煙を吸わないで! 皆、走るよ!」
白煙の正体は不明だが、吸引すれば恐らくは無事では済まされない。
私達は人工魔導核から魔導の力を引き出し、前方への疾駆を開始した。
暗闇の中を高速で移動する事に若干の恐怖を覚えつつも、後方から迫る白煙をやり過ごそうとひた走る。
やがて、四角い光が見えた。扉だ。恐らくは研究施設内部へと続く扉から零れ出る光。
到着した。一瞬の達成感と安堵に浸る私に____
『気を抜くな、ミカ!』
「……ッ」
地下通路を脱し、人工の光が溢れる室内へと足を踏み入れた刹那、カネサダの叱責と共に横合いから鋭い刃が私の身に迫った。
「あぶなっ」
危機一髪。刃は私の仮面を掠り、虚空へと逃げていく。
跳躍一つ____
態勢を整える私は襲撃者の正体を確認する。眼前で翻るマント。そこにはギロチンを象った紋章が編み込まれていた。
「ラ・ギヨティーヌ」
私は忌むべきその名を口にする。
気が付けば私達は数人の騎士達に囲まれていた。彼女達の正体は魔導乙女騎士団の暗殺部隊ラ・ギヨティーヌ。リントブルミア王国最強の殺し屋集団である。
「成る程、出入り口で待ち伏せを受けていた、という事か」
「何者だ、侵入者」
私に斬撃を放った騎士が冷淡に尋ねて来る。
「まさか、猫のように迷い込んだ____と言う訳でもあるまい」
仮面の集団と化している私達潜入班に胡乱気な瞳を向ける騎士。その剣撃が再び迫る。鋭い一閃をひらりと躱しつつ、私は反撃とばかりに足払いを放った。
「くっ……貴様ッ!」
足払いを喰らい床に転倒した騎士の頭部を踏みつけ、私はその首筋にカネサダの切っ先を突き付けた。
「動くな!」
私の一声でその場に緊張が走った。ぴたりと静止する一同。足元の騎士が鋭く憎々し気な瞳をこちらに向けている。
さて……ここからどう出るべきだろうか。
覚悟はしていたが、こうもあっさり相手方に捕捉されるとは。何者だと先程騎士に尋ねられはしたが、こちらの正体もすぐに見破られてしまうだろう。複十字型人工魔導核を装備した集団など魔導騎士以外存在しないのだから。これでエリーの作戦も完全に破綻する。
仮面に手を掛ける私。視界が悪くなるしもう変装の必要はない。
「……」
……いや、まだ誤魔化しの余地はあるかも知れない。
私は何気ない風を装って____
「“作戦変更だ。敵を殲滅しつつ、研究資料を奪取する”」
背後の仲間達に呼びかける。私の言葉に潜入班の皆が困惑の素振りを見せた。
彼女達の戸惑いの理由は私の発言内容そのものにはない。私が使用した言葉に対し、一同は首を傾げていたのだ。
私が使った言葉____いや、正確には言語と言うべきか____は北の帝国ヨルムンガンディアのものだった。
「“分かりました、隊長”」
しばらく硬直していた潜入班の一同だが、アリアが何かを察した様子で返答をする。私が先程使った言語であるヨルムンガンディア語で。
異国の言語。ヨルムンガンディア語での会話。ただの戯れではなくこれには明確な狙いがある。
「ヨルムンガンディア語」
ラ・ギヨティーヌの内の一人がぼそりと呟く。
「貴様達……ヨルムンガンディアの人間か」
掛かった____と私は仮面の奥で笑みを浮かべた。どうやら私達がヨルムンガンディア人であるとの誤情報を植え付ける事に成功したようだ。
「“行動開始!”」
ヨルムンガンディア語で叫び、私は足元の騎士を蹴飛ばして気絶させる。そして、近くにいた騎士目掛けて疾駆し、その腹部に殴打を放った。
私に続き、潜入班の一同も襲撃に出る。敵は最強と名高いラ・ギヨティーヌ。しかし、こちらも精鋭中の精鋭。相手方の動揺に乗じ、優勢を取る。
「____一時撤退!」
こちらの猛攻に総崩れとなるラ・ギヨティーヌ。分が悪いと判断したのか、態勢を立て直すための撤退行動に移行する。
「“追撃せよ!”」
しかし、こちらも易々と逃しはしない。私の命令と共に背を向けた騎士達に氷の矢が襲い掛かる。仲間達からの魔法攻撃の援護だ。
「貰った!」
氷の矢を喰らいその場に踏み止まるラ・ギヨティーヌの集団に私が割り込む。カネサダを振り回し、峰打ちを無防備な騎士達に放った。
一人、二人、三人____次々と敵を昏倒させていく私。混乱の最中にあるラ・ギヨティーヌだが、彼女達も最強と名高い精鋭であり、私の実力をしてもその半数近くを取り逃してしまった。
『これ以上は深追いするな、ミカ』
「……だね」
無理な追撃は行わない。カネサダを鞘に納め、私は仲間達の元へと駆け寄る。
「上手く行きましたね」
アリアが周囲を見回してから口を開く。
「咄嗟の機転でしたね、隊長」
「アリアさんこそ察しが良くて助かりました」
互いを褒め称え合う私とアリア。
「彼女達、どうやら我々をヨルムンガンディアの者だと思ってくれたようですね」
「ええ、研究データを奪いに来た特殊部隊だとでも勘違いしている筈です」
私とアリアの会話に____
「ああ、成る程! だから急にヨルムンガンディア語なんて使いだしたんだね! 頭良い!」
ようやく私の意図を理解した様子のアイリス。
「ヨルムンガンディア語が話せるんだ。さすがね、ミシェル君」
「まあ、ほんの少しだけど」
別の角度からのサラの称賛を受ける。
ともあれ、研究施設内に潜り込んだ公安試作隊一同。早い所マーサ隊の騎士達の救助と出来る事なら“獣”の研究資料の奪取を行いたいところだ。
改めて周囲を観察する。
人工の光に満ちた室内は寒気がするほど無機質で、一切の装飾が取り払われた真っ白な空間だった。余りに代わり映えのしないその様に方向感覚を失いそうになるくらいだ。
「マーサ隊の騎士達はどこに囚われているんだろう?」
私の疑問にサラが____
「そもそも、生き残りがいるのかも分からないんだけどね」
「……まあ……そうだけど」
スーの話によれば、研究所から逃げのびる事が出来た者は彼女だけで、他の仲間達のその後に関しては不明なままだった。捕らえられて施設に再収容されるに至ったのか、それとも逃亡中に始末されたのか。
マーサ隊の騎士達がこの研究施設内に囚われていると言う保証はない。
「兎に角、今は進もう」
周囲を警戒しつつ再度の歩みを進める潜入班。一度退いたラ・ギヨティーヌがいつ奇襲を仕掛けて来るとも分からない。
不気味な程の静けさが、皆の緊張感を煽る。
「余所の兵舎から来たんで良く分からないんだけど」
ドロテアが静寂の中でふと口を開く。
「隊長ってずっとイジメを受けてたんだよね?」
「……ん? ……ええ、まあ」
敵地内でのあけすけなドロテアの発言に私は困惑の唸り声を発する。
「マーサ隊の奴らにも酷い目に遭わされていたらしいって」
「……そうですけど」
「正直な話、助ける気にはなんないよね、彼女達」
言葉に窮する私。素直に頷く気にもなれず、沈黙を貫いていた。
「隊長の決断だから異議は唱えないし、絶対に仕事の手を抜く気はないけど、例え救助が上手く行かなくても後悔はしないと思うな」
「……」
「私、姉がいたんだけどね」
無駄口を注意すべきか迷ったが、ドロテアに話を続けさせる。
「学生の時、首吊って自殺しちゃったんだ。学校内のイジメが原因だったらしいよ。名門貴族の連中が主犯格でね。その中には元アメリア隊の騎士達も居たんだ」
「……アメリア隊」
「オーク共の慰み者にされて、今は精神病院で寝込んでる奴ら」
仮面の奥でドロテアが嘲笑を浮かべた気配がした。
「ざまあみろって思ったね。他人を自殺に追いやった報いだよ。隊長もそう思わない?」
ドロテアの問いに私は控えめに頷いた。自分の心に嘘を吐く気はない。アメリア達に関しては天罰が下ったのだと私は秘かに思っている。
「マーサ隊の奴らもそうだよ。散々他人を貶めて、陥れて____ここで惨めに死んでいくのがお似合いさ」
吐き捨てるドロテアを私は一瞥する。
「……そうですね」
ドロテアが先程語った彼女自身の事情については既に把握済みだった。私はその怒りと復讐心を信頼してこそ彼女に重要な任務を与え続けているのだ。
「正直思いますよ。今から私達が助けに行く者達にそれだけの価値は無いだろうって」
私は冷たく告げる。
「ですけど、それ以上に彼女達には見殺しにする価値もないと思っています」
「見殺しにする価値?」
私は自身の胸に手を添える。
「エリーが____尊敬すべき大切な友人が与えてくれた公安試作隊隊長の在り方を汚してまでマーサ隊の騎士達を見殺しにしようとは思いません。彼女達への怒りに執着して大切なものを失いたくはない。そんなものにそこまでの価値は無いと思います」
偽善などではない。ともすれば醜く歪んだ飾りのない気持ちを話す。
「私を虐げていた者達にはそれに見合う苦痛と絶望を味わって頂きます。その上で、私は大手を振って栄光と陽だまりの中で生きる。幸福で穢れのない人生を送りながら、かつての加虐者達の苦痛を見届ける事こそが私の目指す復讐です」
結局の所、私は残酷な人間だ。どう足搔いても真にアイリスのようにはなれない。だからこそ、せめて偽りのない自身の心と向き合い、それを受け入れていこうと思っている。己の本当に望むもの。善き自分も悪しき自分も。
ドロテアは沈黙の後、「成る程ね」と頷いた。
「隊長のそういう所、好きだよ」
率直な物言い。ドロテアが仮面の奥で笑みを浮かべているのが分かる。
「そう言う隊長だからこそ、付いて行こうって思えるんだ」
長話の間に私達は一つの巨大な扉の前に辿り着いた。
「この先、何かありそうよね」
扉の表面に触れ、サラが呟く。彼女の言う通り、扉の先からは何か禍々しい気配が感じ取れた。
いや____“気配”ではなく、“反応”と言うべきだろう。
「……魔導波」
それは魔導核特有のものだった。私達に魔物の存在を報せている。
「皆、戦闘準備」
私の号令に一同が頷き、各々剣を取る。緊張が走る中、私は前に進み出て扉を勢いよく押した。
「……これは!」
開かれた眼前の光景に息を飲む私。後続の仲間達も言葉を失っていた。
広大な空間。それを埋め尽くすのは規則正しく行列を為す水槽の数々。それらは全て謎の液体で満たされており____槽内には深い眠りについている狼が浮遊していた。アサルトウルフ____魔物だ。
「……“パック・モンスター”」
水槽の一つに慎重に近付き、中の魔物をじっくりと観察する。恐らくは“獣”の研究により生み出された実験体であろう。ここに至って、彼らの魔導核が放つ独特な魔導波を判別できるようになって来た。
「眠ってるみたいだけど、目を覚まさないのかな」
「……よく分かんないけど、起きないように処置がなされてるんじゃない?」
恐る恐る水槽に歩み寄るアイリス。私ははっと思い出して____
「そうだ。記録石を起動しなきゃ。ここの映像は重要な情報と証拠になるから」
「もう起動していますよ」
アリアが手元の記録石を私に掲げる。これは抜かりない。
「ミシェル君、奥の方にまだ扉があるみたいだけど」
圧巻の光景に気を取られたていた私にサラが指摘する。彼女の言葉通り、立ち並ぶ水槽の奥にはこじんまりとした扉が存在していた。
「何だろう」
奥の扉まで歩み寄り、私は慎重にその取っ手に手を掛けた。
仲間達に見守られる中、扉を開く。すると____
「____牢屋」
まず目についたのは無数の鉄格子。それらに仕切られた空間が暗闇に立ち並んでいた。独房の列だ。私はこの空間が牢屋である事を瞬時に察する。
牢屋。人を収監しておく場所。つまりは____
「……マーサ隊」
暗闇の独房に一人の少女の姿を発見する。見覚えがある人物だ。間違いない。マーサ隊の騎士だった者。
「だ、誰だ……!」
突如現れた仮面の集団に囚われの少女は声を上擦らせる。彼女の目には今の私達の姿がどう映っているのだろうか。元からそうなのか、その顔は真っ青だった。
「生き残りは貴方だけか?」
少女の動揺を無視し、私は尋ねる。
「貴方以外にマーサ隊の生存者はいる?」
沈黙の少女に私は再度問い掛ける。しばし、間があり____
「……アンタら……一体何者だ? その声……どこかで……」
どうやらこちらの正体が気になって問いに答えてくれなさそうだ。私は仮面を少しだけずらして顔を明かす事にする。
「私だよ」
「……! ア、アンタ……!」
鉄格子を挟んで少女が目を丸くするのが分かる。
「……“罠係”……どうしてここに……」
「話は後だ。今はこちらの質問に答えて貰う」
時間が惜しいので、話を進める。それにしても久しぶりに“罠係”と呼ばれた。
「貴方以外の生存者は?」
三度目の問い掛けに少女の視線が牢屋の更に奥へと注がれる。
「……ルイスとセイラがこの奥に……他の皆は____」
暗い口調で話す少女。苦し気に言葉を切る。彼女とルイスとセイラ。生き残りは三人のようだ。他のマーサ隊の騎士達は帰らぬ人となったのだろう。
「誰かと思えば、ミーアじゃん」
と、私の背後から声を上げたのはドロテアだった。
「そう言えば、君もマーサ隊の所属だったね。成る程、生きてたんだ」
「……アンタ……ドロテアね。どうしてアンタまで」
私はちらりとドロテアを見遣り尋ねる。
「知り合いでしたか?」
「うん、まあ同級生だった」
ドロテアは鉄格子に手を掛け、じっとミーアを観察していた。
「ミーア・ラップランド。犬猿の仲だった。こいつの実家が圧力を掛けた所為で私はエストフルト第一兵舎に配属されなかったんだ」
平静を保っているようで、その声音には憎しみが込められていた。
「良い様だね、ミーア。君にお似合いの場所だよ」
「……ッ」
せせら笑うドロテアにミーアが悔し気に顔をしかめる。ドロテアは肩をすくめた。
「助けてやっても良いよ」
「助け……る……?」
「ああ、そうさ」
ドロテアが弄ぶように告げる。
「ここで無様に息絶えたくはないでしょ?」
私を差し置いてミーアと会話を続けるドロテア。一同はその様子を静かに見守っていた。
「……助けてくれるの……私を……?」
「ああ、それが私達の仕事だからね」
ドロテアが私を一瞥した。
「それに、君にはまだ生きていて貰いたいと思ってる」
ドロテアが剣を抜き、独房の錠を叩き斬る。暗闇に乾いた金属音が響いた。
「騎士としてのミーア・ラップランドはもう死んだ。君に残されたのは、底辺から上を仰ぎ見るだけの人生さ」
独房の中に入り、ドロテアがミーアを掴み上げる。
「君には見ていて貰いたい。一度は蹴落とされた私が、君を余所に上に駆けあがる所を」
ドロテアの背中を眺める私。何処となくだが、彼女は私に似ている。