第十一話「回り道」
『なあ、ミカ……考え直してくれよ』
「……」
『良いのかよ、このまま俺を手放して』
「……」
『一夜を共にした仲だろうが!』
揺れる馬車の暗い幌の中、私は木箱の中から響くカネサダの声を聞いていた。相変わらずやかましい刀だ。荷台に腰を下ろし、外の光を私はぼんやりと眺める。
ここには私以外の人間はいない。なので、カネサダの声に応じても問題は無かったのだが、もう彼と関わらないと決めた以上、その言葉を無視し続けることに決めた。
私は彼とお別れをする。カネサダは他国に売却する国有財産の一つなので、このまま勝手に私物化するのは不味かった。
カネサダとの別れは、正直寂しかった。短い間だったが、色々と話も聞いてもらったし、昨日の窮地を脱したのも彼の力故だっただろう。
だけど……いや、だからこそ、別れが惜しくならないように、私は彼の呼びかけを無視し続ける。
馬車が少しだけ跳ねる。私は腰元に目を落とした。そこには騎士団から支給された新品の剣が差してあり、もうカネサダはいないという事をまざまざと実感させられる。
『おら! せめて、最後におっぱい見せろ! 男同士なんだからいいだろ別に!』
まあ、まだカネサダは近くにいて、私に対し品のない言葉を並び立てているのだが。
我がアメリア隊は護衛任務に就いていた。
昨日私が一人で荷造りをした国有財産の数々を西の隣国である神聖アンフィスバエナ帝国に持ち運ぶ売却業者。その身の安全を守るのが今の私達の使命だ。
使い道のない貴重品を積んだ馬車の列は国道を進み、その周囲を馬に跨ったリントブルミア魔導乙女騎士団アメリア隊の面々が並走していた。十台余りの馬車に対し、護衛騎士の数は20人。
その中で、自分の馬を持たない私はと言うと、狭い馬車の荷台の一つにその身を置いていた。
荷台の上は暗くて狭い上に揺れが酷かったが、おかげでカネサダをこっそり荷物の中に紛れ込ませることが出来た。
馬車の列は首都エストフルトを抜け、コナン河に架けられた橋を渡り、リントブルミア王国西部の街エイトナに向かう予定だ。私達の役目はそこで終わる。その後はエイトナ常在の騎士達に馬車を任せ、その騎士達も護衛の任務を西へ西へと他の騎士達に繋いでいく。
護衛任務といっても、私達の進行ルート上にはこれと言った脅威もない筈だった。賊も魔物も首都周辺のこの地域にはほとんど存在していない。
売却業者の馬車に付き添うだけの簡単な任務。私にとっては、荷台に座っているだけの暇で暇で仕方がない任務だった。
退屈で思わず眠りかけそうになる私は、ふと水流の音を聞いた。コナン河に差し掛かったのだろう。そう思い幌から顔を出すと、馬車は速度を緩め、しだいにぴたりと止まった。
どうしたのだろう?
私は荷台から降り、外の様子を窺う。
昼前の太陽を浴び、目を細める中____私が目にしたのは、立ち往生する馬車の列とアメリア隊の面々。いや、アメリア隊だけではない。そこに同じエストフルト第一兵舎に在籍するマーサ隊の騎士達が混ざっていた。
マーサ隊はベクスヒル本家の長女マーサ・ベクスヒルを隊長とする部隊で、その構成員はベクスヒル派の騎士貴族の息女で固められている。私にいつもちょっかいを出してくるベクスヒル本家の次女マリア・ベクスヒルもこの部隊の一員だった。
何故、マーサ隊の騎士たちがここに? その疑問は、コナン河に広がる光景を目にした途端、吹き飛んでしまった。
コナン河に架かる石橋。それが、破壊され、私達に無残な姿を晒していたのだ。
尋常ではない壊れ方だった。
崩壊した橋の石材は河に堰を造り、川幅を狭めていた。
どうしてこのような事が起きたのか。アメリア隊とマーサ隊が話し合っている内容を耳にすると、どうやら明け方に謎の巨大な魔物が現れ、コナン河に架かるこの橋を破壊したようなのだ。
マーサ隊はその被害調査に派遣されているらしい。
「あ、マリア! 何か凄いことになってるわね!」「魔物の仕業なんだって?」
「ああ、ミミさん、ララさん……そうらしいですわね」
視界の端、ゴールドスタイン姉妹とマリアが仲睦まじく話し合っているのが見えた。部隊は違うが、彼女達は仲が良い。よく私をイジメる者同士でもある。
「凄い壊れ方だね」
「ええ、そうですわね」
私は彼女達の会話を盗み聞きすることにした。
「怖いわねー、こんな壊し方をする魔物なんて……」
「……ええ」
「どうしたの、マリア?」
いつもと様子の違うマリアに、ゴールドスタイン姉妹の妹のララが首を傾げる。
「何だか、心ここにあらずって感じだけど」
「そうですかしら」
「なになに、体調が悪いの?」
「いえ、そう言う訳ではありませんの」
心配するように尋ねるゴールドスタイン姉妹にマリアが表情を曇らせる。
「何というか……急な任務で面喰ってしまったといいますか……」
「うんうん、確かに」
「……それと……お姉さま達……」
マリアは何やら躊躇するように唸っていた。
「隊の皆さんの様子が少しおかしいといいますか」
「マーサ隊の皆が?」
「ええ……何と言うか……皆さん、妙にテキパキしているといいますか……任務が言い渡されてから動き始めるまでの間が……」
そこまで言い掛けて、マリアは私の存在に気が付き目を吊り上げた。
「何をじろじろと見ているのかしら、この下郎!」
マリアの鋭い視線を受け、私はびくりと肩を震わせた。
「このケダモノが……何故貴方みたいな人間が騎士などを……!」
ずかずかとこちらにやって来るマリアに私は後退る。
「貴方は騎士ではありませんわ! いえ、人間ですらない! 劣情に駆られ人に襲い掛かる獣! いえ、それ以下の存在!」
私は当然のようにマリアに殴られ、地面にうずくまる。
「ミミさんとララさんのこと、決して許しはしませんわよ!」
昨晩と早朝の出来事に言及しているのだろう。マリアの顔は真っ赤だった。
「はあ……汚らわしい!」
マリアに物凄い剣幕で見下ろされ、私はすくみ上ってしまう。
「私の青春はこんな奴に……!」
「……マ、マリア」
悔し気にマリアは私を睨んだ。
「この変態騎士! 私の事もいやらしい目で見ていたのでしょう! 友達を装い……私に近付いて……!」
「……ち、近付いてきたのは……マリアの方なんじゃ……」
ぼそりと私は呟く。
騎士学校時代、私とマリアは友達同士だった。でもそれは、私の性別がバレるまでの短い間の話で、真実が明らかになって以降、彼女は手のひらを反すように私へのイジメに走るようになっていた。
私は性別を秘匿する必要上、友達を作ることには消極的だったが、マリアはそんな私にぐいぐいと接近し、無理矢理交友関係を結ぼうとして来た。私としても満更でもなかったので、彼女とはそれなりに良い友人関係を保っていた。
しかし、今現在、当時の関係がまるで嘘のように____実際何もかも嘘だったのだが____私はマリアからヒドイ仕打ちを受けるようになっていた。
それは、彼女にとって裏切られたことへの復讐も兼ねているのかもしれない。まだ友人だったころ、マリアは犬のように私に懐いていた。その反動が、悔しさが今のイジメに繋がっているのだと思う。
私はマリアがまた何か手を上げる前に、そそくさとその場か立ち去った。
そして何とはなしに壊れた石橋に近付き、その縁に立つ。
近くで見て、尚の事実感する。見事な破壊跡だった。
これ程の破壊活動が行える魔物とは一体。
恐怖と共に興味が湧いて来た。私はその場にしゃがみ込んで、橋をよく観察する。
……そして、何とも言えない違和感に襲われ目を細めた。
「そこで何をしていますの?」
石橋の破壊跡を観察していると、いくつもの影が私に近付いてくる。
その先頭、私に声を掛けた女性こそ、マーサ隊隊長のマーサ・ベクスヒル。彼女とアメリア隊長は同期の親友同士で、今も仲良く隊長同士で連れ添って歩いていた。
ぞろぞろと私の元に集まる騎士達。アメリア隊、マーサ隊、二つの部隊が入り混じり、私の前で大所帯を形成していた。それらが迫る様は少しだけおっかない。
「調査の邪魔をしないでくださいまし」
マーサは責めるように私に言い放つ。
別に邪魔になっているようには思えないのだが。
私は慌てて立ち上がり、ピンと背筋を伸ばした。
「も、申し訳ありません……つい、気になった事があったもので」
「気になった事だと?」
私の言葉に反応を示したのは、アメリアだった。
「は、はい、どうにも橋の破壊跡に不自然な点が見受けられて」
「ふん」
アメリアは腕を組んで鼻を鳴らした。
私は求められてもいないのに、説明を始める。
「橋は明け方、魔物により破壊されたと聞き及びましたが……果たして、それは正しい情報なのかなと」
集まった騎士達の前で私は再びしゃがみ込む。そして、石材の一点を指差した。
「見て下さい、焦げ跡です。抉れ方といい爆薬を使用した痕跡があります。それがあっちにもこっちにも」
私はコナン河の方に視線を向ける。
「それにあの橋……酷い壊れ様ですが、とてもスマートな崩壊の仕方をしています。まるで爆破解体の後のようです。魔物が暴れてああなったとは考えにくいかと」
“罠係”などをやっている身としては、やはり気になってしまう。
ちらりと私はマーサを見遣る。
「これは人間の仕業ではないでしょうか? それも、用いられた発破技術から推測すると烏合の衆ではなく、訓練された集団の……」
私がそのように意見を述べると、騎士達の間にざわめきが起きたが____
「下らないですわ!」
マーサの一声で場は静まり返った。
「調査の邪魔をしないでいただけますかしら!」
「……す、すみません」
マーサの気迫に押され、私は頭を下げて皆の前から消え去る。
何もそこまで怒ることはないのに。余程、私に意見されたのが癪だったのだろう。
去り際、私は親の仇でも見るようなマーサの視線に晒され、小さな悲鳴を漏らしたのだった。
私は逃げ込むように元の馬車に戻った。
逃げ込んだ幌の中で、カネサダの声が私に問う。
『何があった、ミカ』
「橋が壊されていた。魔物の仕業だって」
カネサダが真剣な口調で尋ねてきたので、私は思わず返事をしてしまった。
『橋を壊す魔物だと?』
「うん、でも何だか違うような気がするんだけど」
私は愚痴っぽく答えた。
あの橋が魔物により破壊されたとは考え辛かった。きっと人間の手により壊されたものに違いない。人間でなければ、オークかゴブリンの仕業と結論付けるのが妥当だったが、この一帯に彼らの集落は無い筈だ。
明け方に謎の巨大な魔物が橋を破壊した。そのような報告の元、マーサ隊は動いているらしいのだが。果たして、その目撃者は本当にいるのだろうか。
謎の魔物とは一体?
「……アサルトウルフ」
もしや、昨日の魔物と関係があるのでは。あの謎のアサルトウルフと。特異能力を持ち、逃走や待ち伏せなどを行えるだけの知能を有する不思議な個体。
あれと似たような魔物の仕業なのかもしれない。橋の爆破解体が行えるような能力を持つ謎の魔物の。
私が暗い荷台の上で悶々としていると馬車は再び動き出した。
驚いて外を覗くと、馬車の列がコナン河を引き返すところだった。
「首都に戻るのかな?」
私は呟くが、そんな訳はなく、馬車の列は少しだけ道を戻ったところで、壊れた橋を迂回するルートを取り始めた。
幌の暗闇から顔を出していると、馬に跨り馬車と並んで走る一人の騎士と目が合った。
「……ひっ」
目が合った騎士、アイリス・シュミットは怯えたように顔を引きつらせ悲鳴を上げる。
昨日の痴漢行為ですっかり私の事を警戒しているのだろう。そんな風に怖がられると、少しだけ心が傷つく。
私はアイリスから目を逸らし、流れる風景を見遣る。
そこでふと奇妙なものが視界に映った。
それは、赤色の狼煙だった。細く伸びる煙は天へと上り、まるで雲の隙間から赤い糸が垂らされているような光景に思えた。
あれは何なのだろう? 青空に差す細い赤は、遠くからでもその存在を鮮明に認識することが出来るに違いない。
空を見上げ、狼煙を観察していると馬車の列は森へと入った。
暗い森だった。木々は空を隠し、日光のほぼ全てを遮断していた。当然、先程まで見つめていた赤い狼煙も見えなくなる。
私は幌の中に戻り、揺れる荷台に身体を預けていた。
ここは首都西側の大森林の中だ。暗くて不気味だが、魔物の類が生息している報告はない。なので、我々騎士達が身構える必要もなかった。
広大なこの森を抜ければ、コナン河を横切るまた別の橋に行き着く。元のルートよりは遠回りになるが、目的地のエイトナには無事に到着することだろう。
私は次第にまどろむようになり、ぼうっと荷台の床部を見つめていた。
あわや意識を失いかけたその時____
「魔物だ!」
誰かの発したその声に、はっと我に返ったかのように立ち上がった。
『おいミカ、魔物だってよ』
「魔物? この森に?」
二度目の説明になるが、この大森林に魔物の生息は報告されていない。
私は慌てて外に顔を出し、様子を窺う。
そして一瞬だけ、私の視界を横切る黒い影があった。
黒い黒い影____
その姿に、私は不吉な予感を覚えてしまう。
私の目に映ったそれは、アサルトウルフ____昨日、国有倉庫街に現れたものと同種の魔物だった。