第二十一話「義理の母娘」
私達は騎士の制服に素早く着替え、エストフルト第一兵舎を抜け出した。私、アイリス、ラピス、サラ、秀蓮の五名。あまり大勢で動くと目立つので、これ以上のメンバーは集めなかった。時間も無駄にしてしまう。
「監視員はいないの?」
全員で鉄柵を飛び越えた所で、私は周囲を見回す。辺りに人の気配はない。鉄柵で建物を封鎖している割には見張りの一人もいないようだ。
「定期検診の際に点呼があるが、それ以外に人の目はない」
「隔離区からの脱走は重罪だからね。皆、それが怖くて監視がなくても鉄柵を越えないの」
鉄柵はあくまでも視覚的脅し。法や秩序こそ最強の鎖なのだろう。
「ミシェルちゃん、息が荒いよ。大丈夫?」
「ありがとう、アイリス。気にしないで」
“大丈夫”とは答えない。どちらかと言えば、大丈夫ではないからだ。身体がふらついてしょうがない。瞬間的に高い身体パフォーマンスを発揮する事は出来るが、常時は歩く事すらも不自由する。
私達は騎士団本部への道を急いだ。
昼下がりの首都は人通りが多い。そして、目的の建物は往来の中心にあった。こっそりと忍び込むことは不可能だろう。
「行こう」
視界には騎士団本部の堅牢な煉瓦壁が映っている。ここまでこそこそと人目の付かない道を選んで進んできたが、ここからは堂々と建物に近付く。そちらの方が怪しまれないからだ。
騎士団本部の出入り口には二人の騎士が厳粛な態度で佇んでいた。しかし、騎士団の制服に身を包んでいる私達五人は特に呼び止められることもなく、開け放たれた大門の通過に成功する。
私は背筋を伸ばし、病衰を感じさせない姿勢を維持。足取りもしっかりと整える。もし、ふらつきでもすれば、注目を集め、最悪正体がバレてしまう可能性だってある。
「お義母様は何処なの」
騎士団本部の整然とした屋内に視線を巡らせ、私は秀蓮に尋ねる。
「さあ、そこまでは」
肩をすくめ、短く答える秀蓮。
「事務作業をしているのであれば、重役用の執務部屋がある。あるいは、騎士団上層部が集う会議室か。この時間ならこちらの方が可能性は高い」
答えるラピスは私達の先頭に立ち、勝手知ったる様子で先導を開始する。廊下で何度も騎士達に遭遇するが、こちらに不審な様子は無いため、呼び止められることは無い。
「外れか」
とある扉の前でラピスは足を止めて呟く。
「見張りがいない。鍵も掛ったままだ。どうやらここにエリザ・ドンカスターはいないようだ」
見た所、扉の先は会議室のようだった。
ラピスはすぐに踵を返し、私達の先導を再開する。一瞬だが、こちらに気遣わし気な視線を向けて来たので、私は無理をして背筋を伸ばした。心配は要らないと言うアピールだ。
「ここも違う。こっちも違う。……ここも……ここも……」
建物内を歩いて回り、執務室らしき部屋を一つ一つ調べていくラピス。しかし、どうにもエリザ・ドンカスターの姿が見当たらない。
「秀蓮、エリザ・ドンカスターが騎士団本部にいると言うのは確かな情報か?」
「その筈ですが。少なくとも今朝の段階では」
秀蓮に疑いの目を向けるラピス。エリザ・ドンカスターの居場所を探し始めてから半時程が既に経過している。
「外出されているのでしょうか。少なくとも首都から離れてはいないと思います」
「……成る程、その可能性はあるかも知れん」
考え込むラピス。辺りを見回し____
「騎士達に聞き込みをするか。エリザ・ドンカスターが何処にいるのか」
「良いんですか?」
「多少の危険は伴うが」
小声で話し合うラピスと秀蓮。どうやら、捜索の方針を変えるらしい。
「……! ……おい、ミシェル、大丈夫か?」
「……え?」
静かに声を荒げるラピスの言葉で気が付く。私はいつの間にか膝を折って地面に座り込んでいた。慌てて立ち上がろうとするも、身体が言う事を聞かない。
「ミシェルちゃん、立てる?」
すぐさまアイリスがしゃがみ込み、私に肩を貸す。サラも反対側に回り、支えとなってくれた。
「ごめん……こんな時に……」
間が悪い。ここまで気を張り過ぎていた反動だろうか。意識が急激に混濁していく。
「仮眠室に行くぞ。一時避難だ」
周囲を見回し、ラピスがすかさず指示をする。私達は統率の取れた動きで移動を開始。以前にも使用したことがある騎士団本部の仮眠室へと辿り着いた。
「失礼する」
ラピスの断りの声と共に扉が開かれる。仮眠室内には幸い誰もいなかった。アイリスとサラが私の身体を近くのベッドへとゆっくり運んでくれる。
清潔なシーツの感触の中、私は声を振り絞り____
「皆……私の事は置いて行って欲しい……」
私の言葉に一同は顔を見合わせる。
「エリザ・ドンカスターを……お願い……」
言葉を重ねる。ここまでに結構な時間を食った。こんな所でゆっくりとしてはいられない。騒ぎが起きる前に、エリザ・ドンカスターを捕えなければ。
「……どうします、ラピス隊長?」
私とラピスの顔を交互に眺め、アイリスが悩まし気に尋ねる。
一拍____
「分かった、置いて行く」
ラピスは即決だった。
「ここに居れば、ミシェルは安全だ。エリザ・ドンカスターの捕獲は我々だけでも可能。行くぞ、皆」
ラピス、アイリス、サラ、秀蓮、それぞれの一瞥を貰う。私は先を急ぐように視線で皆を促した。
目を瞑る。扉が再び開く音がして、皆が部屋から退出するのが足音で分かった。
『良いのか』
暗闇の中でカネサダの声が聞こえる。私は鞘を身体に引き寄せ、こくりと頷いた。
「皆に任せる」
『賢明な判断かも知れねえが……呆気ない幕引きになるぞ。エリザ・ドンカスターはお前にとって____』
「優先すべきものがある」
義母エリザは私にとって一番の因縁の相手。最たる復讐目標だった。だから、この機会に自らの手で決着をつけたかったのだが、今の状態でそれは困難だろう。
私が今優先すべき事。それはエリザ・ドンカスターの捕獲と自身の生存。公安試作隊隊長として、ここで果てる訳にはいかない。この先の未来を掴み取るために、何としても“疫病”の力をこの身から排除しなければならないのだ。例え、味のない終幕が訪れようとも。
私は胸に手を添え、魔導核に意識を集中させる。出来る限り、身体の状態を回復させた。
しばらく、ベッドの中でじっとしていたのだが____
『誰か来るぞ』
カネサダの声とほぼ同時、仮眠室の扉が開き、騒がしい幾つもの声が飛び込んで来た。
足音の数から察するに五人以上の団体。私がベッドで横になっている事には気にも留めず、集団は仮眠室を賑わわせていた。
私は毛布を頭まで被り息を潜める。身を隠す目的もあったが、集団があまりに五月蠅く、その騒ぎ声に頭が痛くなってきたからだ。
「今は一人にして下さい」
「ですが……」
「良いからお行きなさい! 私は横になりたいのです!」
騒ぎ声の中から、辛うじて会話の内容を拾う。途端、仮眠室は静まり返り____
「分かりました。では、何か御座いましたら____」
「早くお行きなさいなッ!」
鋭い金切り声一つ。大勢の足音が仮眠室から遠のいていく。嵐が去った事により、私は頭を少しだけ毛布から覗かせた。
様子を窺う。数台のベッドを間に挟み、女性が一人、室内に私と共に取り残されていた。
女性は項垂れて頭を抱え、何やら呪文を唱えるように独り言を延々と呟いている。その様子は生者というより死者のそれに近かった。
興味をそそられた私は女性をそっと観察する。
朧げな身体の輪郭。色素の薄い長髪によりその素顔が隠れている。肩幅は狭く、手足は驚くほど細かった。肌は血が通っているのか疑わしい程に青白い。幽霊を見ているようで私はぞっとした。
彼女は一体何者なのだろうか。大勢の騎士達を従えていたようだが____
「……どうして死なないの……どうして死なないの……どうして死なないの……?」
「……!?」
耳が慣れ始めたのか、女性の呟きが理解出来るようになる。そのおぞましい単語の繰り返しに私は息を飲んでしまった。
女性は私に気が付いていないのだろうか? それとも他人の目などお構いなし、と言うつもりなのだろうか?
終わる事のない呪詛の羅列に私まで頭がおかしくなりそうだ。
「どうかされましたか?」
要らぬ事だった。しかし、私は思わず女性に声を掛けてしまう。突然の呼び掛けに女性の独り言がぴたりと止んだ。
妙な沈黙が室内を支配した。私は慌てて顔を女性から背ける。
無視されるものかと思ったが____
「何度試しても駄目なのです」
それは私の問い掛けに対する女性の返答だった。
「何度試しても……あの子は死なないんですよ!」
切実な女性の声音に私はびくりと肩を揺らす。
「何度も、何度も、何度も……殺そうとしているのに……あの子は死んでくれない!」
「……殺す、ですか」
「ええ!」
訳も分からず言葉を返す私に反応して、女性は更に熱っぽく声を荒げた。
「ようやく、その時が来たと言うのに! 殺しても良いと言う時が来たと言うのに! それなのに! 私は……私は……いくらやったって、あの子は死なないんです! あの悪魔の子は!」
まさしく、狂人。女性は酷い妄想に憑りつかれているようだ。殺したいだの。殺そうとしても死なないだの。一体、何と闘っているのか。
これ以上は女性に構わず放っておくのが一番だろう。口を噤む私だが____
「……!」
毛布の隙間から女性の顔が____目が、鼻が、唇が、頬が____僅かに認識出来た。
「……」
『おい、ミカ』
私は血液が凍るような錯覚を抱く。咄嗟に片手をカネサダに、もう片方の手を胸の魔導核に添えた。
私は声が震えるのを抑え、女性に尋ねる。
「どうして殺す必要などあるのですか?」
私の言葉は冷たく刺すようなものであった。
「どうして貴方は“その子”を殺そうなどと考えているのですか?」
重ねて尋ねる私に、女性は大きくかぶりを振る。息が荒く、目が血走っていた。
「私が殺さなければ、あの子がいずれ私を殺しに来るからです!」
「何故です?」
病身の私の声は女性の荒ぶるそれを制する程に強かった。
「何故、“その子”が貴方を殺しに来るなどと考えているのですか?」
女性は考え込むような仕草をした後____やはり狂ったような言葉遣いでまくし立てる。
「仕方がなかったのです! アレは仕方のない事だったのです! 私には早急な世継ぎが必要でした! だから、あの時の私は決して間違ってはいなかった! 私があの子にした行いは正しいものでした!」
支離滅裂な女性の吐露は、しかし私にはその意味が分かる。彼女の進退窮まる心境。葛藤。そして怯え。色々と見て、知ってしまった今の私にならば分かるのだ。
「しかし、私がした事で、あの子は私に恨みを抱いています! そして、あの子ならば____悪魔のような驚異の力に恵まれたあの子ならば____必ず意趣返しとして私を破滅に至らせます! 私を殺し、夫を殺し、大切な娘達を殺します! なので、その前に……あの子の魔の手が伸びる前に、私が____」
「それは、ただの貴方の妄想ではありませんか?」
ぴしゃりと女性を黙らせる私。
「どうして分かるのですか? “その子”が貴方に恨みを抱いているなどと。“その子”はただの一言も口にしていなかった筈です。貴方を恨んでいるなどと。それどころか、健気に貴方の言いつけを守っていた。違いますか?」
「私には分かるのです!」
「貴方は何も分かっていない。全部妄想に過ぎないんだ。だって、貴方は何一つ“その子”の事を知らないじゃないか」
私の声はどんどん感情的になっていく。
「貴方に愛はなかったのですか? “その子”に対する愛は? 血の繋がりは薄かったのかも知れませんけれど____貴方の娘だったのでしょう?」
「そんな余裕などありませんでした!」
癇癪を起こしたように女性は私に怒鳴る。
「私は必死だったのです! 家の力を保つために、どのような手も厭わない覚悟でした! あの子に構っている余裕などなかったのです! 仕方のない事だったのです!」
私は上体を起こし、溜息を一つ吐いた。
「____貴方の言葉は妄想に過ぎないが、確かに真実です」
胸の奥が熱い。それは熱病によるものではなく、過度な興奮による魔導核の異常活性だった。
「“その子”____貴方の娘、ミシェルは確かに貴方を恨んでいます。そして、その身を破滅させんとしている」
私の瞳は眼前の女性____エリザ・ドンカスターに鋭く向けられている。
「全部貴方が悪いんだ。貴方がミシェルを女性として育て上げようとしなければ、こんな事にはならなかった。家から追い出そうとしなければ、こんな事にはならなかった。不要だからと始末しようとしなければ、こんな事にはならかった。母親としての愛情を少しでも注いでさえいれば、こんな事にはならなかった」
言葉を連ねていく内に、私の中で熱いものが滾り、瞳を涙で揺らした。
「どうして、私を愛してくれなかったんだ!」
叫ぶ。
「ミラを愛するように! 八夜を愛するように! 私の事を愛してさえいれば!」
毛布が吹き飛ぶ。ベッドから立ち上がった私は、カネサダを猛然と抜き放った。
冷たい白銀の光に義母の目が見開かれる。
「……貴方は」
俄かに我に返ったような呟きを漏らす義母。
「貴方は一体誰なのですか?」
対面する義理の母娘。しかし、母親は娘の顔など見覚えがないと言った様子だ。最後に顔を合わせたのはかなり前の事で、私の風貌はかなり変化しているのだろう。
「分からないんですか」
怒りが湧いて来る。
仮にも元母親なのであれば、面影ぐらい感じてくれていても良いのに。きっと、あの当時も、私の事などしっかりと見てはいなかったのだろう。エリザ・ドンカスターにとってミシェル・ドンカスターは家を存続させるための道具に過ぎなかったのだから。
「貴方に勘当された娘、ミシェルですよ」
涙を飲み込み、私は言い放つ。