第二十話「病院破り」
それから私は特別隔離病棟の病室で三日間を過ごした。
リストバンド型の医療魔道具のお陰で____いや、所為と言った方が良いのかも知れない____食事の必要は無く、目が覚めてからパンの一つも、更に言えば、水の一滴も口にしていない。まるで生ける屍になった気分だった。
熱が引くことはなく、絶えず鈍い苦しみと闘い____私は冴えない意識の中で仮面の担当医を通じて情報を集める。
医師は親切にも外部の様子や私の身に起きている事の診断内容を伝えてくれた。
医師の話によると、やはりドンカスター病を発症している者は私以外には存在せず、また精密検査の結果、少なくとも私の関係者の中に病原菌の陽性反応を出したものは居なかったとの事だ。
私の身体も当然仔細に調べて貰った。血液を抜かれ、病原菌のサンプルを採取される。不思議な事に、採取された病原菌は私の体外では毒性を示さない事が確認されたと言う。まるで、何者かから待機命令を受け、息を潜めているかのように。
私は以上の情報から、病原菌が人の制御下に置かれていると言う自身の仮説に確信を持つ。
「外に出よう」
一つの危惧が振り払われた。私が特別隔離病棟を抜け出し、首都エストフルトの街に繰り出したことで感染症が広がるのではないかと言う不安だ。その手の考えがあったので、私は安全の確信を得られるまで病室で大人しくしていた。
だが、それも終わりだ。外部に抜け出しても問題がない事が分かったので、今から病室を飛び出す。
目的地は義母エリザ・ドンカスターの元だ。いや、その前に一度エストフルト第一兵舎と皆の様子が知りたい。
『今更聞くが、身体は大丈夫か?』
鞘を握ると、カネサダが尋ねる。
『身体は万全じゃないだろ。しっかり動けるか?』
身体を苛む熱病。喉は痛く、呼吸は荒い。病身は衰弱し、手足に上手く力が入らない。カネサダの言う通り、私は万全の状態ではないのだ。
だが____
「問題ないよ」
カネサダを鞘から抜き放つ。そして煌めく白銀の刃を取っ手の無い扉に浴びせた。内部に重い鉄が仕込まれていた堅牢なそれはバラバラに刻み込まれ、鉄屑と相成る。
私は容易く病室の出入り口を破壊した。
『何だ、イケるじゃねえか』
「……」
褒めるカネサダ。しかし、今発揮出来る力は全快時の半分にも満たないだろう。その証拠に今しがた斬った扉の断面は放った斬撃の切れの悪さを示すように、粗く、不細工なものだった。
『何処に行くんだ、ミカ』
「詳しい情報が欲しい。取り敢えずは仲間達の元へ」
『兵舎か』
私は頷き、扉の破片を避け、よろよろと病室を抜け出した。
眩暈がする。これは想像以上に辛い。歩き出すと息が切れそうになる。本当に病室を抜け出しても良かったのか。一瞬だけ迷いが生じるが、これ以外の選択肢がない事にすぐに気が付く。
『かなり辛そうだが、大丈夫か』
「……大丈夫……じゃない、けど。ここは無理をしてでも前に進まないと」
苦しいが、身体自体は動かせる。走る事だって可能だ。まるで心身が別々になったかのような錯覚を抱いたが。
幸運にも私は無事に特別隔離病棟を脱出した。恐らく数分後には職員が脱走に気が付き、大慌てする事だろう。そして、私を捕獲に来る。今のうちに距離を稼いでおかなければ。
病衣に刀。今の私は異様な姿をしている。衆目に留まれば、かなり不審がられる筈だ。なので、人目に付かないように、首都の街の闇に紛れ、私は出来る限り慎重にエストフルト第一兵舎へと向かう。
「……鉄柵?」
エストフルト第一兵舎に近付く。私の視界に建物を囲う雑で無骨な鉄柵が映った。それはまるで刑務所の様な趣を兵舎に与えている。
『封鎖されてやがる』
「……中はどうなってるんだろ?」
鉄柵の前に立つ。看板が等間隔に設置されており、“立入禁止”と書かれていた。私は一呼吸してから魔導核に意識を集中する。そして地を蹴り、魔導の力を帯びて身の丈の数倍はある囲いを飛び越えた。
エストフルト第一兵舎への侵入に成功。激しい運動をした反動か、地面に倒れ込みそうになる。
私は這う這うの体で建物の中に入り込み____人の気配を感じたので咄嗟に物陰に隠れた。
見知った顔の騎士達が何か雑談を交わしながら私の前を過ぎ去って行く。
「人がいる」
小声で呟く私。今、兵舎は一体全体どのような状況なのだろか。騎士達は私服姿で、見た所、この鉄柵に囲まれた建物の中で日常生活を送っているようにも思えた。
『恐らくは軟禁されてんだ。奴ら、感染の疑いがまだ完全には晴れてねえんだろ。だから、お前と同じ兵舎の騎士達を建物ごと周囲と隔離してる』
「……隔離……まあ、それもそうか」
感染症に対する妥当な措置であろう。
私は身体を引きずるようにして兵舎の中を進む。取り敢えずは公安試作隊の仲間の誰かに会いたい。出来ればラピス辺りが良いのだが。
と____
「……!? ミシェルちゃん!?」
「……アイリス?」
熱で頭がぼうっとしていたのか、周囲の人の気配に気が付かなかった。私の元に駆け寄って来たアイリス。私はその手を掴み、咄嗟に人目の付かない物陰へと彼女を引きずり込む。
「わっ……ちょっと……」
「静かに。バレちゃうと大騒ぎになって収拾が付かなくなるから」
真剣な面持ちで自身の唇に人差し指を当てる私。アイリスは己の声を抑えるように口元を両手で塞いだ。
しばらく興奮状態にあった私達だが、辺りを支配する静寂の中、アイリスが小さな口を開く。
「……どうして、ミシェルちゃんがここに?」
私の服装を見て、アイリスが目を細める。病衣の私は明らかに病院から無断で抜け出した患者その姿だった。
私は周囲を警戒しつつ____
「色々と説明がしたい。取り敢えずはゆっくり話せる場所へ……私の部屋へ連れて行ってくれる?」
疑わし気な視線を向けつつも、アイリスはこくこくと大人しく頷いた。私の手を握り、辺りに視線を張り巡らせつつ、誘導を開始する。
「付いて来て」
短く述べるアイリス。途端、急激な安堵に私はほっと溜息を吐いた。自室の場所もそこへ至る道筋も当然ながら把握しているが、碌に思考が出来ない今の私にとってガイドを得られたのは喜ばしい事だ。後は全てアイリスに委ねれば良いのだから。
慎重な足取りで私達は目的地に向かった。
廊下が妙に長く感じられる。道中は幸運にも誰にも出くわさなかった。
「着いたよ、ミシェルちゃん」
扉が開く音。私は倒れ込むように自室に足を踏み入れる。中にはゆったりとした部屋着のサラがいて、突然の訪問者に目を丸くした。
「アイリス? それに……ミシェル君じゃない!?」
「しっ! 静かに、サラちゃん」
すぐさま扉を閉めるアイリス。私の肩を担ぎ、ベッドまでゆっくりと運んでくれた。
「……どうして、ミシェル君が……」
狼狽えた様子のサラを横目に私はベッドのシーツにぐったりとなる。目を瞑る事数十秒、意を決して困惑する二人に向き直った。
「二人とも話を聞いて欲しい」
唇は重いが、それでも私は説明を開始する。特別隔離病棟の白い病室で打ち立てた推測。私の身に起きている異常は全て義母エリザ・ドンカスターの“疫病”の力によるものだと。
「成る程ね」
話を聞き終わり、サラが腕を組んで考え込む。
「あくまで推測に過ぎないけど、妥当な話ね」
サラはちらりとアイリスを見遣る。サラの視線に気が付いたアイリスは頷き____
「確かに、ミシェルちゃんが病気なんて普通じゃない……いや、あり得ない事だもんね」
「そう言えば、ラピス隊長もミシェル君と同じようなことを言っていたわ。もしかして今回の件にエリザ・ドンカスターが関わっているのではないかって」
「と言うか、ドンカスター病の名前が出て来た時点で、私を含めた公安試作隊の皆は何かしら疑念を抱いていたけどね」
ドンカスター病の真実を知っている公安試作隊の隊員にとって、その名前が持ち上がった事は陰謀の存在を示すものだった。アイリスとサラが感染症を患っている筈の私を目の前にしても妙に落ち着き払っているのは、初めからそのからくりを理解しての事だろう。私が近くにいても病気を移されることはないと確信しているのだ。
「他の皆は? ……見た所、全員外部と隔離されているみたいだけど」
「ミシェル君が倒れたあの日、すぐにエストフルト第一兵舎の封鎖と私達騎士の隔離が実行された。五日間、私達はずっと鉄柵の中で生活をしている。何もすることがなくて植物にでもなった気分よ」
うんざりとした口調でサラが答える。
「……ラピス隊長は」
「呼んでこようか?」
「うん、お願い」
私の言葉にアイリスが素早く動く。今後の行動をまずはラピスと話し合いたい。
「ミシェル!」
数分後、部屋の扉が勢い良く開き、現れたのはラピスだった。
「____やはり、来たか!」
「ラピス隊長、静かに。他の皆に気が付かれちゃいますよ」
私の到着を待っていたとばかりにラピスが声を張る。隣のアイリスが慌てて周囲を見回した。
「……“やはり”と言う事は……ラピス隊長も」
「ああ、恐らくはお前と同じ考えだ」
若干興奮した様子で私の隣に腰掛けるラピス。私は情報と認識の共有のため、一応自分の推測を一から説明し直した。
説明が終わり____
「エリザ・ドンカスターの仕業。お前もそう思うか」
「ええ。どうやら、ラピス隊長もそうお考えのようで」
私はふうと息を吐き____
「お義母様がついに私を始末しに来た。……一体全体、どうして今なのか分かりませんが」
「“どうして今なのか”、か」
含みのある言い方をするラピス。何か知っているような口振りに私は彼女の次の言葉を待つ。
「恐らくだが、エリザ・ドンカスターにとってお前が不要の存在になったためだと思われる」
「不要?」
「お前がエリザ・ドンカスターに生かされているのは血族の数を保つため。私……そして、お前もそう考えている。しかし、新たにドンカスターの血を引く者が見つかれば____お前と言う存在を生かす価値は無くなる」
私は目を丸くして____
「まさか……今、このタイミングで見つかったと言うのですか。ドンカスターの血を引く者が」
「ああ。それも偶然の事ではない。血族は見つかるべくして見つかった」
ラピスの言葉の意味が理解できず、私は首を傾げる。
「覚えているか、少し前に王国全土で採血が実施されたことを」
「採血……ああ、確か……」
リントブルミア魔導乙女騎士団主導の下、全国民を対象に採血が行われたのだ。大規模な健康診断のためとの事であった。
「騎士団が何故福利厚生の公共事業などと疑問だったが、あれには裏の目的があったんだ。騎士団____いや、ドンカスター家がその血族を探し出そうとしたのだ」
ラピスは説明を続ける。
「採血魔道具によって鮮度が保たれた状態で全国民の血はドンカスター家に運ばれる。そして、“血杯”により調べるのだ。その血の持ち主が始祖ドレイク・ドンカスターの末裔か否かを」
ラピスの推測に私ははっとなって思い出す。秀蓮の記録石に収められていたワンシーン。編集されていない長い映像データの中で義母は口にしていた。近々“血杯”の使用機会があると。
「まあ、今は理由など重要ではない。エリザ・ドンカスターが“疫病”の力を用い、お前を病殺せんとしている。最早闘いは免れない……いや、闘いは既に始まっているのだ」
焚きつけるようにラピスが言う。
「さあ、どうするミシェル」
問い掛けるラピスに私はカネサダを握りしめた。
病室を抜け出した時点で、既に答えは出ている。
「このままじっとしていても、私は衰弱死を待つだけだ」
私の身体を苛むのは病原菌。目には見えない敵であり、相手にした所で敵うことはない。それはこの数日を通して思い知らされた事実だ。“超変化”の力で体内から排除しても、潜伏して纏わりつく体外の仲間が再び私を苦しめ出す。だから、その”元”を叩かなければならない。
「行くんだな、ミシェル。エリザ・ドンカスターの元へ」
「ええ、そのつもりです。覚悟は出来ています」
尋ねるラピスに私は力強く頷く。予定の変更はない。私は義母の元へ向かう。ラピスは俄かに緊張した面持ちになり____
「母親に会って……お前はどうするつもりだ?」
「……」
「きっと、“どちらとも無事”と言うことにはならないぞ」
念を押すようにラピス。警告を重ねる彼女の心情は痛い程良く分かる。母親と対決する運命にある私と自身の境遇を重ねているのだ。
「元より、私達はそう言う運命です。どちらかが生き残り____どちらも無事などあり得ない。私が破滅するか、義母が破滅するか。二つに一つ」
八夜は私と義母の和解を望んでいたようだが、所詮は夢物語。初めから空想以上の何物でもなかったが、今回の一件で完全にその線は潰えてしまった。
「エリザ・ドンカスターなら騎士団本部にいますよ」
その時だ。室内に私、アイリス、サラ、ラピス以外の少女の声が響く。驚いて声のした方向____ベランダに一斉に目を向ける私達。窓が開いている。そこにいたのは秀蓮だった。
「秀蓮!」
「どうも、こんな場所からお邪魔してます。非常事態なのでどうかご容赦を」
飄々と部屋の中に入り込む秀蓮。
「ミシェル先輩の事は軍病院からずっと追跡していました。毎度の事ながら無茶しますね、先輩は。死にそうな顔してますよ」
「無茶しなくちゃこのまま病死する身だからね」
軽口を叩く。軍病院から私を追跡していたと言っていたが、特別隔離病棟に搬送された日からずっと目を光らせていたのかも知れない。
「お話は聞いていました。お義母様に会いに行かれるのですよね、先輩。彼女なら騎士団本部にいますよ」
「騎士団本部……この首都エストフルトに?」
秀蓮を前に私達は顔を見合わせる。
「行くなら早くした方が良いと思いますよ。先輩が特別隔離病棟を抜け出したことはもう気付かれちゃってますから。特別隔離病棟からの脱走は法に抵触する行為。しばらくしたら、騎士も緊急出動します」
秀蓮の言う通りだ。義母が首都にいるのならば、すぐさま彼女の元に向かわなければ。でなければ、絶好の機会に逃げ果せられてしまう。騎士達も特別隔離病棟を脱走した私を捕えに来るだろう。邪魔が入るのは望ましくない。
私はベッドから立ち上がり、皆に目配せをする。
「皆、力を貸して欲しい」
無理にでも毅然と立つ私。
「これから、エリザ・ドンカスターの元へ赴く」
私の言葉に一同は静かに頷いた。