第十九話「ドンカスター病の再発」
白い天井がそこにあった。いつの間にか私は目を覚ましていたようだ。
……ここは一体何処だ? 身体を包むシーツの感触が優しい。そして、匂い。埃っぽい湿気などなく、清涼感と清潔感に溢れている。
「……私は」
思考がまだ混濁している。呼吸だ。呼吸をして落ち着こう。
『起きたか、ミカ』
カネサダの声が聞こえる。大切な私の相棒。彼の声で____私は幾分か脳の処理能力を回復させた。
見覚えがある。ここは首都エストフルトにある軍病院だ。上体を起こし、周囲を確認。白く清潔な病室。人は一人としていない。私は今、病床の上にいた。
「……ッ」
半身を持ち上げた私だが、即座に激しい頭痛と額の熱に襲われる。呻き声を上げて、再び枕に後頭部を沈めた。
どうして私はこんな所に____と、困惑したが、身体を苦しめる熱病がその答えを教えてくれる。
思い出した。私はイビルラット討伐作戦の途中で謎の熱に冒され、意識を失ったのだった。
『まだ調子が悪いみてえだな』
「……カネサダ」
声でカネサダの居場所を探る。何者かが気を利かせてくれたのか。私の相棒はベッドの縁にバランス良く立て掛けられていた。
「……カネサダ……状況を……今、どうなってる?」
『どうなってるって? 何がだ?』
「私が意識を失ってどれくらい時間が経った? 皆の様子は?」
身体が熱くて苦しい。私はそれでも、力を振り絞って口を開く。
『二日だ』
「……え?」
『お前が意識を失って二日が経過している』
聞き間違いではない。私はカネサダの言葉に愕然とする。二日間。その間、私はずっと意識を失っていたのだ。
「……皆は?」
もう一度尋ねる。二日間も寝込んでしまっていては、さぞかし心配を掛けた事だろう。
『さあな。顔を見てねえから良く分からん』
「お見舞いには来てないの?」
『周りを見て良くみろ、ミカ』
頭を枕に埋めたまま、視線を周囲に泳がす。カネサダの言葉の意味を理解するのにかなりの時間を要した。
窓一つない白い病室。出入り口の扉にはこちら側からの取っ手がない。室内の片隅、そこに唯一と言える外部との繋がりである換気扇があり、カラカラと乾いた音を立てている。
「……ここって……もしかして特別隔離病棟……」
『ああ、その通りだ。お前は隔離されてんだよ。外部とは完全面会拒否だ』
「隔離……え……本当に……?」
唖然とする。自身の置かれた状況に頭痛が酷くなってきた。軍病院には特別隔離病棟と称される外部との隔離が必要とされる病人が収容される区画が存在する。私は今、そのような場所に寝かされているのだ。
「どうして私が隔離なんて」
“隔離”と言う単語に要らぬ不安が募る。私は暗く重苦しい感情を追い払うようにカネサダに手を伸ばした。
『詳しくは聞いてねえが、何かヤバめの病気に罹っているらしいぜ』
「……病気」
身体の熱が一向に収まらない。私は確かに病気に冒されているようだ。そして、それは異常事態……いや、あり得ない事であった。
「私が病気に罹るなんて……そんな筈はない」
覚醒した魔導核を持ち、“固有魔法”である“超変化”の身体回復能力を有する私は、体質として病魔に冒されることがない。以前、バリスタガイで寝込んだのも、病気ではなく毒による身体の異常が原因だった。
私は胸に手を添え、身体の奥底にある魔導核に意識を集中させる。
魔導の力が身体を包み込み、幾分か気分が楽になる____が、集中が途切れると、すぐにまた熱病の苦しみが私を襲って来た。
「……どうなってるの……私……」
明らかに異常だ。バリスタガイで秀蓮に盛られた呪毒の時とは違う。本能の様なもので分かるのだが、今回の熱病は本物の熱病だ。
『ミカ、呼び鈴を鳴らしてみろ。そこの棚の上にある』
ベッド脇の小さな棚。その上に置かれた呼び鈴を私は摘まむ。ただの呼び鈴ではなく、遠隔地の対応する呼び鈴に音を伝播させる魔道具だ。
私が呼び鈴を鳴らして数十秒、取っ手の無い扉からノックの音が響いた。
「お目覚めになられましたか、ミシェルさん」
恐らくは医師の声だ。私は何とはなしに頷き、声を返した。
「はい、只今」
「お部屋に入っても宜しいでしょうか?」
「どうぞ」
がちゃりと扉が開く音がし、現れたのは分厚い防護服を身に纏った鼻部が異様に長い仮面の者だった。特別隔離病棟を受け持つ医師の姿。顔面に装着した不気味な仮面の所為で死神のようにも思える。
「驚きました」
私の姿を目に留めた医師の第一声がそれだった。
「まさか、あの危篤状態から回復に向かわれるなんて」
私はベッドに身体を横たえたまま医師の仮面を見つめた。表情は見えないが、何となく驚きの色を浮かべているのが分かる。
「あの……先生……私は一体何の病に罹っているのですか?」
医師は興味深げに私の事を観察している。少しだけ居心地が悪かった。仮面の奥からくぐもった声で____
「ドンカスター病だと思われます」
「ドン____え……嘘……」
「症状からほぼ間違いなく。睡眠時の過呼吸と胸部の赤みがドンカスター病のそれと一致します」
ドンカスター病。ドンカスター家を滅亡の危機に追い込んだはやり病の名称だ。私は身体を苛む熱の苦しみすら忘れて医師に突っかかる。
「……どうしてドンカスター病が! だってアレは既に終息させられた筈じゃ……!」
悲劇のはやり病。その正体を私は知っている。“黙示録の四騎士”の計画の一つである“疫病”が起こした人災。“女王蜂”から生み出された“ドローン”と呼ばれる人工の病原菌の制御に失敗したことにより、多くの人間が病死したのだ。
「只今、大衆の混乱を抑制するための情報統制下で調査中です」
「……他の皆は?」
私ははっとなって尋ねる。脳裏に仲間達の姿が過り、顔が青ざめた。
「私以外にドンカスター病の発症の疑いがある人は?」
「不思議な事に、症状が出ているのは今のところ貴方だけですね。ただ油断は出来ないので、貴方の関係者、取り分けエストフルト第一兵舎の騎士達には特別な措置を講じています」
医師の返答に私はほっとする。取り敢えずだが、私以外の皆の無事が確認できた。
「____ミシェル・ドンカスター。彼の悲劇から生還を果たしたドンカスター家の生き残り」
医師の呟く様な言葉。病原菌から身を護るための仮面の奥の瞳がじっと私を見つめている。
「貴方の事は良く知っています。ドンカスター病からの回復は奇跡としか言いようがありませんでしたから。そして、此度の症状の再発。貴方はどうやら不思議な因果をお持ちのようだ」
「……因果、か」
胸に手を添え、再び魔導核に意識を集中させる。魔導の力で身体は一瞬楽になるが、それが途切れた途端、すぐにまた熱病が襲い掛かって来た。
「……私は……すぐに良くなりますかね?」
朧げな視線を医師に向ける私。くぐもった声が淡白に答える。
「既に最悪は脱しました。これもまた奇跡と言って宜しいかと」
ベッドで横たわる私に近付く医師は、懐からリストバンドのようなものを取り出す。
「右腕を出して下さい。交換いたします」
「右腕?」
言われて気が付いた事だが、私の右腕には医師の手の中の物と同じリストバンドが装着されていた。
「生命を維持するための最新式の医療魔道具です。少し早いですが、そろそろ一日に三度の交換時なので」
医師は慣れた手つきで私の右腕のリストバンドを交換し、作業が終わるとすぐさま部屋の扉まで引き返していった。
「安静にしていてください。貴方ならすぐに良くなりますよ、“ドンカスターの白銀の薔薇”殿」
すぐに良くなる。それは医学的見解からの言葉だろうか。それとも私を安心させるためだけの言葉だろうか。
医師が消え失せ、私は再び熱病の苦しさを自覚するようになる。
「……何か、おかしいよ」
ポツリと呟く。
「いや、何もかもおかしい。ドンカスター病が再発するなんて。それに____どうして“超変化”の力が効かないんだ」
“超変化”の力ならば、身体の異常を完全回復させることが可能だ。先程からその力を試してはいるのだが、どうにも上手く行っていない。
身体の苦しみは一向に収まらぬまま、私を衰弱させて行く。
不安。焦り。目を瞑ると、それら負の感情に気が狂いそうになる。
……私は一体どうなっているのだ?
「……クソッ……何がどうなって……! クソッ……!」
『落ち着けよ。まずは身体の異常を取り除くことに集中____』
「さっきからそれが上手く行かないんだよ!」
大声を出したので、頭が痛くなった。
「……いッ……たあ……」
『いいから冷静になれよ』
カネサダが敢えて淡白な口調で諭す。
『何が起きているのか。一つずつ整理していくぞ』
私は呻き声を発し、カネサダの言葉に頷いた。
『まず、お前の身体を苛むその病気。それは間違いなくあのはやり病と同一のものか?』
「……多分」
医師がそう断言しているのだからそうとしか言いようがない。医学の事はからきしだが、伝え聞くドンカスター病の症状と今の私のそれは一致しているようにも思える。
『ドンカスター病はただの病じゃない。人の手により作られ、そして人の手により制御され得る。つまり____何者かが故意にお前を病気に感染させてんだよ』
「まさか……そんな……」
突拍子もない話に私は面食らう。
『何者か____いや、この際そんな曖昧な言い方は必要ない。ドンカスター家、恐らくはエリザ・ドンカスターがお前を殺しに来たんだ』
「……」
私の思考が一瞬停止する。
『どうして、お前の“超変化”が効かないのか分かるか? 恐らくだが____』
「効いていない訳じゃない。回復したそばから再度、病原菌に冒されている」
私は一つの推測を立てる。
魔導核の力で私は確かに一瞬だけ身体が楽になる。なので“超変化”は確実に効力を発揮しているのだ。しかし、力が及ぶ範囲はあくまでも体内のみ。体外の病原菌を排除することは出来ない。つまり、私が体内の病原菌を“超変化”で排除したした途端、体外で待機している病原菌が体内に侵入し、病状を引き起こしているのだ。
ドンカスター家を滅亡の危機に追い込んだ病原菌である“ドローン”は死滅した訳ではない。あくまでも“女王蜂”を宿したエリザ・ドンカスターの制御下に置かれただけ。つまり、未だ存在する。まさに私の周りに。
『今この瞬間もお前の義母はお前を殺そうと病原菌を操り続けている』
私はごくりと生唾を飲み込み、肝が冷える思いで言葉を紡いだ。
「……お義母様が私を殺そうと」
声が震える。どうして今になって義母が私を排除しようとしているのかは分からないが、もしそれが事実なのであれば____
『行くぞ、ミカ』
カネサダの声にはっとなる。
『こんな所にいても埒が明かねえ』
「……そう、だね」
ここにいても回復の見込みはない。“超変化”で異常を治しても、すぐにまた病原菌に冒される。いたちごっこを演じるだけだ。
病原菌の親分に会いに行かなくては。
「行かなくちゃ、エリザ・ドンカスターの元へ」