第十七話「妹と罪悪感」
リントブルミア王国首都エストフルト。人気のない深夜の公園に二つの人影があった。一つのベンチに腰かけ、互いに向き合いもせず、敢えて余所余所しく話し合うのは私と秀蓮。
「行ってきましたよ、旧ドンカスター領まで。しっかり八夜さんの事も付けてきました」
何の事は無いと秀蓮は不敵な笑みを浮かべた。私は不安を口調に滲ませて____
「首都を離れて平気だったの?」
「ええ、エリザ様の協力があって」
夜気に目を向けたまま秀蓮は説明する。
「ラ・ギヨティーヌとしてエリザベス王女の監視任務に当たっている私は首都を離れることが出来ない____エリザベス王女が首都内に居る限りは。発想の転換です。殿下に件の地まで赴いて頂ければ、私も堂々とそれについて行くことが出来る」
「……つまり、エリーに旧ドンカスター領まで行って貰うようにお願いしたって事?」
「その通りですね」
大胆な事をしたなと感心する。八夜を付けるために、秀蓮はエリーにも旧ドンカスター領まで赴いて貰うように頼み込んだのだ。
「ま、私の事はそういう訳でご心配なさらず。それよりも」
本題に移る秀蓮。
「凄い情報が手に入りましたよ」
そう言って、秀蓮は私に記録石を手渡す。
「それは元の映像をダビングしたものです。後で中身を確認してみて下さい。“疫病”の計画。その核心部が収められています。研究所の場所もばっちり捉えました」
飄々と語る秀蓮に私は目を見開いた。
「八夜さんが本家に呼び付けられた理由。それは“疫病”の計画を当主のエリザ・ドンカスターから受け継ぐためでした」
私は思わず手元の記録石を起動しようとしてしまう。しかし、寸前で思い留まり、そっと懐に仕舞い込んだ。
私は声の震えを抑え、秀蓮を堪らず小突く。
「……大手柄じゃん、秀蓮!」
「ミシェル先輩のおかげですよ。先輩が八夜さんに愛されていたからです」
何の事だと首を傾げる私に秀蓮が意味深な笑みを浮かべる。
「ミシェル先輩が渡した例の首飾り。八夜さんは四六時中肌身離さず身に着けていました。そのおかげで私は全てを記録に収める事が出来たんです」
秀蓮の言葉に私は如何とも言い難い表情を浮かべる。
「例の首飾り……新型の記録石の事?」
「はい、遠隔式記録石です」
八夜が旧ドンカスター領に向けて首都を発つ前、私は彼女に秀蓮から貰い受けた首飾りをプレゼントした。その正体は新型の記録石で、早い話がアクセサリーに扮した盗撮器なのだ。
新型の記録石____遠隔式記録石は親機と子機からなる撮影魔道具で、親機から遠隔操作する事で子機周辺の映像と音声を記録することが出来る代物。八夜に渡した首飾りの宝石部分は遠隔式記録石の子機になっており、親機を持つ秀蓮が魔導波の及ぶ一定範囲内に入ることで八夜の周囲の様子を盗み見していたと言う訳だ。
「どうしました、元気がありませんね」
「いや、だって……」
尋ねる秀蓮に私は口籠る。
“疫病”の計画について核心的な情報が得られたのは嬉しい。それは首飾りによって得られた映像によるもので____
「八夜さんに悪い事をしたなって思ってます?」
秀蓮の言葉に私は数秒遅れて頷いた。
「こんな……八夜を騙すような事……」
唇を噛み、内心を苦々しく吐露する。脳裏には首飾りを受け取った時の八夜の無邪気な笑顔が浮かんだ。
私は彼女の想いを踏みにじる形で利用したのだ。その罪悪感たるや、計画の核心に迫れた喜びを凌ぐ。
「ミシェル先輩はアレですね。本当に八夜さんの事が好きなんですね」
少しだけ茶化すように秀蓮は述べる。
「八夜さんはドンカスター家の人間。てっきり、物凄い憎しみを抱いているのかと思っていましたが。まるで妹のように可愛がって。まあ、一応本当に妹ではありますが」
「……うん」
私は大きな溜息を吐いた。
「困った事に。私は八夜の事が可愛くて仕方がないみたい」
その一言で私と秀蓮の間に微妙な空気が流れた。しばらく言葉を探すように秀蓮は黙り込んでいたが、敢えてお道化た様子で口を開く。
「そんな様でやっていけますか、ミシェル隊長」
秀蓮に小突かれる私。
「八夜さんはドンカスター家の人間。場合によっては____いえ、高い確率で私達の敵となる人物ですよ。いざって時に、情けだけはかけないで下さいね」
「それは……うん……当然分かってるよ」
覇気のない返事をする私に、秀蓮は目を細めた。
「先輩、色々と難儀なのは分かりますが……いえ、私が態々口にする事ではありませんね。兎に角、今が頑張り時ですよ。頼みますね、我らが試作隊隊長殿」
そう言って、秀蓮はベンチから立ち上がる。そして、私に後姿を見守られながら夜の闇の中に消えていった。
一人取り残された私は考える。八夜は高い確率で私達の敵となる。秀蓮のその言葉は真実だろう。彼女はドンカスター家の人間で、義母エリザからは騎士団の秘密である“黙示録の四騎士”の計画を託された存在だ。
その時がもし訪れたら……私は八夜に剣を向ける事が出来るのだろうか。
その光景を思い浮かべ、私はぞっとする。カネサダを構える私に敵意の瞳を与える八夜。躊躇いと情けを捨てるように互いに獣の様な咆哮を上げる。白刃が煌き、怨嗟の声と共に鮮血が宙を舞い____
駄目だ。
「……やめよう、こんな想像は」
気持ちが乱れてしまった。空想の中で負の感情に溺れてしまうのは私の悪い癖だ。
時間を置いて私は立ち上がる。秀蓮から渡された記録石を懐にエストフルト第一兵舎に帰還を果たした。
自室に戻るとベッドに腰掛けていたサラが私を出迎える。
「お帰り、ミシェル君。……どうしたの、そんな顔して」
サラの言葉に私は思わず自身の頬を触る。八夜に纏わる気の迷いが顔に出ていたのだろう。心配そうな顔をされ____
「何かあったの?」
私はサラの隣に腰を下ろす。懐から記録石を取り出し、秀蓮との遣り取りを話した。あくまでも事務的な報告に努めようとしたのだが、どうしても胸中の葛藤を多分に吐露してしまう。それは苦し気な懺悔のようでもあって、サラは反応に困って天井を仰いだ。
「ふーん……ま、何はともあれ、良かったじゃないの。これでまた一つ“黙示録の四騎士”の核心に迫れた訳だし。ちなみに、記録石の中身はもう確かめたの?」
「いや……まだ、だけど。一応これから確認して……うん……明日には皆を集めて情報を共有するつもり、だよ」
突然、サラが私の背中を強く叩いた。
「いたっ」
「しっかりしなさいよ、隊長」
「……うん」
頬を掻き、私は生返事をする。サラは腕を組んでしかめっ面を浮かべた。
「まあ、気持ちは分からなくもないけど。アンタ、八夜の事大好きだもんね。騙すような事して気が沈んじゃうのも無理ないわ。でも、それはそうと情けはかけるべきじゃないわ」
「……秀蓮にも同じ事言われた」
ぼそりと呟く私の背中をサラは再び叩く。
「これから普通の騎士業務も色々と大変になるし、気を引き締めなさいよ」
「分かってるよ。ああ、そう言えば、もうそろそろイビルラット狩りの時期だったね」
普通の騎士業務も大変になると言うサラの言葉で思い出した。収穫の秋が近付き、サン=ドラコ大陸では厄介な魔物が活動を開始する。イビルラットと呼ばれる巨大な鼠のような魔物で、大陸各地で人を襲い、農作物を荒らし回る存在だ。
毎年の行事として、乙女騎士団は暴れ回るイビルラットの大規模な討伐任務を遂行する。今年もその時期がやって来たと言う訳だ。
「……イビルラット狩りか」
去年の今頃を思い出してしまう。アメリア隊の“罠係”として最底辺の扱いを受けていたあの時間を。前回のイビルラット狩りでは私の剣は無用のものだった。私が握っていたのは土木作業のためのスコップで、ただひたすらに魔物用の落とし穴を掘っていたのだ。
あの時と今とでは私を取り巻く環境が大きく異なる。今年のイビルラット狩りでは私の活躍が大いに期待される事だろう。
「今年の最高討伐数のマークはほぼ確実にラピス隊になるわね」
「任せてよ」
周囲に私の能力を示す良い機会だ。求心力を得るためにも今年は存分に暴れさせて貰う。
翌日、午前の任務の終わりに私は八夜と偶然顔を合わせた。彼女の胸元では私が与えた首飾りの宝石____遠隔式記録石が今も変わらず外光を反射している。
「お姉様」
私目掛けて駆け寄る八夜。小さく柔らかい手で服の裾を引っ張られる。私はその仕草から彼女の緊張と不安を読み取った。
「どうしたの、八夜?」
「……」
「向こうで何かあった?」
白々しくならないように私は尋ねる。
「……いえ……その……」
口籠る八夜。私は彼女の躊躇いの理由を知っている。突然“黙示録の四騎士”に纏わる真実を知らされ、不安で、しかし内容が内容なだけに誰にも打ち明けることが出来ない。さぞかし辛かろう。
「何があったのかは知らないし、聞き出すつもりもない。……お家の事は相談に乗れないけど」
不安を拭うように八夜の頭に手を添える。
「私は八夜の味方だから」
八夜を安心させる言葉を口にする私。すぐにその薄っぺらさと虚しさに気が付く。今後、私が彼女の味方であり続ける事は難しいかも知れないのだ。
何の重みもない____だが、虚しい私の言葉も八夜を安堵させる事には成功したようで、彼女はほうっと息を吐いて、少しだけ肩の荷が下りたような表情を浮かべた。
「……本当に困った事があったら、私の事を頼っても良いからね」
「はい。ありがとうございます、お姉様」
気丈に振る舞い、優しく微笑む八夜。一方の私は、昨晩、就寝前に確認した件の記録石の中身を思い出す。ダビング版の、秀蓮によって要点が分かりやすく編集されたものだったので、短時間で映像を見終えることが出来たものだ。
旧ラーソン領の秘密の地下研究所。そこで行われていたのは、はやり病を自在に操る力を得るための研究だった。“疫病”の力の要は“女王蜂”と呼ばれる新型の人工魔導核で、ドンカスター家を滅亡の危機に陥れたはやり病の悲劇は“ドローン”と呼ばれる魔導病原菌によるもの。
嬉々として八夜に真実を伝える義母エリザ。その鮮明な姿が記録石の映像に刻み込まれていた。久々に目にした義母の姿に、私はかつての恐怖を想起したものだ。
今の私は在りし日の弱者ではない。しかし、それでも義母に対する私の恐怖はこびり付いた染みのように消え去ることはなかった。認め難い事に。
昼食を取り、午後の任務をこなす。やがて夜が訪れ、夕食を済ませた私は人が消え失せた深夜の食堂に公安試作隊の隊員を集めた。ミミお手製の防音魔道具を部屋の四方に設置。外部には人の気配を感知して報せる魔道具を張り巡らし、一つしかない扉に頑丈な鍵を掛ける事で公安試作隊の集会場が完成。
「皆、よく集まってくれた」
もう幾度目かの集い。呼び掛ける私の声にも貫禄が宿って来た。隊長としての立場を自覚している時であれば、私は普段の何倍も毅然としていられる。剣を握っている時のように。
「今日は皆に報告すべき事項がある。“黙示録の四騎士”の件だ」
一同の顔を見回し、私は報告を開始する。真剣な面持ちで私の話に耳を傾ける隊員達を見ていると、気持ちを固めなければならないと言う焦りの様な、また昂りの様な感情が湧いて来た。
私は公安試作隊隊長ミシェル。例え妹が相手でも____敵対するのであれば、容赦はしない。
八夜の事は大切だが、私にはそれ以上に大切な事があるのだ。