第十話「小さな仕返し」
窓の開錠音で私の目は覚めた。
どんどんと屋内から窓が叩かれる音が続いて、開いたカーテンの間からサラが顔を覗かせる。
「……」
サラは一言も言葉を発さず、私を見つめていた。しばらくすると、鼻を鳴らすような仕草をして、部屋の奥へと消えていく。
それは合図だった。もう朝の着替えが済んだので、入室しても良いと言う私への許可であった。
私はベランダで起き上がり、毛布を片手に鍵の外された窓に手を掛けて、ふと床に残された古びた漆塗りの鞘に目が留まった。
『よう、ミカ』
「……おはよう、カネサダ」
鞘から発せられる声に、私は朝の挨拶を返す。
一瞬だけ忘れかけたが、私は昨日カネサダ____喋る剣を倉庫に返し忘れたまま自室へと帰り、彼と一晩を共にしたのだった。
私は身を屈め、カネサダを手にする。
そのまま屋内に入るとサラの姿は既になく、私は部屋の片隅に置かれた私の荷物から新しい服を取り出すと、素早く着替えを始める。その際、カネサダの視線が嫌だったので彼に毛布を掛けた。
私は部屋を出た。洗濯物を共同の洗濯籠に放り込み、朝食を取りに食堂へと向かう。
食堂に到着すると、私の前には怒り顔のアメリア隊長が立ちはだかり、何も言わずに私の頬を引っ叩いた。
「……いたッ!」
「貴様! 自分が何をしたのか、分かっているのか!?」
「……?」
ぶたれた頬を押さえ、私は首を傾げた。
「聞いたぞ! ミミとララにとんでもないことをしてくれたな、このケダモノがッ!」
そう言うアメリアの背後には、ミミとララのゴールドスタイン姉妹がこちらを睨みつけながら控えていた。
ああ、と私は思い出し、頭を抱えそうになる。
昨晩、身体をカネサダに乗っ取られた私は彼女達相手にとんでもない痴漢行為を働いたのだった。
「……何かいうことはないのか!」
アメリアは丸めた拳を私の鳩尾に叩きこんだ。
割と強めの殴打を貰い、私はえずきながら地面に倒れ込む。
「……わ、わたしの所為じゃ……ないんです」
地面にうずくまりながら、私はアメリアを見上げる。
「その……身体が……乗っ取られて……」
「はあ?」
アメリアから呆れたような声が漏れ出る。
「貴様、寝ぼけているのか!?」
怒号を発するアメリア。まあ、普通はそんな反応になるだろう。
私は慌てて起き上がり、事情を説明する。
「ほ、本当なんです! 喋る剣に身体を乗っ取られて! この喋る剣って言うのが、どうも無類の女好きで……」
「はあ?」
アメリアは表情を更に険しくする。その肩がわなわなと震えていた。
「ふ、ふざけるな! 私は今真面目な話をしているんだぞ!」
アメリアが怒るのも無理は無い。
私の説明の仕方が突拍子もなさ過ぎた所為で、冗談を言っているように思われたのだろう。
咳払いを一つして、私は努めて落ち着き払った様子で説明をし直す。
「アメリア隊長、昨日の私の報告書には目を通して頂けましたか?」
「ああ、目を通した。しかし、それがどうした?」
「アサルトウルフを屠った剣について記述があったと思いますが」
昨日のアサルトウルフ騒動の報告書の中で、私はカネサダについてもその存在に言及していた。ただし、喋る剣だとか、倉庫から勝手に持ち出したとか言う事に関してはぼかして記述してある。
「これがその剣なのです」
私はアメリアにカネサダを見せびらかす。
「危機に陥ったお前の前に突然現れたとかいう訳の分からん剣のことか? ……これは、カタナか……アウレアソル皇国の代物だな」
カネサダをまじまじと見つめるアメリア。
ちなみに”突然現れた”というのは、倉庫から勝手に彼を拝借したことをごまかすための嘘だ。まあ、見方によってはそれも嘘ではないのだが。
「この剣、カネサダって言うんですけど……これが喋るんですよ」
「喋る、だと?」
アメリアは怪訝な瞳をカネサダに向ける。
「じゃあ、喋らせてみろ」
「え?」
「喋らせてみろ」
無慈悲にアメリアは告げる。
私の頬を冷や汗が伝った。
喋らせろ、と言われても____
「ええと……私にしか聞こえない声で喋るんですよ……このカネサダは」
「……」
アメリアは無言で私を睨んだ。
嘘は言っていない。言っていないのだが、恐らくは信じて貰えてはいないのだろう。
「ちなみに今、その剣は何と言っている?」
呆れた様子でアメリアが尋ねると、律義にカネサダは答えた。
『美人でスタイルも良いのに、そんなに高圧的だと男は寄り付かねえぞ、おっぱい星人』
「“美人でスタイルも良いのに、そんなに高圧的だと男は寄り付かねえぞ、おっぱい星人”と言っています」
カネサダの言葉をそのままなぞる私。そのままなぞってしまった私。
アメリアは一瞬だけ目を丸くし、呆気に取られていた。
アメリアだけではない。その場にいた者達全員、私の言葉に固まってしまっていた。ちなみに、私も固まっている。
アメリアの顔が徐々に赤くなり、鬼のような形相を浮かべ始める。
まずは無言の蹴りが私に飛んできた。
「ガァッ!」
私は吹っ飛ばされ、壁に背中を打ちつける。
次いでアメリアに襟を掴まれ、頬に何度も拳を叩きこまれた。ガラスに映った私の顔は赤く腫れていた。
「貴様、まだ目が覚めていないようだな? それでそんな寝言を!」
アメリアは私の銀色の髪を掴み宙に持ち上げる。
「す、すみません」
「……」
アメリアは睨みを利かせると、ゴミでも放り捨てるように私を床に投げ出した。
彼女はそのまま、ずかずかと不機嫌な足取りでこの場を去っていく。
「感謝しろ、今日はこのぐらいにしておいてやる。エリザ様にはお前に強く当たらないよう言われているからな」
床でぐったりとする私は、アメリアのそんな言葉を聞いた。
『ぶ、ぶははっ! お、お前! 馬鹿かよ! おっぱい星人って面と向かって言いやがって! 馬鹿なのか!?』
カネサダは大笑いではしゃいでいた。
「……」
『何だよ、さっきのは馬鹿正直に俺の言葉を伝えたお前が悪いんだろ?』
私がカネサダを睨むと、彼は馬鹿にするように言い放った。
確かに、先程の事は私の方に大きな非があるように思える。切羽詰まっていたのか、それとも寝ぼけていたのか、よく考えもせずカネサダの言葉をそのまま伝えてしまった。
「この変態!」「死ね、変態!」
地面に倒れ伏す私に、それまでアメリアの背後に控えていたゴールドスタイン姉妹が蹴りを入れる。
アメリアが勝手に去っていたので、結局彼女達との事はうやむやになったままだった。
双子の姉妹にしばらく身体を踏まれていると、カネサダが笑い声を上げて私に教えてくれる。
『おい、ミカ! 見てみろよ! この小娘共、スパッツ穿き忘れてパンツが丸見えだぞ!』
私は思わず視線を上げ、双子達を下から見つめた。
この角度からなら二人のスカートの中は丸見えで、私の目には姉妹達の下着の白が飛び込んで来た。
「ああん? 何睨んでんのよ、“罠係”?」
「何、アンタの剣がまた何か喋ってるの?」
姉妹は馬鹿にしたような笑い声を上げた。
「ほら、答えなさいよ! その剣は何だって?」
ミミが私の頭頂に片足を乗せ、ぐりぐりと額を地面にこすり付けさせる。
「ほら! 剣は何て言ってんのよ!?」
「……スパッツ」
「はあ?」
地面に顔を伏せた状態のまま私は答えた。
「二人ともスパッツを穿き忘れているって……そう言ってる」
くぐもった私の声がその耳に届くや否や、双子は飛び退るように私から離れ、自身のスカートを両手で押さえた。
私が顔を上げると、ミミとララの真っ赤な顔がその瞳に映った。
羞恥に震える二人を横目に私はゆっくりと立ち上がり、腫れた頬をさする。
「あ……あんた……!」「こ、この……!」
ミミとララは確かめるように己の内股を擦り合わせた後、顔を青くして涙目を私に向けた。
カネサダの笑い声が聞こえる。とても愉快そうな声だ。
かく言う私も、その口の端が吊り上がっていた。
「パ、パンツ丸見えでみっともないよ。穿いてきたら、スパッツ」
私がそう告げると、姉妹は涙を拭きながら勢いよく食堂を飛び出していった。
周りではざわめきが起き、私を軽蔑する声が波のように押し寄せて来た。
『ははっ! やるじゃねえか、ミカ!』
腰元のカネサダの称賛に私は頭を掻いた。
「い、今のは……」
『どうした?』
「ちょっとだけ……ス、スカッとした」
私はらしくない誇らしげな笑みを浮かべていたと思う。
まあ、内心びくびくとしているのだが。
というか、足元が震えている。
それでも、私にしてはよくやったのではなかろうか。
きっとカネサダの影響だろう。
ほんの小さな仕返しだったが、私は虐めっ子達に立ち向かったのだ。