第十四話「エリザ・ドンカスターの呼び出し」
首都エストフルト内における公安部の力は日に日に強くなっていった。
私、アイリス、ラピス、マリア、サラ、ミミの六人で始まった公安試作隊もその隊員数を徐々に増やしていく。エストフルト第一兵舎に在籍する騎士達の中から、私は慎重に新規隊員を選び出し、部隊への勧誘を行った。結果、今では公安試作隊の隊員数は十五名に達する。
「ミシェル隊長」
兵舎の廊下、袖を控えめに引っ張られる私。
「以前から目を付けていたホシです。エストフルト第三兵舎の騎士達が違法薬物のディーラーと結託している現場をおさえました」
そう言って私に記録石を寄越すのはラピス隊の同僚だった。名前はアリア・ノルマンと言い、歳は私の一つ上。貴族の出身だが物腰が柔らかく、その上口が固いので信頼を置いている。
「ありがとうございます、アリアさん」
私は記録石を懐に仕舞い込み、感謝を述べる。それからアリアの耳元で小さく囁いた。
「しかし、ミシェル隊長は止めて下さい。何処に誰が潜んでいるとも知れないので」
私の注意にアリアは小さく頷いた。公安試作隊は秘密部隊であり、その内部事情については秘匿の必要がある。そのため、“隊長”呼びはフィッツロイ家の別宅屋敷内を始め、会話を外部から遮断出来る状況でない限り危険であった。
それから私はアリアと雑談を交わす。他者に怪しまれないための対策だ。もし、今の私達の様子を覗き見ている者がいたとして、こそこそと記録石の引き渡しをするだけで直ぐに別れる現場を目撃したら、不審に思う筈だ。何か秘密の遣り取りをしているのではないかと。
怪しまれないためには堂々とすることが大切。その手のプロである秀蓮の受け売りだ。
「邪魔よ、賤民共」
ふと____
アリアとの会話の最中、何者かに悪意のある言葉を投げかけられる。私は思わず口を閉じ、声の主に向き直った。
「何よ、みなしご。鬱陶しい視線を向けないでくれる」
そう嫌みったらしく述べるのはシシリーだった。八夜隊に所属している騎士で、以前私との簡易決闘に臨んだ際には、完膚なきまでに敗北を喫した少女だ。エストフルト第一兵舎内には未だ私の事を快く思っていない者がいるが、彼女はその筆頭だった。簡易決闘で彼我の立場を分からせたつもりではいたが、それでも尚シシリーにねちっこく絡まれているのが私の現状だ。
「全く、世も末よね。アンタみたいな奴が堂々とエストフルト第一兵舎の廊下を闊歩していられるなんて」
私とアリアの前にわざわざ立ち止まり、シシリーは眉間にしわを寄せる。
「最近では、公安部みたいな意味不明の団体が我が物顔で首都を支配し出しているし……本当、この世界はどうなっちゃうのかしら」
シシリーの口から”公安部”の名前が出てきて一瞬だけドキリとしたが、その発言に深い意図はなさそうだった。
「用がないならどっか行きなよ、シシリー」
悪意の視線にさらされ、私は不快感を露わに告げる。
「シシリーが私の事を鬱陶しく思うように、私もシシリーの事を鬱陶しく思ってるから。それとも何? 構って欲しいの?」
「……! ア、アンタ……!」
挑発するように言うと、シシリーは顔を真っ赤にして私の襟首を掴みに掛かった。目を細め、私はシシリーを睨む。
「この手は何? やるって言うなら相手になるけど」
低い声で警告を発すると、シシリーは少しだけ怯えた表情を見せたが手の力を弱める事は無かった。
と、その時____
「揉め事ですか?」
鈴の音のように澄んだ少女の声が私達の間に割って入る。
「や、八夜様!」
素早く私から手を離し、姿勢を正すシシリー。声の主は八夜だった。
「横槍を入れるようで申し訳ないのですが、随分と険悪な雰囲気だったので」
八夜は私達の顔を順々に見回す。シシリーは縋りつくような勢いで訴えかけた。
「八夜様! この下民がラーソン家の人間である私に無礼を働いたもので、窘めてやろうと____」
「下民?」
静かな、それでいて鋭い声音で八夜はシシリーに尋ねる。
「シシリーさん、今“下民”とおっしゃられましたか?」
「は……え……は、はい」
「それは他者を侮蔑する時に使う言葉ではありませんか?」
氷の様に冷たい問い掛けにシシリーは息を飲んだ。
「げ、下民は下民です! 我々の足元にも及ばない____」
「騎士たる者が用いる言葉ではありません。以後使用は控えて下さい」
「……ッ」
「それとその高圧的な態度も改めた方が宜しいかと」
「……そ、そんな……八夜様……」
八夜に責められシシリーの顔が青ざめていく。
「……分かりました」
しおれて呟くようにシシリーは答える。
シシリーが八夜に対して過剰なまでに殊勝な態度を取るのには訳がある。シシリーの実家であるラーソン家はドンカスター家の忠臣とも言える一族で、それ故にシシリーにとって八夜は所属する部隊の隊長と言うだけでなく、まさに主人と言っても過言ではない存在なのだ。
意気消沈するシシリーはこちらに鋭い睨みを与えると、顔を真っ赤にして恨みがましくこの場を立ち去って行った。
「助かったよ、八夜」
事態を収めてくれたことに感謝を述べる。八夜は謙遜した様子で頭を振った。
「差し出がましい事を致しました」
「そんな事ないよ。本当に助かった」
シシリーを一捻りする事など容易い。しかし、公安試作隊隊長の身である私にとって今や荒事は可能な限り回避したい一事となっている。不要な喧嘩はご法度だ。
「……」
シシリーが立ち去った後、八夜は取り残された私とアリアを交互に見遣り、何やら物言いたげな視線を向けてくる。
「どうしたの、八夜?」
「いえ、その……」
尋ねると、八夜はこちらの様子を窺うような仕草を見せた。
「少し、お話したい事が……二人きりで」
八夜の言葉に私とアリアは顔を見合わせる。
「取り込み中なのであれば、後でも宜しいのですが」
アリアが頷くのを見て、私は八夜に向き直り「大丈夫」と答えた。
「行こうか、八夜」
二人きりで話がしたいとの事なので人目がない場所に八夜を誘導する。ゆっくりと移動し、兵舎外の木陰で私と八夜は向かい合う事に。
「話って何?」
深呼吸を一つした後、身構えて尋ねる私。二人きりでの会話。話題は恐らくだが“家”に関わることだ。
八夜が静かに口を開く。
「来週なのですが、五日ほど休暇を頂こうと思いまして」
「……休暇? 五日間も?」
「実家に____ドンカスター本家の屋敷に帰省するためです」
思わず眉が上がる私。やはり“家”に関わる話だったようだ。それにしても、何故今の時期に実家帰りなど。
「本家に何か用事なの?」
「お母様から手紙を受け取りまして。一度本家に帰省するようにと」
「……お義母様が」
どうやら八夜は義母エリザから呼び出しを受けたようだ。私は訝しんで尋ねる。
「いきなり手紙で呼び出しなんて……家に何かあったの?」
私の問い掛けに八夜は首を傾げるだけだった。
「分かりません。お母様が一体何の用事で私を呼び出そうとしているのか。手紙には本家に戻るようにとのお言葉があっただけなので。ただ、文面から察するに何か重大な用件があるように思えます」
詳しい事情は八夜にも伏せられているようだ。……これは、何か臭うな。
……ところで。
「それで、どうしてその話を私に?」
「……その」
歯切れの悪い調子で八夜は____
「……何となく、です」
「何となく?」
「何となく、お姉様には伝えた方が宜しいかと思って。お家の事ですし、情報を共有すべきかと」
八夜の言葉に私は低く唸った。
義母との遣り取りの内容をわざわざ私と共有する必要は無い。それどころか、義母側からすれば八夜のそれは不本意な行為ですらあるように思える。彼女自身もそれは承知している筈なのに、時間を取ってまで私にお家の情報を伝える意味が分からない。
「こう言う事は止めた方が良いよ、八夜」
私は忠告のつもりで、やや語気を強めて言う。
「ドンカスター家の事はもう私には関係ない。知らせちゃ不味い事もあるかもだろうし、お家の事情をそう易々と赤の他人に口外しない方が良いと思うな」
私の物言いに、ぴくりと八夜の眉が上がる。
「関係なくはないでしょう」
八夜の口から鋭い口調で言葉が飛ぶ。
「お姉様だってドンカスター家の一員です」
「……」
「お母様からの手紙。きっとお姉様にとっても重大なものの筈です。エリザ・ドンカスターは貴方の母親なのですから」
貴方の母親。一瞬、八夜の気迫に押されたが、私はその言葉を強く否定する。
「私はドンカスター家を勘当された身。だから、貴方達とはもう無縁の存在だ。エリザ・ドンカスターだってそう思っている。私と彼女は既に親子の関係にない。だから____二度と家の話をするなッ」
私は思わず腰元の鞘に手を伸ばしてしまった。突然の抜刀体勢に八夜も驚いて半身になり、警戒の目をこちらに向ける。
一触即発の空気。息苦しい沈黙が続き、冷静になった私はやがて自然体へと戻る。
「……ごめん」
一言謝り、溜息を吐く私。すると、八夜も警戒態勢を解き、小さく頭を下げた。
再び無言になった二人は、視線をずらし合い、どちらからともなくその場を立ち去る。別れの言葉すら無しで。
『あーカワイソ』
八夜と別れた後で腰元のカネサダが茶化すように声を発する。
『八夜の奴、今夜は枕を濡らすことになるぜ。あんな言い方無いだろう』
「……うぐぅ」
カネサダの指摘に私は唸り声を発する。彼の言う通りだ。義母エリザの事でついつい頭に血が上ってしまった。感情を抑制せねばならなかったのに。
「……後でもう一度謝るよ」
お互いに熱くなってしまった。お家の事になるとやはり意見がぶつかってしまう。時間を置いて、冷めた頃に仲直りをすべきだろう。
『ところで、何なんだろうな』
だいぶ歩いた所でカネサダが再び声を出す。
『エリザは何の用事で八夜を呼び出すんだ? まさか、お家に不幸でも起きたんじゃねえのか?』
「そう言えば……一体、何なんだろう」
今更だが、その情報の重要性に気が付く。私個人にとっても、そして場合によっては公安試作隊にとっても留意すべき案件だ。この時期に八夜を本家に呼び出すなど、尋常な事ではない。
『探りを入れてみたらどうだ』
提案するカネサダ。私は一瞬だけ苦い顔を浮かべたが、相棒の言葉に理解を示すように頷いた。
「……そうだね、探りを入れる価値はあるかも」
『気乗りしない顔だな』
当然だ。ドンカスター家には近付きたくないし、八夜の信頼を裏切るような行為でもあるのだ。
それでも、やるべき事はやらせて貰う。
「まあ、兎に角、頼んでみようか……彼女に」
『ああ、出番だな____アイツの』
その日の晩、夕食を食べ終えた私の姿は首都エストフルトの市街にあった。夜の帳が降りた後でも街は人工の光で明るく、人通りもそれなりに多い。
私は目立たないように冴えない衣服を身に着け、群衆の中に紛れながら目的の場所を目指した。
程なくして到着する。場所は噴水のある公園。隅に据えられたベンチに腰かけ、銀髪を隠したぶかぶかの帽子を弄りながら私は目的の人を待っていた。
「隣宜しいですか?」
ふと、声を掛けられる私。よそよそしい言葉。しかし、その声の主を私は知っている。
「座りなよ、秀蓮」
私の言葉に目的の人物____秀蓮がベンチに腰を掛ける。私は周囲に人がいない事を再度確認してから口を開いた。
「久しぶりだね。その後はどんな感じ? 何か困った事は?」
「特に何事もなく。私の裏切りはまだ騎士団上層部にはバレていません。相も変わらず優秀な“便利屋”だと思われてますよ、私は」
声を潜めて話し合う私達。
「それは結構な事だけど、油断はしないでね。危ないって思ったら逃げる事を優先だよ」
「その辺の心配はありません。危ない橋は渡らないのが私の気質です。ミシェル先輩もご存知でしょう」
秀蓮はにやりと笑った後、咳払いをして____
「で、ここに来たと言う事は、何か仕事を持って来たんでしょ?」
「うん」
頷く私。公安試作隊が始動して以来、私は秀蓮と一切の連絡を取っていない。二人の関係を秘匿するためだ。だと言うのに、今私達は落ち合って、こうやって話が出来ている。それはエリーを通したとある取り決めのおかげだった。
秀蓮には、毎日決まった時間、この公園に足を運んで貰っているのだ。彼女に仕事を頼みたい時には私が指定の時間にベンチに座り、その到着を待つことになっている。
「来週、八夜が____八夜・ドンカスターが何かの用事で実家に帰省する事になっている。彼女に付いて行ってその内容を探って欲しい。出来る?」
「成る程、詳しい情報を聞かせて下さい」
「実は____」
私は今日の八夜との出来事を秀蓮に話す。
「五日間の帰省、ですか。……うーん、長い間首都を離れているとさすがに怪しまれてしまいますが」
「無理そう?」
今現在、秀蓮が首都内で自由に行動できているのはラ・ギヨティーヌの準隊員としてエリザベス王女の監視と言う任務を与えられているが故だった。そのため、何日もの間彼女が首都から離れていることが明らかになってしまうと、職務怠慢どころか裏切り者として処罰される恐れがある。
「いえ、何とかしてみましょう。引き受けますよ、その仕事」
私が心配そうな視線を寄越すと、秀蓮は屈託なく返答する。
「本当? 大丈夫?」
「任せて下さいよ。何たって、私は公安試作隊の“便利屋”なんですか。先輩のために出来る事は何でもしますって」
「……ごめん」
秀蓮の言葉に他意はないのだろうが、私は申し訳なさを感じて思わず謝った。
秀蓮は公安試作隊の隊員ではない。そのため、情報の流れは一方通行で、彼女は部隊の内情をほとんど知らされていない状態にあった。部隊には誰が何人所属しているのか。それが秀蓮の不利益になるとは思えないが、要らぬ疎外感を与えてしまっているかも知れない。
「謝らないで下さいよ、もう。こっちは先輩が思っている以上に今の状態に満足しているんですから」
困ったように頬を掻く秀蓮。私は思わずその手を掴んで胸中を伝えた。
「秀蓮の事は仲間だと思っているから。だから、その……もしかしたら、いつか……組織が大きくなって、秀蓮に絶対に裏切らせない程になったら____」
公安部はやがて公安団と言う騎士団に並ぶ巨大で強固な組織となる。その段階になれば、秀蓮にも重要なポストを用意できる筈だ。彼女が裏切り行為に走らなければならない程、危険な状態に陥る可能性が無くなれば。
「期待していますね」
秀蓮は目をぱちくりさせた後、少しだけ照れたように笑って立ち上がった。
「あ、そうだ」
懐を探る秀蓮。
「これ、出来れば八夜さんに渡して下さい」
何かと思えば、取り出されたのは首飾りだった。銀の輪の中には宝石が嵌められ、丈夫で軽い紐が通されている。
「仲直りついでに良いんじゃないですか」
そう言って秀蓮はウインクをした。




