第十話「八夜の願望」
リッシュランパー地方への遠征任務当日。我々エストフルト第一兵舎含む魔導乙女騎士団は食糧不足に喘ぐ彼の地に物資を届ける馬車を護衛するべく、馬に跨り隊列を組んで野を進んでいた。
リッシュランパー地方は周囲を山に囲まれた盆地になっている。私達は山越えに差し掛かったところで一旦休息を取ることになった。
馬鞍から降り、伸びをする私。乗馬は久々の事だったので、少しだけ疲れた。並走していたラピス隊の面々と顔を合わせ、軽く談笑をする。
すると____
「ミシェルお姉様」
肩を叩かれる私。振り向くと、そこに八夜がいた。
「どうしたの、八夜?」
「その、少しだけお話を……二人きりで」
八夜はそう言って、視線で人気のない場所への移動を促す。私と話し合っていた者達は部隊長である八夜の要望に、何も言われなくとも大人しく身を引いた。
「分かった。行こうか、八夜」
八夜に先導され、私は薄暗い木陰へと移動した。周囲に人は居ない。
八夜と向き合った時、私は彼女の顔に緊張を読み取った。これから何か重要な事を話しでもするかのような雰囲気だ。
「次の休日」
八夜が思い切ったように口を開く。
「エリザお母様に会っては頂けませんか?」
瞬間、八夜の顔に影が差した。それは恐らくだが、私がそのような表情を浮かべたためだろう。
周りの騒めきがやけに遠くに感じられるようになり、全身の血が凍り付くような錯覚を抱く。
私は少しだけ荒くなる呼吸を抑え、じっと八夜の顔を観察し続けた。
「正直に白状しますが、実は先の休日……お姉様には先約があって叶わなかったのですが、私はお姉様を首都にあるドンカスター家の別宅にお招きするつもりでした。首都に滞在中のお母様に会わせるために」
八夜はやや怯えた表情をこちらに向けている。私は今、妹には見せてはいけない顔をしているのかも知れない。
「お姉様には一度、お母様に会ってお話をして頂きたいのです。ですからお願いです。次の休日、どうか____」
「お義母様が私に何の用なの?」
私の声は自分でも驚くほど冷たかった。
「今更、どうしてお義母様が? お義母様に何て言われたの、八夜?」
「……そうではありません」
「八夜?」
八夜の否定の言葉に私は首を傾げる。
「お母様に言われたからではありません。私が、私自身がそう願っているのです。お母様に会って頂きたいと」
八夜の言葉に私は眉根を寄せる。
「それはつまり……お義母様は私との再会を望んでいる訳じゃないって事だよね」
「ええ、あくまでも私の望みです」
私は溜息を吐き____
「お義母様は私の顔なんて見たくもないと思うけどね」
私の辛辣な言葉に八夜は反論しない。
「その通りだと思います。……だからこそ、です。お二人には仲直りをして頂きたいと私は思っています。私達は大切な家族ですので」
八夜が言葉を重ねるごとに、私の中の不快感は増していった。彼女は明らかに義母の事を慕っている。口調からその様がありありと伝わって来た。
だから、私は責めるような口調で尋ねる。
「八夜はお義母様の事が好きなんだね」
「はい」
即答にショックを受けている私がいる。あんな奴の事を好きだと。その言葉が八夜の口から飛び出して来て、私はやり場のない怒りを覚えた。
「両親を亡くした私を大切に保護して下さった方ですから。だからエリザお母様の事はお慕いしています」
駄目だ。我慢できない。
「……ッ!? 八夜は誤解しているよ、あの女の事! 自分を保護してくれたから? だから何? もしかしてお義母様の事、善人だとか思っていないよね? あの女が貴方を引き取ったのは、少なくなった血族の確保するためだよ。そしていざとなれば、利用するだけ利用して貴方を切り捨てる。そんな冷血女だよ、アイツは!」
激しくまくし立てる私に八夜は静かに首を横に振る。
「お姉様はお母様を誤解しています」
「誤解はそっち____」
「お母様は弱い人間です」
私の言葉を遮り、八夜は告げる。
「ただただ弱い人間なんです。それだけです」
八夜は悲し気に俯き、理解を求めるように私の手を握った。
「お母様はミシェルお姉様に怯えていました」
「……私に?」
「ふとした時にお姉様の名前を呼ぶことがあります。お母様はお姉様の幻覚を見ているようでした。よく口にしていました……“私を殺さないで、ミシェル”、と」
八夜は私の心を見透かすように細めた目をこちらに向けた。
「勝手な想像かも知れませんが……お姉様は未だに恐れているのでしょう、お母様の事を」
「……」
「情け容赦がなく、冷血で、絶対的な力を持つ恐怖の存在。それがお姉様の中のお母様のイメージ。……違いますか?」
沈黙の中、私は頷いた。私の中の義母のイメージ。それは、絶対的な力で以て他者の人生を蹂躙し、その行いを顧みもしない冷血女。
だから、八夜の言葉は真実だ。私は義母エリザの事を未だに恐れている。それは彼女に抱く憎しみと同程度の強い感情だった。
「その印象は全くの誤りです。お母様は冷血女ではありません。常に何かに怯え、病的に保身に走る、哀れな弱者なのです」
怯える弱者。八夜が語る義母の姿に私は困惑する。それは、私の抱いているイメージとは真逆の義母の像だったからだ。
「はやり病を生き残り、無二の才覚を発揮する寵児____“ドンカスターの白銀の薔薇”。そんな超人の如きお姉様をお母様はとても恐れていました。いつか大きくなって自分の手元を離れた時____自分以上の力を付けてしまった時、途轍もない復讐に及ぶのではないかと震えていたのです。その恐怖故に、機会を得た時には若い不安の芽を摘み取ってしまおうと、お母様はお姉様を家から追い出したのでしょう」
義母エリザの実の娘であるミラ・ドンカスターの出産がきっかけで私はドンカスター家を追い出された。
当時の私は、明確な意思があった訳ではないが、次期当主の座をミラに明け渡し、自分は騎士団界隈から身を引く腹積もりでいたのだと思う。男性が性別を偽り、騎士をやっているなど異常だ。物事を正常な状態に戻すべきだと思っていた筈。
しかし、八夜の話によれば、義母はそうだとは私を思ってくれなかったようだ。
私は騎士団に居座り続け、その才能で出世し、組織内での権力を増大させる。そして、ミラを差し置いてドンカスター家当主となり、その地位を脅かす可能性のある妹を始末。その上、手酷い扱いをしてきた義母に仕返しをする____エリザ・ドンカスターはそんな妄想に憑りつかれていたのかも知れない。
だからこそ、徹底的な私の追放を敢行した。私と言う不安の芽を摘み取るために。
「お姉様とお母様は分かり合える筈です。話し合う事で、お母様はお姉様に対する恐怖を取り除き____お姉様には是非、お母様を赦して頂きたいのです。難しい事ですが、不可能ではありません。私は信じています。お姉様とお母様。二人の家族の絆を」
「……家族の絆……? そんなもの____」
「それは確かにあります。その証拠に、お姉様はここにいるではありませんか」
力強く八夜は主張する。
「ドンカスター家を追放されて……しかし、お姉様は生きて、騎士団にいる。本来ならば、邪魔者として暗殺されていてもおかしくはないのに。それは、きっとお母様のなけなしの愛情があってこそです。なけなしでも、確かにそこには家族としての愛があると私は思います。だからこそ」
普段は平淡な八夜の口調が徐々に熱を帯びていく。
「お姉様とお母様は____いえ、私達ドンカスター家はやり直せます。私達は本当の家族になるのです」
圧倒的熱量の八夜の願望に私は息を飲む。本当の家族になりたい。切実であり、純粋過ぎる八夜の願いに私は眩暈を覚える程だった。
今、真に理解した事がある。八夜は純粋で高潔な心の持ち主なのだ。
生来のものか、それとも育った環境故か。兎に角、八夜が眩しい。私には眩し過ぎた。
「私は……私にはそんなものはない」
喉から声を絞り出す私。
「お義母様の事は知らない。だけど、少なくとも私には家族への愛なんてものはない。私はお義母様が憎い。……絶対に彼女を赦さない」
「……お姉様」
「絶対に絶対にだ!」
意地になって私は言い放つ。怒鳴る私に八夜の手は震えていた。怖いのだろう、怒りに気炎を吐く私が。
焦げ付くようなピリピリとした沈黙が続く。私と八夜は見つめ合い……ややもすれば火花を散らし合った。
そして____
「……分かりました」
身を引く八夜はそれでも____
「私、待ちます」
静かな決意を以て八夜は告げる。
「今回が駄目でも、ずっとお姉様の事を待ちます。お姉様から望むお返事を頂くまで。私達が本当の家族になるまで」
揺るぎない信念。八夜は一歩も退かない構えだ。本気の本気で実現しようとしている。私達が本当の家族になれる日を。
八夜は私に頭を下げ、木陰を離れる。その場に一人取り残された私は____
「家族の愛、ね」
それには嫌な思い出しかない。ラピスと言い、マリアと言い、私が目の当たりにした家族の姿はどれも陰鬱で、醜悪なものだった。
家族の愛。そんなものは幻想だ。取り分け、ドンカスター家に関しては。
「……」
それなのに……何だ、この気持ちは。
私は____
「まだ、希望を持っている……?」
私は己の心に問いかけた。
憎しみと恐怖の対象であるエリザ・ドンカスター。あの義母に対し、家族としての愛を求めている自分がいるのだろうか。
いや……馬鹿げている。
リリアナ・チャーストンに愛を求めたラピスの末路を忘れたのか? 塵芥の如く掃き捨てられたラピスの想い。その悲しい物語を。
エリザ・ドンカスターに比べれば、リリアナ・チャーストンもまだ母親としてマシだと思える程なのに、私は何を馬鹿げた妄想を。
「でも……私は……ここに生きている」
それでも、明確な事実が一つある。ドンカスター家にとって最早邪魔者以外の何者でもない私が生きている事だ。その上、ある種の保護を受けて私は騎士団に在籍出来ている。
私はドンカスター家____義母に守られている。
そこには家族へ向ける愛情が____
『血迷うな、ミカ』
私を叱責する声が腰元から響く。相棒のカネサダが私の思考を遮った。
『馬鹿野郎お前。何お花畑な事考えてやがるんだ』
「……カネサダ」
『お前が生きている理由……いや、生かされている理由は、八夜の言うような家族の愛情云々じゃねえだろうがよ』
私の希望を打ち砕くようにカネサダが告げる。
『お前が生かされている理由はもっと実際的な話だ。血族の確保。ドンカスター家には最早ミラと八夜とお前しか次代の血が残されていない。血を守り抜くために、お前は殺しまではされなかった。取り分けお前は“種”だからな。ミラと八夜が不幸に遭った時の保険に過ぎねえよ、お前は』
「……それは____そう、だよね」
正論を述べるカネサダ。私は一瞬だけ反論しようとしたことに後悔した。
「……ごめん、私……どうかしてるよ」
『……』
黙り込むカネサダ。
本当に私はどうにかしている。
私はドンカスター家が、義母が憎い。その一方で、未だに家族の愛を僅かでも期待していたなんて。
あり得ない事だ。エリザ・ドンカスターと私が和解するなど。
八夜には悪いが、彼女の願望は決して成就しない。
溜息を一つ吐き、私は騎士達の元へと戻っていった。




