第七話「仲間を求めて 前編」
秀蓮と別れ、エストフルト第一兵舎に帰還した私。無事に帰って来た私を仲間達はほっとした顔で出迎えた。
「秀蓮はお前に一体何の用だったんだ?」
ラピスは尋ねるが、私は「後で話します」と適当にはぐらかした。公安試作隊の事はまだ伏せておく。後でちゃんと時間を取って皆に話を持ち掛けてみるつもりだ。
その後、素知らぬ顔で騎士の任務に戻り、何事もなく一日を終える。
夕食中、誰も秀蓮の訪問を話題にしなかった。何か聞かれるのかと思ったが、こちらから切り出すのを待っていたのだろうか。
太陽は沈み、夜が訪れる。私は自室のダイヤル式金庫を開け、中から一枚の紙を取り出した。以前、エリーに手渡された公安団及び公安試作隊に関する概要が記されたものだ。
曰く____
騎士団と同等の権限を持つ監視組織である公安団。その前身として騎士団内部にエリザベス王女が部長を務める公安部を設立。実働部隊として公安試作隊なるものを立ち上げ、試験運用する。
運用方法が確立し次第、部隊規模を拡大し、国家の隅々に公安部隊を配備。公安隊員の素性は原則秘匿され、各隊員は騎士団の一員として通常業務をこなしつつ、その裏で公安部隊としての活動を遂行することになっている。
私は公安部部長であるエリザベス王女____エリーに公安試作隊隊長を任された。正規部隊が運用される折には公安隊総隊長となり、公安団が創立されれば、竜核と組織の全権をエリーから委ねられ公安団団長となる予定だ。
さて、取り敢えずの公安試作隊隊長としての私の仕事は隊員を集める事だ。それも5人以上。秀蓮は隊員ではなく外部協力者という扱いなので数には含めない。
私がまず初めに話を持ち掛けたのは____
「サラ、大事な話があるんだけど」
就寝間際の事。私は改まった様子でサラに声を掛ける。普段とは異なる私の口調に彼女は首を傾げた。
「どうしたの、ミシェル君? そんな顔して」
ベッドに腰掛けていたサラが居住まいを正す。
私はと言うと、若干の躊躇から勿体付けるように____
「サラはさ、もう一度騎士団と闘う気はある?」
そんな意味深な言葉を口にした。目をぱちくりさせるサラは、しばらく黙って困惑していたが、何かを察したように私に尋ねる。
「……ミシェル君、もう一度闘うつもりなの?」
「……」
私の沈黙は肯定を意味していた。しかし、詳しい内容はまだ話さない。それはサラの覚悟を確認してからだ。
「と言うか、既に闘いの中にいるのね?」
「……」
「黙っているみたいだけど、それは私の覚悟を確認するまでは闘いに巻き込まないようにするための配慮かしら」
完全な図星。サラは時折勘の鋭い所を見せる。
サラはベッドから離れ、うろうろと室内を徘徊した後、私の前に身体を落ち着かせた。その口が決意を湛えるように引き結ばれ、そっと開く。
「闘うわよ」
はっきりとサラは告げた。
「正直、騎士団と事を構えるなんて勘弁願いたい事だけど____ミシェル君は既に闘いの中にいるんでしょ? だったら、私は闘うわ。友達を守るために」
サラの言葉に私は愕然とした。友達を守るために。そのたった一つの理由だけで騎士団との闘いを覚悟する。
私は思わず念を押すように尋ねた。
「分かってるの? 騎士団と闘うんだよ。あの騎士団と」
「分かってるわよ」
真剣な瞳で私を見つめ返すサラ。そこに揺るぎない信念を私は見た。
「相手が騎士団? だからこそよ。ミシェル君が騎士団と闘っているのに、黙ってそれを見ていろって言うの? そんなの嫌よ」
「……サラ」
「兎に角、私は闘うわ。ミシェル君を守るために」
腕を組んで不動の姿勢を取るサラは、黙り込む私をじっと見つめていた。
「……」
胸の内側から、温かい幸福と勇気が湧き上がり、私を包んでいくのを感じる。そうだ。私はもう一人じゃない。こんなにも私を大切に想ってくれる友達が出来たのだ。私と共に闘ってくれる仲間が出来たのだ。
「ありがとう、サラ」
限りない感謝を込めて、私はサラの手を取る。
「サラの力を貸して欲しい」
私は傍らに隠していた一枚の紙をサラに手渡す。公安団及び公安試作隊に関する概要が記されたものだ。
紙面に目を落とすサラの前で、私はこれまでの経緯を話す。視覚と聴覚の両方から得られる情報に、サラの顔は徐々に緊張していくようだった。
「公安試作隊……ミシェル君が隊長……」
呆然と呟くサラは事態を上手く飲み込めていないかのように上の空だった。平隊員に過ぎない私が強力な権限を与えられた部隊の隊長になるのだ。その出世は前代未聞で、サラの反応も当然と言える。
「この公安試作隊って言うのは……ラ・ギヨティーヌみたいな特殊部隊と思えば良いのよね」
「まあ、そうだね。でも、ラ・ギヨティーヌよりも秘匿性の高い部隊で、その存在理由は真逆。公安試作隊は言ってしまえば騎士団に敵対する組織だから」
黙り込むサラに私は改めて尋ねる。
「サラ、公安試作隊に入隊してくれる?」
「それは____」
私の顔をじっと見つめるサラは、こくりと頷く。
「勿論よ。言ったでしょ、ミシェル君と一緒に闘うって」
サラの返答に私は安堵の吐息を吐いた。そして念を押すようにその顔を覗き込む。
「本当に良いの?」
「ええ」
「本当に本当? ……言っておくけど、色々と大変になるよ」
公安試作隊は秘密部隊。機密保持には細心の注意を払う必要がある。さらに、その任務は騎士としての通常業務の裏で行う事になるので、単純に仕事量が倍増してしまう。危険であることもそうだが、それ以上に公安試作隊隊員には忙しい日々が待っているのだ。
「しつこいわね。良いって言ってるでしょ。大変なのは分かってるわ。でもそんなの今更じゃない。生まれてこの方、私はずっと大変な思いをして来たんだから」
サラは鼻を鳴らした。私は頭を下げ、そんな彼女に再度感謝の気持ちを伝える。
「……ありがとう、サラ」
「はいはい、どうも。……まあ、この公安試作隊の話、私にとっては割と有難い話だったりするし、感謝するのはむしろこっちかも」
「そうなの?」
首を傾げる私に、サラが説明する。
「平民の騎士は二十歳を過ぎれば騎士団から抜けだす準備をしなくちゃいけない。私もそう。実働部隊を去って、パートナーを見つけるのが決まり。だけど、私は少し別の生き方をしたい。ここを離れたくないの」
サラは紙面の一部を指差し「見て」と声を弾ませた。
「“公安部、また後に組織される公安団の組織幹部人選は平民貴族の身分関係なく行われる”。つまり、私にも幹部としての残留チャンスがあるって事よね」
「チャンスと言うか……サラには組織の重要なポストについて貰う予定なんだけど。少なくとも私はそう計らうつもり」
私が告げると、サラは目を輝かせた。
「……本当!?」
「うん。だって、サラは優秀だし。信頼できるし。手放すなんてとんでもないよ」
組織の規模が大きくなった時、私は公安試作隊の初期隊員を中心に組織体制を整えるつもりでいた。サラには後々幹部として組織運営に携わってもらう予定だ。
「俄然やる気が出てきたわね」
張り切るサラ。やる気があるのは良い事だ。こちらとしても助かるし、誘い甲斐があったと言える。
「取り敢えず、一人確保かな」
サラが隊員になってくれたのは有難い話だ。この後、アイリス、ラピス、マリア、ミミにも声を掛けていくつもりだが、サラが一番の難所だと私は考えていた。“私を巻き込むな”と突っぱねられる可能性も考えていたのだが。
さて____
無事、サラを公安試作隊員として迎え入れ、その翌日、私はラピスと二人きりになれる機会を窺った。
「ラピス隊長、よろしいですか」
「……? どうした、ミシェル?」
夕食前、ラピスが一人になった所で私は袖を掴んで彼女を人目の付かない場所へと連れて行く。怪訝な表情を浮かべつつもラピスは大人しく私に付いて来た。
「大事な話があります、ラピス隊長」
周囲を窺って誰もいない事を確認した私は、声を潜めて公安試作隊にまつわる情報とこれまでの経緯を話す。
「____と、言う事がありまして」
一通り話し終えた所で、私は改まった口調で尋ねる。
「ラピス隊長、公安試作隊に入って頂けますね?」
それは問いではなく確認だった。ラピスならば間違いなく公安試作隊に入隊してくれる。私達は既に闘いの誓いを立てた仲だ。だから、サラの時のような面倒なやり取りはしない。
「……成る程」
しばらく黙り込んでいたラピスが思い出したように呟く。
「そう言えば、フィッツロイ家を出立する時、お前は竜核を手に入れたらなどと口にしていたな」
「はい」
「……まさか、本当に竜核を手にするとは」
「まだ予定ですけどね」
ラピスの口調はどこかおぼろげだった。未だ実感が湧いていないのかも知れない。
「分かった、協力しよう。私も公安試作隊の一員として忠義を尽くさせて貰う。よろしく頼むぞ、ミシェル隊長」
ミシェル隊長。ラピスの口から放たれたその言葉に言い得ぬ喜びとむず痒さを感じた。今初めて意識したが、ラピスが公安試作隊に入隊した場合、彼女は私の部下になるのだ。不思議な気持ちだ。
ラピスもラピスで頬を掻き、照れくさそうにしている。
「それにしてもお前が隊長か。……何と言うか……感慨深いものがあるな」
自身が隊長に選ばれた時以上に、ラピスは私の出世を喜んでいるようだった。
と、その時だ____
「ラピス隊長、ここにいらっしゃったのですか。……あ、お姉様も」
突然少女の声が割って入り、私達はびくりと肩を震わせる。誰かと思えば、声の主は八夜だった。
「八夜隊長……どうされた?」
「部隊予算に関する書類で質問があるのですが……お邪魔なら、また後にします」
「いや、遠慮はいらない」
私に目配せをして、書類を抱える八夜に近付くラピス。それから丁寧な態度で相談に乗る。
話し合う二人の部隊長を私は少し離れた位置で眺めていた。私の視線は八夜の周囲を漂う。アウレアソル皇国で生まれ、こちらに来てまだ数年。言葉も生活習慣もまだ不自由するだろうに、一部隊の隊長としてしっかりと成長している彼女を見ていると、私も頑張らねばならないと思えてきた。
「ありがとうございます、ラピス隊長。お姉様、もうよろしいですよ」
いつの間にか話し合いは終わり、八夜が私に近付いて来た。
「ん、どうしたの、八夜?」
「今度のお休みなのですが」
首を傾げる私に、八夜は黒い真珠の様な瞳を向ける。
「丁度私とお姉様のお休みが被っていたと思うんです。なので、良ければ、その____」
抑揚の少ない八夜の声に少しだけ緊張の色が混じったように思えた。
「一緒にお出掛けしませんか?」
「お出掛け? ……私と一緒に?」
「はい。……駄目、でしょうか」
私は反射的にラピスを見遣る。視線を受けたラピスは何も言わず、ただ僅かに顎をしゃくっただけだった。私は小さく頷き、少しだけ不安げにこちらを見上げる八夜に向き直る。
「……うん。そう、だね。特に予定とか無いし……一緒に外出しようか」
私が告げると八夜は僅かに目を輝かせたように思えた。
「はい。よろしくお願いします」
八夜はそう言うと、お辞儀をし、嬉しそうな足取りで私達の元から去って行った。
上機嫌に弾む少女の背中を見つめながら、ラピスが____
「随分と妹に好かれているな、お前」
私は照れて頬を掻いた。
「ええ、まあ……どう言う訳か」
「羨ましい限りだ」
弾む私の声とは対照的に、ラピスのそれは暗い。その理由を私は知っている。
「本当に良い娘だな、八夜隊長は。真面目で謙虚。利口で優しい。……レイズリアもそうだったんだ」
ラピスの口から彼女の妹の名前が出てきたので、私はドキリとした。悲しく、虚しい響きを伴った名前。私はさっと顔をラピスから背ける。
居心地の悪い沈黙の中、ラピスが「そう言えば」と口を開いた。
「少し前の事だが、母親に会って来た」
「……え?」
「彼女、私に何と言ったと思う?」
ラピスから溜息を堪えるような空気が漂って来た。
「“この前はすみませんでした。ラピスは私の自慢の娘です。もう二度と貴方を見捨てたりはしません。だから、仲直りをしましょう”」
淡々と母親の台詞を口にするラピス。私は思わず眉根を寄せてしまった。何処までも空々しい言葉だ。
「……それで、ラピス隊長はどう返したのですか?」
「ただ一言____“そうですね”と」
ラピスは苦笑いを浮かべた。
「冤罪が晴れ、この歳でエストフルト第一兵舎の隊長となった私に母は改めて利用価値を見出したのだろう。あんなにも露骨に媚びられるとは思わなかったが。どれだけ厚顔無恥なのかと、怒りや呆れを通り越して愉快ですらあった」
肩をすくめるラピス。
「だからこそ、私は何事も無かったかのように母親との仲を修復した____表向きだけは。彼女が私を利用するように、私も彼女を利用するだけだ。チャーストン家の名前を存分に使わせて貰う」
母親であるリリアナ・チャーストンとの仲直りを済ませたラピスだが、そこに家族としての絆は皆無だった。リリアナはラピスの名声を利用し、ラピスはお家の権威を利用する。そのための契約が為されたに過ぎない。
それはとても悲しい事だった。ラピスは既に諦めきっているのだ。だからこそ、感情を殺して母親と仲直りなどした。
「ミシェル、お前を養子に迎える話があったが、今度改めて母に持ちかけてみる事にしよう」
「……はい」
「あんな家だが、名前だけは使えるからな」
全てを諦めきっての言葉なのだろうが、それでもラピスからは吹っ切ることの出来ない、何か底知れぬ悲しさを感じた。