第六話「秀蓮の願い」
「お願いです、私を助けて頂けませんか」
切実な声音で懇願する秀蓮に私は困惑する。
目の前にいる少女は一体誰だ? 私の知る秀蓮はこんなにも弱々しく人に物を頼むような人物ではなかった。剽軽で、図太く、何よりも身体から狡猾さの滲み出ている抜け目のない少女だった筈。
「……助けてって……何を企んでいるの?」
これは秀蓮の演技であろうか。私の目を欺くための。
「企んでいるって……そんな……。先輩も持っているんですよね。だったら、分かるでしょう?」
「……持っている?」
「それです。貴方の愛刀のカネサダです。ガブリエラさんの“働き者の女神”と同じ。人の心が読めるんですよね? だったら、読んでみて下さいよ、私の心を」
私の腰元のカネサダを指差す秀蓮。相棒の情報は既に把握済みのようだ。
「……カネサダ」
『おう、待ってな____なるほどな』
カネサダを鞘から抜き、私は彼に秀蓮の心を覗かせる。
『まあ、何だ……お前を騙すつもりはなさそうだぜ。詳しい事情は本人の口から直接聞け』
「……うん」
秀蓮に私を欺く意図がない事を確認。
「……何があったのか話してくれないかな、秀蓮。ゆっくりで良いから」
努めて優しい口調で秀蓮に話しかける。少女は胸元に手を添え、荒くなる呼吸を抑え込んでいるようであった。
「私、上層部からの指示でマーサさんを抹殺することになっていたんです」
「マーサを? でも、マーサは……」
「アメリアさんに殺されました。私が手を下すより一足早く。それで……」
吐き気を堪えるように口元を手で押させる秀蓮。
「私、見ちゃったんです……アメリアさんに惨たらしく殺されるマーサさんを……血肉が周囲に飛び散り……辛うじて原形を留めていたマーサさんの死体が……何度も何度も、血塗れのアメリアさんに……」
「大丈夫、秀蓮? ちょっとそこに座ろうか?」
顔面蒼白の秀蓮を近くの木箱に誘導し、座らせる。私は彼女の手を握って____
「その……酷い光景だったの?」
「え、ええ……私、人を殺めた事はあったんですが……あんなのは初めてで……」
秀蓮の背中に手を回し、私は優しくさすって上げる。
「何て言うか、その……ショックでした。グロテスクなのもそうなんですけど……私もアメリアさんと同じなんだなって。私のしてきた事は……彼女と同じ人殺しなんだって」
「……秀蓮」
「私、自分は平気な人間なんだと思っていました」
辛そうに言葉を紡ぐ秀蓮。
「人の死に無頓着で、割り切って人殺しが出来る冷血な人間なんだって。だから“便利屋”の仕事を続けられたし……それが自分の幸福なんだなって確信出来てたんです。良心を上手に騙して、感情を巧みにコントロールして……だけど……」
涙を流す秀蓮。
「全部間違いでした。私、全然平気じゃなかったんです。目の前の殺しから目を逸らし続けて、マーサさんを手に掛けるアメリアさんを見た時、自分のしてきた事、これからもし続ける事____全部目の当たりにして」
私の手を力強く掴む秀蓮。
「ここから、この場所から逃げ出したいって……そう思いました」
「……それは、つまり____“便利屋”の仕事を辞めたいの?」
私の問いに秀蓮は頷く。
「私、これ以上人を殺したくありません。嘘で誰かを陥れることも。だけど……そんな事は許されない。騎士団は私を許さない。私の離脱を。そんなことをすれば、私は始末されてしまいます」
“便利屋”として騎士団上層部の闇に足を踏み入れた以上、そこからの離脱は許されない。秘密の持ち逃げと見なされ、必ず抹殺される。
「私を助けることが出来るのはミシェル先輩ただ一人だけなんです」
「私、だけ?」
「____公安試作隊」
涙ながら訴えかける秀蓮。
「騎士団上層部はエリザベス王女殿下の構想を危険視し、私を彼女の監視にあてがいました。その任務を逆手に取り、私は殿下に自然な流れで接触を果たしたのです。私自らが公安試作隊に入隊し、代わりに王女殿下の庇護を得るために。そうする事で、“便利屋”から足を洗うつもりでした。しかし、殿下は____入隊を決めるのはミシェル先輩だと」
エリーは言っていた。試作隊の隊員は私自身で集めるようにと。私が心から信頼できると思った人物を隊員にするようにと。
「お願いです、ミシェル先輩。私を試作隊の一員にして下さい。必ずお役に立ちますから。一生懸命働きますから。……私を助けて下さい!」
「……」
腕を組んで私は黙り込む。
秀蓮を隊員に加えても良いものか?
秀蓮は悪い人間ではない。その手を汚した過去があるのは知っているが、同時に彼女の止む無き事情も知っている。だから赦せと言う訳でもないが、一方的に責める事も出来ない。
____いや、良い悪いの話は結構だ。
善悪など関係ない。重要なのは、信頼。秀蓮が今後私を裏切る可能性についてだ。
カネサダが何も口を挟まない所を見ると、秀蓮は本心で自分を語っている。“便利屋”から足を洗いたいのも、公安試作隊として誠意を尽くそうとしているのも真実だ。
しかし、それは現時点での話。
秀蓮が人一倍の個人主義なのは既に理解している所だ。
もし、必要に迫られれば保身のために裏切りも辞さないだろう。
そんな人間を秘密部隊である公安試作隊に加えても良いのか。
「……どうしよう」
呟く私。その台詞が秀蓮を不安にさせた。と、同時に助けを求める彼女の表情が私の憐みを誘う。
断る? それでは秀蓮が可哀想だ。ここは、彼女を助けるつもりで____
「……」
いや、いけない。そんな感情に流されて、軽率な判断を下してはいけない。私は公安試作隊隊長なのだ。エリーが私に与えた重要な役目。その自覚を持たなければ。
「秀蓮が優しい人間なのは良く知ってる。他人を思い遣れる心を持っている事も。だけど」
私は毅然と言い放つ。
「秀蓮にとって秀蓮自身が何よりも大切だって事も知っている。他人も大切にするけど、あくまでも自分が一番大切だって事」
「……せ、先輩?」
「現時点で、秀蓮が私を裏切る心配はないと思う。現時点ではね。私と私の仲間が危機に陥った時____貴方、裏切らないって断言できる? 最後まで私達と闘う覚悟は?」
私は秀蓮に問う。それは詰問のようであった。
カネサダの白刃が煌めく中、秀蓮は目を伏せ、黙り込んでしまう。この場で嘘は通用しない。カネサダがそれを見抜くからだ。だから軽はずみな返答は出来ない。
「……先輩の言う通りですね」
秀蓮は諦めたように呟く。
「私にとって、私の身が何よりも大切です。だから……いざと言う時、私が裏切らないと言う保証はありません。保身は私にとって本能のようなものです。意志の力で抑え込む自信はありません」
涙を拭い、秀蓮は立ち上がる。
「やっぱり無理ですか、こんな私を部隊の一員にするのは」
静かに頷く私。秀蓮はいつもの愛想笑いを浮かべ、そして以前と変わりない道化師のような素振りで頬を掻いた。
「いやあ……困りましたね。ミシェル先輩、情に流されやすい所があるんで上手く取り入ることが出来ると思ったんですけど。大失敗です。騎士団上層部を裏切るような真似までしたんですけどね」
「……」
「エリザベス王女殿下への情報と証拠提供がバレたら、私不味い事になっちゃいますよ」
私の知る彼女に戻りつつある秀蓮。剽軽な態度。しかし、それは偽りの仮面に過ぎない。彼女の心は、耐え難い絶望と恐怖で今にも張り裂けそうになっている筈だ。
「私、もう行きますね。入隊の話は残念でしたけど、ミシェル先輩とお話しできて楽しかったです。では____」
「貴方を試作隊に加える事は出来ない」
立ち去ろうとする秀蓮の腕を掴む私。引き留められ、秀蓮はびくっと肩を震わせた。
「だけど____貴方の事、守ってあげるよ」
私の言葉に秀蓮はポカンと口を開ける。
「貴方の望みは公安試作隊への入隊じゃない。騎士団団長と同じく竜核を持つ王女の庇護を得る事。そうでしょ?」
「……はい、その通りですが」
「だったら、私が交渉して上げるよ。エリーが貴方の身を守ってくれるように」
目を丸くして呆然とする秀蓮。
「……良いんですか、先輩」
「但し、秀蓮には私の手足になって働いて貰う。……まあつまり、これからは騎士団上層部じゃなくて、私の“便利屋”になって貰う訳」
秀蓮を隊員に迎えるのにはリスクが伴う。だから、彼女とは別の形での繋がりを模索した。同じ隊員として情報を共有し、運命を共にする仲間ではなく、悪い言い方をすれば、一方的に使い捨てる駒としての関係。それは丁度、騎士団上層部と秀蓮が現在結んでいる関係と同じものだ。
「私の“便利屋”になってよ、秀蓮。その対価としてエリザベス王女殿下による庇護を約束する。……どうかな?」
私の提案は早い話が主の鞍替えだ。“便利屋”としての秀蓮の肩書は変わらない。他者に心臓を握られた状態での一方的な服従。それは決して清浄なものではない。
「分かりました、ミシェル先輩。私、先輩の“便利屋”になります」
秀蓮は即決する。迷う素振りすらない。いや、これ以外の道が彼女にはないのだ。
私は目を瞑り、波乱の道を歩んできた少女の言葉に息を飲んだ。
そして、誓うように____
「貴方は私の駒だ。騎士団上層部にとっての貴方もまたそうであったように。だけど____私は決して貴方に辛い思いをさせない。悲しい思いをさせない。そして、隊員ではないけれど、貴方は仲間で、何よりも、私の大切な友達だ。だから、全力で貴方の事を守る」
歪な繋がりかも知れない。だけど、私が“選択”した____これが秀蓮との関係だ。
大切なもの全てを守るために、私が出した答え。
「この件、後でエリーに話して見るよ。まあでも、エリーは秀蓮の味方をしていたみたいだし、交渉は上手く行くと思うよ」
「はい! ……よろしくお願いします!」
差し出された秀蓮の手を私は握り返す。
「もう、ミシェル先輩ってば、人が良いんだか悪いんだか。結局情に流されて私の事助けてくれましたね」
「情に流されてか……はは……まあ……半分はそうだね。もう半分は実際上の判断だよ。公安試作隊は秘密部隊。部隊の事情を知る秀蓮をこのまま逃がすことは出来ないから」
以前エリーに手渡された要旨によると、公安試作隊の隊員に関する情報は原則秘匿するとの事だった。秀蓮は既に隊長が私であることを知っているので、仲間として抱える方が得策と言える。
「まあ兎に角、よろしくね、秀蓮」
リントブルミア魔導乙女騎士団公安部公安試作隊隊長に就任した私。その最初の仲間を手に入れた。
さて。
最低でも五人。隊員を集めなくては。