第三十九話 罪と嘘
オオガミライの死。それはつまり、この戦いにおける意味が無くなったという事だ。彼の死を認識したのはずっと彼を監視していたリリィ、そして彼と契約を交わしたラミだけだ。
リリィは何言わず決断をし、ラミは涙を流し獣の島『獣楽園』から飛び降りた。
リリィは唇を噛み締める。どこで間違えた、と頭を回しながら。
オオガミライを失う事は、この戦争においての敗北を意味する。ここでオオガミライが死ねば、キッド、または神帝のどちらかがこの世界の頂点に立つだろう。
どちらが勝とうが世界は変わらない。厄災の嵐となり、人は死に絶え国は滅びる。
そこまで考え、リリィはふと考えを止めた。彼と言う存在が彼女にとってどう言った存在なのか、それを再認識する。
脳に手を当て、ゆっくりと瞼を下ろす。見えるのは対峙する神帝の姿。自分がそこの立場なら恐怖で体が震え、身動きの一つも取れない状況になるだろう。そんな場所で戦ってくれている自分の夫には尊敬しか生まれない。それがどんな復讐劇だったとしても、だ。
話しかけるように頭の中で文章を構築する。始めの文章は彼が死んだ事の報告。次の文章は━━━━━━━
「……後は頼んだよ、ね」
声を聞いたベリアは、同じ言葉を小さく復唱した。「後は頼んだ」言う方は楽だろうが、頼まれた方としては中々重い空気になる。
しかし、そんな事堕ちた奴に言った所で変わるわけもなく。彼女の「頼む」なんて何千回と聞いて来た。けれど今回ばかりは、一切の緩みなく、怠惰を貪る事なく、真剣に頼まれよう。
「━━━━━━━虚飾魔術」
また一つ罪が増えた。誰も咎める事のない、誰も許さない罪が。
ーー
俺はとうとう死んだのだろうか。
まぁ、何にせよ魂だけの現状を見ると死んだのだろう。不思議と心が落ち着いている。俺は一度死を経験した。確か警官の銃弾が不運にも当たりどころが悪かったのだろう。身体中から熱が消え失せて行く感覚を僅かながらに覚えている。
さて、これで未練なし悔いなしで人生を終われたのか、と聞かれたら俺に首を縦には振らないだろう。未練、悔いと言うよりは『忘れ物』のような感覚だ。
まだ礼を言っていない。それが俺の忘れ物。
『ありがとう』と。俺はまだ言えていない。
言うタイミングは幾らでもあった。だが、あの時この時でしょうもない理由を付けて逃げていた。それが単なる恥ずかしさから来ているものだとしても、それは逃げだ。理由もクソもない。結果論として逃げた。
━━━━━なぁ、お前はそれでいいのか?
ふと、声が聞こえた。自分の耳で何度も聞いた声。精神だけが存在する場なのだから、自分に問いを投げかける精神もあるのだろうか。何にせよ、俺は質問を受けた。
NOだ。俺はまだ彼女達に礼を言えてない。
━━━━━礼?お前は人間不信だろ?誰に礼をするんだ?虫か?動物か?
俺の闇を払ってくれた彼女達にだ。お前のような闇をな。
確かに人間は信用できない。そんな事はもうあの日裏切られた時点で知っている。しかし中には自分を信じてくれ、俺が信じなくとも腕を引っ張ってくれる世話好きの野郎もいるっても知った。
それが今の俺だ。人間不信で他人の存在を否定しようとした俺はもういない。
━━━━━━ならどうする?物語の主人公のように気合いで生き返るとでも言うのか?それとも、また一からやり直すとでも?
打つ手はない。それが答えだ。
こればかりはなんと言われようが返しようがない。俺は死んだのだ。蘇生魔法は存在しないあの世界で、俺を蘇生させる事は不可能と言えよう。故にここで俺はゲームオーバーだ。
━━━━━━そうかい。じゃあお前はさっき淡々と語った彼女達への言い残しは『死』と言う理由だけで無理だと言うんだな?
なら逆に『死』を相手にしてどうやって戦えと?相手は万物に影響を及ぼす死だぞ?
それこそ物語の主人公のように補正を使って生き返るしかないではないか。
俺のような主人公にもなれない端役に、そんなチートは存在しない。
━━━━━━いい気味だな、俺。あんなに大切に守ったアイツらに、礼の一つも言えず無様に死ぬとは。それも死因は体を奪われたことによるくだらない死。お前は何にも変わっちゃいない。人騒がせで腰抜けで、助けようとする人間を殺すような人間だ。
俺を見透かしたような答えである。己が語っているのだから、正しくないわけがないのだが。
もう少しで地獄だろうか?あるはずのない体に熱を感じる。生きたいと願っても、死人が生き返るわけがない。それが自然の摂理だ。諦めて安らかに眠れ。そして、地獄で罪に償いをしろ。
俺はもう生きる事はないだろう。
最後にこの不思議な体が、そう悟った。
ーー
罪とは償う為にある。
ある天使がそう言っていた。もちろん正しい事だろう。罪はどんな事をしてでも償わなければならない。
男の罪は長き人生の中でたった一つ。
「……忌み嫌われる理由をここで出すか」
天使は嫌う。
悪を、罪を、戦争を、死を、怠惰を、怒りを、そして『嘘』を。
なぜ嫌うのか。
今この場にいる二人に聞いた所で、明確な回答は出てこないだろう。方や怠惰を愛し、罪を背負い、嘘に愛された男。他方は戦争を好み、血を愛し、怒りと殺意でできた少女。聞くだけ無駄だ。
「オオガミライ。アレは異質だ。他人を嫌うが、自分も憎む。敵と呼べる人間はいても、仲間や友と呼べる人間はいない」
「それが彼のいい所だよ。なんだか、ゾクゾクしちゃう!」
「そう言えるのはお前だけだ。アレに心と呼べる物は少ない。半壊、いや全壊に近いな。この魔法はそんな奴を『嘘』で塗り潰す」
手を前に出し、掌の先に魔法陣を展開する。現れるのは紫と黒の魔法陣。禁忌を表す魔法の陣だ。バチバチと閃光が散り、辺りを闇に包む。
そして、ベリアが手を握るとそこへ落雷が落ちた。白煙が起こり、周囲に広がり続ける。
「━━━━━虚飾魔術、生成。お前が好む闘いとやらをしよう。嘘には注意しろよ?」
男が見る景色に真実はあるのだろうか。
ある少女に言われた言葉が脳裏によぎった。




