届いた手の平
「そんな煙草を吸うぐらいならポッキー吸いなよ」
マンションのベランダで煙草を吸っていたら隣のベランダから声を掛けられた。一瞬、私にかけられた声なのか分からず、はふぅと紫煙を昇らせる。
「けむいけむいけむい。あ、でも何か良い香り」
「煙草というより葉巻の類だからね、これ」
メープルの匂い香る茶色く細長い煙草。つい最近復活したとても懐かしい銘柄。当時280円だったものが500円で販売されるそのなんとも言えなさに如何ともしがたい思いを浮かべるものの、発見した瞬間、店のおばちゃんに「買います!」と言ってしまった辺り好きだったのだろうと思う。マッチ売りの少女でもないけれど、これを吸うと懐かしい思いが甦って来る。
「最初ポッキー吸っているのかと思ったよ。変な人だと思った」
マンションのベランダで声を掛けて来るお前の方が変なのだ、と言った所で伝わる事もないだろう。
若い子だった。
女子高生だった。
隣付き合いがないのでたまたま朝出かける時にこの子の親と思われる人物に遭遇するぐらいのものだ。最近は同じタイミングで扉の鍵をがちゃっとやると、何故か私しか出てこないという不思議な現象に合うのだけれど……いや、私別にそんな怖い人間ではないのだけれども……と少し寂しくなる。さておき、そんな事もあってか隣に女子高生が住んでいるとは思わなかった。
「変かもね」
「その答えが変だよお姉さん」
違いない、と肺に煙を入れてふぅと吐き出す。
これを紫煙と呼んだ昔の人は想像力豊かだなと思う。どう見ても白い。
「そんなにおいしい?私にもちょっと」
そう言って少女がベランダから手を伸ばす。こちらからも伸ばせば彼女に煙草を渡す事はできるだろうけれど、
「駄目だよ、未成年。手を伸ばしても未来にゃ届かないさ」
「だよね」
くすくすと笑う女子高生。制服姿だった。
「なんで制服姿でベランダなのよ」
今は夕方。彼女は帰って来たばかりなのだろうけれど、態々制服姿でベランダに出る意味が分からなかった。まぁ、私には関係ないのだけれど、と再び煙を肺へと。
「似合ってるね、お姉さん」
「どーも」
ふぅと吐き出す。その煙から香るメープルの匂いが気に入ったのか少女がすんすんと鼻を鳴らしていた。犬のようだった。容姿はどちらかというと猫のようだったけれど。
「なんかこー、着替えるのが面倒になって。ついつい」
唐突に言われた言葉にハテナとなった。私の疑問への回答だったらしい。
「ふーん。ま、可愛いからいいんじゃない?綺麗って言った方が良いのかな。猫っぽくて」
「猫……猫……」
「何?猫嫌い?時々そっちから鳴き声聞こえるんだけど飼ってるんじゃないの?」
「いるよー。でも、私アレルギーだから。猫好きだけど」
「好きだけれど手に入らないものってあるってことよ。良い経験、良い経験」
「説教っぽい。あとおばさんくさい」
「あんたに比べりゃおばさんよね。一人暮らしで特に何をするでもなく日がな一日中ぼーっとしてたまにベランダに出て煙草吸っているおばさんよ。こんな風になっちゃ駄目よ?」
「なんでそんな風になったの?」
好奇心は猫をも殺すが、まぁ、こんな綺麗な子じゃ殺されないか。そのまま飼われるに違いない。
「さーて。どうだったかねぇ」
ベランダに背を凭れ、紫煙を上空へと。ふわふわと昇って行きその内拡散していくそれはさながら想い出が消えて行くようで少し感傷的になった。こうして女子高生な格好をした少女と話しているのもそれに拍車をかけたのだろうか。
自分がそんな時分であった頃を思い出す。『一緒にポッキー食べよう』そんな事を言っていた子がいた。犬の様な子だった。とても仲の良い子だった。好きだった。けれど、当然その想いが叶うわけもなくこうして今に至る、と。苦笑する。
「何笑ってるの?」
突然苦笑を浮かべた私に少女が頬を膨らませる。疎外感でも感じたのだろうか。手を伸ばした所で未来には届かず、さりとて過去にも届く事はない。けれどまぁ、今には届くかもしれないね、と吸い終わった煙草を灰皿の上ですりつぶした後、手を伸ばす。
「何?」
「握手。今後ともよろしくってね。まぁ、煙草はあげないけどね」
「煙草は良いから、一緒にポッキー食べよう」
スカートのポケットからポッキーを取り出して自分の口に一本、私の手に一本。
「どーも」
煙草を吸う様にポッキーを咥えて、空を眺める。過去は拡がって行かなかった。かり、かりと噛めば甘く舌に広がっていく。今、確かに私は甘く感じている。煙草の残り香も相まって少し甘酸っぱい感じだった。
「よろしく、お姉さん」
お互いポッキーを片手に手を伸ばしてその手を握る。
「よろしく、美少女」
その日から、私の煙草の本数は減った。
その代わりといっては何だけれど、ポッキーの本数が増えた。
了